第七話
「結構、集まってきたね!」
俺の用意していた鞄の中は、シャケおにぎりでいっぱいになっていた。
あの後も何軒かコンビニを回った。
途中途中で休みを入れつつだった為、50個にはもう少し届いていないと思う。
日も、すっかり暮れてしまっていた。
けれど、俺は嬉しかった。キルシェと一緒に、普通に買い物を楽しんでいる感覚を味わえたから。
ドラゴンに狙われている魔族の女の子と過ごしているなんて、とても想えない時間だった。
「残りは、また明日だろうな」
「そうだね! あしたには、ぜーんぶ集めちゃおうっ」
意気込み十分に、キルシェは両手でガッツポーズを作った。
俺は、そんなキルシェが可笑しくて吹き出してしまう。
「な、なぁに!」
「いや、……はは、なーんでもないんだ!」
少しだけ、キルシェの口調を真似してみた。
ムッとした様子でキルシェは俺の背中を小突いてきた。
「もお、セイイチ! ……お、俺はキルシェを護る……ッ!」
大仰な素振りで、仕返しとばかりに俺の真似をしてくる。
「や、やややめてくれええええ!!」
「女性を護るのは男の役目なんだと思うから……ッ!」
「やめろおおおお」
「ふふっ」
照れ臭すぎて俺は思わず目を瞑った。あー。なんちゅう言葉を口走ってしまったんだ。
ああいう言葉は、もっとこう。なんていうの?
俺なんかよりもっとイケてて、紳士的で、誠実で。
そう、カッコいい奴が使うべきなんだよな。でも。
あの時は、自然とああいう科白が口をついて出てしまった。
キルシェを、安心させたい一心で。
嘘偽りは、一切吐いていない。もしもこれが偽りの気持ちなんだったとしたら、俺は自分を殴るだろう。
頭を落ち着かせて、目を開いた。
ふと、違和感を感じた。背後で俺のTシャツを握って尋常じゃない位に震えている、キルシェが居た。
そこには、さっきまでの和やかな雰囲気は感じられなかった。
「おい……どうした、キルシェ?」
不安に感じて背後のキルシェに手を伸ばす。
刹那。
「なぁに? 随分とお楽しみ中じゃない」
キルシェの声質に似ていて、それでいて大人っぽい低音が聴こえた。
俺は、背後のキルシェの手をそっと掴んだ。
そして、その声の主を前を向いて探す。
「だ、誰だッ!?」
すると、電柱の影から一人の女性がゆっくりと歩み出てきた。
女性の足元は淡く発光されていて、その容姿を一目で確認できた。
「……キル、シェ?」
思わず呼んでしまったその名は、背後で震えている女の子の名前だ。
だが、俺はその名を口にせずにはいられなかった。
思考が停止する。ビクビクと震えるキルシェは、俺の後ろにちゃんと、ちゃんと居る。
知らず、キルシェの手を掴む手に力が入る。
その、女性の容姿は。
赤茶のショートカットに、ひらひらが付いた上着。そして、短パン。
唯一キルシェと違っていたのは、その右目が妖しく蒼の光を放っていたことだけ。
「やあねぇ」
固まっている俺の元へと歩み寄りながら、女性はすっと目を細めた。
左腕を自分の後頭部へ回すと、素早い動作で何かを取った。
途端、赤茶の髪の毛が風に棚引かれて全貌を現した。
闇夜に揺れ動く、キルシェとは違った長髪の赤茶色。
「キルシェなんかと一緒にしないでくれる? ねぇ、誠一くん」
「え……」
「あれ、違った? アナタの名前。誠一くんでしょう? 加宮 誠一」
「違わない……けど」
クスクス、と女性は笑った。俺はその姿に背筋を強張らせる。
キルシェの笑顔とは全く異なった、妖艶な笑み。
未だ状況が理解できない俺の直ぐ目の前に、その女性は近寄ってきた。
キルシェの、俺を掴んだ両手に更に力が入る。
俺の頭の中で警鐘が鳴り響く。駄目だ。コイツは危険だ。
早く、キルシェを連れて逃げなければ!
が、情けないことに膝が笑ってその場から動けない。
そうしていると、女性はあろうことか俺の顔に手を伸ばしてきた。
女性の背丈は、キルシェと変わらないように見えた。女性は背伸びをして、俺の顎を掴んだ。
「…………ッ!?」
瞳と瞳が、ぶつかった。
片目が蒼色の女性の眼が俺を射抜くようにして見つめる。
一瞬、息が止まった。
「……私の名前は、ファルシェ。全く不本意なんだけど、そこで震えてる女の子の姉よ」
「おねえ……ちゃ……っ」
やっとのことで、キルシェが言葉を発した。俺の後ろから出てこようとはせず、ただ震えている。
「まぁ、キルシェ。そんな所に隠れちゃって。久しぶりっていうのに随分とご挨拶ねー」
ファルシェと名乗った女性は、何故か「妹」だというキルシェを毛嫌いしているようだった。
俺は身体が固まって動けずにいた。
「……そっかー、そうなのね。アンタは誠一くんのことが―」
「ち、ちがうもんっ! なんで、わたしが……」
「『人間を好きになるの』って? そんなの、分かんないじゃない。だって、私は」
ぐいっとファルシェが俺の顔を自分の顔に引き寄せる。
俺は、呆然としていた。二人が何の話をしているのかもさっぱり分からなかった。
だから、ファルシェの唇が自分の唇に重ねられようとしてることにも気付かなかった。
「やめてッッ!!!」
瞬間、俺は頭に衝撃を受けてフラフラとよろめいた。
なんだ、なんだコレ。一体何がどうなって。
意識が、遠のいていく。
地面に横たわるセイイチを、キルシェは魔法の力でフワリと浮かせた。
(おねがい……ッ! もう一度だけ!)
そう願いセイイチの家を特定し、テレポートを発動させる。
強く青白い光がセイイチを包み込み、セイイチの姿は徐々に見えなくなっていった。
ペタン、とキルシェは地面に座り込む。よかった、間に合った。
半ば放心状態のキルシェだったが、ファルシェが近寄ってくるとキッとファルシェを睨み付けた。
「あーあ。残念。もうちょっとだったのになぁ」
ぎゅっと自分の身体を抱き締め、キルシェは自ら己の震えを止めさせた。
「……なにが」
「ん?」
「なにが、ざんねん、だったの?」
「あれえ、分かんなかったの? もうちょっとで誠一くんとキス……」
「それ以上、言うなぁぁああああああ!!!」
キルシェの身体が、紅色に発光した。立ち上がったキルシェはファルシェの視線をまともに受け止める。
息が巧くできなくなり、荒い吐息が口から漏れ出す。
「それ以上、言ったら、セイイチのこと、穢したら、わたし……っ」
「穢す? 誰も誠一くんのこと穢すなんて言ってないし、穢した覚えなんかないわよ」
「うそつき……ッ! キス……キスしようとした癖に……ッ!」
「あーあ。純情はこれだから面倒ね。キスの一つや二つくらい、挨拶代わりよ。それに、誠一くんのことは……私、嘘言ってないわ」
「…………ッ!!」
キルシェは右腕を高く掲げた。手のひらに、紅い光が集まってくる。
意識が朦朧としている。力を使い過ぎたらしい。
それを無視して、キルシェは右手に力を集めた。
そして、それをファルシェに向かって思い切り打ち放った。
が、ファルシェは素手でそれを受け止める。吸収するかのように、光が彼女の手に入り込んでいく。
―やっぱり、今のわたしではおねえちゃんには立ち向かえない。
キルシェは立ちくらみを起こし、また地面に座り込む。紅色の光も失われてしまった。
「はあっ。まーた無理して。お婆ちゃんに無理しないよう言われてるんでしょ」
「……」
軽く意識が飛んでいるキルシェは、ファルシェの言葉など耳に届いていなかった。
「ちょっとした好奇心よ。心配しないでも大丈夫。ほら、誠一くんの家に送ってあげるから立ちなさい」
ファルシェに抱えられ、キルシェはやっとのことで立ち上がる。
そんなキルシェの表情を、ファルシェは先程とは打って変わって寂しげに見つめた。
それから、ファルシェはキルシェと同じ魔法を使い、セイイチの家へと向かった。