1まだ恋にはとどかない
初投稿。のんびり書いていきます。
1.まだ恋にはとどかない
昔、というのが正しい表現かわからない。
けれど私にとっては遠い昔のこと。
私は日本の女子高生だった。
死んでこの西洋中世風の世界に転生したのか、はたまた魂だけこの身体に乗り移ったのかはわからない。
とにかくこことは違う世界で女子高生だった記憶を私は持っている。
その記憶は物心つく前には私の中に当然のように居座っていて、未発達の心で受け止めるには大き過ぎた。
現在の自分と記憶にある自分の齟齬の差に日々な悩まされていた私は、自分でも嫌になる程変な子供だった。
前の家に帰りたいと迷子になったり、この世界にはない機械の話をしたりと、とにかく両親は苦労したと思う。
それでもこの歳まで育ってこれたのは暖かくも大雑把に見守ってくれた家族と近所の人々、そして幼馴染のケヴィンのおかげだと思う。
普通じゃない記憶を背負いながら、普通の町娘として普通に生きてきた13年間は楽しくも平和な日々だった。
ーーーこいつが私につきまとい始めるまでは。
「リズ、リズ、僕のリズ」
「…ジークフリート様、私は誰のものにもなった記憶はございません」
「可愛い人。そんな風に萎縮しないでおくれ。僕がこの町の顔役の息子だからって、親の権力を傘にきるきはないんだ」
「それは結構でございますね」
「だから気軽に呼んでおくれよ。様、なんていらないよ。なんたって君は僕のお嫁さんになるんだから」
「ならねぇよ!!!」
腰まで伸びた黒髪をひるがえし、少女・リズは思わず大声をあげた。
町娘にしては整った目鼻立ちに髪の色とお揃いの黒い瞳は普段なら彼女の快活さを写して生き生きと輝くのだが、今は嫌悪の色も露わに眼前の少年を睨み付けている。
腰に手を当て仁王立ちするその姿は13歳という歳の割りには発育がいいが、本人の内から滲み出る潔癖さ故か、小間物屋・ルンダ亭の看板娘にしては色気がなかった。
それでもリズが商品を陳列する手を止めて振り向いてくれた事に喜ぶ少年には、何よりも麗しい花と写るのだろう。
ジークフリートは、はしばみ色の目を細めて朗らかに笑う。
「やぁっとこちらを向いてくれたね!ねえリズ、珍しい紅茶が手に入ったんだ!一緒にお茶しようよ!」
「小間物屋の店先でよくもそんなお誘いができますね…私はお店が忙しいんです!」
大体うちにだって紅茶くらいあるんですよ!あなた様のお口には合わないかもしれませんがね!
商品を陳列したり、ハタキをかけたりと彼を避けるように店内を動き回っているというのにジークフリートは金魚の糞みたいに後をくっついてくる。
邪魔だし動きにくいし、なによりうっとおしい。
「そんな、恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」
「恥ずかしがってません!」
「お店の事もいいけど、君は来月の収穫祭の式典でフラワーメイドになるんだから、今から少しづつ礼儀作法を学ばないと後で困ってしまうよ?」
「それ、本当にしなきゃいけないんですか…私、お断りしたはずですよね?」
「いけないよリズ。僕のお父様が僕の花嫁になる君に泊をつけようとわざわざお役目を回してくれたんじゃないか。照れ屋の君には大変なことかもしれないけど、いずれこの町の顔役となる僕の隣に立つんだから慣れてもらわないと」
「だからジークフリート様の隣に立つ気はないし、収穫祭はウチも出店して忙しいんだから超迷惑なんですってば…」
うなぎのように掴み所のないジークフリートとの会話に疲れて、リズはがっくりと肩を落とした。
二ヶ月前、店先でジークフリートに見初められてからというもの、一事が万事この調子である。
リズがどんなに否定しても、持ち前のポジティブ精神で押して押して押しまくるこの顔役の息子は、今やリズの実家である小間物屋の名物になっていた。
あらまあ今日もやってるのね、お気の毒様なんて言って二人の横から買い物していくご婦人方や常連客は慣れた様子で誰も気にも止めない。
お客さんと商品と代金を交換しながらもジークフリートはぴったり傍に貼りついているのだ。
売上に響いてないのが救いだけれど、誰かこいつを止めてくれとリズは重いため息をついた。
「ーー失礼します」
「な!何をする!?離せ!!!」
ジークフリートよりも頭一つ分大きな影がふいに現れて、驚く彼の襟首を摘まむと猫の子を移動させるようにぺいっと退けた。
「ケヴィン!」
「リズ、またか」
「また、なのよ。ありがとう」
ジークフリートがいなくなった事で開けた視界には、リズが誰よりも信頼を寄せる幼馴染の少年・ケヴィンが立っていた。
一家揃って大柄であるらしく、ケヴィンは同じ歳に見えないくらいしっかりとした身体つきの少年だ。
あまりお喋りが得意ではなく、強面で表情が出にくいからよく子どもや女性に怖がられている。
でも本当は面倒見がよく、笑うと目元が幼くなることをリズは知っていた。
「こんにちは。今日はお父さんの手伝い?」
「ああ。昼食って来いって」
「ちょっと待ってて。すぐ用意するわ」
ジークフリートの時とは違い、弾んだ声でそう言うととリズは店と繋がっている奥の部屋に踵を返した。
「ケヴィンとお昼、行ってくるわ!お店お願いね!」
「えー!俺、本読んでるのに!」
「一時間くらいで戻るわよ。あんたもたまには店に出なさい、次男坊」
リズの家は上から兄、リズ、弟、妹、妹の5人兄弟でそこに祖母と両親が加わる8人家族だ。
両親は仕入れや副業に駆けずり回っており、店を守るのはもっぱらリズと祖母が中心だった。
リズの年子の弟は読んでいた本にしおりを挟むと渋々立ち上がって店の方へ姉と入れ違いに入って行く。
ちょうど境目まできたところで店内で見た光景に眉をしかめると、鏡の前で身だしなみを整える姉の背中に声をかけた。
「…姉ちゃん、ジークフリート様も来てるの?」
「来てたわね。まだいらっしゃるの?」
「うん。ケヴィンに何か言った後、喧嘩?してる」
「何それ!?」
「ケヴィンは相手にしてないみたいだけど」
慌てて店内を覗き込むと、めちゃくちゃに両手を振り回して殴ろうとするジークフリートと、そのおでこに手を当てて拳があたらない距離まで引き離しているケヴィンの姿があった。
あれではリーチに勝るケヴィンに当たるわけがない。
子供のようにあしらわれる悔しさに、ジークフリートは諦めて覚えてろよ!とか何とか口にして逃げ帰って行った。
残された少年のほうはといえば、捨て台詞に律儀にお辞儀をしている。
どこかほのぼのとした光景に、姉弟は仲良く顔を見合わせた。
「まあ喧嘩なんかしたことなさそうなジークフリートさまが、ケヴィンに敵うわけないよな」
「ていうか、うちに来たなら買い物くらいして行きなさいよあの全自動ポジティブ変換機…」
「姉ちゃんまた変な事言ってる。でも姉ちゃんってさ、お金大好きだろ?」
「だってお金が安定して使えるって事は経済が安定しているって事で、ひいては治世がすばらしいってことで、だからこそうちの小間物屋もやっていけるってものでしょ。小難しい事は置いといたとしても私はお金が大好きだ」
「…ジークフリート様ならうちよりお金持ちだし、ちょっぴり玉の輿じゃんか。嬉しくないの?」
リズの弟は姉そっくりの黒目がちな瞳を向けて尋ねる。
まだ変声期前の柔らかい声と相まってそうしていると女の子みたいだなと、小生意気な弟を少し可愛く思いながらリズは答えた。
「弟よ。どんなにお金があったとしても、人間と宇宙人は一緒に暮らせないのよ…」
ジークフリートと言葉を交わす時、徒労という文字が度々頭を過る。
どんなに適当に扱おうともどんなに言葉遣いが荒っぽくなろうとも、あの町の顔役のご子息様は脳内フィルターを使って”可愛い僕のリズ”にしてしまうのだった。
「宇宙人?の意味が分からないけど、気持ちはわかるかな。…まあ、俺もあの人が兄貴になるより、ケヴィンの方がいいし」
「ちょっと!?」
「ケヴィンは三男だろ?ウチに入り婿してもらって、姉ちゃんとこの店継げばいいじゃん。俺は心置き無く魔法の勉強ができる」
記憶のせいでとっぴな発言をする事が多かったリズはそのせいでからかわれることが多く、それらを跳ね返すために勝気で負けず嫌いに育っていた。
そんな姉は弟の目から見ていても分かりやすいくらいにケヴィンを頼りにしていたし、ケヴィンもわかりやすいくらいに暇を見つけてはこの小間物屋に足を運んでいる。
兄と妹のような幼馴染2人の関係は、思春期に差し掛かり違う色を含んだものに変化しつつあった。
「私とケヴィンはそんなんじゃありません!何であんたの将来設計の為にそんな事にならないといけないのよ」
「…いや別に俺の為だけって訳じゃ…ああもういいや。店番代わるから行ってきなよ」
発展しそうで発展しない原因は偏に姉の潔癖さにあるのだろうと弟は思う。
駄目な子を見るような慈愛の目を向ける弟の肩をはたいて、リズは店内で待つケヴィンに足を向けた。
「お待たせ!」
「どうした?」
「何でもないです!」
必死に赤い顔を隠そうと顔を逸らすリズにケヴィンは訝しげに首を傾げる。
彼女の弟を見われば肩をすくめて手で追い払う仕草をされたので、上背のある体を曲げて礼を取ると先に出た少女の姿を追いかけた。
町の食堂は多くの者が昼食を取るべく押し寄せていた。
リズとケヴィンは人の熱気と料理の匂いに満ちるこの場所で食事を取るのを早々に諦め、注文したベーグルを包んでもらうと見晴らしのいい広場に場所を移した。
食べながらの気ままなお喋りは、この二人においてはいつもリズが主導だった。
家族の事、商売の事、最近やってしまったちょっとした失敗、弟が魔法の本を読むのに夢中で困っている事など。
会話の合間に一言、二言ケヴィンが口を開く。
心地よい風に吹かれた広場では、ベンチに腰掛ける幼馴染達以外にも何組かの人々が憩いの場として集っている。
「もうすぐ収穫祭ね」
お祭り好きのリズが、嫌そうに口を開いた。
「嫌か」
「例年通りなら楽しめたんだけどね。出店を切り盛りして、売り上げを数えて、夕方には友達と出店を見てまわって…なのに何が楽しくて肩のこりそうな式典にでなきゃいけないのよ」
来月の11月に控える収穫祭はこの領地一番のイベントで、今年は公爵夫人がこの町の式典にお見えになることもありいつもの数倍時間をかけて準備が行われている。
ジークフリートの父親であるこの町の顔役が、息子が懸想している女の子に素敵な思い出をプレゼント!などと余計な事を考えたらしくリズは強引に式典に参加させられる運びになったのだった。
式典に出ると言っても、式典の最初の方で来賓された公爵夫人に花束を渡すだけの役どころ。
後は舞台の片隅で延々お偉い様方の長ったらしいお話しを立ちっぱで聞き続けなきゃいけないのだ。
友達とおしゃべりしながらジュース片手に冷やかすならともかく、そんなのぶっちゃけ面倒くさい。
そうケヴィンに訴えているうちに、リズの内側からふつふつと怒りが湧きあがってきた。
「そうよ大体おかしいのよ。いくら毎年領地内の各都市、持ち周りで式典を開くって言っても、こんなド田舎の町に公爵夫人様がいらっしゃるなんて!警備面とか不安じゃないの?祭りの間に増えるだろう大量の旅行者をこの町でさばけるの?」
「魔法のできる優秀な護衛がつくと聞いているぞ」
「魔法!そんなファンタジーかつ御伽噺的なもので大丈夫なの?公爵夫人といえば、大陸の三大美人と歌われた方じゃない!変な気を起こすストーカーがでるわよ!軍隊とか引っ張って来た方がよくない?」
「リズ」
「大体この世界、設定がふわっとし過ぎなのよ!魔法なんて言ってもRPGみたいに使い方がはっきりしている訳じゃなくて、ただ生まれついて使える人がなんとなく感覚で使えますていうよくわからない技術じゃない!その割りには移動は馬車!魔法学院とか作ってる余裕があるなら、そっちに力を入れてよ!」
「リズ」
「名前だってそうよ!私がエリザベスで、あなたがケヴィンで、ジークフリートで公爵夫人がフローラ様、公爵令嬢様がルクレツィア様!?ここは英国なのイタリアなのドイツなの、はっきりしてよ!言語体系はどうなっているのよ!」
「エリザベス」
ふいに先程よりも大きな声で名前を呼ばれ、リズはぴたりと口をつぐんだ。
常々思っていた、どうしようもない事まで吐き出してしまい、ヒートアップし過ぎたと反省する。
情けなく眉を八の字に下げて幼馴染を伺うと、気にするなというように肩を優しく叩かれた。
「落ち着いたか」
「ごめん、つい…」
ケヴィンの前では女子高生だった記憶を隠す必要がないため、ついつい口が緩んでしまう。
リズはシワもないのに意味なくスカートのヒダを手で伸ばして、恥ずかしさを誤魔化していた。
その手をケヴィンの大きな手が握ると、おもむろにひっくり返して手のひらに何かを握らせた。
「え?なに?ネックレス…?」
「人前に出るのだから必要だろう」
そっと銀色の鎖を持って掲げれば、花のモチーフに小さな赤い石のついた可愛らしい一品だった。
「可愛い…」
「そうか」
思わずもらした一言にケヴィンは緩く目を細めた。
「すごい可愛い。ねえケヴィン、これどうしたの?貰ったの?」
「買った」
「買ったって…これ、絶対いい値段するわよ!私たちくらいの子が買える値段じゃないわ!」
「今まで貯めてた分と、近所の手伝いでどうにかなった」
どうにかなる額にはとても見えない。
ここは少年の好意に甘えてにっこり笑って受け取るべきなのだろうけど、彼に無理をさせてしまったという気持ちが素直に受け取らせてくれない。
そもそもリズとケヴィンは幼馴染であって、こんな素敵なプレゼントを贈り合う仲ではないのだ。
揺れるネックレスがきらきら光を弾くのを見ながら、リズは恥ずかしくて嬉しくて気まずくて嬉しくて、どうしていいのかわからなくなった。
リズの耳に心臓の音がやけにうるさく響く。
「でもそんな人前に出ると言っても衣装はちゃんと用意される訳だし、私なんてちょこっと出るだけだし…」
「理由が必要か」
ケヴィンの真摯な瞳が真っ直ぐに向けられた。
少年も慣れない贈り物で気恥ずかしいのだろう、目元が少し赤くなっている。
「理由がなくてもお前に贈りたいと思った。それでは駄目か」
「駄目じゃないけど…」
「なら、受け取ってくれ」
「ありがとう…」
ぶっきらぼうに顔を逸らした少年は、珍しくはにかんで礼を言う少女の顔を見逃してしまった。
それでも彼は受け取ってもらえただけで満足だった。
今はまだ幼馴染から半歩抜け出すきっかけになりさえすればいいのだと。
これからゆっくり時間をかきて距離を詰めればいいと微かに笑みをこぼす。
昼下がりの陽光の中で少女の胸元を飾るネックレスが静かにきらめく。
二人の胸の内にもきらきらとした雫が溜まっていくようだった。
昼過ぎにケヴィンと別れてからリズは胸元に手を当てるのが癖になっていた。
壊したり汚れたりが怖いので服の下に隠してあるそれの花の形をそっとなぞる。
しっかり者のケヴィンが、思いつきだけで女の子に装飾品を贈るはずがないことを彼女はわかっていた。
これを贈るためにどんなに大変だったかと思うと首に触れる鎖が熱く感じる。
いつも恋の話に花を咲かせている友達たちに、なんて言おう。
しばらく秘密にしておこうか。
少年は贈る理由を語らなかったが、もし告げられたとしても今のリズには答えられなかったに違いない。
それを見越して言わなかったのは、リズの気持ちが追いつくまで待ってくれるという証だろうか。
再び店番をしながら、どこか夢心地でいたリズはそれでも金勘定だけは間違えなかった。
それはそれとして。
姉が戻ってくると入れ替わりに引っ込んだ弟に勢いよく抱きつく。
「弟よー!お姉ちゃんは初めて男の子からプレゼント貰っちゃったぞ!来月の式典に、だって!見て見て!超可愛いでしょ!」
「男ってどうせケヴィンからだろ。あーはいはい可愛い、可愛い。可愛いからあっち行って」
「対応が杜撰!あんたに見せびらかすくらいいいじゃない!ねーこれ、ケヴィンが自分で選んで買ったのかなあ。かってるところ想像するとちょっと可愛いよね」
「それ絶対本人の前で言うなよ…」
来月の収穫祭で自身の人生が一変する出来事があるとも知らずに、リズはこの日思う存分弟にうざ絡みしたのだった。