第八話
ここは、何処だろう。
俺は、大きなショッピングモールのような場所で立ち尽くしていた。
人波がやけに遠くに見える。ぼんやりと、視線を彷徨わせていると
「セイイチーっ!」
キルシェの楽しそうな声が聴こえた。
焦点を定めたその先に、
(きるしぇ……?)
「セイイチ! ほら、あっちに美味しそうな食べ物屋さんがあるよー。いこーよっ」
何回か、目を瞬かせる。キルシェの格好は全体的にピンクピンクしていて、胸にリボンが付いていてスカートがふわふわと揺らめく、
一言で言えば、なんだろう。まるで、そうだ、あの魔法少女番組に出てくる幼女の格好によく似ていた。
(どうしたんだ、その格好!?)
何故か言葉を発することができなかった。金縛りに遭っているかのように身体も動かない。
「ねえ、セイイチ! はやく、はやくっ!」
手がキルシェに引っ張られる。
(ま、待て。俺、動けないぞ!)
突然、俺の身体が浮き上がった。驚く暇もなく、キルシェも俺の手を握りながら自分の身体を浮かせる。
どんどん、二人の身体は上昇していく。そして、ショッピングモールの高い天井まで辿り着く。
キルシェは右腕をかざすと、
「うりゃぁっ」
と一声。
すると、手のひらから紅色の光線のようなものが出て、天井を思い切り突き破った。
(!?)
キルシェは戸惑う俺を振り返り、ニコリと笑った。
「いっしょに、いこう!」
ショッピングモールの外へと飛び出す俺とキルシェ。
水色の空の中をキルシェは本当に楽しそうに浮遊して回った。
俺は手を引かれていて、普通は怖いと感じる筈だが不思議と恐怖感は無かった。
飛び回っているうちに、俺も何だか楽しくなってきた。
魔法少女の姿をしたキルシェは、ずっと笑っていた。
と、その光景が一転した。
激しく燃え上がる炎に囲まれている、俺とキルシェ。
「セイイチ、ここはわたしにまかせてっ!」
何が何だか分からない。
炎の球が、キルシェ目掛けて飛んできた。
キルシェはそれを避けようとした、が。
「……いやっ! 来ないで!」
蹲って、頭を抱える。
炎の球が迫ってくる。俺は動けない身体に鞭を打って、必死でキルシェに手を伸ばした。
(やめろ、やめろ……やめてくれ……!)
「キルシェーーーーーーーッ!!」
「セイイチ、セイイチッ!」
あ。キルシェの声がする。何だか懐かしいような、くすぐったいような、そんな声……。
俺は手を伸ばした。温かな手に触れて、そっと目を開く。まだ夢の中にいるような変な気分。
「キルシェ……?」
ぼんやりと霞んだ視界に見覚えのある顔を確認して、俺は安心する。
よかった、無事だったのか。
「もう、セイイチったら何言ってるの? 私の名前はキルシェじゃないよ」
「え……」
次第に輪郭がハッキリしてくる。顔のパーツ一つ一つに視線を移す。
そして、目の前の彼女の右目に目が留まる。
「……紅くない、蒼い……」
彼女は俺の手を両手で握り締めてウィンクをした。
「想い出してくれた? 誠一くん」
「…………ッ!?」
咄嗟に飛び起きた。酷く頭が痛む。俺は呻きつつ、頭を押さえた。
何が、起きている?
辺りを見渡してみると、ここは自分の部屋みたいだった。
「まだあんまり勢いよく動いちゃダメよ」
優しく微笑みながら、片目の蒼い彼女は言った。
彼女は行き場を失くした両手を腰の辺りに添える。深く溜息を吐いた。
「キルシェったら、力の加減をしなかったのね」
俺は、記憶を辿って彼女の名前を思い出す。
「お前は……ファルシェ、だったか」
また赤茶色の髪の毛を後ろで括ってあるせいで、キルシェとの判別は「蒼い瞳」くらいでしか出来ない程に
ファルシェとキルシェの顔はそっくりだった。
「そ。もう一回自己紹介するわね」
得意げな表情でファルシェは胸を張った。俺は少し顔を逸らしてしまう。
キルシェと違う所をまた見付けてしまった。流石、姉というべきか。その、成長してる所はちゃんとしているらしい。
「私の名前はファルシェ。呼び方は何でもいいわ。そうね、何と言うべきか。
簡単に言えばキルシェとは姉妹の関係。厳密に言えば、キルシェのクローンなの」
一瞬、耳を疑った。キルシェのクローン。クローンって言葉は映画とか漫画の世界でしか聞いたことがない。
例えば、人造人間的な、そんな感じの。
話が見えてこなくて、キョトンとしている俺をファルシェはじっと眺めながら続ける。
「キルシェが産まれた時、村人達はキルシェを恐れたの。……呪われた子が産まれたってね。
そして、村人達が話し合った結果、キルシェに似せた子どもを造り、キルシェ自体は居なかったことにしよう……
つまり、殺すことにしたのよ。それから、特殊な魔術で私……ファルシェが造られた。
片目が蒼色の魔族はそう珍しくない。村人達は安堵したわ。
私はキルシェの存在は知らされず、十数年生きた。もちろん、自分がクローンだなんて思いもせずに……ね。
けれど、実はキルシェは生きてたの。違う村でね。
数年前、唐突に現れた時は驚いたわ。自分と瓜二つなのだもの。
キルシェは、違う村で内密に匿われていたのね。でも、そこの村でも酷い仕打ちを受けていたみたい。
キルシェは故郷に戻り、おばあちゃんの元で暮らすようになった」
突然の告白に、俺は整理ができずにいた。
頭が混乱する。
「でも、お婆さんはそんなこと一言も……」
「言えるわけないじゃない。あなたは人間よ?
心から信用できると思う?」
「……」
問われて、口ごもってしまう。
俺は、鼻っから信じてもらえてなかった? そりゃあ、魔族のことはよく分かってないけど。
でも、あのお婆さんの真摯な眼差しは偽りではなかったと思う。
「話を続けるわね。キルシェと私は初めの内はとても仲良くしていたの。
姉妹なんだって言われていたしね。でも、ある時、私は自分がクローンなんだってことを知ってしまった。
そして、キルシェにはあって私にはない能力のことも。
……段々と、妬ましくなってきたのね。キルシェに辛く当たるようになってしまったの」
一息吐くと、ファルシェは遠い目をして自嘲的に笑った。
「それ以来、キルシェは私のことを異常に怯えるようになったし、それに対して私も挑発的な態度を取るようになってしまったわ」
それが、キルシェとファルシェが出遭った時の緊迫感の理由。
キルシェとファルシェの重い過去。
信じ難いけれど、ファルシェの語り様は嘘を吐いてるようには見えなかった。
そうか、キルシェはこのことも隠していたんだ。切なげなキルシェの表情を想い出す。
本当は、もっと俺に頼りたかったんじゃないか。
小さな身体で、今のこと含めて全部抱え込んでいたなんて。
「……俺には」
知らず、声に出していた。
「俺には、何もできないのか……?」
すると、ファルシェは俺の肩をポンッと叩いた。
「……大丈夫。誠一くんなら」
今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな、そんな表情をして。
「私のことも、助けてくれたでしょ?」
掻き消えそうな声で、ファルシェが何かを言った。
「え……?」
「な、なんでもないわ。そうだ、キルシェもそろそろ目を覚ます頃かも」
ちょっと赤面しながら、ふい、とファルシェは布団の方に目を移した。
どうやら俺は、ソファに寝かされていたらしい。
と、今頃になって状況確認。情報量が多すぎて、頭がパンクしそうだ。
とりあえず、一旦落ち着こう。深く深呼吸をする。
出会った時は、それこそ敵のような印象を受けたファルシェだったが、
どうやらそうでもないらしい。
現に、こうやって真実を話してくれた。どうして初対面の俺に詳細に語ってくれたのかは分からないけど、
ファルシェもまた、誰かに頼りたいのかもしれない。
様子見ってとこかな。キルシェにまた突っ掛かってきたら、俺が何とかしよう。
そういや、なんでファルシェが「姉」なのだろう。
ファルシェの方が後に造られたのなら、キルシェが「姉」なんじゃないか?
まあ、いっか。色々と事情があるのだろう。あまり深く考えないことにした。
「キルシェ? そろそろ起きなさい」
「ん……」
キルシェの傍に座って、ファルシェはキルシェの顔を覗き込んでいる。
何となく心配になって、俺もキルシェの傍に移動した。
「キルシェ、大丈夫か?」
もぞもぞと布団が動いたと思うと、キルシェはゆっくりと目を開いた。
ファルシェはそれを確認するとプイとあさっての方向を向いた。
心配だけど、やっぱり恥ずかしいのかな。
「セイ、イチ……?」
「おう、俺だ。気分はどうだ?」
「なんか……くらくらするよ」
俺の顔を見て、表情をふにゃりと崩してキルシェは笑った。
「ん、もうちょっと眠ってもいいんだぞ」
「ううん、だいじょうぶ。もう起きるよ」
そう言いながら、後姿を見せているファルシェに気付いてキルシェの表情が強張った。
俺はそんなキルシェに笑ってみせる。
「お姉さんが、俺とキルシェのこと見ててくれたんだ」
「な、なんで」
「やっぱり、心配だったんじゃないか?」
「……おねえちゃんが?」
信じられないといった様子でキルシェはファルシェの後姿をまじまじと見つめた。
「し、仕方なく、よ。あんな所で倒れたままにしてたら寝覚めが悪いじゃない」
刺々しい言い方ではあるが、心配だったということはキルシェにも伝わっただろう。
けれど、キルシェはまだ納得がいかないらしく、うーと唸って困ったように俺を見上げた。
「セイイチは、なんでおねえちゃんと親しくなっちゃってるの?」
そして、不機嫌そうにそんなことを口にした。
俺は戸惑って、何て言おうか迷ってしまう。下手なことは言えない。
キルシェたちの過去を勝手に知ってしまったから、なんて言えないし。
「えっと……それはな。そう、お姉さんがめちゃくちゃ妹想いってことが判明したからだ」
嘘は吐いてないよな。どうも、ファルシェは素直になれないだけみたいだから。
キルシェはそれを聞いてしばし何かを考えていた。
ファルシェは、何も言わなかった。
「ちょっと、お手洗い借りるわね」
それだけ言うと、逃げるように立ち上がって、見えない所に行ってしまった。
「セイイチ」
キルシェはゆっくりと起き上がり、俺の方を向いた。表情はやはり硬い。
「おねえちゃんに、何か吹き込まれた?」
「そんなことされてないって」
「でも! おねえちゃんが妹想いだなんて、嘘に決まってる!」
「キルシェ」
「だって……だって、あの時もセイイチに……っ!」
「キルシェ、落ち着け」
「落ち着いてなんかいられないよっ! おねえちゃんは、おねえちゃんはセイイチを……っ」
と、急にハッとしてキルシェは口を閉ざした。
「俺が……どうしたんだ?」
「……」
キルシェは俯いて、布団をぎゅっと握り締めた。
若干、肩が震えていた。仕方、ないか。まだキルシェがファルシェのことを信じることは出来ない筈だから。
ということは、俺はファルシェのことを嫌いだと言えばいいのだろうか。
でも、何かそれは違う気がする。もちろん、今もまだファルシェのことを100%信じている訳ではない。
けど、キルシェとファルシェは姉妹なんだ。
俺には、どちらが好きでどちらが嫌いとかそういう差別はできなかった。
ポン、と手をキルシェの頭に乗っける。
「大丈夫だよ、俺は何もされてない。それより、キルシェのことが心配だ。
まだくらくらするか? お茶でも持ってこようか」
「うん……」
何かを考え込んですっかり意気消沈してしまっている。
ここは、俺がどうにかしなくては。
「俺が護りたいのは、……キルシェだからな」
口を半開きにして、キルシェは俺を見た。
俺は恥ずかしくて急いでその場から逃げた。
台所へと向かう。シンクに手を置いて心臓の高鳴りを抑える。
キザすぎた。本心だけども。だけども。
あ、そうだ、お茶持っていかないと。冷蔵庫に手を伸ばそうとした。その時。
「誠一くんって、やっぱり優しいのね」
ファルシェが背後から声を掛けてきた。
さっきの丸聞こえだったか……。
「……いや、優しいんじゃない。お人よしなんだよ、悪い意味で」
優柔不断だしな、と付け加える。
「そういうところが、いいのよ」
振り向くと、ファルシェは静かに微笑んでいた。
何故だか、胸の辺りが痛くなった。
俺、ファルシェに同情している?
キルシェとは違った感情に、しかし、懐かしいような感じがしていた。
「……俺にはいい所なんてひとつもない」
聞こえるか聞こえない程度にそう呟いて、冷蔵庫からお茶を取り出した。
「私、コップ持っていくわ」
洗った食器の置かれているカゴからコップを取り出す彼女を後目に、俺はキルシェの元へ向かった。