01神様のお仕事
自慢にもならないけど、私の人生はロクなものじゃなかった。
生活は裕福なことこの上なかった。物だけが満たされた日々の中、私はただの人形だった。家の維持のために生まれて、家の繁栄のために生きていく人形。
両親に優しくされた記憶も、友人に信頼された記憶も、婚約者に愛された記憶もない。
私自身は何も持っていないし、当然私自身を大事にしてくれる存在はいない。
いつも何かが足りなくて何をしてもつらくて。変な表現だけど、生命維持の呼吸はできるのに生きるための息ができなかった。
私の周囲はおかしい。それに気づいたのはわりと早い時期だった。
気づいた途端、寒気がした。私はこれからもずっとこの世界で生きていかなければいけないのかと。
この世界から逃げられるなら他はどうなってもいいと本気で思った。誰か助けて、と毎日そんなことを考えながら生きていた。周囲にそんな人間しかいない中、誰が助けてくれるのかなんて考えなくてもわかるのに。
期待するのをやめて、自分を助けるのは自分しかいないんだと思い知るのも早かった。
人形のまま周囲を観察し続けて、何年もかけて逃げる道筋を立てて、やっと全てを捨てて早二年。
職や住居を転々としながらどうにか社会に馴染んだ一般人にはなれたけど、生活は苦しいし仕事は体力気力精神力全てをすり減らしていく。
明らかに会社にいいように使い潰されていく未来しかないのに、まだ大丈夫だと自分を誤魔化しているそんな日々の繰り返し。
前より息はできるけど、やっぱりロクでもない人生。
それでも選んだのは私だと、こうやって生きていくしかないんだと前を向いて頑張って、いたのに。
「あはは、ごめんね。きみの決意を不意にして。でも、いい機会じゃないかな。今度は完全に逃げ出せるチャンスだよ。文字通り、この世界からね」
目の前の人型の光が、何度か頷いたように見えた。
いや、光が強過ぎて姿がわからないのかもしれない。その存在自体が眩し過ぎて、姿が捉えられない。
楽しそうなのにどことなく無機質なそれは、どうやら神様らしい。
特に信じていなかったけど、この光を見た瞬間に“ああ、神様だ”と普通に腑に落ちてしまった。
ここに来る前にいた場所に見覚えのない鳥居があったのも、神様本物説に拍車をかけている。あんなとてつもなく神々しくて周りの空気が綺麗な鳥居は絶対に通勤路にはなかった。触れた瞬間にこれだ。もう完全に神隠しだろう。
「その鳥居はね、きみみたいな人を神隠しにあわせて、きみみたいな魂を巡らせるために作った門だ。まあ隠すんじゃなくて飛ばすんだけどね。ややこしいことは言いたくないから一口に言うと、これから世界同士のラインを繋ぐためにきみを異世界に巡らせる」
何だかひどく非現実的な話が続いて、理解しきれない。
ただ私が黙っていても勝手に話し続けるということは、この自称神様はきっと暇で仕方がないんだろう。
風も音も時間感覚もない。周りは空間が把握できない程均一な白。それでいてすごく空気が澄んでいる。
こんな空間にいたら確かに暇というより気が狂いそうだ。
「そうなんだよ。わたしはすっごく暇なんだ。きみがいた世界はもうわたしの手を離れて自立しているからね。わたしのやることは視ることと、たまにこうしてご近所の世界と付き合うだけ。ああ、暇で暇でしょうがない。力も持て余している。だからわたしはきみみたいな魂に少しだけ力をあげるんだ。すぐに死んでしまうと巡らせる意味がないし、何と言ってもこの方が退屈が紛れるからね」
神様にも色々事情があるらしい。主に暇なのが押し出されているけど。
とりあえず私自身に用があるということはわかった。さっきから“君みたいな魂”って言っているけど、私の魂はそんなに珍しいんだろうか。
「世界を巡るに耐え得る魂はね、それ自体はそこまで珍しくない。何度も転生を繰り返した色濃く強い魂であればいい。ただ、巡らせるためにいくつかの条件があるんだ。それを満たす魂は珍しい。普通、色濃い魂は人を惹きつける力があるから、だれかの“特別”な存在であることが多い。そんな存在は、繋がりが強くてこの世界から切り離せないんだ。それに引き替え、きみは世界の繋がりがひどく薄い。いい色をした魂なのに、情を与えられてこなかったんだろうね。何だか魂に栄養が足りていないようだ。まあそれでも巡ってもらうけどね」
さすが神様。お見通しらしい。
私は誰かの“特別”になったことなんてない。私自身を必要とする人間に、私は生まれて一度も会ったことがない。
はじめて暖かい感情というものを知ったのがフィクションの物語の中なんだから、筋金入りの愛情不足だ。
「愛情をもらったことのない人は大抵の場合どこか欠落している。なのにきみはほとんどそういうのがないみたいだね。元々芯というか魂が強いからだろう。お人形のように育てられたのに自分で家から逃げ出せるくらいなんだから、本来の性格も大人しくはないんだろうね。本当に、きみのような魂に誰かひとりでも寄り添う人がいたらこんなことにならなかったのにね」
今更そんなことを言ってもどうしようもないし、完全に逃げ出せるチャンスならそれを掴んでみたい。
「潔いねえ。そんなきみにわたしからのプレゼントだよ」
ぼんやりとした空間に、こつ然と巨大な丸い物体が現れる。丸いというより、球体に太い柱がついたようなもの。
よく見てみれば、ガラスでできた球体の中に色とりどりのボールが詰め込まれていて、柱にはつまみのような……
……ガチャガチャだ。完全にゲームセンターとかショッピングモールとかにあるアイツだ。
「わたしの力を少しだけあげるって言ったよね。これだよ。この中にはね、きみが巡る先の……まあ、オーソドックスなファンタジーの世界で必要なものが入ってる。正直全く必要じゃないものもあるけどそこはご愛嬌ってものだ。とりあえずその世界の人なら誰もが持っているもの。確か【ギフト】と言うんだったかな」
ギフト。海外では才能についてそう言ったりもするんだったか。
ここにきてファンタジー色が一気に濃くなってきた。
「そう。才能、スキル、天性。そんな感じで言い換えられる能力の詰め合わせだよ。きみは三回だけこれを回して、ギフトを得ることができるんだ。何が出てくるかはランダムだよ。一回引く毎に中身が変わるし。きみが得るものが何なのか、わたしにもわからない」
両親からの教育がまだ本格的に始まっていなかった幼い頃。
私は本が好きだった。非現実的な物語を読んで、逃避するように浸るのが好きだった。
それが長じてこっそり買ったゲームやライトノベルを夜中に読んだりするのは、学生時代によくあった。
夢物語だとわかっていたからこそ憧れた。そんな世界が、近くにあるなんて。この人生から完全に離れることができるなんて。
息ができなくなるような、ロクでもない人生じゃなくて。自由に生きられるとしたら、私はどう生きられるだろう。
よくある最強、なんてものじゃなくていい。生きていけるに足る能力がほしい。
皆から必要とされる英雄なんてものじゃなくていい。私は誰かの――
誰かの、“特別”になりたい。
思ってから、初めてそれがひどく遠く眩しいものだと気付いた。
淋しい。羨ましい。そんな感情を否応なく自覚してしまう。
対人関係においてはかなりドライな性分だとは思っていただけに、少し恥ずかしい。
「いや結構ドライな方だと思うよ。というか今更だねえ。もっと前にその欲が出ていれば……まあ、きみの言う通り今更だね。
さ、まずは一回引こうか」
今まで立つことしかしていなかった体が動いて、ガチャガチャのつまみを掴む。
そのまま時計回りに独特の引っかかりを感じながらつまみを回して。
受け取り口にコロリと出てきたのは、オレンジ色の不透明なカプセル。開けてみるとこれまたオレンジの玉。
「飲み込んで。それでギフトが得られる」
言われた通り、一思いに飲み込んでしまう。
正直水がほしいと思ったけど、私の体はうまく嚥下できたみたいだ。
《ギフト【看破】を取得しました》
無機質な中性の声。よく聞けば神様の声だ。
物凄くゲームっぽい。でも【看破】って罠とかを見抜く能力だった気がする。
これは当たりな部類なんだろうか。それとも……
「【看破】ね。まあ当たりだよ。あの世界じゃ【鑑定】系ギフトの部類は重宝されるし、【看破】は【鑑定】の上位ギフトだから【鑑定】より色んなものが視えるからね。ただ知られると人に警戒心を抱かれるだろうけど。もし聞かれたら【鑑定】と言っておけばいいよ、数百人にひとりは持っているギフトだし。そもそも人のギフトを根掘り葉掘り聞くのは失礼らしいから大丈夫じゃないかな」
一長一短なギフトということだろうか。
色々とものがわかるのは助かるけど、使う時は気を付けないといけないかもしれない。
次を促されて、またつまみを回す。
今度は黒いカプセルだ。何だかシークレット感があって少し気分があがる。
黒と白のマーブル模様の玉を手のひらに出してみると、神様が不思議そうに首を傾げた気がした。光っているからよくわからないけど。
「あれ、これ何だろう。ふさげて作ったやつかな。まあ飲んでみて」
え、ちょっと待って。
そう言おうとする前に、私の体は玉を飲み込んだ。
《ギフト【奇運】を取得しました》
「うわあ。はじめてだよそれに当たった人。【幸運】【悪運】【不運】はわりといるんだけど」
【奇運】って何ですか。奇跡の運ですか。奇妙な運ですか。奇怪な運ですか。
どう考えてもおふざけ要素しか感じられない。何がシークレットだ。
「考え方によってはこれも当たりじゃないかなあ。数奇な運だよ。物凄く運がいい時もあるし、物凄く運が悪い時もある。きみは波乱ある運命を義務付けられた。その振り幅が世界を巻き込んだものか、それともきみの周りだけで起こるものなのかは知らない」
……せっかくもらったのに全然嬉しくない。
多少の波はあっていいかもしれないけど、世界を巻き込むなんて冗談じゃない。
私は普通の生活がしたいだけで、そんな運命は求めていない。
「きみに求められるのは少なくとも英雄じゃないから安心しなよ。【英雄】【勇者】【聖女】、そういうのは元からあの世界にいる人にしか与えられないギフトなんだ。世界を救う存在はその世界の人であるべきだからね。まあギフトがなくてもそう呼ばれる人はいるけど、きみはきっと当てはまらない」
その点はよくある勇者の話とは違うんだ。
確かに世界を救うのが部外者なのはどうなのとは思ったことはあるけど、やっぱり神様もそうらしい。
とにかく私は一般人になれそうだ。後は自衛手段があれば言うことはないんだけど……
「それはわからないなあ。きみの二代前に巡らせた人は、確か【裁縫】【農薬】【鉄の腹筋】を引き当てたよ。しかも巡った先がSFに近い世界だったから……どうなったのかな」
それは何と言うか……悲惨だ。
これだけたくさんのカプセルが入ってるから当然有り得る事態だけど、かわいそう……
【奇運】さん、どうか私に自衛手段を下さい。【洗濯】や【鉄の胃袋】はどうか勘弁してください。いや、引いたら受け入れるけど、できれば。
ここまで真剣にくじを引くのは、きっとこれが最初で最後だろう。
そんなことを思いながら、私はつまみを回した。
ガク、ガコッ、とさっきよりも引っかかる音と感触。もしかして壊れたかもしれないと内心びくつく私が見る前で、受け取り口にカプセルが落ちてくる。
なぜか、二つ。
「え」
え?
なにこれ、ガチャガチャ壊れた?私壊した?
「っあははは! さっそく【奇運】の効力出てるんじゃない!? はじめてだよこんなこと!」
なぜかひどく嬉しそうな神様が、大きく手を叩いてはしゃぐ。光っているからよくわからないけど、楽しそうなのは確実だ。
色んな意味で呆気に取られたままの私にお構いなしで、ガチャガチャを撫でまわすように触って。
「うん、壊れてないね。きみは正当な手段で三回回してギフトを四つ得た。おもしろいねえ」
いいの?それでいいの神様?
……まぁ、楽しそうならいいか。暇で仕方がないらしいし。
いつものように自分を納得させて、緑のカプセルと黄色のカプセルを手に取って開ける。
出てきた玉を一息に飲みこめば、無機質なアナウンスが流れた。
《ギフト【風魔法】を取得しました》
《ギフト【魔力矢】を取得しました》
ファンタジーだ。限りなくファンタジーだ。
しかも聞くからに自衛手段になりそうだ。【奇運】さん凄い。
「【風魔法】はそのままだね。あちらの世界じゃ一般的な四大魔法のひとつだ。【魔力矢】もそのまま。魔力を矢の形にして射出する攻撃ギフト。君の運で手に入った自衛手段だ……それにしても、魔力か。きみに使えるのかな」
ぽつりと零した神様の言葉に、心の中で目を見開く。
そう言えばそうだ。魔力がないのに魔法は使えない。大体私にそんなものが備わっているのかはわからない。その前に神様もわからないとか。
「だってわたしのいる世界じゃ魔力を感知できないんだよ。そんな力が必要とされない世界だし」
ごもっともです。
じゃあ、これってかなりの外れギフト……
「ああ、一応きみの魂を覆う体は向こうの世界で構築されるから魔力自体は得ることができると思うよ、多分。ただ魔法を使うくらいの一般的な魔力量があるのかはわからない」
場合によっては全く使えない、と。
どうしよう、と思いはするものの、どうしようもないものはどうしようもない。色んな意味で諦めるに限る。
「普通だったらもっと取り乱すんだけどねえ。いくら強い魂でも、やっぱり自分に不利なものは困るしリスクはできるだけ避けるから。わたしに詰め寄ってやり直しを要求した人なんてたくさんいる」
受け取ったのが本当に生死に関わるようなギフトじゃないから言えるのかもしれないけど、人からものをもらっておいてそんな要求をする程恥知らずじゃない。
ありがたくいただきます、神様。
「きみ、やっぱり強いよねえ。いい意味でも悪い意味でも我慢強い。でも、感謝してもらえてよかったよ」
腕を一振りしてガチャガチャを消し去った神様が、私の肩に手を置く。
「一応説明しておこうか、この先の世界のことを。
きみが巡るのは剣と魔法が生きる、クラシックかつオーソドックスな異世界だ。竜も騎士も魔法使いもいる。レベルのようなものはないけど大雑把なステータスはあって、ギフトで人生が決まる。刺激的でやや危険、それでもファンタジーに触れたことがある人なら魅力的な世界だろうね。
わたしが力をあげるのはここまで。きみがどんな姿形でどんなステータスでその世界に降り立つのか、それすらわたしにはわからない。ただ、視ることはできるんだ。あちらの世界の神よりわたしの方が位階が高いからね。だからその【奇運】で、どうかわたしを楽しませてみて」
無機質さとは違う、静かな声。
それに見送られる私は、この先に期待を持ち過ぎている。
神様、またお話するのは難しいですか。
「それはできないね。わたしはもはやこの空間以外で人に声を届けられない。巫の資格を持つ人が消えて久しいんだ」
……そうですか。じゃあたまに祈っておきます。
あなたが私の知っている唯一の神様で、私に“特別”を探す機会をくれた存在なので。
「ああ、それはいいね。この世界でわたしに対する祈りはもう届かないんだ。誰も本当の神を知らないから。是非祈っておくれ。【奇運】の魂」
トン、と肩を押される。
抵抗することなく、揺らぐ足元に慌てることもなく。
行ってきます、地球の神様。
「行ってらっしゃい。きみの生き抜く世界が、きみを必要とする世界であることを、願ってあげる」