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06花舞う朝霧亭

「身分証は紛失しました」


 昼過ぎについた、都市の東門で。

 そう笑顔で言い放って仮身分証を要求した私を、門番のおじさんは凄いものを見る目で見ていた。


 主に貴族っぽい容姿のせいでかなり無理矢理ながら、どうにか仮身分証をもぎ取って。

 夕方になる前に辿りつけた、死んだような白目になってしまった門番のおじさんが勧めてくれた宿にて。


「あー、うちは貴族様をお泊めする? ご滞在していただく? ともかくそんな宿ではありやァせんが……」


 オーナーだろうか、革の眼帯をつけた岩のような大男がどことなく焦った様子で、カウンター越しに何度も私を見る。

 白いエプロンと日に焼けたスキンヘッドの対比が眩しい、逆にこっちが何度見もしなくなる強面具合だけど、それを表には出さずに薄く笑顔を浮かべておく。


 門に続いてここでもフードを被る不審者にはなれなかったので、きらきらしいハニーブロンドも顔も出している。門番のおじさんの反応からして予想はできていたけど、そこまで貴族的か。

 わざと身なりを汚して生活するのは嫌だし、粗野な振る舞いを覚えるしかないだろうか。


「貴族ではありません。警備隊の方からステータスの確認が来ますから、それでわかると思います。貴族名鑑に私の名はありませんし、ステータスにも姓は載っていません」


 この世界、姓があるのは貴族だけらしい。

 ベルナンド老を視た限り、ステータスにもきちんと表示される。

 通常だったら門でステータスの表示をする。それなのに、【鑑定】ができる魔道具がほんの数十分前に故障してしまったのでできなかった。代替具を持ってくるまで時間がかかるので、門番のおじさん的には貴族令嬢疑惑がある女をそこまでは待たせられなかったらしい。犯罪歴の確認だけして入市させてもらった。

 【奇運】さんが微妙に面倒な事態にした気がするけど、もうここまでくるといつ【奇運】が動いているのかわからない。

 ちなみに、通常【鑑定】では対象の概要などは視られなくて、ステータスや物体の性能しか視られないらしい。【看破】は説明つきで本当によかった。


「はー……そこまで言い切るんなら、泊まってってくれて構わないがよォ」

「お願いします。申し訳ないのですが生まれてこの方、血親とふたりで暮らしていたので何かしら質問させていただくこともあるかと思いますが」

「んじゃまず、その喋りもいけねェな。育ちがいいってすぐ知れるぜ」

「すみませんがド田舎の世間知らずなので色々教えてください」

「ククッ、いいぜェ。んじゃまァ、最初に言っておくか。うちには大部屋はねェ、ひとりで泊まるなら個室だ。夕飯朝飯がついて一泊300リル。さァ、何泊にする?」


 ……高いな。物価が変わったのかもしれないけど、この言い方だとおそらくこの宿自体が高いんだろう。

 外観は赤茶のレンガでできた二階建。一階にフロントとリビングのような談話室、奥に小さめの食堂があって、廊下を挟んで反対側には倉庫か事務室かわからないけど扉がある。

 二階にあるだろう部屋は見ていないけど、玄関は掃き清められているし、フロントも清潔感がある。岩男なオーナーもフランクで愛想がいい。

 何だかペンションのような雰囲気だ。実際泊まったことはないけど、イメージ的には合っているだろう。

 幸い、ベルナンド老のおかげで金銭面には余裕がある。無理をして大部屋がある宿を探さなくてもいいだろう。その前にこの外見だと危険だし、そもそも面倒な火種になりそうで断られる率が高い。


「まず一泊。朝まで食べて連泊を考えても?」

「構わねェ。あと昼は別料金で携帯食もあるが……嬢ちゃん、見たところファルクに来たばっかのようだが、ひとりで迷宮観光か? それともまさか職探しか?」

「明日冒険者登録をします」


 銀貨を渡しながらさらりと言うと、本日二度目の凄いものを見る目をもらった。


「……嬢ちゃんが貴族じゃねェってんなら様子見て売り子の職くれェ口利きしてやる。うちは部屋数少ねェからいらねェが、宿屋でも手が足りねェとこなんていくらッでもある。冒険者に何の夢見てんのかわんねェが、魔物見ただけで悲鳴あげそうな嬢ちゃんが「あ、魔物は狩ったことがあります。ただ登録していないだけなので」

「お、おゥ」

「冒険者登録はしますから。ね?」

「お、おゥ、気ィつけてな」


 オーナーの物凄い強面が引きつった笑顔を浮かべようとして失敗する。

 どう見ても元冒険者なのに、何でそんなに驚くんだろうか。私が魔物を狩る絵面はそんなに駄目か。


「話を戻しますね。携帯食は連泊するか決めたら考えますけど、おいくらですか?」

「あー、20リルだァな。微妙に高ェが、普通の乾飯よかずっとうめェ。嬢ちゃん、ここは誰に紹介された?」

「東門にいた門番のおじさんです。薄茶の髪がくるくるしている感じの」

「オーケかァ、真面目な奴だっただろ。さては相当絡まれたな」

「丁寧な人でしたね」


 私を最後までお忍び令嬢だと思っていたし。


「まぁ、嬢ちゃんにうちを勧めたのは正解だァな。うちは市場が近いから冒険者より商人の客のが多いんだ。問題起こしやすい駆け出しにゃあうちの宿代は払えねェし、ちィとギルドには遠いから中堅どこもそんなに来ねェ。

 代わりに利点も充分ある。まずかあちゃんの飯はうめェし、個室もきっちりしてる。それに何たって便所が水洗な上、共用の風呂があるんだぜィ!」


 そこまで力説するということは、ここの宿の売りなんだろう。

 よかったお風呂あって。むしろあるからここを紹介したんだろうけど。

 くるくる頭のオーケさんに心の中で感謝しつつ、拍手を送っておく。


「風呂は一日一回なら無料! だから宿代高ェが清潔なのには代えられねェ! そんだけ綺麗な髪してんだからわかるだろ嬢ちゃん!?」

「まぁわかりますが。不躾ですけどまさかその片目、不衛生にしていて見えなくなったとか言いませんか」

「その通り! マッドフライが顔にぶつかってなァ、弱い魔物の最後ッ屁だし放っておいたら膿んで濁ってほぼ見えなくなっちまったんだ……オレも馬鹿だったなァ、すぐに顔洗って浄化でもかけりゃよかったのによォ……汗と汚れは冒険者の証だったんだよなオレの中で」


 まずい。古傷えぐった。でもそんな冒険者の証はいらない。

 何て声をかけていいか迷っていると、廊下の奥にある階段から誰かが下りてくる音がした。


「あらアナタ、お客さんの前で何やってるの」


 やや低い、色気のある声。

 昼間の真っ当な宿には少し場違いな程のその声の主は、オーナーの奥さんだろうか。


「いらっしゃい、貴族的なお嬢さん。花舞う朝露亭にようこそ」


 実にかわいらしくファンタジー的な宿名ですね。

 そう感想を思い浮かべる前に、奥さんの容姿に全てを持って行かれた。


 生成りのエプロンとシンプルなワンピース。

 そんなものでは隠せないくらいの、物凄く凹凸の激しいボディライン。

 褐色の肌とプラチナ色のまとめ髪の対比が眩しく、妖しい魅力を割増しさせている。

 髪からはみ出る先のとがった耳に目を向けようとしたら、アイスブルーの流し目に捕捉された。


 ……ダークエルフって、実際に見ると色々破壊力がすごい。シチュエーションのせいで割増しに。


「ああ、もしかしてブラックエルフに会うのははじめてのクチかしら? ワタシは女将のエヴァよ、主に食堂にいるわ。そこで轟沈してるのがヘルゼ、宿の経営とフロントと掃除とその他雑務を全部やっているの」

「お世話になりますハイネと言います。旦那さんの古傷をピンポイントで抉ってすみませんでした」

「目のこと? この宿を開く時に自分で吹聴してるからいいのよ。もう四十年前のことなのに未だに落ち込むこのヒトが悪いの。ワタシが気を付けてって言ったのに目を潰して帰ってくるんだもの、呆れちゃうわ」

「もはや事故ですよね……って」


 ちょっと、待って。

 女将と呼ぶには抵抗がある容姿のエヴァさんは二十代後半にしか見えない。ダークエルフもといブラックエルフの特性が王道なものなら寿命が長いということでまぁわかる。

 ただ、ヘルゼさんはどう頑張っても三十代後半。ゴツいけど顔に皺はないし手や首に皮膚の衰えはないから意外に若いはずだ。凄く若作りにしたって、五十歳はない。冒険者として働いて、引退してこんな宿を開けるくらいだ。引退時もそこそこの歳だろう。


 よくよく考えて、ベルナンド老が“血を混ぜるのは体を強く、生を永くするため”と言っていたことに思い当たる。

 確実に見た目通りの歳じゃないんだろう。年齢の話は特に突っ込まなくてもいいか。


「なぁに? どうかしたかしら」

「いえ、オーナーは結構根に持つ性質なんだなぁと」

「そうなのよね。ほらアナタ、早くハイネちゃんのお部屋用意して」

「お、おゥ……今は赤と緑だな。赤だと男に挟まれッから、緑にするか」

「そうね、貴族じゃないってわかったらすごく絡まれそうだし。そこまで性質の悪い客は泊まらせてないけど、酔うとねぇ」


 美女と野獣を地で行く夫婦揃って私をじっと見て、二度頷く。

 もう慣れるしかないだろう。顔は変えられない。


「階段を上がって右手にある緑の飾りがかかってる部屋よ。角部屋で隣は倉庫だから静かだし、向かいの部屋は気のいい商人夫婦。若い女の子にはうってつけね。鍵とコレは外出する時には預けてちょうだい。夜を外で食べるならその分割り引くわ。貴重品は部屋にあるチェストに入れて、その鍵は持っていて。なくしたら弁償よ? それと二十八時から朝六時まではフロントが開いてないから注意してね」


 他にも細々とした決まり事を説明されながら、渡された鍵とプレートを見る。

 持ち手が緑に塗られた鍵と、小さな金の鍵。それに緑色の短冊状のプレート。プレートはお風呂を使う時に扉にかけたり、掃除や昼の携帯食をお願いする時に使うらしい。


「基本的に掃除以外では部屋には入らないけど、万一何か不測の事態があった時にはその限りではないわ」

「わかりました。お世話になります」


 軽く頭を下げると少し不思議そうな顔をされた。

 お辞儀はやめよう。多分握手だな。


 曖昧に笑ってごまかしつつ階段を上る。昼間で誰もいないのか、廊下は静かだった。

 言われた通り右手に進んで、すぐ近くの扉に緑の花のような形をした組み紐がかかっているのを確認してからノブを引いた。


 カーテンが引かれた窓がふたつある部屋。

 ビジネスホテルのシングルより大きいくらいだろうか、それでも清潔感のある雰囲気だ。


「ネル」


 呼ばなくても自分で出すんだけど、気分的に呼び掛けてみる。

 相変わらず不思議なことに服を破かず出現した私のペット兼尻尾を撫でながら、ぐるりと部屋を見渡す。


 ベッドはシーツも綺麗だし、布団もふわりとした感触がする。一人掛けのゆったりした椅子と丸椅子のような椅子がひとつずつ、木のテーブルには細かい傷はあってもよく手入れされていている。

 トイレは共用みたいだけど個室に小さな洗面台があり、魔石で水が流れるようになっている。個室に水回りがあるなんて本当に清潔にこだわりまくっているな。高級宿の部類じゃないけど、少し贅沢しているこだわりの宿、くらいのレベルだろうか。


「まぁ、清潔なのに越したことはないけど」

「シュー……」


 お風呂の時にネルも洗ってあげよう。この鱗は汚れなさそうだけど気分的に。


 嬉しいことにワードローブがあるので今度普段着でも買いに行こうかと思う。アイテムボックスやストレージがない人にはこういうスペースも必須だろう。

 その中にはチェストが組み込まれていて、おそらくこれが貴重品入れか。一番上に鍵穴がある。

 出かける時以外はここにストレージのポーチを入れておこう。ついでに装飾品も腕輪以外全部だ。


 とりあえず椅子に座って、小箱をひとつ取り出す。

 中にあるのは煙草だ。しかも紙巻の、シガレットの部類のもの。

 私はソーシャルスモーカーで、付き合いで吸うことはあっても特にひとりの時に好んで喫煙はしなかった。

 ただこれはベルナンド老からのプレゼントだ。神隠しに遭った人を運よく回収できた時に渡しているものらしい。生気の補給を促進させる、つまり元気になる立派な魔法素材。元気になる煙草というと字面が非常に怪しい。


 一本銜えて、指をパチンと鳴らす。

 簡単な無魔法、いわゆる生活魔法と呼ばれるものは詠唱が必要ない代わりに、限り個人で決める動作、ルーチンのようなものが必要だ。

 ベルナンド老は手首を回すルーチンをしていて、私も決める様にと言われたので手品のマジックをするイメージでフィンガースナップにしてしまった。今思うと少し恥ずかしいかもしれないけど一度発動してしまったらもう変えられないらしいから諦めた。

 生み出された火種で煙草に火をつけて、一服する。


「……え、なにこれ、おいしい」


 予想外の味に思わず吸い口を見てしまう。

 何だろう。メンソールとか薬とかの味じゃない、フルーツハーブティーの味みたいだ。しかもベリー系の、甘酸っぱいやつ。

 どこにお茶の要素が必要なのか全くわからないけど、生気補給のためじゃなくても吸いたい。元気になる煙草、アリだ。

 【看破】をして普通に道具屋でアンデッドの迷宮御用達として売っているものだとわかったので是非買いに行こうと思う。というかこの世界、何故か紙巻き煙草が普及しているようだ。ファンタジーと中世は違うということか。


 何度か肺まで入れて、吐き出す。

 煙を燻らせてもむしろ空気が綺麗になっている気がする部屋の中で、ネルを撫でながら考える。


 部屋も人もいい。食事が一定以上なら常宿決定だけど……宿代が一日300リル。これがどのくらいの高さなのか。

 おそらく設備のわりに良心的な値段なんだろう。お風呂をあんなに強調していたくらいだし、普通の宿にお風呂はない。

 くるくる頭のオーケさんは私に朝露亭以外の宿を勧めなかったし、貴族疑惑のある女に勧めるぎりぎりのラインなんだろう。

 普通の宿がよくあるタライで水浴びする形なのかもしれないと思うと、ここ以外の宿に行く気がなくなる。


「自分の稼ぎでこの宿泊まれるのって、結構先な気がする……」


 考えるのは明日以降の話だな。

 とりあえずは、何か食べ物と飲み物だ。

 食堂はまだやっていない時間だけど、別料金で何かつまめるものをもらえないだろうか。警備隊の確認もあるし、そもそもビーの死体を食べた件があるから今日はうかつに出歩けない。

 今日はとりあえず本を読んで、ベルナンド老からの餞別を確認して、夕食を食べて、お風呂を借りて。


 ここを拠点に、冒険者として活動していく。

 うまくいくかなんてわからないけど、やってみよう。何と言っても私は自由だ。


「――神様、何だかすごく早い一週間でした。大部分寝ていましたが、濃かったです。また何かやらかすかもしれないので、適当に楽しんでください。あと黒き神が神様のこと気にしていました。何か恋愛的なにおいを感じますがよくわかりません」


 煙草を消した両手を組んで祈る。

 どう聞いても神様に報告することなんかじゃないけど、それも楽しんでくれるだろう。


 光が見える。それだけじゃなく、あの澄んだ空気に包まれた気がした。

 暇な神様。もし神様同士で話ができるなら、黒き神にも話しかけてみてくださいね、きっと何かしら起こると思います。

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