04底上げステータス
……気持ち悪い。
頭がぐらぐらする。お腹がぐるぐるする。体が重いし痛いし非常にだるい。
お酒で二日酔いすると、こんな感じなんだろうか。泥酔して階段から転げ落ちればこれくらい痛いのかも。
ひとりでどこまでも美味しく飲める私にとっては初めての経験だ。
口の中が変な感じで、痺れている舌で舐めるとまずい、というかやばそうな味しかしなかった。
ストレスで血反吐を吐いた時と同じ味がする。成る程、確かに体調は最悪だ。辛うじて耐えられるレベルでの最悪だということが何とも言えない。
起き上がろうとまず体を捻って床に手をつく。
軋む腕に眉を顰めて耐えていると、それを補助するように後ろから冷たい何かが私の背中を支えてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
ひどく掠れた声だ。
それでも何とか言葉を絞り出して、だるい首を巡らせると。
「シュー……」
空気を鋭く吐き出す音。輝石のように硬質な輝きを持つ黒い眼。
「………………は?」
思い切り顔を正面に戻す。ぐきりと音がした気がするけどそれどころじゃない。
予想通り、広間の中心にゆっくりと弧を書いて寝そべる三つ首の黒い獣。その尻尾は半透明の黒い鱗を持つ、竜そのもの。
もう一度、自分の背後を見る。
湾曲した大小二対の角、輝石のような眼、赤い舌と牙、水晶のような半透明の黒い鱗に覆われたその姿。
凄く凄く頑張れば滅茶苦茶禍々しい蛇に見えないこともない。
竜でも蛇でもこの際いいとして……どうして、私からそれが生えているんだろう。
首をこれ以上痛めないように腰を見ると、何故か服は破かずにそこにある。何だろうか、この不思議現象は。
「何で……」
「混血ギフトじゃ。第四位階以上の血を入れるとあらわれることがある。正直、意志あるギフトがあらわれたなんぞ聞いたことがないがの。運の上下が激しいとな。成る程成る程」
いつの間にそこにいたのか、物凄く渋い顔をしたベルナンド老が私の前にしゃがみ込む。
混血ギフトか。変わり種っぽいのは【奇運】効果かな。
……もう何か許容範囲超え過ぎて一周した気がする。何でこんなに冷静なんだ私。
「……こんの、大馬鹿娘が!」
「あっ、そこさっき痛めたんです痛いです!」
「死んだように眠ったから目を離したらいつの間にか吐血して虫の息になりおって! 眠りの最中は魔法がかけられんのじゃたわけめ!」
さっきと反対方向に首を回されて叫ぶ私にお構いなしに、老の腕は力強くなっていく。
腕を叩いて無理だと何度も訴えたところで、やっと許してくれたけど首がいたい。
「ハイネ、お前さんが気を失って一体何日経ったと思う。わかれば完璧に治してやろう」
その重々しいため息交じりの問いかけで理解した。
ああ、働き者の【奇運】が傾いたか。嫌な方向に。
ここまで言われるということは当然一般的な眠りの枠は超えているんだろう。とんでもない尻尾はついているものの、肉体はちゃんとあるから七日は経っていないはずだ。怒っているように見えて心配と焦りがの方が大きいベルナンド老の様子も鑑みると。
「六日、ですね。すいません、大寝坊です」
「…………殴りたくなるわいその観察力」
さっと頭から足までを捉える様に、強い静電気のような光と共に手を振られて、ようやく体の自由が利くようになる。
お礼を言いながら立ち上がると少し足元がふらついたけど、六日寝たきりでこれで済むんだからすごい。
「一日しか残されておらんから、もう最低限しか教えられんわ。それを過ぎたら迷宮の入口に送ってやるからの。七月の間、ここに近づくでないぞ」
「一日過ごせばひと月は生気を養う必要があると。結構長いですね。ちなみに時間の概念や単位は一緒でいいんですかね」
「ここは一秒を六十回で一分、一分を六十回で一時間、一時間を三十回で一日、一日を三十回で一月、一月を十回で一年じゃ。元の場所と違っても慣れるんじゃな。と、今はそんなのどうでもいいわい。とにかく話を飛ばしていくぞい。世界の成り立ちはこれでも読んでおくとして、さしあたっては子どもでも知っている一般常識の方が大事じゃ」
どさりと置かれた本が数冊。
ざっと表紙に目を通すと、創世の神話と国の歴史が数冊、魔法教本や魔物辞典なんてものもある。
「これを抱えて迷宮から出てくるのって、変じゃないですか?」
「ぬう、やはりそれも知らんのか。お前さんが腰につけておるポーチはストレージの魔道具じゃ」
思い切りファンタジーな用語が出てきた。
アイテムボックス、インベントリ、ストレージ。違いは持てる個数や管理方法など色々あるけど、ゲームごとに扱いが違うから一概にどれがどうとは言えない。
ストレージの場合、大きさは無限、個数は有限なアイテム格納庫であることが多い。
「これは物の質量に関係なく決められた個数、決められた種類のもの時間停止したまま入れることができるんじゃ。空間系の魔道具は他にもあるが、儂はストレージが好きじゃな」
「袋で括れば個数も種類も何とかなりますしね」
「お前さんはどうして中途半端に詳しいんじゃ」
「この世界は私のところの非現実を描く娯楽小説や遊戯と共通点が多いですから。少しだけはわかります」
神様いわく“クラシックかつオーソドックスな異世界”だ。一般的なファンタジーの常識で考えれば何となる面もあるだろう。
ベルナンド老と話していても物凄く突飛な文化はなさそうに見える。私も話していて不快な顔をされることはそうなかったから、人間の根源的なところに違いはないだろう。感情男女美醜など諸々の価値観が逆転しているとか。
「むしろお前さんの世界がどうなっとるんかの」
「魔法がなくて科学と呼ばれるのもが進歩した、機械と人工物に溢れた世界ですかね。文明は進んでいますよ、魔物もいなければ剣もない」
「……儂から見ればそっちのが非現実じゃな。少しだけでも下地があるならざっとした常識を話すでのう、同じでも知っていてもとりあえずは黙っておれ。基本的過ぎて本に書いてないことも言うからの。ただし単語で理解ができる部分は儂に言え。省く」
「はい」
おそらく私が理解するだろうと思ってくれているんだろうけど、ベルナンド老の話は本当にざっくりとしたものだった。
この世界は創造神によりコーサディルと名付けられていること。世界には大きく分けて四つの大陸と一つの島があり、世界の中心で浮遊しているその島が黒き対を成す白き神の神域であること。
今いる地底洞窟大迷宮の入口である迷宮門は転移陣になっていて、それぞれの大陸のいくつかの国に繋がっていること。送る場所は民族種族入り乱れたセランデル王国という国にある迷宮都市だということ。治安はそこまで悪くないけど冒険者が多いのである程度の揉め事は自己責任な都市だということ。
生活様式や風俗は観察すれば何とかなるので本当にさらっと流してもらって、人に聞いたら呆れられるどころじゃない話を中心にしてもらう。
万遍ない知識が何も読まずにわかりやすく関連付けされて出てきてしまうんだから、やっぱりベルナンド老は博識なんだろう。
「通貨は単位がリルじゃ。どの大陸でも共通、儂の生前から変わらん。一番小さい石貨が1リルからはじまり、貝貨・銅貨・銀貨・金貨・晶貨・星貨の十進法じゃな。十進法は?」
「わかります」
「普通に生きていれば金貨までしか目にせんし、逆に石貨は細かすぎてあまり使わん。儂は今の物価までわからんが、昔は飯つきの宿に泊まるのに100~200リルあれば充分じゃったの。近辺で息絶えた冒険者の装備品をやるからそれを換金するとよい」
「ストレージに何もなかったら正直形振り構ってられないのですごく助かりますが、いいんですか? どうしようもなかったら髪を売ろうかと思ってたんですが」
「馬鹿を言うでないわ! 髪は絶対短くするでないぞ。どんなに戦いに染まった女でも髪は長い。確かに美しい髪は魔法素材として使えるがの、ここで生きる短髪の女は奴隷のみじゃ。お前さんは自分の容姿を自覚しておるじゃろ。短髪だったらすぐに無主奴隷として首輪がつくぞ」
こんなところでも文化の違いが。タブー行為だけでも知っておいた方がいい気がする。
老も同意見だったのか、少し考えてから指を五つ立てた。
「ハイネ、お前さんがやってはならんことは五つある。
髪を短く切ること、男の剣に口づけること、貴族を騙ること、ひとりで迷宮に入ること、無暗にケルベロスの尾を出すこと。これだけは禁則事項じゃ。それ以外ならやらかしても何とかなる」
「……いくら雰囲気がそれっぽくても貴族の詐称は罪、ですかね。無知で弱い私が迷宮にひとりで入ったら間違いなく襲われて犯されて殺されますし、ただでさえ目立ちそうなのに第二位階の混血だと知られると面倒。あとは……」
色々な可能性を考えながら、ひとつひとつがあっていることをベルナンド老の表情から汲み取る。
最後に残った剣にキス、となると……わざわざ異性限定ならおそらく男女間の話だろう。
「剣に口づけるのは、もしかして求婚とか?」
「惜しいのう。男の剣に口づけるのは“この剣の主に身も心も預けます”という求婚を了承する意味じゃ。求婚は男が跪いて寝かせた剣を女に捧げるんじゃ。そんな素振りがあればまず無視しろ。貴族相手だったら適当に口を回して明言を避けるんじゃ、よいな」
「わかりました。それ以外の状況で剣に口づけるのは大丈夫ですか? あまりないとは思いますけど例の……【奇運】っていうギフトなんですけど、それが変な事態を起こさないとも言えなくて」
「ふむ……この求婚法は男からのやり方じゃし、基本的には大丈夫じゃろ。ただ、お前さんの言うように変な事態が起こって全然知らん奴の剣に口づけて結婚することになった女を知っとる。これはそれくらい古く儀式めいた求婚法じゃからな。抜身の剣かつ作法に則ったものしか認められんが、トチ狂った奴が出てくるおかしな事態も完全にないとは言い切れんの。そんな阿呆には尾でもけしかけてやればよいわ。尾は無暗に出すなと言ったがの、身の危険を感じたらためらうでないぞ」
「はい。ところで、この尾は出し入れ可能なんですか?」
意識すると意志を持って私の方を見るけど、基本的に眼を閉じている竜の頭。
見慣れてくると禍々しいながらも綺麗な竜だと思う。クールな顔つきの癖に首を傾げたりする仕草がかわいい気がする。
「むしろ出そうと思えば出せる、と言った感覚かの。儂の知っとる奴はオークキングの亜種の血を混ぜたが、ギフトとして【オークキングの鼻】があらわれよったわ」
「あの鼻が……それは、きついですね」
「そうじゃの。勿論奴は一生その鼻を隠して暮らしとった。まぁ酔うと自分で豚鼻見せて笑っておったがの。女の良し悪しを見分けるだけのギフトだと」
「混血ギフトってランダムなんですね……ベルナンド老は何か持っているんですか?」
「次にここに来れたら、教えてやらんでもない」
絶対にここに来る。七ヶ月なんて慣れない環境で暮らしていればすぐだし、私はベルナンド老とまだまだ話したいことがある。
「傀儡の体でもお酒は飲めますか? いいお酒を持ってきます」
「数少ない娯楽としては飲めるのう。お前さん、その顔で酒飲みか」
「晩酌は貧乏でもやめられません。むしろ寝酒がないとやってられません」
物凄く残念そうなものを見る顔をされても、私は禁酒しない。
好きな銘柄は全て飲めなくなってしまったけど、未知のお酒がたくさんあるならそれも楽しい。
「……まぁ、期待しておくかの」
溜め息ひとつで切り替えて、ベルナンド老が話を戻す。
概要説明は終わったらしく、今度は私がすべきことについてだ。
迷宮は全ての大陸に繋がっている。中に国境はないから迷宮門では身分確認をする国の関所があるらしい。
勿論私はそこを通れないので送られるのは隠された入口、迷宮の隙間と呼ばれる穴だ。ちなみにこういう入口に運悪く迷い込んだ人をここでは神隠しに遭ったと言うらしいけど、それは置いておく。
身分証として一番早くて確実なのは、都市で冒険者登録をすること。【風魔法】と【魔力矢】のギフトがあることを話したらさっそく魔法の練習となった。
「魔法は魔力の使い方すらわかればどうとでもなるわ。まず魔力感知と魔力操作からじゃな。時間がないからさくさくいくぞい」
「いや、魔力なんて生まれてこの方感知したことないですって」
「仕方ないのう。ほれ、これじゃ」
おもむろに掌を上にしたベルナンド老が、ぐっと手を握る。
ゆっくりと開いていくと、そこには……激しくスパークする紫の光があった。
「瞬迅なる雷、つまり雷魔法の基本形じゃな。ハイネは風でこれが出せればよい。あとは自分で修行じゃ」
「うわぁ……すごい。それ痛くないんですか?」
「巻き込んで自滅する目的以外でそんなことあるわけなかろう。自分の魔力で傷ついてどうするんじゃ。さあ、やってみるがよい」
「え、だから無理ですって」
「ここから魔力が生まれてそれを多く手に流したのがわからんのか! こんなにゆっくりやったのに!」
「ええぇー……」
胸、いや心臓から手に?
これはもしかしてあれだろうか、よくある血液の巡りを考えればいいんだろうか。
この場合、私だったらこうすると痛々しいながらも考えながら読んだことは何度かある。
すう、と深く息を吸う。
まず胸に手を当てて、心音を聞く。ここから血と魔力が送り出されている……あれ。
「心臓と、違う音が混じってる……?」
「……まさか、魔力がない世界は魔臓がないと言うのかの」
「…………そうですね、必要ないですし」
よくよく確認してはじめて自覚したので、そんなに悲壮な顔をしないでほしい。
理解したからにはきちんとできる、と思うから。
今度はその魔臓とやらがある心臓より更に体の中心へ手を添える。
不思議な音だ。砂時計を流しているような、本当に静かな音。魔力はこんなにさらさらと流れているんだ。
肩から腕を通って、もっと流す。驚くほどスムーズに流れていくそれに、竜の尾が反応して腕に絡みつく。
この子も私の位一部。魔力が巡っている。気付けば全身がそうやって巡っていることがわかった。
多く流した魔力を掌に集めて、少しして。
「……っ、できた」
しゅるしゅると音を立てる、小さな緑の玉。
小さなその中に起こる風が、私の髪を弱く揺らす。
「まぁ、第二位階の混血なら魔力操作くらい訳ないじゃろう。生まれてはじめてならそこそこ優秀じゃな」
「そう言えば私のステータス、どれくらい底上げされてるんでしょうか。最初に視た時は魔力が最低のカスだったんですが」
「ぬ? 見たところかなり魔力が高いようじゃが……その尾に相当魔力を食われとるのに、儂には及ばずともそれなりにはあるぞい。もう一度見てみるとよい」
ベルナンド老の超人説が濃厚になったところで、私は風の玉を消した手を視る。
《ハイネ/人間/―/18歳(24歳)
体力:B
魔力:S
攻撃:D
防御:D
敏捷:A
精神:B
器用:S
運 :SSS
ギフト:【看破】【奇運】【風魔法】【魔力矢】
混血ギフト:【ケルベロスの尾】
(称号 異邦人 地球創造神を楽しませる者 ※他者からは閲覧不可)
備考:【ケルベロスの尾】により常時魔力消費。消費中は魔力評価A》
…………第二位階って、すごい。
チートと呼べるかわからないけど、物凄いインスタント強者だ。なんせ全てが平均以上。もうそれだけで生き抜くことができそうな気がしてくる。
油断は勿論できないけど、多少でも余裕がないと生きていくことなんてできない。
家を捨てて逃げ出してからの生活で全般的に切羽詰ることの危うさをこれでもかと言う程知った。弱者に世界は甘くないと。
「この子が常時魔力を消費するみたいですけど、それを引いてもAです。他もランクが四つから二つは底上げされています」
「おお、元が貧弱だとそこまで上がるのか! お前さんはすごいのうケル!」
「その通りですしありがたいことこの上ないですがせめて私にもよかったねくらい言ってください」
「おうおうよかったのう。ちなみに風魔法の初言は“界巡なる風よ”じゃ。さっき渡した教本に呪文なら載っとるから読むんじゃな。風魔法なら風の神の神話も読んでおいて損はない。これもつけておいてやろう、儂は優しいからの」
ファンタジーに感動する暇も雰囲気も本当にない。
時間がないのは私のせいだから仕方なく無言のまま、適当に投げられた本を受け取っておく。
「まだまだ詰め込むぞい。次は属性のない無魔法の展開、【魔力矢】の作り方。迷宮の弱いところで軽く狩りの練習もするかの。それが終わったら混血ギフトの確認に装備品選びに都市への行き方に……」
本当に、これからの別れを惜しむ暇すらないらしい。