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華の足元  作者: べべ
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2.美しさにはキリがない



天高く、爽やかな風が吹く秋晴れの日。

公爵領の片隅の小さな町で、収穫祭の式典が行われようとしていた。

女性達は普段よりも少し良い服に色とりどりの花飾りをさして祭りを彩る。

男性達は仲間と連れ立って飲み歩きする者や女の子を誘い出そうと声をかける者など賑やかだ。

平素は町の人が行きかう目抜き通りから広場までびっしりと様々な屋台が立ち並び、呼び込みの声が道行く人の足を止めようとひっきりなしに響き渡る。

小銭を握ってお菓子の屋台を目指す子ども達や式典を見物に来た旅行客など、祭りに浮き足立つ人々の隙間を縫ってケヴィンは走っていた。

途中、横合いから飛び出してきた少女3人組に危うくぶつかりそうになり、少年はその大柄な体を活かして3人まとめて受け止める。

驚かせしまった事に短く謝意の言葉を告げると、女の子達は少年の無愛想な口調と浅黒い肌の強面に怯えて返事もそこそこに逃げ去って行った。

ケヴィンの方も怯えられるのはいつもの事だと気にも止めず、再び足を動かして目的の場所へ急ぐ。

町を縦に貫く大通りは人に溢れていてそれだけでも進みにくいのに、石畳の上に零れた飲み物があちこちで水溜りを作っていてどうにも走りづらかった。


「ケヴィン!こっち!!」


先に着いていたのであろうリズの弟が、珍しく本を持っていない両腕を振って少年に合図を送っていた。


「すまない、遅れた」

「もう間もなく始まるよ」


式典が行われる舞台を一望できる橋の上には、少年達以外にもたくさんの人々が群れをなしており、どうにかすると手すりから落っこちてしまいそうな混みようだ。

橋全体が若干揺れているようにも感じるのに、誰も怖がったり逃げたりしないのは田舎特有の大雑把精神である。


「姉ちゃんだ」


ケヴィンが少年のその言葉に誘われるように舞台を見下ろした。

舞台の端で自分の出番を待っているであろうリズが、隣りの娘と何事か囁きあっては笑っている。

小さな頭に飾られた花冠に、色とりどりの糸で刺繍された揃いの民族衣装。

式典のために集められた見目麗しいフラワーメイド達は、薄く化粧を施した顔を興奮と緊張で火照らせて彼女達が胸に抱く花束よりも色鮮やかに咲いていた。


「うわー姉ちゃんすごいはしゃいでるよ。姉ちゃんは容姿で選ばれたんじゃあなくて、ジークフリート様が無理やり入れただけなんだから、調子のるなっつうの」


なあ、そう思うだろ?と姉に厳しい弟が隣りの少年に同意を求めたが、大柄な少年の反応はわずかに眉を下げただけだった。

ケヴィンには、見栄えのいい少女達の中でもリズが一等輝いて見える。

口に出さずともそう思ったのが伝わってしまったのか、長い付き合いの少年は半眼になって呆れたような顔をした。

そう見てしまうのも仕方が無いのだ、ケヴィンはもうずっと前にリズに心を預けてしまっている。

彼女の胸元に自分が贈ったネックレスの存在を認めて、少年は小さく微笑んだ。







やがて広場には高らかな楽器の音が響き、万来の拍手と共に紙吹雪が舞いあがる。

小さな町の収穫祭にしてはやや派手に飾り付けられた舞台は広場に向かって半円を描くようにせり出しており、押し寄せた人々は顔を揃えて舞台に注目した。

町の顔役が長ったらしい開会の挨拶を披露するのを耐え、再び楽器の音が鳴り響けばお待ちかねの来賓入場だ。

領内の各土地で同日一斉に行われる収穫祭に、公爵家の方々が毎年無作為に選ばれた町の式典に出席される事が恒例である。

普段見ることも出来ないやんごとなき方々をこの目で直に見る数少ない機会であり、特に今年参加される公爵夫人といえば美しさで有名な方であったので、人々の関心は非常に高かった。


「公爵夫人がいくら美人って言ってもなー。貴族様なんだし、半分はお世辞が入ってると思うんだよな。小美人くらいの方でも綺麗な服着てりゃ底上げされるじゃん?」


リズの弟は、顔だけでなくよく喋るところもそっくりだった。その内容は全く持って不敬であるが、どこか愛嬌があって憎めない。

ケヴィンが弟に何か言おうと口を開いたその時、会場全体が突風に包まれたように揺れた。




公爵夫人のご来場である。





果たして音に聞く麗しき公爵夫人は、全ての讃辞を呈するにふさわしい美しさだった。

あらゆる吟遊詩人は彼女の美しさを讃えるために言葉を尽くすだろう。

冨や地位のある者は彼女を手に入れるために全てを投げ出して戦うだろう。

その昔、公爵との縁談が決まるまであらゆる貴族が彼女との婚姻を望み、争い、彼女が悲しむから争いを止めたという話しが残っている。

大陸の3大美人、エメラルドの姫君、春を告げる女神。

誰もが息をするのも忘れて彼女の美しき像に見惚れていた。



全ての人が公爵夫人の美しさに飲まれて動けないでいる中、唯一リズだけが己が役目を果たそうと舞台の端から花束を手に進み出て来た。

舞台の中央に佇む夫人に習ったばかりのお辞儀をして、顔をあげると緊張で固まる唇を無理やり開ける。


「…このような小さな町の収穫祭にお越し頂き、私達一同、大変感激しております」


しかしリズの平常心もここまでで。

間近で拝見した公爵夫人の美人オーラに圧倒され、急速に心臓が暴れ始める。

体から力がぬけていくのがわかり、目はこの人生最大の眼福を逃すまいと釘付けになって動かない。

だが目が釘付けになっていたのはリズだけではなかった。

公爵夫人はそのどんな宝石よりも美しい緑色の瞳を大きく見開いて、リズの上から下まで全身を眺めた。

リズはその瞳の中に吸い込まれて溺れてしまうような錯覚におちいる。

すでに動悸で呼吸が思うようにいかなくなっており、溺れているようなものだったのだが。


「貴女、とっても可愛いわ」


公爵夫人が進み出て、小さく膝を折って花束を受け取ると。

その白魚のような手でリズの頬を撫でたのだった。


「私の娘によく似ていてよ」


にっこり。

その微笑みの直撃を受けたリズは、脳が溶けるような夢見心地を味わった。

実際、ちょっと溶けてた。

美しい肌を陶器のような、と表現するが初めて触れた公爵夫人の肌はよく冷やしたむきたての桃のような瑞々しさがあった。とても3児の母とは思えない。

仄かに香る甘い香りがなおさら桃を連想させて、その肌に歯をたてたらどんな味がするのだろうと益体もない考えがリズの唇を開かせる。


「…光栄で、ございます…」


「…!」

「ケヴィン、どうしたの?」


今まさにフラワーメイドとして舞台に上がっている少女の弟は、隣りの少年が体を強張らせたことに気づいて声をかけた。

ケヴィンは元々の鉄面皮を更に固くさせて舞台を真剣に見ている。

姉びいきの少年も、さすがの公爵夫人の美しさに驚いてしまっているのだろうか。


「リズが」

「姉さんが?」

「リズが危ない」

「そうか?俺にはただ突っ立っているだけに見えるけど…」


少年が目を凝らしても、姉が来賓に花束を渡しているだけという、何の変哲も無い式典の一幕だ。

姉が危ないなどと言われても、弟には何の事やらさっぱりだ。

だがケヴィンには恍惚とした表情で薄く唇を開くリズの表情が見えていた。

嫌な予感に突き動かされて、ケヴィンは欄干に身を乗り出すとためらいもなく飛び降りた。


「え?おい、どこ行くんだよケヴィン!!」


運動神経と恵まれた体格をいかんなく発揮して舞台へと近づこうと試みる。

しかし、後もう少しで舞台への階段に足がかかるというところで警備していた兵士によって阻まれてしまった。

舞台を仰ぎ見ると公爵夫人の唇が一瞬不敵な笑みをたたえ、ケヴィンは嫌な予感が現実のものになろうとしているのを察した。


「ねえ貴女、うちの娘に仕える気はないかしら?」

「え?」

「いいでしょう?娘にも貴女みたいな子がほしかったのよ」


一介の町娘が公爵家の令嬢に仕えるなどまるで御伽噺である。

現実とは思えない言葉にリズは一瞬我に返り、緊張している自分を気遣ってジョークを言っているんだなと納得すると、喜んでと答えたのだった。


「そう、じゃあ決まりね。式典が終わったら一緒にお屋敷に行きましょうね」


もちろんジョークだと思っているものだから、その念を押すような発言にも笑顔で頷く。

位の高い方のお戯れはかわっているなあなんてのん気に思いながら。

角度的に少女にはケヴィンの姿が見えず、少年が必死に呼びかける声も湧き上がる歓声にかき消されてしまった。


自身の人生を左右する決断を知らず知らずのうちにしてしまったリズは、その日式典の最後まで公爵夫人の隣でしっかり手を握られて過ごしたのだった。







少年には訳がわからなかった。

姉が式典で花を渡した公爵夫人に何か言われたのは見ていたが、その内容がどういったものか知ることができなかったし、飛び出して行ったケヴィンは式典が終わっても一向に戻ってこない。

更にその姉が、何故か公爵夫人と同じ馬車に乗り、何処かへ行こうとしているではないか。


「姉ちゃん!」


少年が馬車に並走しながら声をあげる。

馬車の周りを護衛の騎馬兵が囲っているために近寄れない上に、公爵家を讃える人々の声に押されて届かない。

それでも少年は負けじと声をかけ続けた。


「姉ちゃん!何処行くんだよ!」


「この後出店を見て回るって言ってたじゃないか!姉ちゃんみたいなガサツな女が馬車なんかに乗ってるんじゃねえよ!失礼してしまう前に降りろよ!」


「姉ちゃん!!!!」


まるで魔法にかけられたかのように、姉は夫人に付き従う。

公爵夫人に手を握られっぱなしだったリズの頭と体は、フライパンに落とされたバターのようにふにゃふにゃに溶けていた。

小窓から見えるそのアホ面に弟である少年は、帰って来たらぶちのめしてやると心に決める。

もう二度と帰ってこないかもしれないと確信めいた予感を認めたくなかった。


姉が市場に売られていく小牛のように、公爵家の馬車に揺られて運ばれていく。

本人は自分が小牛だと知らずに、ただ幸せそうな微笑でうっとりと公爵夫人を見つめていた。



やがて少年の体力も尽きて足を止める。

馬車は気にした様子もなく町中を通り抜け、公爵領の中心都市へ消えていった。




夜もふけた頃、公爵邸に1台の馬車が帰り着く。

明かりを煌々と灯した玄関ホールには、大勢の召使い達が並んでおり、一糸乱れぬ礼をとってこの邸の女主人を迎え入れた。


「ただいま戻りました。…ルクレツィアは起きているかしら?」


従僕の中から壮年の男性が答えた。


「お嬢様は、図書室にいらっしゃいます」

「まあ、また?あの子の本の虫は旦那様譲りねえ」


公爵夫人は羽織っていた外套を男性に渡すと、あらためてリズの手を握った。


「いらっしゃい、こっちよ」

「あ、あの…公爵夫人、私…」


ここに来てようやく夢から覚めたリズは、戸惑い恐怖した。

いくら目の前の佳人にうっとりしていたからって、ここまでついて来てしまった自分の行動が信じられない。

弟は、ケヴィンは、店は今どうなっているんだろう。

明後日には出稼ぎに出ていた両親も帰ってくるというのに。


「申し訳ございません!私調子に乗ってしまって…!お屋敷にまでついて来てしまうなんて!」


今すぐお暇しますと言って飛び出して行きそうなリズの手をしっかり握り込みながらも公爵夫人は小首をかしげる。


「まあ、貴女。もう、なの?生まれつき耐性があるのかしら」

「は、はあ、何の事でしょう…?」

「気になさらないで。でも帰るのは駄目よ。貴女は私が娘にと決めて、貴女もそれを了承したのだから」


夫人は抵抗できないことをいい事にリズを引きずって屋敷の奥へと足を進める。

豪華ながらも歴史を感じさせる調度品が並ぶ廊下は、その広さのためか静まり返っており、どの品をとってもリズの家の年収の数倍はするだろう事は想像に難くない。

こんな夜更けに祭りに出たまんまの格好で公爵邸を歩く自分は、まるで国会議事堂に現れた食い倒れ人形の様だ。

場違いという言葉が背中にべったり貼られているような気がする。

やはり帰りますと口にしかけたリズを、公爵夫人は微笑み一つで黙らせた。

廊下を進み階段を上っていくつかの角を曲がると、公爵夫人はある扉の前で足を止めた。


「ルクレツィア、私よ」


「どうぞ」


リズは聞き覚えがあるその声に首を傾げて不思議に思う。

夫人の嫋やかな手が扉を押し上けて、部屋の中の光が廊下に溢れ出てきた。



リズは、今度こそ口が聞けなくなるくらい驚愕した。

天井まで届くような大きな書棚が壁沿いに並び、読書のために灯された明かりは、納められた本の一冊一冊をはっきりと照らしていた。

天井にある明かり取りの窓がその向こうの星空を曇りなく見せて、手入れの行き届いている事を伝える。

毛足の長い濃紺色の絨毯に何組かのソファ。


だがリズが驚いたのは豪華な内装のせいではない。

その中のうちの一つ。


一人掛けのソファの上に少女がいた。


腰まで届く黒髪を緩く束ね、清楚な印象のドレスをきっちり着こなす姿には隙がない程令嬢で。

重そうな本を膝に抱えていたその少女は書物から顔を上げるとリズを見て目を丸くする。

かち合った瞳はリズと同じ、真っ黒だった。

いや、瞳どころではない。


その鼻も口も顔の造りも全て。

全てがリズと双子のようにそっくりだった。


おそらく立ち上がれば体つきも似ているに違いない。


合わせ鏡を見ているようだった。

驚きで固まる少女二人に悪戯が成功したような無邪気な笑顔を向けて、公爵夫人はおっしゃった。




「ルクレツィア、遅くなってしまったけれどこちら貴女へのプレゼントよ。お誕生日おめでとう」


こちら、と自分の方に手を差し出されたのでリズは自分の後ろにプレゼントの箱が置いてあるのかと振り返った。


何も無い。


何も無いどころか、さされている場所には自分しかいない。


「へ?」

「おかあさま?」

「ふふふ、びっくりした顔もおんなじね」


お名前はエリザベス、リズさんと呼んであげなさい。大事になさいね。

天使のようなお声で悪魔のような事を告げた公爵夫人は、同じ顔の少女達がじわじわと顔を青くするのを見て、更に笑みを深めた。


「お母様ー!!!!?????」

「夫人ーー!!!!?????」


公爵邸にはしたなくも響き渡る絶叫。

何事かと飛び込んでくる召使い達。

爆笑する公爵夫人。

対峙する令嬢と町娘はいっそ気絶してしまいたいと願いながらも理性の力で踏みとどまっていた。


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