第三章 船出
台風が近づいてきているという噂は本当だったようだ。
翌朝も海は大荒れに荒れていた。日ごとに天候は悪くなっているようだ。
しかし港で待っていたイザベラは出航を延期しようとは考えていない。
「武具の納期が迫っているの。これ以上遅れたら商売にならなくなってしまうわ」
イザベラは力強く言った。この辺に商人という職業の凄さを感じる。
「ちなみにお前らは船酔いとかしないのか?」
近くで出航準備を手伝っていたガロンが聞いてきた。俺達は船の事は分からないため、近くで作業を見物している。
「うるせえ! 自分の仕事をしてろ!」
カリューがガロンに向かって唸る。実はカリューは船に弱いのだ。
以前、俺達がパーティーを組んだゴールドウィッシュ大陸から船に乗った事があるのだが、その時カリューは酷い船酔いに襲われていた。
「まぁ、この荒れ方じゃあ、船酔いするとかしないとかはあんまり関係ないかもしれないけどなぁ〜」
ガロンが意地悪く言って立ち去った。
確かにこんな状態での船旅はした事がない。俺は人生経験豊富なジェットを見た。
「さすがにワシもここまで荒れた海を旅した事はないのぉ」
ほとんどの大陸を制覇しているジェットが答えた。
「ぼおおおおおお〜」と目の前の船の煙突から煙が吹き上げる。
俺達が乗る船はちょっとしたダンスパーティーが開けるくらいの大きさだ。船底の方にある倉庫に沢山の武具が積み込まれているらしい。後でイザベラから詳しい説明があるはずだが……。
ちなみに船乗り達の話を盗み聞いたところによると、この船は魔動船という種類らしい。動力部に積んだ魔力を込めた石と蒸気の力により動いているという事だ。
こういった魔力や蒸気を乗り物や武具に応用する技術は、魔族の本拠地があるとされているワグレスク大陸から伝わってきたものだ。
「そろそろ出発するわよ」
イザベラが強風で乱れる髪を押さえながら近づいてきた。
その隣にはリーとクログローがいる。そしてイザベラの腕には小さな子供が抱きかかえられている。
「息子のリュウよ」
俺達の疑問に答えるようにイザベラが言う。リュウと紹介された子供は小さくお辞儀をした。その大きな目で俺達を観察している。
「危険な旅に連れて行くのはどうなのか、と何度も言われた事があるんだけどね。私自身が小さい頃に一人ぼっちの日々を送っていたから、この子には寂しい思いをさせたくないのよ」
今まで力強かったイザベラが突然優しい口調になった。
「安心して下さい。ご家族全員の命は何としてでも守りますから」
秋留がリュウに微笑みかけながら言った。その微笑を俺に対してもして欲しいものだ。
その後、イザベラから船の説明があった。
待機する場所や荷物の場所、そして重要なイザベラ達がいる部屋。
俺達はその場所を頭に叩き込んで、船と港をつなぐ木製の橋を渡った。海が相当荒れているため、港に止まっている船でも十分に揺れる。カリューは具合の悪そうな顔をし始めた。
「しゅっぱ〜〜〜〜〜〜っつ!」
船長と思われる黒いヒゲの男が叫ぶ。
船員達の手によって船と港をつなぐ橋が外され、船のイカリが巻き上げられた。
重い音を立てつつ静かに船が動き始めた。あまりの強風で帆は張っていないが、それでも動くというのが魔動船の特徴だろう。
頭上を見上げるとメインマストの見張り台にガロンがいる。
そして船長の隣にはノニオーイ、船尾の椅子にラムズが座っている。染次郎は……どこかにいるのだろう。
「そ、外にいるのは危険だ……部屋に入ろう……」
いつもの迫力が全くない感じでカリューが言った。
俺達は哀れみの眼でカリューを見ると頷いて部屋に入っていった。
部屋の中も外と変わらずに危険だった。
あまりの船の揺れっぷりに物は落ちるはカリューは転がるはで大変だ。船酔いのしない俺達も早くも体力を消耗し始めてしまった。
俺は気分転換に再び甲板に出ることにした。
「待って。私も行くよ」
少し顔が青ざめてきた秋留が俺についてくる。いつもクールな秋留もさすがに少し辛そうだ。
死人であるジェットは、カリューがこれ以上転がらないように面倒を見ている。
甲板は強風にプラスして横殴りの雨も降ってきていた。
「そっちのロープ引っ張れ」
「水もっとかき出せ!」
船員達が忙しく働いている。ノニオーイ達のパーティーもそれぞれの仕事をこなしているようだ。俺達はあくまで対モンスターや海賊相手。出番が来るまでは暇だ。
「こんな所に出てきたら危ないぞ」
クログローが俺達の後ろから声を掛ける。少し前から気配には気づいていたが無視をしていた。
「あんたは危なくないのか?」
俺は嫌味を込めて言い返す。
「俺は元猟師だからな。これくらいの時化じゃあビクともしない」
確かに猟師にピッタリな見た目だ。真っ黒な肌に筋骨隆々とした身体。そして腰にさしたロッド……?
「元猟師? クログローさんは職業は何なの?」
秋留が聞く。
「クログローと呼んでくれて結構だぞ。俺はガイア教の司祭だ」
『え〜!』
俺と秋留は息もピッタリに叫ぶ。さすが将来のオシドリ夫婦だ。
「何だ? 司祭には見えないか?」
『見えない』
再び声を合わせて言う。
俺達は暫くクログローと話した後、更に海が荒れてきたので近くのロープを自分の身体のベルトに取り付けた。秋留も同じく身体にロープを取り付ける。
「こうしておけば、最悪荒れた海に投げ出される事はなくなる」
クログローが親切に教えてくれた。案外こいつは良い奴かもしれない。
嵐の音に負けないほどの派手な音を立てて、一際大きな波が上がった。
いや、波じゃない!
「秋留!」
目の前から突然現れたイルカ五頭程の大きさの魚モンスターが、俺達の乗る船に体当たりを仕掛けてきた。
小さく船が揺れる。
俺はバランスを保ちながらネカーとネマーで魚モンスターを撃つ。しかし波に阻まれて弾の威力が落ちているらしく、モンスターの硬い鱗を少し傷つける程度だ。
「スプラッシュサンダー!」
呪文の詠唱を終えた秋留が叫ぶ。
上空に出現した黒雲から魚モンスター目掛けて稲妻が走る。
「ぴぎゃ〜〜」
不気味な叫び声を上げて魚モンスターの身体が硬直する。そのまま魚モンスターは息絶え海底へと沈んでいった。
「さすがですね」
いつの間にか後ろにはノニオーイがいた。この大きく揺れる船の上で何事もないかのように直立している。
「海のモンスターには雷系の魔法が絶大な威力を発揮しますからねぇ」
ノニオーイがイヤらしい眼つきで雨や海水に濡れた秋留の身体を凝視する。俺はさりげなく秋留の前に立ち視界を防いだ。
「ふっ。この船にはシャワー室もあるらしいぞ。海に慣れていない奴はすぐに風邪を引くからな。暖かくする事だな……」
またしてもムカツク事を言ってノニオーイは去っていった。
「まぁ口は悪いが……奴の操船技術は実際大したもんだったぞ」
隣で黙って事の成り行きを見守っていたクログローが言った。確かにレベル測定大会の時はそれなりな操船技術を披露していたようだが……。
決してノニオーイの忠告を聞いた訳ではないが、船の揺れも激しくなってきたので、カリューがくたばっているであろう船室へと戻る事にした。
「酷い揺れですなぁ……」
顔を真っ青にして前より幾分かゲッソリしたように見えるカリューの隣で、これまた色白い顔を更に青白くしたジェットが言う。
「いい加減、この天気は何とかして欲しいよね」
秋留も少し気持ち悪そうだ。ちなみに俺は先程トイレに行ってぶっ放してきたところだ。外が見える小さいガラス窓に映る自分の顔も相当青い。
「こ、これじゃあ襲われた時にまともに戦えないよな」
俺は深呼吸をしながら言った。
「何かあった時に戦えないんじゃ困るからね。皆で少し横になろうか」
秋留は何とか冷静さを保っているようだ。
俺達(と言ってもカリューは返事出来る状態ではないが)は秋留の意見に賛成すると、簡易ベッドに横になった。
幾分静かになった波の音が聞こえてくる。船の揺れも少しおさまったようだ。向かいのベッドに寝ていたはずの秋留とジェットの姿がない。
ちなみにカリューは俺の下のベッドで相変わらずくたばっている。
船室から甲板に上がる階段を上り、鉄製の重い扉を開ける。
外は少し明るい。空に広がる暗雲の隙間から光が漏れているのが確認出来た。
「予想通りにヘバっていたようだな」
ロープの束を持って通り過ぎ様にガロンが言った。あいつら俺達の事を馬鹿にしていたに違いない。まぁ予想通りヘバってましたけどね〜。
船の先端に近いベンチに秋留とジェットが座っているのが見えた。一緒に仲良くお茶を飲んでいる。
俺は黙って秋留の隣に腰を下ろす。
「おはよう、ブレイブ。体調はどう?」
早速、秋留から優しく語りかけられて一気に元気が出てきた。
「絶好調!」
俺はガッツポーズで答える。秋留が「フフフ」と可愛く笑った。
「何とか嵐は越えたようですよ」
この船の船長が俺達の所へ来て言った。船長らしい日に焼けた黒い顔にモジャモジャの黒いヒゲを生やしている。右足は義足だ。
自己紹介された時に聞いた話だと、豪快に転んだ結果義足になってしまったらしい。一体、どんな転び方をしたのだろうか。
「後、何日くらいでアステカ大陸に到着しそうですか?」
「まぁ〜二週間でしょうな」
秋留の質問に船長があっさりと答える。そ、そんなに体力持つかな……。
「がっはっは。心配すんな。途中の小さな島で色々補給とかするからな」
俺達の不安げな顔を見て船長が言う。
それを聞いて俺達は心からホッとした。カリューもさすがに二週間経ったらミイラになっているかもしれない。
ふと誰が操船をしているのかと後方を見た。舵を握っているのはノニオーイだ。
俺の目線に気づいたのかヒゲモジャ船長(名前は忘れた)が説明し始める。
「ノニオーイは良い腕を持っているよ。お陰で俺は楽が出来る」
ガロンは依然としてメインマストの見張り台にいる。船尾にいたラムズはいない。染次郎は相変わらず一度も見かけないが船には乗っている事だろう。
その時、見張り台にいたガロンが大声で叫んだ。
「黒い船が見えるぞ〜!」
俺達もガロンが見ている船首の方向を見つめた。確かに水平線上に黒い帆を張った黒い船が見える。あまり良い見た目とは言えないが……。
「ありゃあ噂の海賊船だぞ!」
ヒゲモジャ船長が近くの金属の筒に向かって叫ぶ。この筒は船の至る所と繋がっていて声を伝える事が出来る。
船長がノニオーイの場所に走った。
俺達も海賊船からの攻撃を警戒して船首へと進む。とりあえず距離が大分あるため、まだ攻撃は仕掛けてこないようだ。
「魔動力を上げろ! 海賊船から離れるんだ!」
船長が叫ぶ。
ノニオーイは巧みに舵を操り、帆で風を受けて船のスピードを上げているようだ。まだ少し海が荒れているせいで、再び船が大きく揺れ出す。
「このままだと追いつかれるぞ」
見張り台からガロンが言った。いつの間にかラムズも甲板に出てきて帆の向きを操るロープを握っている。
既に黒い海賊船は誰の眼にも確認出来る程近づいてきていた。
しかも先程は一隻しか見えていなかったが、海賊船は三隻いた!
そのうちの一隻の正面に設置されている大砲が少し動いたのに気づいた。
「おい! 大砲で撃ってくるぞ!」
「分かってる! ちょっと黙ってろ!」
ノニオーイは俺が忠告する前に既に気づいていたらしく、舵を勢い良く右に操る。
船のすぐ横で海賊船から発射された弾が海面に当たって水しぶきが上がった。ノニオーイは海賊船の方を確認しながら舵を操る。
「こちらも大砲の準備だ! 急げ!」
船長が叫ぶ。
どうやら海賊船の大砲の方が性能が言いようだ。こちらの大砲ではもう少し海賊船に近づかないと飛距離が足りないらしい。
大砲?
俺は秋留の方を振り向く。俺達パーティーの頭脳であり遠距離攻撃が得意な大砲の存在を忘れていた。
「女性に対して大砲は失礼だけどね!」
秋留が俺の心の中を読み取って少し怒る。
秋留はそのまま呪文の詠唱を始めた。
「業火の身体を持ち……」
再びすぐ傍で水しぶきが上がった。それでも秋留の集中力は途切れていないようだ。
「煉獄の心を抱く者よ、烈火の眼差しを知らぬ哀れな者達を汝の瞳で貫け……」
秋留が呪文の詠唱を終えた瞬間、船が今まで以上に大きく傾いた。
「コロナレーザー!」
身体のバランスを崩しながらも秋留は呪文を放った。いつもは命中力の良い秋留だがさすがに今の揺れでは照準が合わなかったらしく、迫ってきていた海賊船の帆を貫いただけだった。
「むぅ! もう少しマシな操船して欲しいもんだよね」
呪文の反動で尻餅をついた秋留が文句を言う。可愛い御尻をさすりながら起き上がった。
秋留はノニオーイの方を睨んだが、全然気づいていないようだ。
暫くしてこちらの船からも大砲による攻撃が開始された。
しかし船の揺れのせいで、なかなか海賊船をとらえることが出来ない。
見かねた船長が途中でノニオーイと操船を変わったが、既に海賊船は俺達の攻撃の射程外へと離れていた。
「す、すみません……。野蛮な海賊船と戦うのに慣れてなくて……」
ノニオーイは汗をかきながらヒゲモジャ船長に謝っている。
あいつは見た目ばかりで実践経験はほとんどないに違いない。
「いやいや、一発も攻撃を食らわなかったのは凄い技術だぞ!」
船長が豪快に笑う。
とりあえず俺達は海賊船の攻撃を退けたのだ。
「ざざざ〜……」
すっかり海も穏やかになったが空にはまだ暗雲が広がっている。それでも辺りは少し明るくなった。
隣ではカリューが久しぶりの外の新鮮な空気を吸っている。顔はまだまだ青い。
「船は嫌いだ」
カリューは最低限の言葉で今の気持ちを伝えた。あの海の荒れ方ではカリューじゃなくても船を嫌いになりそうだ。
少し離れた所にカモメの群れが飛んでいる。確かカモメの群れがいる所には魚がいると聞いたことがあるぞ。
水しぶきを上げてカモメの群れの下から巨大な影が飛び出た。モンスターか?
「いやぁ、大漁! 大漁!」
片手にモリを持った魚人……いや、ラムズが海の中から現れた。モリには魚が四匹突き刺さっている。安全とは言えない海であいつは何をやっているんだか……。
そのラムズが船の縄梯子を上って来た。後ろからは亀のモンスターがついて来ている。
「お! カリューさんでしたっけ? 体調はもう大丈夫ですか?」
船員から手渡されたタオルで頭や身体を拭きながらカリューに話し掛けた。漁師の格好をしていたためあまり気づかなかったが、ラムズは肉付きの良い身体をしている。やはりあがり症でなければ手強い奴に違いない。
「元気そうだな……」
ラムズの質問にカリューが答える。その眼は何か羨ましそうだ。
「俺は海賊の職業に就いてはいるけど、普段は漁をして生活しているからなぁ。海は慣れてるし、あれくらいの時化じゃあビクともしないよ」
拭き終わったタオルを近くの籠に放り込む。
「元気の出る魚料理を作ってやるよ」
そう言うとラムズは船室に下りていった。
「羨ましいですな」
ジェットがポツリと言う。俺達は無言で頷いた。
暫くは何事もなく航海が進んだ。天気も次第に良くなって来ていた。
時折、魚型のモンスターや鳥型のモンスターが襲ってきたが、難なく撃退していった。ガロンは手に持っていた銃でモンスターを何匹か撃ち落す。どうやらあの銃はショットガンのようだ。一度に何発もの弾を発射する事が出来るタイプの銃だが、細かな標的は狙えないし飛距離もない。近距離向きだな。
一方、ノニオーイは器用にナイフでモンスターを倒している。その腕は正に百発百中だ。身体中に何本のナイフを装備しているのか疑問にもなるが……。
「あいつらも結構やるよね」
近づいてきていたモンスターを魔法で丸焦げにしてから秋留が言った。「も」と言うところが秋留らしい。
少し離れた所では少しフラつきながらもカリューが業火の剣で敵を切り倒していく。
俺も適当に硬貨を節約しつつ、近づいてきたモンスターだけを倒す。
「それにしても……」
ジェットが空飛ぶ魚を三枚におろして言う。海のモンスターには詳しくないため名前は全然分からない。
「モンスターが少し増えてきましたなぁ」
次々と襲い掛かってくる魚だか鳥だか分からないモンスターを切り刻む。
確かにモンスターが増えてきている。
「時化の後は餌を求めて獣が凶暴になるだよ〜」
後方のマストの影に隠れてサーベルを振り回している船員その一が言った。
お前は誰だ。
俺は変な喋り方の船員は放っておく事にした。
そうして時折襲ってくるモンスターを倒しているうちに、何日かが経過した。
港を出てから一週間くらいは経ったのだろうか?
今はすっかり日が落ち、甲板の上では松明が光っている。
俺達は食堂に降りて夕食を取っていた。働いている船員もいるので夕食を取る時間はバラバラだが、俺達は船での仕事はないため一緒に食事を取っている。
「今日は港を出て何日目だ?」
ほとんどの時間、ベッドで死んでいるカリューがスープを飲み干して聞く。
「五日目だよ」
秋留が答える。そうか、まだ五日しか経ってないのか……。先はまだまだ長そうだ。
「魚介類を食べ続けてどれくらい経ったんだろうなぁ……」
カリューが遠い眼をする。
港町ヤードで足止めを食っていたのを含めて一ヶ月は経過している。しかしカリューの問いには答えない。手負いの狼と会話するのは危険だ。
「後どれくらいでアステカ大陸に着くのかなぁ……」
以前、船長の聞いた時は二週間くらいで着くと言っていた。後一週間以上はあるだろう。まぁ、途中で補給のために島に立ち寄るみたいな事を言っていたが……。
「はぁ〜あ」
カリューが深いため息をつく。
辛いのはお前だけじゃないぞ、と声を大にして言いたいが、さすがにカリューの不幸さを考えると文句は言いづらい。
俺達は食事を終えると船室に戻った。今日も疲れた……。
暫くベッドに横になってウトウトしていると突然大きな揺れが船全体を襲った。
「何じゃ?」
ジェットが飛び起きる。続いて秋留も眼を擦りながら杖を握った。カリューは起きない。
俺達三人は甲板に駆け上がった。
いつもは夜は襲われなかったのに、今日に限って何が起きたのだろう?
俺達は甲板に飛び出した。至る所で船員達が倒れている。
「遅えなぁ!」
ノニオーイが甲板の少し高い位置から叫ぶ。
その隣にガロンとラムズが武器を構えて暗闇を睨んでいる。
「もっと灯りいる?」
秋留の叫びにノニオーイが頷いた。
「光の精霊レムよ、我が前にその姿を現し、全ての影を滅せよ……ブライトネス!」
秋留の杖から小さな光の玉が飛び出したかと思うと、上空で大きく輝く。
目の前には……真っ赤で巨大なタコが姿を現した。タコール……とうとうそんな姿に……。
「ブレイブ! 変な事考えてないで戦闘だよ!」
気づくと俺以外のメンバーは姿があらわになったタコ目掛けて攻撃を開始しようとしていた。俺もネカーとネマーを構えて目の前のタコ目掛けて走り出そうとする。
その時、海の中から川にかかる橋のように太いタコの足が飛び出してきた。その足が走り出した俺達を薙ぎ払おうとする。
それなりにレベルの高い俺達はその攻撃を難なくかわす。
「バキッ」
しかし、俺達への攻撃を外れたタコ足が船の甲板を破壊した。
「避けるな! 足を一本ずつ減らすんだ!」
遠くで舵を握り始めたノニオーイが無茶な事を言う。その隣では船長が銃を片手にタコ足に応戦している。
巨大なタコに船自体を捕まえられているが、ノニオーイは何とか体勢を立て直そうとしているようだ。
「南から強めの風が吹いてるぞ! 帆を全開に張れ!」
ノニオーイがまだ意識のある船員達に叫ぶ。
「お前らは足だ! まずは足を狙え!」
ノニオーイの命令というところが気に食わないが、俺達は船にガッシリと吸盤で張り付いているタコ足に攻撃を開始した。
走りながら俺はネカーとネマーを構えた。ジェットと秋留はそれぞれ別のタコ足へ向かっている。あくまでタコだから、足は八本だろうか。
目の前に海から飛び出したタコ足が見える。
俺は連続でトリガを引く。
「おわっ!」
ネカーとネマーから発射された硬貨が弾力のあるタコ足に弾かれて俺の方へ襲ってきた。
俺は間一髪で自爆を避けた。さすがに自爆は情けない。
「ファイヤーバレット!」
後方で秋留の叫び声が聞こえてきた。
この豊かな弾力でも秋留の炎の魔法の前には無力だろう。秋留の攻撃により香ばしい良い匂いがしてきた。
「ぐ〜〜〜」
思わず腹が鳴ってしまった。魚介類は食い飽きるほど食べたはずなのに……。
「へっ」
俺の耳にはノニオーイの憎たらしい笑い声が聞こえてきた。
あいつも海賊なら俺の腹の音が聞こえていてもおかしくはない。いつか見返してやるぞ……。
「うっ!」
周りに気を取られているうちに、いつの間にかタコ足の一撃を食らってしまった。一瞬息が止まる。
俺は背負っている鞄に手を突っ込んだ。
鞄の中身は戦いやすいように綺麗に詰め込まれている。俺は手探りで必要なアイテムを取り出すとネカーの銃身に取り出したアイテムを擦りつけた。
俺が取り出したアイテムは小さな爆弾だ。俺はタコ足に向かって爆弾を投げつける。
一瞬の間の後、巨大な爆発が発生した。
その衝撃でタコも驚いて船から少し遠ざかる。
「てめぇ! 少しは使用する道具を考えやがれ!」
爆発の衝撃で大きく揺れる船を器用に持ち直してノニオーイが叫ぶ。
確かに予想以上の威力だ。
忘れていたが、この爆弾は以前どこぞのオヤジから購入した、見た目はショボイが威力は絶大の爆弾だった。
少し離れたタコに対してすかさず船から大砲が発射される。
ノニオーイの操船によって照準がつけやすくなっているようだ。出来るなら初めからやれよ、と心の中で思う。
大砲の爆発によってタコの頭からは真っ黒な墨のような血のようなものが飛び出す。
タコは赤い顔を更に赤くして反撃しようとしている。
その時、いつの間に上ったのかタコの頭の上に人影が見えた。
「染次郎!」
今までどこにいたのか染次郎がタコの頭の上に姿を現した。
染次郎は持っていた刀をタコの頭に突き立てる。あのヌルヌルして弾力のある皮膚の上に立ち刀を突き立てるとは、やはり染次郎は実力は並じゃない。
しかし深く刺さってはいるが、染次郎の刀はタコの分厚い皮膚を少し傷つけただけのようだ。
「はっ!」
染次郎は気合を発し、手に持っていた鉄球を天高く投げつけた。その鉄球は鎖で先程の刀とつながっている。
空を覆う黒い雲から鉄球に向かって轟音と共に一筋の雷が落ちた。雷から発生した電撃が鎖を伝わりタコの身体を襲う。
「ぎょわあああんっ」
タコが不気味な呻き声をあげた。
まだ残っている三本のタコ足で頭上の染次郎を払い落とそうとする。
しかし染次郎は既に頭の上にはいない。モンスターごときの素早さでは染次郎の動きを捉えることは不可能だろう。
「染次郎もいることだし、私はちょっとイザベラさんの様子を見てくるよ」
秋留は俺とジェットを残し船室へと消えていった。
俺も秋留と一緒に行こうとしたところをジェットに呼び止められる。
「頑張りますぞ! ブレイブ殿」
ジェットはレイピアを構える。
ジェットの装備しているレイピアは魔力を込める事が出来る特別製だ。実は秋留から貰ったものだ。先程もジェットはマジックレイピアに魔力を込めてタコ足の一本を吹っ飛ばしていた。
色々ダメージを受けたタコが激しく暴れ始める。
ノニオーイが巧みな操船技術でタコの攻撃をかわすが、何度か攻撃を受けて船が大きく揺れた。
ガロンがショットガンを構えてタコ足の前に躍り出る。
ショットガンが火を噴きタコ足が吹っ飛ぶ。残り二本。いっちょ前に生命の危機を感じたのかタコが船から離れ一度海中に潜る。
しばしの静寂。
「ドンッ」
船が突然縦に揺れた。どうやらタコ頭で船底を叩いているようだ。脳みそがない訳ではないらしい。
「何とかならないのか?」
俺は揺れる船から振り落とされないように手すりにしがみつく。
ノニオーイが鉄の筒に向かって叫ぶ。
「ラムズ! 船底砲の準備は良いか?」
「準備完了。照準もバッチリだ!」
筒の中からくぐもったラムズの声が聞こえた。船底砲?
「発射!」
ノニオーイの号令の後、船全体が大きく揺れた。海が一瞬荒れる。
「大型の船になると、海中の敵用に船底に特別な大砲を持ってるのもあるんだよ」
無知な俺に対してノニオーイが勝ち誇ったように言う。
「それより、そろそろタコ野郎が飛び出してくるぞ!」
「火力は任せろ!」
俺は鞄から再び小型の爆弾を取り出すと、海面を睨みつつ構えた。隣ではジェットもマジックレイピアに魔力を込めつつ構える。
水しぶきが大量に巻き上がり、勢い良くタコが飛び出した。視界が一瞬塞がる。
俺は水しぶきの隙間から注意深くタコを観察した。
頭には血管が浮かび、更に赤みを帯びている。まだ爆弾を投げる事は出来ない!
「ぶしゃああああ」
巨大タコの突き出た口から真っ黒な墨が飛び散った。これが有名なタコ墨か!
俺は慎重にタコ墨の飛沫を避ける。
ちなみに墨の量も身体に合わせて大量なため、飛沫といっても人一人分位の大きさはある。
「のわあ!」
素早さのあまりないジェットがモロに飛沫を浴び、その身体が真っ黒になった。
俺はタコの正面に向かい走り出した。タコの口目掛けて爆弾を投げつけるためだ。
左方からはガロンがショットガンを構えて飛び出す。負けてたまるか!
タコの左目が突然燃え上がる。その傍には染次郎の姿が一瞬見えた。何か技を繰り出したに違いないが、あまりしっかりは見えなかった。
続いて右目に向かってガロンが至近距離でショットガンをぶっ放す。
タコは両目を失い、再び墨を吐こうとしているのか息を大きく吸い込む。
俺はその動作に合わせて爆弾を投げつけた。
爆弾を飲み込んだタコの動きが一瞬止まる。
「ポンッ」とまるで遠くで爆発音がした様な小さな音。
しかし、その音と共にタコの身体が一瞬二倍位に膨らんだ。
沈黙。
そのまま巨大なタコモンスターは倒れ海を漂う漂流物と化した。こいつの死体がどこかの大陸に流れ着いたりしたら、さぞかし大事になることだろう。
「ブレイブ殿〜、どこですかな〜」
ジェットの助けを求める声と、何かが海に落ちる音が聞こえたのはほぼ同時だった。
真っ黒な身体を綺麗にしたかったんだろう……。