05ペットの尻尾と
ベルナンド老は、形見分けというのをする程肉親がいなかったらしい。
友と呼べる人には死期を感じた時に何かを渡して、英雄という名声と富に群がる有象無象には財産どころか家のコップひとつも渡さなかったようだ。
私のストレージの中には冒険者達の持ち物がいくつかと、ベルナンド老の財産の一部が入っている。
渡されたのは両手で抱えられるくらいの大きな袋だった。中には目が痛くなるほどの金貨銀貨と、個別の小袋に晶貨が数枚。
繰り返すけど、晶貨。一枚100000リル、安い一泊二食付の宿に千日、三年以上泊まれる。
もっと小さな袋にはさざれ石のような極小粒の魔石やら、私の目くらいの大きさの魔石やら。コーサディルでは宝石=魔石類らしく、魔石の上のクラスになる魔鉱石や魔晶石に少しだけ魔輝石まで。
呆然としつつもストレージのポーチの横についていた普通のポーチに少しだけ金貨と銀貨を入れて、それ以外もありがたく受け取っておいた。他にも小さな装飾品と装備品をまとめて突っ込まれた。
確かに亡者にお金は必要ないけど、豪快な手放し方だ。呪いの装備もしれっと突っ込まれたけど。
更に、今の私の装備と言えば。
基本的には女海賊ルックから変わりないけど、ジャケットは迷宮品を強化したものに代わり、魔獣の皮を鞣したグローブをつけて、サッシュには魔石が連なった飾り紐が追加された。
ブーツは脚力が強化される魔道具になったし、何てことない鉄のナイフは灯りになる呪がされたミスリル製のものになった。
元々革のビスチェとパンツは中位以上の位階の魔物の素材でできていたらしく、それ以上誰かの遺品を身に付けなくてよかったから安心した。死んだ人が身に着けていたパンツはさすがに履きたくない。
更に言うなら髪留めと指輪、いくつかつけた首飾りはどれも魔道具か高価なものばかり。私は歩くひと財産になってしまった。
ベルナンド老、血だけじゃなくて大盤振る舞い過ぎる。
追剥に遭わないように着せてくれたフードつきのマントには弱い認識阻害の呪がされているらしい。そうでもしないと、本気で没落令嬢……いや、逃げ出してきた貴族令嬢だ。
都市が見えてきたら装飾品のいくつかはストレージに入れておこう。マントを脱いだ瞬間に裏路地行きの可能性も大いにある。
「――ありがとうございます、行ってきます」
どう見ても入口なんかないように見える、大木の洞に向かって礼をする。
別れはあっさりとしていた。
一通り装備をつけて、ベルナンド老の教えたことに対する理解度の試験をしたら、すぐに迷宮の隙間に連れて行かれて。
『七月じゃ。少なくとも七月経つまではこれを使ってはならんぞ。まぁ過ぎても別に用がないなら来んでもよいがの』
微妙なツンデレのにおいをさせながら最後にベルナンド老が渡してきたのは、黒いコインだった。
【看破】でも何の素材かわからない、《冥界への手形》と表示されるやや不吉な名前のもの。
ベルナンド老個人の力でも迷宮を通らずにあの広間まで行ける魔道具を渡すつもりだったけど、私が気を失っている間に会った黒き神がくれたらしい。
視て思わず取り落した。冥界、つまり黒き神の神域までいける手形だったからだ。
ついでに伝言もあった。“生気をたっぷり養って妾の元へ来い。あの古く甘美な神気をまた感じさせよ。できるならその神気の御方と会わせろ”と。
……うちの神様、視てたら爆笑してそうな気がする。
「……行こうか、ネル」
「シュー……」
肩口に近づいてきた、私の顔の半分以上ある大きさの頭を撫でる。
磨き上げた宝石を触っているような、冷たくいっそ滑らかな感触。しなやかな体は私の身長の優に半分は超える。私の一部となった竜の尾だ。
ケル・ベロ・スーなんて名前をつけているから私もつけるべきかと思って、ブラックスピネルからネルと名付けた。
そうしたら本体の方の竜に威嚇されて、さすがに怖くて意味がわからなくなっていたら……ベルナンド老が、尾には名前がついていないと暴露した。
頭の数だけ名前をつけているなら一緒につけてあげればよかったのに。おかげでスピネルのスピーと適当な名づけをしてしまった。私も老のことを言えないネーミングセンスだった。
スピーはネルのことを自分の子どもと思っているのか、何倍も小さなネルの頭を撫でる様に喉を擦りつけて、名残惜しそうにしていた。私とベルナンド老のドライな別れ方からしたらだいぶ感動的な画だった。見た目物凄く禍々しいけど。
私の一部、相棒、ペット?
とりあえずそんな感じのネルがふい、と首を巡らせて遠くを見る。
さすが第二位階が元だっただけに、気配にも敏いし牙から猛毒も出せる。しかも闇魔法らしきものも使ったりする。迷宮で超短時間の訓練をした時にはウルフの首を半分噛み千切っていた程で、私より余程強い。
言葉はわからなくても何となく意思疎通はできる、気がする。ネルが生えたのは【奇運】の働きだろう。成人女性の腰から生える竜なんて凄い光景だったとしても関係ないくらいプラスだと思う。
「南西に進んで二時間、だったかな。魔物はいないかな」
私も混血になったことで五感がだいぶ強化されている。
迷宮外の魔物はまだ対面したことがないけど、気配は同じだろう。
ここは初級冒険者向けのエリア、虹降る森という何ともメルヘンな名前がつく場所らしい。魔物が出てもラビットかビーくらい、稀にゴブリンだと言っていた。
油断は禁物だけど、必要以上に気を張るなとベルナンド老からもらったアドバイスの通り、索敵はネルと分担することにする。
ストレージから少し古い地図と常に北だけを指す針がついた手捲き懐中時計を出して、教えてもらった現在地と迷宮都市の位置を確認する。
ちなみにこれらも冒険者の持ち物だ。衣服以外で勧められたものは大部分受け取っておいた。時計はかなり高級なものらしい。もうだんだん感覚が狂ってくる。
確認を終えて、歩きながら魔法の練習をする。
攻防に耐えられるレベルで魔力の形を変えるのは、私のように【魔力○○】というギフトが必要だ。
魔力剣、魔力槍、魔力斧、魔力盾、魔力鎧……色んな形があるらしいけど、それは魔法ギフトを持たないと無属性の魔力の塊。魔力量によって強化できて何もない所から出せる武具だ。
ベルナンド老いわく、私は風属性の【魔力矢】が出せる。少しの訓練じゃ別々にしか使えなくて合わせることはできなかったから、自分で鍛えろと言われたけど……
「風魔法で矢を飛ばす、それとも矢自体に風魔法を混ぜて……? せめて教本がないとな」
さすがに本を熟読しながら森を歩く程平和ボケしていい場所じゃないことはわかる。
いくら初心者向けと言っても、魔物がいる世界だ。歩いていてぶつかるのはサラリーマンじゃなくゴブリンかもしれない。
冒険者ギルドに習練場、みたいなところがあれば教えてもらえるかもしれないから、とりあえず都市に行ってから考えよう。
ひとり頷くとネルも首を傾げつつ縦に上下させる。かわいい。
「ん」
ひとまず練習だ。右手で【魔力矢】を三本出現させる。
つがえるための弓は冒険者達の装備品にはなかった。それでも魔力で作られているから単体でも使えるというのはありがたい話だ。
一本目は指揮をするように指を振って、近くの木の幹に刺す。
二本目は手を動かさずに視線を向けて、また別の木に刺す。
三本目は視線を別の所にやって、頭の中で逆側の木に刺すイメージを。
「…………まぁ、頭の中で色んなイメージ練って十数年過ごしたし」
全部できた。
何となく言い訳してみたものの、これは優秀なんだろうか、それとも普通のことなんだろうか。
何度か色んなパターンをやってみて、矢数と方向は意志で、矢速と威力は魔力によって変わることを確認する。訓練じゃ一射ずつしかやらなかったけど、現時点で同じ方向なら二十射くらいいけそうだ。
軌道を描くことはできるけど、矢速が出ている時に急に複雑な動きを加えるのは脳が追いつかない。さすがに自動追尾なんてチートはできないけど、充分だ。
見た目の武器はナイフひとつだけど、弓はいらないかな。しばらくはこのままでいこう。
別に弓を使わなければならない縛りはないし、ダーツのイメージでいけばいい。そもそも私は弓なんか使ったことがない。
「シャア……」
閉じた口の端で私の頭を小突くようにして、ネルが注意を促してくる。
基本的には空気を吐き出す音しか出さないけど、ネルはこうしてたまに鳴き声らしき微妙な音を出してくる。蛇には声帯がないけど、竜は違うんだろうか。
ネルが首を巡らせた方、距離は100メル(100メートル)はあるだろうか。余談だけどコーサディルは大体のものの単位は名称こそ違っても地球と同じ区切り方なので助かる。
ともかく、木々に隠れて見えなくなりそうなその場所に、宙に浮いている小さな影があった。
小さいというか……この場所から小さくでも見えるなら近づいたら結構な大きさだろう。
「……大きいんだね、この世界の虫って。いや魔物だったな」
《ビー/魔虫/―▽
魔物の第十位階に属する魔虫。その毒針は初級冒険者にとって最初の洗礼になる。▽》
微妙に不吉な【看破】だ。ステータスも視ておくか。
目がイっているようになっていると言われたので少し伏せて視る練習をする。
《―/ビー/魔虫
体力:G
魔力:G
攻撃:G
防御:G
敏捷:C
精神:G
器用:F
運 :F》
ああ、初心者の森なだけある。初期の私より弱い。
それでもこっちには【奇運】さんがいる。何が起こるかわからないから見つけたからには早めに狩らせてもらう。
腕輪をした左手を前に出す。わざと濁ったように加工してある風魔秘石が嵌ったそれは、媒体の杖代わりだと言われた。
「界巡なる風よ 貫け」
初言と、実行の意思、発動ワード。それがあれば魔法は発動する。
普通はいくつもの呪文を組み合わせて魔法を構築するらしい。
ざっと読んだ教本にはたくさん呪文が載っていたけど、ベルナンド老は“詠唱なんぞ一節二節で充分じゃ。魔力流して練ってきちんと顕現する魔法を思い描けばぶっ放せるわ”と一蹴していた。どうやらよくあるイメージ力があれば極論無詠唱もできるようだ。
更に言うなら魔法の技名は勝手に魔法士がつけるだけで、流派にでも属していない限り技名なんて必要ないとのこと。ファンタジーの醍醐味、ウインドカッターなどと叫ぶ人は冒険者にはほとんどいないらしい。
私は到底無詠唱ができるレベルじゃないから、老が言う最低限の呪文で、最速で最小限の規模のものを口に出した。
魔力が流れて瞬きをする前に、小さな影が乾いた音を立てて墜ちる。
周囲をぐるりと確認して、なるべく気配を殺したまま、ブーツで強化された足でその場所に向かう。
体が半分以上消し飛んだ、私の顔くらいあっただろう蜂。
迷宮で少し慣らしておいてよかった。多少グロテスクでも気にはならない。
「迷宮の魔物は吸収されて消えるけど、地上では残ったまま、だよね」
確認するように呟くと、ネルが腕に巻きついてくる。
これは使えそうな部分を剥ぎ取って……それ以外はどうしたらいいんだろう。そのまま持ち帰ってどこかで処分した方がいいのか、それとも放置か。
世のライトノベル主人公達はどうだったか考えていると、あくびでもするのかネルが口を大きく開けて。
「ング」
「あ」
丸呑み。
残っていた毒針までまとめて一気。
「え、ちょっとネル、それって消化するの私のお腹だったりする?」
「シュー……」
「魔物って空気中の魔力食べて生きるんだよね? 生き物食べるのは……」
ああ、生き物は手っ取り早く魔力を摂取するために食べるんだったか。
じゃあこの毒針込みの死体は魔力に変換される、のかな。魔物は排泄しないって老が言ってたし。
むしろそうじゃないと私が毒にやられてしまう。ビーの毒は死ぬようなものじゃないけど、もし変なところで倒れてこの顛末知られたら相当白い眼で見られる。ネルを隠して都市に入るんだから、私が自分でビーの死体を食べたことになる。
「……早く都市に入ろう。宿直行で」
一晩宿に籠ってからギルドに行こう、絶対に。
できればトイレがついているか部屋から近いところで。あわよくばお風呂がある宿で。
浄化の魔法かけてもらっても気分的に一週間お風呂なしだし。そう言えば混血になってから色々丈夫になったから一晩くらい平気だったけどそろそろご飯も食べたい。ベルナンド老のところはお酒しかなかったし。
とりあえず、目的地は、宿。
一気に物欲まで湧いてきてしまった私はそう決意して、ブーツに仕込まれた魔鉱石に流さなくてもいい魔力を追加で通した。