第四章 復讐
「ぶえっくしょい!」
優しそうな見た目とは裏腹にジェットが鬼のようなクシャミをする。
これでまともに戦えるパーティーのメンバーは、俺と秋留だけになってしまったという事か。
ここは船の医務室だ。目の前には見た目が海賊と全く変わらない船医がいる。顔中がヒゲで覆われているように見える。
「ううう……」
巨大タコとの戦闘で船が何度か揺れ、再び激しい船酔いに襲われたカリューが顔を青くして唸った。
「風邪と船酔いだな。薬渡すからとりあえず飲んどけ」
思いやりの欠片も見せない船医が、棚から適当な薬を取り出してジェットとカリューに渡す。
俺達は医務室を出ると、自分達の寝床に戻ってきた。
「ゾンビも風邪を引くんだな」
俺はボソッと呟いた。
俺はジェットと出会うまではゾンビという種族について全く理解していなかった。
まるで生身の人間のように食事をして睡眠を取る。そしてこうして病気にもかかる……。
もしかしたら、ジェットが特別なのかもしれない。
いや、特別なのはジェットを死人として復活させた秋留の力の方なのかもしれない。
そのジェットは氷枕に頭を乗っけて眠っている。
っていうか、熱とかあんのか?
「何となく、早く治りそうじゃん?」
俺の心を読んで秋留が言った。
そういえば、俺は心が読まれやすいのだろうか。自分では全く自覚はない。
「顔に出やすいんだよね、ブレイブは」
またしても俺の心を読んだ秋留が言う。最早、言葉がいらなくなりつつある。
こんなに簡単に顔に出てしまっては、盗賊という職業を少し考え直さないといけないか……。
「また少し荒れだしたかな?」
秋留が小さな窓から外を眺めながら言った。確かに船の揺れが激しくなってきたようだ。
ベッドで寝ている船揺れ探知機も苦しんでいる。
「風邪とかうつりそうだし、居心地悪いからまた甲板に出ないか?」
秋留が周りを見渡して頷く。
「確かにちょっと危険なウィルスとか混ざってるかも」
秋留がジェットを見てから足早に船室の扉を開けた。
いい加減、波の音も聞き飽きた。はじめは波の音は落ち着いて良い感じだと思っていた自分が憎い。
「どんな感じですか?」
近づいてきた船長に秋留が聞く。
船長がここに歩いてくるという事は、今船を操っているのはノニオーイという事だろう。
「船の損傷が少し激しくてなぁ……直しつつ進んでいるが、なにぶん負傷した船員も多くて……」
少し疲れ気味に船長が答える。
巨大タコの襲撃は想像以上に船全体にダメージを与えたようだ。
今思えば、我らがパーティーの半分は巨大タコの襲撃とは関係のないところで痛手を負っているように思えて情けない。
「何か手伝える事があるなら協力しますよ」
秋留が余計な事を言う。
まぁ、今の船の状況を考える限り冒険者の俺達がノンビリしている訳にもいかないだろう。
そろそろ食料が少なくなってきたという事を聞いて、俺達は二人で釣りをする事になった。俺達に出来るのはそれくらいなのだろう。
「釣れないね」
釣りを始めて三分後に秋留が言う。さすがにそんなに早くは釣れないんじゃないかな、と言おうとした矢先、秋留の竿が大きくしなる。
「おお! 早速来たああああ!」
秋留が勢い良く竿を引く。その先には人間の子供程の大きさもある虹色の魚が引っかかっている。
「お! レインボーフィッシュじゃないか。珍しい魚で背びれが特に旨いんだよ」
近くで作業をしていた船員が網を操り、針に掛かった魚を器用に捕獲しながら言った。
それを聞いて秋留も自慢そうに連れた魚を見た。しかし魚自体には触れないようだ。船員が網の中で暴れる魚を近くの生簀に放り込んだ。
「さ〜って、続きだ続きだ」
嬉しそうに秋留は再び釣りを始める。
あ〜、何か秋留とデートしてるみたいで幸せだ〜。
それから暫く釣りを続けていたが俺は全く釣れず。秋留はあの後、十六匹もの魚を釣り上げた。
「そろそろ引き上げようか?」
秋留が伸びをしながら言った。
その時、今まで沈黙を保っていた俺の釣竿が大きくしなった。今にも折れそうだ。
「うおおおお!」
俺は思いっきり竿を引く。海面へと流れている糸が左へ右へと大きく振られた。
「ブレイブ! 頑張れ!」
十分な釣果を上げた秋留が隣で応援してくれる。ここで男を見せる時が来たようだ。
俺は盗賊の能力を最大限に生かし全身で海中の魚の動きを捉えようとした。
糸の振動が身体全体に伝わってくる。
ここだ!
俺は思いっきり竿を引っ張った。手ごたえは十分だ。
ざぱぱ〜〜〜……。
俺の釣糸の先には巨大なタコの口が引っかかっていた。その両目は潰れている。
俺は先日倒したあの巨大タコの死骸を釣り上げてしまったようだ。
隣では秋留が大笑いしている……。
『ぷぷっ』
俺の耳にはノニオーイ達が遠くで笑っている声も聞こえた。
「まぁ食えるんじゃないのか?」
レインボーフィッシュの事を教えてくれた船員が言った。
数少ない船員達は巨大タコモンスターの死骸をタコの大きさに負けない程の大きな網で引き上げる。
夕食はタコづくしになるのだろうか。
「いっただっきま〜す」
その日の夕食。
俺達のテーブルの上には今まで以上に海の幸が並んでいる。
特に秋留が釣り上げたレインボーフィッシュの背びれの煮付けの味は格別だった。口の中でとろける感触がたまらない。
「今日はやたらとタコ料理が多いなぁ」
カリューがタコ焼きを口に頬張りながら愚痴る。熱そうにハフハフしている。
「身がプリプリしていて美味いですな」
ジェットがタコのマリネに舌鼓を打つ。
カリューもジェットも今食べているタコ料理が巨大タコモンスターだという事実は知らない。
俺もタコ飯を食べた。意外に美味い。
「後どれくらいで島に着くんだろうな」
カリューの頭に血管がピクピクしているのが見える。そろそろ限界に違いない。
「後二、三日ってところらしいよ」
俺達の後ろから、久しぶりのイザベラ軍団が登場する。
さすがに全員、顔色はあまり良くない。
その中でイザベラが抱いている子供は顔色も良くスヤスヤと寝息を立てていた。
「後少しの辛抱だ。頑張れよ」
クログローがぶっきらぼうに答える。やはりあまり好きになれない。
そのクログローは左腕を怪我したらしく白い布で腕を吊っている。
俺の視線に気付いたのかクログローは恥ずかしそうに言った。
「大きく船が揺れた時に倒れちまってな……情けない……」
いつもならここぞとばかりに嫌味を言ってやるのだが、情けなさで言ったら俺達のパーティーも負けていないため、つっこまない事にした。
「色々頑張ってもらっているみたいで感謝するわ」
イザベラ達のテーブルにも料理が運ばれてきた。タコづくしに少し顔が引きつったように見える。
「リュウ君も静かに寝ているみたいですね」
俺には見せない笑顔で秋留がリュウに語りかけた。思わず嫉妬した眼でリュウを睨んだ自分を戒める。
「何やってんだ?」
自分の頭をポカポカ殴っているとカリューに止められた。目の前では秋留が俺のやっていた事を理解していたかのように白い眼で見つめている。
「はぁ〜……」
秋留がため息をつく。いや、ため息つかれると少し傷つくぞ……。
俺達はイザベラ達と適当に話しをすると、一日を終えるため自分達の部屋へと帰った。
「じゃ、俺は寝る……」
最近めっきり体力の無くなったカリューがベッドに倒れこむ。
「へ〜っくしょい!」
ジェットも鼻をかみながらベッドに横になった。
その額に秋留が濡れタオルを乗せる。俺も病気になったら秋留に看病してもらえるのだろうか。
「すまんのぉ……」
ジェットが秋留に言う。
この光景を見ていると、昔の物語にあるような「金がないなら娘は貰っていくぜ〜げっへっへ〜」という展開を想像せずにはいられない。
「はぁ〜」
俺と秋留は暫くお互いのベッドに横になっていたが、秋留のため息がまたしても聞こえた。俺、何かしたか?「げっへっへ〜」とか考えていたのがバレたか?
「どうした?」
他の死んでる奴らを起こさないように小声でさりげなく聞いた。
「今、戦闘になったら少し危ないかもね」
秋留も小声で答える。
確かに秋留の言う通りだ。俺達だけではなく負傷している船員達も多い。唯一無事なのはノニオーイ達のパーティーだけだ。
次に巨大生物に襲われたらどうなってしまうのだろうか。以前襲ってきた海賊もあれで諦めたとは思えない。やつらにとってみれば、久しぶりの獲物のはずだから……。
「海賊だ〜!」
考え事をしているうちにいつの間にか寝ていたようだ。突然の声に向かいのベッドで寝ていた秋留も眼を覚ます。
一階で寝ているジェットとカリューも調子の悪そうな呻き声を上げながら起き上がったようだ。
俺達は素早く装備を整えると、船室を出て甲板へと走った。体調の良くないカリューとジェットはフラフラと遅れてやって来る。
「この前のやつらか?」
俺は甲板で望遠鏡を覗いている船長に向かって聞いた。船長は静かに頷く。
「前回と比べると状況が悪すぎる。傷ついた船員も多いが、船へのダメージが大きくてスピードが出ない……」
船長の歯軋りが聞こえてくるようだ。
俺は舵を取っているノニオーイの方を振り向いた。奴も真剣に舵を握っている。残念ながら船での攻防は奴に任せるしかない。
しかしノニオーイの操船もむなしく、三隻の海賊船は俺達の船を囲うように展開していっている。
秋留の魔法やこちらからの大砲を警戒してか距離をあけながら……。奴らも馬鹿ではないようだ。
「何かないのか? 一時的に爆発的なスピードが出たり空を飛んだり出来るような仕組みとか……」
俺の台詞にノニオーイが俺の方を見もせずに「へっ」と笑った。くやしい。しかし、そんな仕組みはないという事も解っていた。
少し離れた場所から巨大な鳥類の羽ばたきが聞こえてくる。恐らく他の奴らには聞こえていないに違いない。
俺は周りを見渡した。
俺達の船の右後方に展開していた黒船に、人間二人程の高さがある鳥類が羽ばたいているのが見える。
「秋留、見えるか?」
俺の視線を追って、秋留も右後方の船を見つめる。その顔が少し引きつった。
「スペルワイバーン……」
秋留が震えた声で呟く。スペルワイバーンというモンスターは聞いたことも無いが秋留の反応を見ると厄介な相手だということが分かる。
「黒魔法を唱える事が出来る竜型のモンスターじゃな……」
もともと白い顔が風邪で青くなったジェットが死にそうな声で言う。いや死んでるんだけど……。ジェットは生前は大陸各地を回り魔族やモンスターと戦っていたため、俺達が知らない事を知っていたりする事が多い。
「とりあえず近づいてくるぞ! 魔法で迎撃出来ないのか?」
俺はネカーとネマーを構えながら秋留に言った。
秋留が残念無念そうに首を横に振る。
「あいつに魔法は効かないの……それでいて黒魔法を唱えてくるっていうムカツクモンスターだよ」
秋留の顔色が変わった理由が分かった。
そもそも一般的に魔法の効かないモンスターは魔法を唱えてくる奴はいない。
つまり物理攻撃が有効だったりするのだが……。魔法を唱えてくるとなると物理攻撃を仕掛けるために突っ込む訳にもいかない。
そのスペルワイバーンの口が大きく膨らんだ。何か吐いてくるに違いない。
秋留は船を守るようにワイバーンの前に立ち、防御呪文を唱え始めた。
「精霊達の楽園を守りし風の門は、何人も通さぬ無敵の防壁」
秋留の詠唱と共に回りに風が巻き起こる。
「ヴィントヴァント!」
ワイバーンが炎を吐き出したのと秋留が魔法を唱えたのはほぼ同時だった。
秋留が唱えた魔法により船の後方に大きく風の壁が作られたのが見える。
その風の壁にワイバーンの吐き出した炎の玉が弾き飛ばされた。
「きゃあっ!」
秋留が甲板の中央まで吹き飛んだ。その衝撃を背中の生きたマント、ブラドーが吸収する。しかし秋留の身に着けていた新緑の鎧が大きく切り裂かれていた。
どうやらワイバーンは炎の玉を吐きながら突っ込んできたらしい。
そのワイバーンが俺達の後ろにあったメインマストを切り裂いて後方へと飛んでいった。
「すぐに修理しろ! 海賊船に追いつかれるぞ!」
船長が船員達に指示する。
しかし作業を行える船員達の数が圧倒的に少なすぎる。
その時、今度は左後方の海賊船から海の中を凄い勢いで近づいてくる何かの存在に、俺は気付いた。
鞄に手を突っ込んで、頼りになる小型爆弾を着水しない様に調整して相手に投げつける。
派手な爆発が海面すれすれで起こるのと同時に大量の水しぶきが上がった。やったか?
だが海中から人間を丸呑みする事が出来そうな巨大な魚が姿を現した。その右半分位にダメージを負っている。
巨大な魚の眼が俺を睨みつけた。
俺は危険を察知して素早く左回転をして木箱に隠れる。俺がいた場所の甲板が吹き飛んだ。
奴の口から凄い勢いで発射された水の弾丸の威力だ。
船の前方で炎が上がった。どうやらワイバーンが暴れているらしい。カリューとジェットの病人ペアがフラフラしながらも船の先端に向かう。
メインマストの柱の後ろには、秋留がダメージを受けた肩の辺りに手を当てて様子を窺っている。
「奴ら、奇襲には慣れているみたいだね」
秋留が息を整えつつ言う。まぁ奇襲と言えば海賊の十八番と言ってもいいかもしれない。
頭上に不気味な音を聞いた俺は咄嗟にネカーとネマーを連射する。
真ん中の海賊船からぶっ放された大砲が俺達の頭上で派手に爆発した。
「危ねえじゃねえか! 馬鹿野郎!」
舵を握っていたノニオーイが叫ぶ。確かに今の攻撃は当たっていたら致命的なダメージを受けていたかもしれない。しかし叫んでも相手は手を緩めてくれるわけじゃないぞ。
「そろそろ魔法が届くかな……」
秋留は俺に言いながら再び船の後方に立つ。俺も秋留をサポートするために一緒に後方へと向かう。左手にはネマー、右手には小型爆弾を持っている。ちなみに今までお世話になった小型爆弾はコレで最後だ。
「業火の身体を持ち 煉獄の心を抱く者よ」
秋留の呪文の詠唱に気づいたのか、海中から魚モンスターが突然現れた。俺は左手のネマーを連射する。
俺達と同じくらいの目線までジャンプした魚モンスターは、発射した硬貨の弾丸を器用に身体をひねってかわした。
魚モンスターの身体が縦になる。そのせいで的が小さくなった。魚モンスターもそれを狙っていたらしく、今にも口から水の弾丸が発射されそうだ。
「残念!」
俺の腕をそこら辺にいる狙撃手と一緒にしないでくれ、という気持ちを込めて言った。
俺は慎重にネマーを連射した。
全弾命中して魚の頭部が木っ端微塵に吹き飛んだ。
「烈火の眼差しを知らぬ哀れな者達を汝の瞳で貫け」
目の前でモンスターの頭部が吹き飛ぶというショッキングなシーンを見ても、秋留は動揺一つしない。そこが一般の女性と秋留という女神の違いかもしれない。
「コロナレーザー!」
秋留が両手で持つ杖から、真っ赤な光線が後方正面の海賊船にぶち当たる。俺の耳には慌てる悪海賊達の心地よい声が聞こえてきた。
あっという間に魔法を食らった船が燃え上がった。まずは一隻撃破か。
その様子を見たはずの他の二隻の海賊船は怯まない。普通仲間の船が一撃で破壊されたら少しくらいビビッても良いはずだが。
「ぎゃおおおん!」
前方で暴れていたはずのワイバーンが俺達の頭上を通り過ぎた。
その勢い良く上空を飛び回るワイバーンの背中には何とカリューがしがみついている。
「あいつ、乗り物に弱いくせに無茶するなぁ」
俺は言ったが、改めてカリューの凄まじさに驚いた。
カリューはワイバーンの背中に剣を突き刺したまま、その手を離さずにワイバーンに乗っているのだ。
怯むことなく両手で持つ剣に力を込めている。
カリューの持つ剣の魔力の影響でワイバーンの身体が燃え始めた。
カリューは雄叫びと共に剣に一層に力を込めた。
「ワオオオオン!」
ワイバーンが悲痛な叫び声を上げる。カリューの剣がワイバーンの身体を貫いた。
ワイバーンは断末魔の叫びと共に海へ墜落した。
背中に乗るカリューと共に……。
海中に消える瞬間、カリューの「しまった!」という顔を見た気がした。あいつやっぱりアホだな。後のことを何も考えてない。これでまた風邪患者が増える事になりそうだ。
「さて、あと二隻いるけど……」
秋留は何事も無かったかのように話を続けた。モンスターも倒し終わったジェットが隣に来た。若干焦げている。
「あっちも近づくと私の魔法食らうかもしれないし、こっちは逃げ切りたい……」
秋留は考えながら言った。
「という事は切り札を使う時が来たみたいだね」
切り札? 秋留はこういう状況を予想して切り札を用意していたのだろうか。
「切り札? それは一体何だ?」
真後ろからショットガンを構えたガロンが姿を現した。その銃口が俺達に向けられている気がする。
「え? あんた達が切り札を隠し持ってるんじゃないかなぁ〜と思ってね」
秋留が慌てて言った。
ガロンのタバコをくわえた口がニヤリと笑う。
「ああ、あるぜ……切り札……」
そう言い残すとガロンは船の後方に向かって歩いていった。海賊船二隻を見渡す。
「大砲なんかぶっ放すから沈没するはめになるんだぜ……」
ぷっとタバコを海に吐き出し、ガロンは新しいタバコに火をつけた。
「お前ら結構やるよな」
次はラムズが船の前方から歩いてきた。その肩にはタトールが乗っかっている。
「大砲は浸水が酷くて全部使い物にならなくなっていたぞ」
ラムズは衝撃的な告白をする。
いよいよ海賊船との対決が不利になっていっているようだ。
そういえば後は出現率が低い染次郎が揃うとノニオーイパーティーが集合することになるな。
「いたっ! 押さないでよ!」
船室へと続く階段の方からイザベラの声が聞こえてきた。甲板に上って来たイザベラの背中には刀が突きつけられている。
俺は咄嗟にネカーとネマーを構えた。
「動かない事だな」
いつの間にか近くにノニオーイが近づいてきていた。こいつらは盗賊と一緒で気配を消すのが上手い。俺は今後、盗賊や海賊と仕事をするのは止めようと思った。
それにしてもノニオーイが言った「動くな」とはどういう意味だったのだろうか。
俺は船室へと続く階段に視線を戻した。イザベラの背中に刀を当てているのは染次郎だ。
「どういうつもりっ?」
俺が叫び切る前に背中を何者かに殴られる。一瞬息が止まった。
「うるせえぞ!」
ノニオーイの邪悪な声が聞こえた……邪悪?
俺の後ろにいるのは、今や邪悪な雰囲気を全身から発しているノニオーイだ。
何だ?
何がどうなったんだ?
気付くとイザベラ達三人が染次郎に連れられて俺達の隣までやって来ていた。
「大丈夫ですか?」
イザベラの旦那であるリーに起こされた。
俺は状況を把握しようと周りを見渡す。いつの間にかまともに立っているのは俺達だけになっていた。船員達は至る所で倒されており、船長までもが甲板の端で伸びている。先程のモンスターとの戦闘で全員倒されてしまったのだろうか。
「全員、眠ってもらったよ」
ラムズが俺の視線に気づいて説明してくれた。段々と状況が飲み込めてきたぞ。
俺は更に視線を彷徨わせ、衝撃を受けた。
染次郎の腕にはイザベラとリーの子供であるリュウが乱暴に抱かれている。状況を理解していないらしく、仕切りに染次郎の髪の毛を掴もうとハシャいでいる。
そういう事か。
さすがに子供を人質に取られたら手も足も出ない。俺達が未熟だった。「任せて」と豪語していた秋留の方を見ると意外に冷静な顔をしている。秋留の事だから必死に策を考えているに違いない。
誰も舵を操っていない船はただ海の上を漂っていた。
二隻の海賊船がもう間近に迫ってきている。
俺の眼には船に乗っている海賊達の邪悪そうな顔が一つ一つ確認出来た。久しぶりの獲物に心が躍っているようだ。中には秋留の事をイヤラシイ眼つきで見ている海賊もいる。俺は思わずネカーとネマーをぶっ放してしまいそうになって踏みとどまった。
「お主等の目的は何かな?」
ジェットが冷静に言った。確かにこのままでは海賊船に追いつかれてしまう。
「あ〜あ、ちったぁ、自分らの少ない脳みそで考えてみろや!」
今までのノニオーイの口調とは明らかに違う。
ちなみにジェットの頭の中に本当に脳みそがあるのかどうかは疑わしい。とクダラナイ事を考えている場合ではなかった。
俺は暫く考え、混乱して何も考えられない事に気づき、頭脳の女神である秋留を見る。
「貴方達だったのね。この辺の海域で悪さをしている海賊っていうのは」
秋留は言った。
確かにそうだ。言われてみればその通りかもしれない。俺は少し冷静になって考えてみる事にした。
まず荒波の中をイザベラ達が出航しようとする。
腕の良い海賊を雇うのは当然だろう。
レベル測定大会で活躍した冒険者をイザベラがスカウトして俺達が雇われた。
そして出航。
何日か後に海賊に一度目の襲撃を受ける。こちらは揺れる船のせいで襲ってくる海賊団を沈める事が出来なかった。それはノニオーイの操船の悪さだと思っていたが、仮に仲間の船を守るためだとしたら……。
そういえば巨大なタコモンスターに襲われた時はノニオーイは揺れる船を見事に操作していた。
次々に今までの疑問が解明されていく。
まてよ……。
「それじゃあ、海賊船の三隻のうち一隻が沈められたのはどういう事だ? お前の操船で的を外せば良かったんじゃないのか?」
ノニオーイは声だけではなく顔まで別人に変わりつつある事に俺は気づいた。
俺の質問にノニオーイは鬼のような顔で答える。
「後先考えずに大砲をぶっ放したからだ。海賊は頭の悪い奴ばかりで困るよ、全く……」
自分の思い通りに動かなかったから沈めさせた?
俺は改めてノニオーイの邪悪さを思い知らされた。
「と、そろそろ馬鹿だが力や残忍さは人一倍強い、仲間達の御到着だ……」
ノニオーイが近づいてきた二隻の海賊船の方に向かって歩く。
それと同時に歓声が巻き起こる。
『ノニオーイ船長、バンザーイ!』
海賊達が一斉に叫ぶ。
ノニオーイは軽く手を上げた。
頭のキレる海賊船長のノニオーイが、餌を求めて陸に上がってきて獲物を海におびき寄せたんだ。まるで熱帯に生息するワニの様に。そして雑魚海賊共は集団で襲ってくるピラニアか。
『ノニオーイ船長! ノニオーイ船長!』
「ヘソ万歳! ヘソ万歳!」
一瞬、ノニオーイの顔が悪魔のように豹変した。
ノニオーイは腰に隠し持っていた銃で「ヘソ万歳!」と叫んだ海賊の頭に風穴を開けた。
一瞬にして海賊達が静かになる。
「お前ら、あんまりハシャギ過ぎて大事な事を色々忘れるんじゃねえぞ!」
ノニオーイは銃を腰に戻すと俺達の方に振り返った。
「さて、状況はもう飲み込めたかな? 俺達がお前らの荷物を頂くまで動くなよ……」
ノニオーイはそう言いながらサーベルをスラリと抜き、染次郎が抱いていたリュウの頬に刃を当てる。
リュウの眼が点になる。
「リュウ!」
イザベラが叫んで走り出そうとする。その手をリーが掴んだ。
「待つんだ! 今行ったらリュウが余計に危なくなるだけだ!」
普段は大人しそうなリーが眼を見開き叫んだ。その眼は力強い。
「そうそう、動くなよ」
ノニオーイがサーベルを構えたまま歩く。そのまま甲板の端にあるベンチに腰をかけた。
「この船は商人の船だ! お宝が沢山あるだろうから、遠慮せずに奪い尽くせ!」
ノニオーイの叫び声と共に海賊達が雄叫びを挙げる。今、正に俺達の船に乗り込もうとした時……何と秋留がトコトコと雪崩れ込もうとする海賊達の目の前に躍り出た。
秋留の予想外の行動にその場にいる全員の行動が固まる。
「あんた達、随分罪のない人々を殺めたみたいだね……」
秋留が声のトーンが下がっている。
これは秋留がネクロマンシーを使おうとしている前兆だ。秋留は今は幻想士だが過去に色々な職業に就いた事がある。ネクロマンサーになった経験のお陰で、ジェットもゾンビ稼業を営んでいられる。
「沢山見えるよ、あんた達に恨みを持った人たちの怨念が……」
そう言うと秋留はブツブツと魔法を唱え始めた。
ネクロマンシーの詠唱は何を言っているのかは分からない。
「ソウル・ハーデン・パニック!」
秋留が低い不気味な声で叫ぶ。
辺りの空気が一気に悪くなったと思うと、今まで見えていなかった何者かの存在が現れだした。
ある者は苦痛に歪んだ顔をし、ある者はこれから始まる晩餐に歓喜の顔をしている。しかしどの顔もこの世のものではない、まさしく悪霊……。
『ぎゃあああああ!』
『うああああああ!』
二隻の海賊船から呻き声が一斉に聞こえ始めた。
その声は肉体的に攻撃をされた時の声ではない。何かが壊れるような不気味な断末魔。
「みんな、私の近くに来て。巻き添えくらうよ」
秋留が言った。
俺達は無言で秋留に近寄る。さすがに怖い。
「あ、ジェットは大丈夫だよ」
死人のジェットには悪霊は襲ってこないという事か。ある意味同類だしな。ジェットが悲しそうに少し離れた所に立った。
「ソウル・ハーデン・パニックっていう術は、近くにいる霊達の想いを強くする効果があるの。彷徨う霊がマイナス方向の想いを持っていれば……こういう結果になるの。ただし制御不可能〜」
秋留が可愛いけど物凄く怖い事を言って近づいてきた悪霊を手で払った。秋留の手に払われて、恐怖に歪んだ顔をした霊は消える。
「ごめんね、成仏してね」
秋留が小さい声で呟いたのが聞こえた。
ネクロマンサーは死者を操る魔法。マイナスイメージが多いために俺はあまり好きになれないが、秋留がネクロマンサーの術を使っているなら好きになれそうだ。
「てめえ!」
空気が震える程の声でノニオーイが叫んだ。
右手にはサーベル、左手にはリュウの小さい身体を掴んで掲げている。今にも刺してしまいそうだ。俺は咄嗟にネカーとネマーを構える。
「動くんじゃねえ!」
サーベルがリュウの左頬に軽く刺さる。あいつめ許せない!
それにしてもリュウはあんな状態でも泣き喚いたりしない。そればかりか頬に刺さった傷から血さえ出ない。……えっ?
俺が気づいたタイミングでノニオーイも気づいたようだ。
「な、何だコレは……どうなってるんだ?」
今まで強気だったノニオーイがうろたえた。
そのウロタエっぷりを見て、秋留が小悪魔のような危険な笑みを浮かべながらノニオーイに近づく。ノニオーイ達パーティーのメンバーも呆気に取られていた。
「ところであんた達、ミガワリンって知ってる?」
ノニオーイ達は揃って素直に首を横に振る。
ノニオーイ達のパーティーの周りでは海賊達が絶叫しながら海に落ちたり、その場に倒れたりしている。その地獄絵図の状況に少しビビッているのかもしれない。
「ちょっとした魔力を込めれば、その人の思うように形を変える不思議な水……」
それを聞いたノニオーイは左手に掴んでいたリュウだと思っていた物体を見つめる。リュウだと思っていたソレがニヤリと笑った。
「そ、そのミガワリンは動く事も出来るのか?」
俺は半ば放心状態のノニオーイに変わって質問した。
「普通じゃ動かないんだけど、私はちょっと応用して、近くにいた女の子の幽霊を乗り移らせたの」
それもネクロマンサーの力という訳か。
巨大タコと戦闘している時にイザベラ達の場所へ安全確認に行っていたな。その時にちょっとした小細工をした訳か。確かあの時は染次郎も戦闘に加わっていたからな……。神出鬼没の染次郎に見られずに済むタイミングを逃さなかったという訳か。
俺は心から秋留の戦略家っぷりに感動した。やはり俺達パーティーの頭脳は桁外れだ。
「ちなみにその子もあんた達に恨みを持っていたみたいだよ」
秋留の台詞の直後、ノニオーイの抱えていたリュウの形が崩れた。ただの水に戻ってノニオーイの身体を塗らした。恐怖のためかノニオーイは「ひいっ」と小さな声を上げた。
ノニオーイ達パーティーの周りをミガワリンに宿っていた女の子の幽霊が楽しそうに飛び回る。
暫くノニオーイ達を弄んだあと、満足した様に女の子が秋留の目の前までやって来た。
「……ありがとう、おねえちゃん……あたし満足出来たよ……」
女の子の幽霊が秋留に霊、じゃなくて礼を言っているのが口の動きで分かった。
きっと秋留には声自体も聞こえているに違いないが、ネクロマンサーの力の無い俺達には何を言っているのか聞こえはしない。
「じゃあね。天国でお父さん達と仲良くね」
秋留は女の子に手を振った。
目の前で女の子の幽霊が幸せそうに姿を消した。
「うがあああ!」
ノニオーイが叫び、両手に構えた大量のナイフを俺達に投げつけた。
俺、秋留、ジェットはイザベラ達の前に立ちはだかり、それぞれの武器や防具でナイフを弾いた。
取り乱しているノニオーイのナイフは威力も命中力も大分下がっている。
「てめえら、許さねえぞ……」
ノニオーイの趣味の悪いサングラスは床に落ちて潰れていた。先程の女の子の幽霊に翻弄された時に慌てて落としたのだろう。
「誰の命でも奪うような奴こそ許せない!」
秋留が叫ぶ。
その意見には勿論賛成だ。
俺とジェットは武器を構えて秋留の両側に並ぶ。
「初めから余計な策は練るんじゃなかったな……」
ノニオーイが静かに言った。その身体からは黒いオーラが見える気がする。
「お前らも動ける奴は攻撃を仕掛けろ! 動けない奴は俺が殺してやる!」
ノニオーイは倒れている海賊達に向かって容赦ない台詞を吐く。
放心状態だった何十人かの海賊達が俺達の周りを取り囲む。状況はあまり良くなったとは言えないが、人質がいない分思う存分戦う事が出来る。
そういえば本物のリュウはどこにいったのだろうか。秋留の事だ。安全な場所に隠したに違いない。
海賊一団との戦闘が始まった。その数およそ三十人。
「そうそう……」
ノニオーイが思い出すように言った。
「染次郎……」
「はっ」
ノニオーイの呼びかけにすぐ傍にいた染次郎が返事をする。
「お前は消えろ! 二度も失敗しやがって!」
ノニオーイはそう言うと、染次郎を突き飛ばした。なぜか俺達が後ろめたい気持ちがするのは気のせいだろうか。
染次郎は俺達を一度睨むと、スッと消えた。
暫くの沈黙。
何か後味悪いんですけど。
その沈黙を破るかのように秋留が一歩前へと出て杖をかざした。
秋留が魔法を唱え始めると、俺とジェットは秋留を援護するために近づいてくる海賊を迎撃する。
俺はネカーとネマーで海賊その一の頭を吹っ飛ばす。俺の容赦のない攻撃に海賊の一部が一瞬立ち止まった。隣ではジェットが「人を殺すのは嫌いなんでは?」という眼で見ている。
基本的に俺は人殺しはしない。
この世の中、凶暴なのはモンスターや魔族だけではない。同じ人間でも危険な奴は沢山いる。
そいつらとの戦闘を考慮した法律もこの世界には存在する。その法律では、殺されると思った時は構わず迎え撃て、という事が書かれている。詳しいことは知らない。
後日、殺された者の関係者に訴えられた場合は治安維持局により詳しく調査される事になる。
この法律は要するに、悪人を殺しても関係者から訴えられる事はないだろう、という事を前提に作られているのだ。
それでも俺は人殺しはしたくない。
似たような姿形をした魔族を倒すのもあまり気が進まない。こんな性格では冒険者に向かないと言われたこともあるが、俺は今もこうして冒険を続けている。
俺が今持っている銃に詰まっている硬貨はいつもの千カリム硬貨ではない。一昔前まで使われていた百カリムの石製の硬貨だ。
今は百カリム以下は紙幣になっているため、俺は今まで人との戦闘では苦労していた。千カリム硬貨は銅製のため威力は抜群なのだ。
しかしこの石硬貨なら相手は運が良ければ死なない。俺は相手の力量までは気にするつもりはないから、この石硬貨なら思う存分ぶっ放す事が出来る。
「うがっ」
「うごっ」
俺の的確な射撃で石硬貨が海賊達の脳天に直撃する。
その時、背後で「ガチャン」という音を聞いた。俺は慌てて上空に飛ぶ。
足元で床が破裂した。
上空で身体を捻ると、予想通りガロンが銃を構えてニヤけていた。
「俺の石の散弾銃を真似しやがったな……」
確かにノニオーイ達のパーティーとレベル測定大会が終わった会場で対決した時に、ガロンが石の弾丸を使用していたのをヒントにしている。その後、港町の骨董品屋を回ってこの石の硬貨を発見したのだ。
俺は着地と同時にネカーとネマーでガロンを撃つ。しかし軌道を読んでいたのかガロンは難なくかわしてショットガンをぶっ放してきた。
「くっ!」
俺は慌てて避ける。
貴重な飛竜の羽で作られているコートの端が吹っ飛ぶ。これ高価なんだぞ〜!
近距離ではガロンのショットガンには敵わない。俺は後方に飛んで間合いを空けた。
「ひょ〜!」
俺の真後ろから雑魚海賊が襲いかかってきた。右手のネカーをホルスターに戻し、腰の黒い短剣で雑魚海賊の手首を切る。その動作はまばたきをする時間よりも短い。
「頑張って止血しないと死ぬぞ」
俺は更に後方に飛びながら手首から血を噴出している海賊に向かって言った。
しつこくついて来るガロンが再びショットガンをぶっ放す。近くにいた海賊の陰に隠れて広がる銃弾を避ける。ガロンは俺と違い今日は石の弾など使用していないため、俺が盾にした海賊は叫び声と共に絶命した。
「てめえみたいな甘い考えの奴に、俺を倒す事は出来ないぞ」
ガロンが俺を追いかけながら言った。
確かにこんな戦い方では効率は悪いかもしれないが、ある意味、俺から直接的な攻撃をしない分相手にとっては戦い難いに違いない。
俺はガロンや他の海賊の攻撃を避けながら周りの状況を確認する。
秋留が避けながら呪文の詠唱をして雑魚海賊達を燃やしていく。耐えられなくなった海賊達は海へと飛び込む。秋留も人殺しはあまり好きではない。
一方、チェンバー大陸の英雄と言われていた聖騎士のジェットは紳士的な戦闘をしているが、襲ってくる敵は容赦なく切り倒していた。やはり俺や秋留より戦い慣れしているのは確かだ。
今はあの世とこの世の境界線を彷徨っているかもしれないカリューは、悪人に対しては容赦はない。ジェットとは違いすすんで敵に突っ込んで行く。
「俺も混ぜろや」
突然俺の隣にノニオーイが出現した。その拳が俺の左顔面にクリーンヒットする。
俺は痛みを堪えてネマーをぶっ放したが、そこにノニオーイの姿は既にない。次は俺の反対側にノニオーイが出現した。無意識のうちに右手に持っていた短剣を振った。
「うおっ」
ノニオーイが驚きと共に仰け反る。ノニオーイの着ている真っ白なスーツが横に切れた。
「俺の動きについてくるとはな」
そう言うとノニオーイは間合いを取ってナイフを二本投げてきた。既に気分は落ち着いたらしくナイフが的確に飛んでくる。
それをかわしたところへガロンのショットガンが火を噴いた。
「うああっ」
何とか横回転して避けたが散弾の何発かが俺の左足にヒットした。回転しながらコートの内側から小さなナイフを取り出してガロンに投げつける。しかし大きめの銃身で防がれた。
「足に食らったようだな。この先避けられるかな〜」
ノニオーイがフラッと近づいてきたと思うとサーベルで俺に突きを食らわしてきた。左足にダメージを負ったために体勢を崩して運よくサーベルの突きを避けることが出来た。
その崩した体勢のまま右手の短剣でサーベルを払う。高い金属音と共にノニオーイのサーベルが折れた。
「ほう……」
折れたサーベルを一瞬見た後、ノニオーイは俺の腹を蹴り上げた。海への落下を防いでいる船の鉄柵に背中を強打する。
ノニオーイの更なる蹴りを身体を捻って避けた。ノニオーイの蹴りが鉄柵を揺らす。
「ジ・エンドか?」
身体を捻ったところにガロンがショットガンを構えていた。ヤバイ!
俺の目の前で鈍い音と共にガロンの身体が突然宙を舞った。
「がるるるるる……」
全身をズブ濡れにしたカリューが俺の隣に立っていた。その眼は凶悪そのものだ。睨みつけるだけで弱い奴なら倒せるんじゃないだろうか。
カリューは獣のように四本の手足で床を蹴り、ガロンに追撃を放つ。ガロンは顔面を押さえながらカリューの攻撃をかわす。海から上がったばかりのカリューの拳はガロンの顔を直撃したようだ。
「んじゃあ、一対一と行くか……」
ノニオーイが近くに転がっていた雑魚海賊が握っていたサーベルを拾った。
左足のダメージが深刻だ。このまま戦闘したら勝てる可能性は低い。俺は素早くネカーとネマーを両手に構えてノニオーイにぶっ放す。先手必勝だ。
しかしノニオーイの姿は見えない。
でも俺は避けられる事を予想していた。ノニオーイのいた空間の方に向かって素早くダッシュし始める。
俺の後方でノニオーイのサーベルが宙を切り裂いた音が聞こえた。やはり真後ろに移動していたか。後方を確認せずにネカーとネマーをぶっ放す。
「うおっ!」
ノニオーイが驚きの声を上げた。しかしサーベルで硬貨が弾かれた音が聞こえた。仕留められなかったか。
俺は止まる事なく、そのまま走り続けた。
眼の端にはイザベラとリーが雑魚海賊達と戦っている姿が映った。片手で鞭を操るイザベラと体術が半端ではないリーは、とてもじゃないがタダの商人とは言えない。俺達よりレベルが高いのではないだろうか。
「よそ見してると危ない、ぜっ!」
「ぜっ」でノニオーイがナイフを投げつけてくる。俺は気配を察知して左に避けた。
「ちっ、やりにくいぜ〜」
ノニオーイの声に怒りが大分混じっているのが分かる。俺は距離を保ちつつ時々機を狙って短剣を投げつけたがあまり効果はない。そろそろ大丈夫か。
俺は勢いよく振り向くと同時に黒い短剣でノニオーイに襲い掛かる。
黒い短剣の一撃目でノニオーイのショボいサーベルが再び折れた。この短剣、実は結構な切れ味をしている気がする。
ノニオーイは怯まずに蹴りを繰り出そうとする。俺はそれをノニオーイに突っ込みながら避けて短剣を突き出した。
「ぬうっ!」
ノニオーイが距離を取る。俺は短剣から両手に銃を持ち替えて距離を取ったノニオーイに硬貨を乱射する。
ノニオーイはギリギリのタイミングで硬貨を避けたが、そのうちの三発がそれぞれ左肩、脇腹、右太腿に直撃した。
突然、大量の水と共に俺の身体がノニオーイから更に離れた所に流された。流されながらアチコチに身体をぶつける。
「だ、大丈夫でした?」
ノニオーイの隣にはラムズが寄り添っていた。ラムズの頭の上にはカメのタトールが乗っかっている。
そうか。
さっきから横槍が多いと思ったら、ノニオーイは悪海賊団の船長だったか。船長を守るためにやたらと手下が俺を攻撃してくる。今も俺の背後から近づいてきた雑魚海賊を裏拳で殴り倒したところだ。非戦闘員である俺的にはあまりボスとは戦闘したくないのだが……。
「べちゃ、べちゃ……」
その時、海から不気味な音を発して近づいてくる何者かの気配を感じた。
「シーさん、よく来てくれたね」
ラムズが海から上がってきた半魚人に向かって話しかける。その半魚人は全身水色をしており、身体の至る所に大小様々なヒレがついている。それにしてもシーさんとは……。
「ラムズだったのね……鳥モンスターや魚モンスターを操っていたのは」
向こう側から秋留が現れた。
どうやら雑魚海賊達は大方片付いたようだ。それより秋留が今言った台詞。つまり三隻の海賊船から襲ってきたモンスター達はラムズが操っていたという事か。
「俺はモンスター使いの素質もあるんだ。悪かったね……」
悪かったね、と言いながらラムズは秋留に向かって攻撃を仕掛ける。あいつもやる時はやる奴らしい、と関心している場合ではない。
「貴様の相手は俺だ!」
ノニオーイが真っ白なスーツを脱ぎ捨て叫ぶ。
身体中にナイフがぶら下がっている。あまり動くと自分の身体に刺さりそうなくらいだ。
「お前、逃げながら自分で回復してただろ?」
ノニオーイがシャツのポケットから瓶を取り出して飲み干した。その間に攻撃も出来たが、なぜか身体が動かなかった。とてつもない恐怖を感じる。
「服の内側から水製の回復薬を足の怪我に流したんだ……。お前も今の飲み薬で完全回復か?」
俺は冷静を装って答えた。
しかしノニオーイから漂ってくる恐怖感だけは消えない。
「回復? 俺は回復なんかしない。その傷を見て相手への復讐を常に忘れないようにしている……」
アホか。
とんでもなく危険な奴だったらしい。俺はネカーとネマーを握りなおした。
「今飲んだのはただの酒だ。喉が少し渇いたんでな」
ノニオーイが再び襲い掛かってくる。
俺は両銃で迎え撃ったが全て避けられた。ノニオーイの動きが先程までとは全然違う。なぜか捕らえられそうに無い。気づいたらノニオーイの蹴りが顔面に迫ってきていた。上体を反らしつつ再び銃をぶっ放したが、今度は後方から背中に蹴りを食らった。
そのまま踏ん張らずに俺は前転をしつつ後方に銃を構えた。
「はあっ」
真横からのノニオーイの蹴りが俺のネカーとネマーを上空に弾き飛ばした。そのノニオーイの蹴りがそのまま俺の顔面を捉える。ちょっと仲間に助けを求めたい気持ちになってきた。
俺は腰から黒い短剣を取り出し、ノニオーイに攻撃を仕掛ける。その途端にノニオーイは距離を開けてナイフを投げてくる。
無意識のうちに持っていた短剣で全てのナイフを弾き落とす。そのうちの一本がノニオーイの肩に刺さった。
「短剣の腕は結構なもののようだな。銃はまだまだだ。」
ノニオーイが失礼な評価をする。
俺は短剣などほとんど使うことは出来ない。今のはたまたまだ。しかし間違っても口には出さない。
ノニオーイは肩に刺さったナイフを捨てて、腿に下げていた大きめの銃を構える。
「銃の腕は俺の方が上かな?」
ノニオーイは何のモーションも無く銃をぶっ放した。一瞬避けるのが遅かったら脳みそをぶちまけていたところだ。
俺はノニオーイとの距離を開け、短剣を腰に戻す。
「何だ? 何かまだ武器があるのか?」
俺は黙って空中に手をかざす。その手に見事にネカーとネマーが戻ってきた。そしてこっちも負けじと素早さに全神経を注いで銃を乱射した。
その硬貨の弾の一発一発にノニオーイが銃をぶっ放した。石の硬貨はノニオーイの銃から発射された鋼鉄の弾で簡単に弾け飛ぶ。
俺とノニオーイとの距離は十メートル程。その真ん中付近でお互いの銃が発射した弾が攻防を繰り広げている。
「まぁまぁやるじゃないか」
ノニオーイは言ったが、俺は敗北感を味わっていた。
なぜならノニオーイの銃は弾が五発しか装填出来ないのだ。一方俺の銃はうまく詰めれば硬貨が二十個は入る。つまり俺との乱撃の間、ノニオーイの方が弾を装填している回数は圧倒的に多いのだ。
それなのにノニオーイとの銃撃に競り勝てない。
動揺のせいかノニオーイのぶっ放した弾が一発、俺の右肩を貫いた。右手に持っていたネカーを落とさないようにホルスターに戻して追撃を転がって避ける。
右肩に激痛が走った。
「ボロボロになってきたね〜。ブレイブ〜」
ノニオーイが意地悪く言った。俺は右肩を抑えながらノニオーイとの間合いを取る。ちなみに両手袋には傷薬が塗りつけてあるため、こうして肩に当てておけば少しは良くなったりする。
「選手交代と行きますかな?」
俺の後ろから我らがヒーロー、ジェットが登場した。助かった。
「ふっ。お前では俺に触れる事も出来んわっ!」
ノニオーイが素早く動く。
ジェットはその動きを眼で追い、マジックレイピアを振った。
「ざしゅっ」
上空にノニオーイの片腕が飛んだ……いや、あの色白い腕はジェットの腕だ。
「ぬおおおおお!」
ゾンビになっても痛さはある。それが中途半端に人間に近い死人としてのジェットの弱点だ。ここまで実際の人間に近いのは秋留の魔力の影響だと思う。
そしてノニオーイがサーベルでジェットの首を叩き落した。こいつ容赦がない。明日は我が身か……。
だが驚いたのはノニオーイだった。
首の無くなったジェットが残った左腕でレイピアを突き出したのだ。
しかしノニオーイは驚きながらもレイピアを寸前の場所で避ける。さすがとしか言いようがない。ちなみに首が無くなって声が聞こえないが、ジェットは断末魔の叫び声を挙げていたに違いない。
とうとう制御出来なくなったのか、ジェットの身体がその場に倒れた。
「こ、コイツは何なんだ?」
ノニオーイが乱れた髪を直しながら言った。先程の女の子の幽霊やジェットのスプラッターっぷりにビビっているところを見ると、ノニオーイは怖い事は苦手に違いない。
まぁ俺も苦手だから、怖い事をしてスキを作るのは難しい。
「ジェット!」
全身ズブ濡れになった秋留が近づいてきた。ジェットの悲惨な死にっぷりを見て驚いている。とりあえずジェットは放っておけば自然に首とか繋がったり生えたりするのだが、秋留がネクロマンシーで回復させるのが一番手っ取り早い。
「次はお前か?」
目の前でノニオーイが消える。
「秋留!」
俺は叫んだが遅かった。身体にダメージを受けているため助けることも出来なかった。
ノニオーイに首を蹴られて、吹っ飛びながら秋留が気を失った。
「てめえええええええ」
俺は怒りと共に叫んだ。
ノニオーイに向かって短剣を繰り出す。身体中痛んだがもう気にする気も無い。
「ごきっ」
目の前でノニオーイが消えた。消えたと同時に俺は頭にノニオーイの肘打ちを食らった。意識が一瞬遠くなるのを秋留が傷つけられた怒りにより堪える。
そのまま拳を振り上げたが、ノニオーイを捕らえる事は出来ない。
俺はそのままフラフラと甲板に倒れた。
「へっ。とうとう終いか?」
気を失ってたまるか。
どうやら咄嗟に回避行動を取って致命傷は避けたようだ。何とか意識は保っておける。
すぐ後にカリューが戦闘を終えてノニオーイの場所までやって来た。
「あ〜あ、俺様の仲間は全滅しちまったのか〜」
しかしカリューも無事ではすまなかったようだ。
身体中には散弾銃で食らったと思われる細かな傷を受けている。動くだけでも辛いに違いない。
何とかしないと。
あいつの動きについていけるのは俺だけかもしれない。このままでは俺達は全滅だ。何より秋留を足蹴にしたのは許せない。
俺はノニオーイがカリューと戦闘し始めたのを見計らって、隠し持っていた最後の傷薬を飲み干す。
僅かだが身体が動く。
だが、このままでは勝てない。
観察するんだ。盗賊としての罠を見破る洞察力でノニオーイの弱点を探すんだ。カリューと戦っている今がチャンスだ。カリューはスタミナだけは半端ではない。カリューのスタミナが尽きる前にノニオーイの弱点を……。
ない。
暫く見ていたが奴の動きには無駄がない。予測が出来ない。第三者として見ているとよく解る。ノニオーイは攻撃をする時にタメが全くないのだ。
誰でも攻撃を仕掛ける前には一度「これから攻撃をするぞ」というタメが入る。筋肉が動き出そうとする反動が現れるはず。
それがノニオーイには全く無い。
海賊として磨いた技なのだろうが、なぜ正しい事に使えなかったのだろうか。
普通に冒険者として仕事をしていれば……いや、悪海賊の方が儲かるに違いない。俺も悪盗賊に……。
などと、クダラナイ事を考えているうちにカリューの身体が吹っ飛んでピクリとも動かなくなった。
ゴメン、カリュー。あんまり観察出来なかったや。
「あ〜あ、また海賊団、ゼロから作らないとな〜」
ノニオーイが呟いた。
その身体が俺を背にして近くにあったベンチに腰を下ろした。
今だ!
今のお前はスキだらけだぞ!
俺は最期の力を振り絞ってネカーとネマーをぶっ放した。
木製のベンチが派手に吹っ飛ぶ。
ノニオーイは……いない!
「てめえのケチな作戦には引っかからんよ」
ノニオーイが俺の頭目掛けて足を振り下ろす。頭を潰す気か。
俺は転がりながら起き上がった。
「はっはっは。必死だな、ブレイブ」
俺は近くの鉄柵に手を突きながら立っている有様だ。しかしあのまま寝ている訳にはいかない。
ちくしょう!
何かないのか、あいつの弱点。
何か心を揺さぶる物でも良い。さっきの女の子の幽霊出てきてくれないかな。
「!」
ノニオーイのモーションのない蹴りが俺のコメカミをかすって鉄柵を揺らした。他力本願な事を考えている場合ではない。
と、近くに脳天に穴の開いた海賊が横たわっているのが眼に入った。
俺の銃でつけた傷ではない。
そういえば……。
俺は考えながらノニオーイとの距離を取る。その間、短剣や投げナイフで牽制しているが、ノニオーイには全く当たらない。
「くっ!」
突然、ノニオーイの銃が火を噴いた。俺はたまたま足元に転がっていた死体に足を取られて転んだ。すぐ頭上を弾丸が走る。
上半身裸の悪海賊らしい出で立ち。手首が切れているところを見ると俺が倒した海賊らしい。ちゃんと止血しないからそうなるんだぞ。
「何見てんだ? そういう趣味だったのか?」
ノニオーイがフザけて言った。
完璧に舐められている。今までコケにされた分、俺をいたぶりながら殺すつもりらしい。
しかし俺は気になって、先程の脳天直撃海賊を再び見た。
脳天を打ったのはノニオーイだ。
あの時はあまり気にしなかったが、あの海賊は何と言ったか?
目の前の上半身裸の男のヘソが出ているのに気づいた。
「へそ……」
ぼそっと言った一言でノニオーイの身体がびくっと動く。
そうだ。
脳天を打たれた海賊は「ヘソ万歳」と連呼していた。どういう意味だ? こんな時、頭脳明晰な秋留なら何かヒントをくれるはずなのだが。
俺が考えを巡らしている間にノニオーイは銃を乱射してきた。
しかし先程よりは軌道が読める。
俺は身体のあちこちに傷を負いながら何とか避けた。攻撃が当たらないノニオーイは少し焦りつつあるようだ。
「へそ!」
俺はとりあえず意味も分からず叫んでみた。再びノニオーイの身体がびくっとしたかと思うと、顔が悪魔のように豹変した。
「その口、すぐに利けなくしてやる!」
ノニオーイが蹴りを繰り出す。身体を捻って避けるとノニオーイの銃が火を噴いた。そのまま床に倒れこみ弾丸を避けた。
俺はそのままノニオーイに脚払いを仕掛ける。
「どらあっ!」
ノニオーイの怒りの蹴りが俺の脚払いを迎え撃つ。鈍い音がした。
どうやら負けたのは俺の脚のようだ。痛みに頭がフラフラとする。
このままでは駄目だ。頭を使え。冷静になれ。
「ヘソ」とは何だ。ノニオーイが「ヘソ」を気にするのはなぜなんだ。
どうしてだ
ヘソを気にする
ノニオーイ
くだらない俳句を作っている場合ではない。痛みで頭もロクに働かなくなってきた。
その時ノニオーイが投げた短剣が俺の脇腹に刺さった。
「ぐふっ」
思わず声が漏れる。しかし以前のようなナイフのキレはない。ノニオーイがヘソを気にして集中力が出なくなったからに違いない。
ナイフの痛みのお陰で頭が少しスッキリとした。
ん?
さっき考えた俳句……「ヘソを気にするノニオーイ」。ヘソ……ノニオーイ……。何か変な響きだな。
あ!
ああ!
あああ!
俺は思わずニヤリと笑った。その反動が脇腹に来て傷が痛んだ。俺は必死に笑いをこらえようとしたが、それが余計に脇腹を刺激する。
「分かったぞ」
俺は言った。ノニオーイの攻撃が止まる。
「何か臭わないか?」
俺はワザとらしく鼻をクンクンとさせた。ノニオーイの身体がプルプルと震え始める。
「ヘソか? 臭いのはヘソか?」
俺は声を大きくして言った。今やノニオーイの顔が先程暴れまわった悪霊のような顔になっているが気にしない。
「へその臭い……ヘソ・ノニオーイ……」
「あっはっはっはっは!」
気を失っていたと思っていた秋留が突然大笑いし始めた。その眼からは涙まで流している。
「今のミニコント最高だったよ〜! あはは……」
秋留が「ぐ〜」の指をしながら言った。
そう。
ノニオーイのフルネームは「ヘソ・ノニオーイ」。訳すと「ヘソの臭い」。まさかそんな名前だったとは。
それじゃあ、あの海賊は撃たれても文句は言えないわな。
俺が一人納得していると、ヘソの臭いが悪霊顔で銃を乱射してきた。
一発一発の弾道が手に取るように読める。
俺は落ち着いて弾丸を避けた。というか全然、当たるような軌道で撃ってきていない。
「殺す! 俺の名前を知った奴は絶対に生かしてはおかない! 海賊団でも俺の名前を口走った奴はぶっ殺しているんだああああああ」
ヘソの臭いが両手に短剣を構えて突っ込んできた。
全てが見える。
俺は最期の力で、近づいてきたヘソの臭いのシャツの襟を掴んで上空に投げ飛ばした。相手の突進する力を別の方向に変えてやれば造作もない事。
特に動きの予測がつく、目の前のヘソの臭いにたいしては。
「俺からのプレゼントだ。あんまり殺しはしないんだが……秋留を傷つける奴には容赦はしない!」
ヘソの臭いを上空に投げ飛ばした時に、襟の中に最期の小型爆弾を入れておいたのだ。
それに気づいたヘソの臭いは叫び声をあげようと口を大きく開き……。
どっごごごごごおおおおん……。
俺達の頭上で大爆発が起こった。
今までの小型爆弾の中で最高の威力だ。なかなか強敵だったぞ、ヘソ・ノニオーイ。
そして今までありがとう、小型爆弾を作ってくれた道具屋のオヤジ。
こうして俺達はとうとう「ヘソ海賊団」を壊滅させたのだった。