エピローグ
見慣れない部屋で、ロイは目を覚ました。
「んあ?」
まず目に入ったのは、天井から釣り下がった豪奢な装飾のシャンデリアだった。
また、学生寮のベッド、それどころか、ロイが住んでいた屋敷のものと比べても、柔らかく、暖かなベッドの上で、ロイは眠っていた。
窓から入り込むそよ風と、日の光に顔しかめつつ、ロイが顔を動かすと、窓辺に佇む少女の姿が目に写った。
どうやら、その少女が窓を開けたことで、室内に風が吹き込んできたらしい。
顔は窓の外を向いていて見えなかったが、長い金髪を風に棚引かせるその少女には見覚えがあった。
「チェルシー?」
ロイが声をかけると、その金髪の少女は、目を丸くして、彼の方を振り向いた。
「お、おはよう……」
動揺を隠しきれない様子で、チェルシーは声をかけた。
「ああ」と、返事をして、ロイはゆっくりと身体を起こす。
「――――っ!」
不意に、ロイの身体を激痛が襲った。
少し身体を動かそうとしただけで、全身を激痛が駆け巡る。
「大丈夫?」
苦悶の表情をみせるロイに、チェルシーが駆け寄る。
ロイに向かって右手をかざすと、術式を展開して、治癒術を発動する。
そのおかげで、多少は痛みが引いたような気がするが、それでも多少だ。完全に消えた訳ではない。
どうやら、少し身体に無理をさせ過ぎたようだ。
「平気だ」
チェルシーに心配をかけまいとして、ロイは平静を装ってそう答える。
「ここは? 俺はどれくらい寝てた?」
ロイは頭を掻きながら、改めて自分たちのいる部屋を見渡す。
やはり、見覚えはないが、寝具も、棚や机も、質の良いものが揃っている。
どこかの貴族か、豪商の屋敷、いや、チェルシーがここにいることからして、考えられるのは……。
「お城の客室よ。眠ってたのは、半日くらいね」
半日、つまり、ロイがヒュドラを倒してから、翌日の朝ということか。
と、そこまで考えて、ロイはハッとする。
「ヒュドラはどうなった!? 俺はやったのか!?」
焦りを露にして、ロイはチェルシーの肩に掴みかかった。
相手は不死身の伝説が残る怪物だ。考えたくもないが、倒し切れなかったということもあり得なくはない。
「ちょ、ちょっと! 落ち着きなさい。い、痛いから!」
強く力を込めて、チェルシーの肩に掴みかかるロイに、チェルシーは抵抗の意識を見せるが、ロイが力を緩めることはない。
「――痛――っ!」
全身を駆け巡る激痛に、ロイは顔を歪めて、チェルシーの肩から手を放した。
情けなくうずくまるロイに、チェルシーは治癒術を施しながら、声をかけた。
「もう、落ち着きなさいってば」
少し痛みが引いたところで、ロイは顔をあげてチェルシーの方を見る。
「あなたたちを見つけたとき、ヒュドラの死体も、一緒に転がってたわよ。跡形もないくらいに焼き焦げてね。学園や町の復旧も、もう始まってる。まあ、2・3日もあれば終わるんじゃないかしら」
「そうか」
チェルシーの報告を聞いて、ロイは胸を撫で下ろした。
自分がちゃんとやり遂げたのだと知って、何と言うか、安心したのだ。
ロイはチェルシーの手を借りて立ち上がり、ベッドに腰掛ける。と、再びハッとして、ロイはチェルシーに掴みかかる。
「セシルは?」
「あの子も無事。もう起きて、今はお風呂に入ってるわ」
「そうか」
妹の無事を知って、ロイは深く息を吐いた。
と、もう1つ、気になっていたことがあった。
「魔王信者は?」
まだ1人、ハーミットと呼ばれていた男を取り逃がしたままだ。もう1人のハンガーの口振りからすると、ヒュドラを召喚したのは、あの男らしいが。
チェルシーが首を横に振って答える。
「逃げた男の足取りは、未だに掴めていないわ。今のところ、何か仕掛けてくる様子もないけど……。捕らえた男には、尋問を行っているけど、何か吐きそうにはないわね」
「そうか」
チェルシーの返答を聞いて、ロイは顔をしかめる。
襲撃はこれで終わりと考えていいものか? それとも、次の襲撃までの小休止なのか。
しかし、どれだけ考えても、ロイには分かりようがない。ならば、休めるときに休んでおくべきだ。もっとも油断はならないが。
「ねぇ、ロイ?」
「あん?」
真剣な表情をして呼びかけるチェルシーに、ロイはぶっきらぼうに答える。
「その、ありがとう」
「…………」
礼を言うチェルシーに、ロイは何も言わずにその言葉を聞き流す。
礼を言われた理由がわからないというより、それを受け取るのが小恥ずかしいような気がしたのだ。
「私のために戦ってくれたんでしょ?」
チェルシーにそう言われ、ロイは目を反らして嘆息吐いた。
「別に、俺がムカついただけだ」
2人が話しているのは、ロイがヒュドラを討伐に行く前のこと。
あの時聞こえてきた会話に、そのつもりがあったかは知らないが、まるで、チェルシーのせいで、町が壊されているかのように、少なくともロイはそう受け取った。
「悪いのはあの魔王信者だろ。お前が気に病むようなことなんて、ひとつもない」
「そう、ね。でも、私が王位に就くなら、これからもつきまとう問題だわ。その度に国民を危険にさらすことになるかも」
「けど、お前が王になることを望んでるのも、その国民だ。だったら、その責任をとらせるべきだ」
と、無茶苦茶なことを言うロイに、チェルシーはクスリと笑みを見せた。
「そうね。ねだってばかりじゃあ、だめよね」
そう言って、チェルシーはクスクスと笑った。それに釣られて、ロイもフッと笑みを漏らした。
「ところで、ロイ?」
ひとしきり笑ったところで、チェルシーが声を掛ける。
「今、王都ではヒュドラを討伐した剣士の噂で、持ちきりになってるわよ」
面白そうな表情で、チェルシーはそう言った。
その言葉を聞いて、ロイは顔をしかめた。
「王都の危機に颯爽と現れて、炎の魔剣を片手に、ヒュドラを倒した魔剣士。その姿は、まるで、伝説の英雄ローレンツを思い起こさせた」
芝居じみた言い方で、チェルシーはそう語る。
多少は脚色が入っているようだが、噂になっているのは間違いないだろう。それだけのことをした自覚もない訳ではなかったが、思ったよりも大事になっているらしい。
(いや、チェルシーがいるからか……)
聖女の再来と呼ばれる彼女がいて、魔王信者とそれが召喚したヒュドラ。そして、それを討ち倒した炎の魔剣を手にした剣士。
出来すぎている気もするが、国民の期待が高まるのも、無理はないというものだ。
「中には《剣聖》なんて、大層な呼び名で呼ぶ人もいるらしいわよ」
チェルシーはニコニコとして、そう告げると、クスクスと笑みをこぼした。
しかし、本当に面白そうにしている彼女の表情に、ロイは一抹の不安を覚えた。
「お前は、何でそんなに嬉しそうなんだよ?」
まるで自分のことのように、喜びを露にするチェルシーのことが、不思議で仕方がなかった。
当のロイは、不相応に囃し立てられることが、煩わしく感じているというのに、だ。
ロイの質問を受けて、チェルシーは更に笑みを深めて答える。
「だってあなた、王都を守った英雄よ? これなら、お父様だって文句は言わないわ」
そう言われて、ロイはハッとする。
思い返せば、チェルシーはロイが騎士になることを望んでいた。そして、そのためには、何か実績が必要なのだとか。
ロイは大きく溜め息を吐くと、一拍置いて、口を開いた。
「お前、俺があの男に負けたとこ見てただろ?」
呆れた声音で、ロイはそう言う。しかし、チェルシーはきょとんとした表情でロイのことを見つめ返す。
「まあ、それを差し引いても、十分な功績だと思うけどね……」
そう言って、チェルシーは少し考えるようにする。
「本音を言えば、別に、力なんてなくてもいいのよ」
「はぁ!?」
と、思いがけないことを言い出すチェルシーに、ロイは思わず声を上げた。
騎士にしたいというのに、力が必要ないとは、一体どういう了見なのか。
「そりゃあ、周りを納得させるには、それなりの実力は必要でしょうけど、そんなもの、私にとっては、重要なことじゃないの」
チェルシーはそう言うが、いまいち、ロイには理解出来ず、顔をしかめた。
「あなたは、弱い人の気持ちが分かる人だわ。その人のために戦える強さを持ってる。私が欲しいのは、そういう心の強さを持ってる人なのよ」
「俺に、その強さがあるって?」
一体何の根拠があって、そんなことを言い出したのか、理解出来ずにロイはそう聞く。
そもそも、出会って間もないチェルシーが、どれだけ彼のことを理解しているのか、甚だ疑問だった。
「だって、あなたは私のために戦ってくれたでしょう? それも3度」
「その内1度負けてる」
チェルシーの言葉に、やや食い気味に、ロイは言葉を返す。と、その彼の態度に、チェルシーはムッと唇を尖らせた。
「もう! あなたって、結構引きずるタイプなのね。勝ち負けなんて、どうだっていいじゃない。そうやって、戦ってくれて、ちゃんと生きてくれてるんだから」
チェルシーが半ばむきになってそう言うと、ロイは大きく息を吐いた。
「そりゃあ、お前の命がかかってるんだ。ほっとく訳にはいかねぇだろ」
「じゃあ、メルのときは? 別に、決闘なんて挑む必要はなかったと思うけど?」
「…………」
ロイが答えると、チェルシーはさらに質問を重ねた。
その質問に、ロイは答えることが出来なかった。
チェルシーの言う通り、ウィリアムがメロディのことをどれだけ貶めようとも、ロイが決闘を挑む必要はなかった筈なのだ。
残念ながら、獣人を嫌う人間は、少なからずいるし、その思想を変えるのは難しい。しかし、わざわざ衝突せずとも、相容れぬもの、と割り切ってしまえばいい。そういう選択肢もあったはずなのだ。
それでも、ロイが決闘という手段をとってまで、ウィリアムの言葉を撤回させたのは、生まれだけで差別される、その理不尽が許せなかったからに他ならなかった。
「ほんとはね」
ロイが沈黙を続けていると、チェルシーが口を開いた。
「ほんとは、女王なんて柄じゃないんだけど、もしほんとに、私が王位を継ぐことになるのなら、私は皆が普通に暮らせる国にしたい」
「ああ」
チェルシーの言葉に、ロイは相槌を打つ。
そのことは、昨日聞いていた。
人間も、亜人も、貴族も、平民も、魔術師も、固有魔術師も、非魔術師も、男も、女も、みんなが同じように暮らせる国。そんな国にしたいのだと、彼女は語っていた。
「その為には、あなたみたいな人が必要なのよ。私と一緒に、戦ってくれる人間が」
チェルシーは真っ直ぐにロイの両目を見つめ、そう訴えた。
その瞳からは、彼女の真剣さが伺える。
今更のことながら、冗談などではなかった。
(正直に言えば、自信はない)
チェルシーは、どうでもいいようなことを言っていたが、ロイに力が求められているのは間違いない。
彼女は魔王信者に命を狙われており、その魔王信者に、ロイは1度負けている。
しかし、そんな自分のことを、まだ必要だと言ってくれるのならば、それに応えたいとも思うのだ。
(何より、チェルシーを死なせたくない)
ロイは大きく息を吸い込み、そして吐き出した。
「ロイ・ウィールクス、前へ!」
祭司を務める大臣に名を呼ばれ、ロイは前へ出る。
「ゲイルガルド第4王女チェルシー・ウィルド・アルクノアの騎士として、忠誠を誓い、国民の生命と財産を守ると誓うのならば、跪いて、剣を捧げよ!」
ロイは祭壇に向けて歩みを進める。祭壇では、豪奢なドレスに身を包んだチェルシーが、ロイのことを待っていた。
やがて、ロイが祭壇の下までたどり着くと、チェルシーが腰を上げ、ロイの目の前まで近づく。
「ふふっ、びっくりするくらい似合わないわね。あなた」
チェルシーは上から下へ視線を動かして、ロイの格好を眺め、彼にだけ聞こえる程度の声でそう言った。
式典用に用意された、白を基調とした礼服。普段ぼさぼさの髪も、ピシッと整えられている。
はっきり言ってぎこちない。ロイ自身も、窮屈に感じていた。
「お前は、馬子にも衣装ってとこか」
チェルシーの姿を改めて見ると、煌びやかなドレスには、細やかな刺繍や、装飾が施されている。彼女の金髪がよく映える、純白のドレス。普段の彼女とは、印象が変わるが、とても似合っていた。
気を抜くと、見惚れてしまいそうになる。
チェルシーは表情を引き締め、口を開く。
「一応言っとくけど、止めるなら今の内よ」
「…………」
彼女の言葉に、ロイは顔をしかめた。
「今の内も何も、ここまで来てそれは無いだろ……」
そう言って、ロイは片足を引き、チェルシーの前に跪く。
今、この会場では、王族や議員、貴族たちが2人のことを見ている。
中には、学生であるロイが、騎士になることに、反対している者もいた。いくら家柄がよく、実績も申し分ないとはいえ、まだ若く未熟な学生に、勤め得ることが出来るのか、疑問視する声も少なくない。
そもそも、この叙任式は格式高いものだ。そのような場で、恥を晒すような真似が出来ないのは、互いに同じだろうに。
ロイは、腰に差していた儀礼用の騎士剣を抜き、彼女の前に捧げた。
「上等だよ」
チェルシーは、ロイから剣を受け取り、その刃を彼の肩に置いた。