第六話
地図を広げて、コンビニの場所に見当をつける。
「まずは、近くのコンビニから行く?」
「そうだな、でも今日は遅いから明日にしよう」
キルシェはいつもより何だか楽しそうだった。
人間界のお店を回るというのは、キルシェにとっては憧れだったのだろう。
そうして、夜はそれぞれ身体を休めて朝を迎えた。夜行性だったのに、いつの間にか健康的な生活になっていた。
そんな俺に対して、キルシェは「たくましくなったね~」と笑いながらも
「でも、ちょっぴりさみしいかも」と、眉を下げて言った。
「これからは、日中に沢山行動しよう。一緒にな」
ポン、と手のひらをキルシェの頭に置いた。途端、キルシェの頬が緩んでとても嬉しそうにしていた。そういえば、この子は幾つなんだろう。聞いたことがない。
外見から察するに、この世界で言えば中学生くらいに見えるが。
魔族だから違うかもしれない。今度、聞いてみようと俺は思った。
いや、別に俺はロリコンじゃないぞ。誰かの突っ込みが聞こえてきそうなので弁解しとく。
移動出来ると言っても、そんなに遠くまでは行けない。
キルシェの中で範囲も決まっているようだった。
だから俺達は、とりあえず歩きながら地図を見てキルシェがサーチ、そして移動することにした。
俺はそういう人間離れした能力は勿論持ってなかったから、最初移動する時はなかなか勇気が必要だった。
けれど、キルシェと手を繋いでいれば不思議と安心してきて、前向きな気持ちも持てた。
そうやって、コンビニを何軒か周り、シャケおにぎりも結構な数を集めることができた。
おにぎりのついでに缶コーヒーを買って、近くにあった公園のベンチに座って飲むことにした。
「ふぅ……」
俺はただ付いていくだけだったが、キルシェの表情には明らかに疲労の色が見えていた。
「大丈夫か? キルシェ。しばらく休んだ方がいいと思うぞ」
そう言って、缶コーヒーを手渡す。
「あ、ありがと……セイイチ。大丈夫だよ。わたしは」
「でも、あんまり力を使うと、また寝込んだりとか……」
あんなことがあったんだから、心配にもなる。
「だいじょうぶだよっ! おばあちゃんから貰った力がまだまだあるし。ほらほら、セイイチも座って休むなら一緒に休むんだー」
そうか。その力を使って、今も俺の力になってくれてるんだ。
だけど、その力はいつまで保つんだろうか? やっぱり不安になりながらベンチに座る。
缶コーヒーのプルタブを開けて、口に持っていく。
「あっ!」
いきなりのキルシェの叫び声に咄嗟に横を向く。
「あっちちちちち!」
缶コーヒーを口から勢いよく離すキルシェ。少しコーヒーの中身が飛び散る。
「ど、どうした?」
慌てて聞くと、キルシェは涙目になりながら
「うー熱かったんだよー。大丈夫だと思ったのになぁ」
と、ちょこんと舌を出している。
「ああ、ごめん……ちょっと肌寒い感じだから、温かいのがいいかと思って。苦手だった?」
「そ、そんなことないよっ」
すると、キルシェは否定してまた缶コーヒーに口をつけようとする。
「そーっと、そーっとなら……だいじょうぶ……」
小さく呟きながら。俺はその光景に思わず微笑んでしまう。
そんな俺の様子に気付いたのか、缶コーヒーを遠ざけてキルシェはむっとした表情になる。
「なにか、おかしい?」
「いやいや。無理することないよ、キルシェ」
そう言ってから、俺は自分の缶コーヒーを飲み終えるとキルシェの持つ缶コーヒーを取った。
「俺が、冷ますから」
「え……?」
缶コーヒーを片手で持って、くるくるとゆっくり回す。コーヒーが缶の中で波打つような音を立てる。そうやって、熱を冷ましていった。
キルシェって割と猫舌なんだな。そういや、今まで余り温かい食べ物を作ってあげてなかった。少しだけ落ち込む。もっと、色んな物を食べさせてあげたいな。
魔界では、食べられないような、そういう食べ物を。
暫くしてから、俺は缶コーヒーを回す手を止める。
「こうすれば、自然と温くなっていくよ」
「そうなんだ……」
キルシェはその様子を、まるで子どものように熱心に見ていた。
実際の所は未だ不明のままだが、見た目に反して余り年が離れている気がしない。
それが俺の率直な感想だった。
「はい、これで大丈夫」
そっと缶コーヒーを手渡す。キルシェはにこりと笑って、それを受け取った。
「ありがと! これでわたしでも飲めるんだね」
それからゆっくりと、それを喉に通していった。
「わー……。飲みやすい。ありがと、セイイチ」
心底嬉しそうに笑うので、俺も自然と笑みを零した。
ついでに、俺のお腹もくぅ、と空腹の知らせを零した。
それに反響するかのように、くぅぅ~と、可愛らしい音。
顔を見合わせてまた俺とキルシェは笑った。
そういえば、お昼をまだ食べてなかったな。シャケおにぎりでも食べようか。
そして、俺達は公園のベンチで昼食を摂るのだった。
「……なぁ、キルシェ」
おにぎりをゆっくり咀嚼して食べているキルシェの顔を見る。
キルシェの横顔はとても大人びて見えた。
「ん、なあに、セイイチ」
キルシェの顔が俺に向けられる。
「あのさ、……」
いざ、聞こうと思うと何て聞けばいいのか分からない。
そもそも、女の子にこんなこと聞いて良いのだろうか。
失礼に値してしまうのでは。
でも、ずっと気になって仕方なかった。“魔族”というキルシェは、本当の所、幾つなのだろう。俺は真剣な表情になり、キルシェの双眸をじっと見つめた。
今日は、コンタクトレンズを嵌めていて“普通の女の子”という印象を受けた。
本当に、魔族とは思えないのに。けれど、この子が魔族という事は本当なのだ。
夢みたいだけれど、事実なのだ。
思い切って、俺は尋ねてみようと思った。穏やかな眼差しで俺を見返す少女の齢を。
「俺ってさ、ほら、もう19だろ?……キルシェにとってはおっさんなのかなーって思ってさ」
だいぶ、遠まわしに言ってしまった。食べかけのおにぎりを両手で持ち、キョトンとするキルシェ。伝わらないよなあ、今の発言では。
「なんで? わたし、セイイチをおっさんだなんて思ったこと一度もないよ」
「そ、そっか……」
沈黙。何か、気まずい。やっぱり聞くべきではないのかもしれない。
キルシェが幾つだっていいじゃないか、何で気にしてしまうんだ俺は。
と、俺があれこれ考えていると、俺を純粋無垢な瞳で窺いつつキルシェはおにぎりの残りをまた食べ始める。
喉を鳴らしておにぎりを食べ終わると
「もしかして、セイイチわたしのこと幼稚だな、とか思ってる?」
「え」
図星というか、外見だけではあながち間違いではない事を聞かれて戸惑う。
どう応えたら良いか分からず、視線を彷徨わせて結果的に空を見上げる形になった。
「……セイイチ?」
やばい。キルシェがちょっと怒ってる。このままだと、また何をされるか分からない。
「そ、そんなことないって……! 俺だってまだ幼稚だし!」
「俺だって……?」
「あ……」
今のは失言だった。や、やばい、キルシェの顔を見られない。
またあの変な魔法(?)をやられる前に何とかしなくては!
「キルシェ! キルシェは大人だなー! その、ふとした時の表情とか……あと、精神的に。
そう、キルシェは心が大人だと思う。俺よりも断然。……そうだよ、俺なんかよりもずっと、ずーっとキルシェは大人だ。幼稚なんかじゃない。幼稚だったら」
あんな風に、笑っていられる筈がない。
急に自分の胸が締め付けられる感覚に陥る。俯いて、小さく息を吐いた。
ふと、ベンチに無造作に置いた左手に温かな感触が伝わり、俺はそっと左手を見る。
キルシェの、しなやかで小さな手が両方とも俺の左手に被さっていた。
息を呑んだ。
ゆっくり視線を惑わせたその先に、今までの笑顔とは違った切なげに笑う彼女の相貌があったからだ。その表情に魅せられ俺は何も言えなくなった。
「セイイチは、優しいんだね。わたし、今までそんなこと言われなかった。ほら、わたしってこういう性格でしょ? 幼い頃からそうだったんだ。いっつも、楽しそうに笑っててお前は呑気でいいなーって。私達はお前の所為でこんなに苦労しているのに。……そういう言葉はね、沢山言われてきたんだよ。精一杯、治癒の力を駆使して村人さんたちの信用を回復させようとしてきたんだけど……結局、無駄だった。わたしは、呑気だから、ドラゴンたちの怪我まで治してしまっていたから。村人さんたちは、そんなわたしを異質なモノを見るような目で見てた。……でも、わたし、笑ってた。笑ってないと、だめなんだ。だめなんだ、わたし。すぐにね、来ちゃうの。悪魔が来ちゃうんだよ。悪魔が……」
「もう、いいよ、キルシェ」
溢れ出す言葉の端々に見え隠れするのは、キルシェの今までの辛い記憶。
堪らなくなって俺はキルシェを制した。
キルシェの温かな両手は微かに震えていた。でも、表情は崩していなかった。
「……これ以上、言わなくていいよ。ごめんな、俺が悪かったよ」
俺は、自然とキルシェの両手に右手を重ねていた。
少女は、少女ではなかった。ちゃんとした、大人の女性だった。
それが強がりだとしても、何だとしても、弱音一つ吐かないキルシェは。
俺とは比べ物にならない程に達観した精神の持ち主なのだ。
「大丈夫だ、俺が絶対なんとかするから」
「でも……セイイチは」
「俺は、魔族とは全く何の縁もない。只の人間だ。だけどな、……傷付いた女性を護るのはきっと男の役目なんだと思うから」
「セイイチ……」
「な?だから、心配するな。ちゃんと、キルシェを魔界で安全に住めるようにする。
……俺だって、ちょっとは成長したんだぞ?」
目を見開き、キルシェはそんな言葉を口にする俺を凝視した。その時の俺の表情はどんな表情をしていたのだろう。
キルシェは両手に力を込めて俺の手を包み込む。そして、俯いた。
「うんっ……!」
僅かに声が震えていたことを、俺は努めて気付かない振りをした。