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桜のパン屋

作者: らりおん

サラリーマンが忙しく歩き回り若者は群れをなして自由気ままに歩き回る、どちらにせよ人で群がっている都心は休むことを知らない、その都心から外れたところに小さなパン屋が新しく店をオープンさせた。壁全体は薄いピンクで覆われていて明るい印象の外見をしている、そんなパン屋の出入り口からひとりの若い青年が小さな三脚とブラックボードを持ってきて出入り口前に置いてまた店内に戻ってきた。ブラックボードには、「ようこそ、サクラノパン屋へ美味しいパンを焼いて待ってます。」とかわいらしい絵も添えて書かれていた。


そして今日千葉県千葉市の片隅に「サクラノパン屋」がオープンした。




レジのカウンターで髪を後ろで結んだ一人の青年が椅子に座って、パン屋の出入り口付近をぼーっと見つめていた。


「はぁ」


その青年、日向椿は自分以外誰もいない店内を見渡して小さなため息をついた。オープンして二週間がたとうとしているというのに、客足が全く伸びない。初日から三日間ぐらいは快調に人は来ていた、なのに、四日ぐらいを境に急激に客足が減った。今日に関しては四時半を回るというのにまだ、六人しか来てないありさまである。


「オープンしてさっそく経営難か、パンが美味しくないのかな、それともこの店の雰囲気のせい、外からの見た目?それとも俺の態度が悪かった?とにかく呼び込みとかしなくちゃ。」


 少し重い足取りで店を出て、出入り口前に置いてあるブラックボードに白いチョークで少しだけ付け加えた。「お客様、アルバイト募集中」と。、とはいえもう四時半、閉店まであと三十分もない。


「今日はもう閉めてもいいかな。」


 そしてまたパン屋の店内に戻り、二階の自宅に上がる。広さは二LDKなんだが、今はその広さを感じない程のダンボールが山を作っていた。サクラノパン屋をオープンする際に、前住んでいた所からすべての荷物を運んできたのだがその整理はまだ最低限の生活用品しか終わってない。その光景に日向はまた小さなため息をつき、ダイニングの奥にある二つの部屋の右側にある自室に入る。ここも同じく段ボールの山で覆われていてその山の間をすり抜けて、衣装ダンス前にたどり着く。コックスーツを脱ぎ、ジーンズと長袖のTシャツといったラフな格好になって後ろで結んでいた髪をほどき、肩までの長さがあらわになる。そして再び一階に戻り厨房に入る。


 厨房のテーブルに置かれた紙袋をショルダーバックに丁寧に入れ込んで店を出る。そして出入り口に鍵をかけドア部分に「今日の営業はおわりました」と書かれたプレートをドアにかける。


 その後は裏に回り、自分のワンボックスカーへ乗り込みエンジンをかけ、バックを助手席のほうにおいた。アクセルをゆっくり踏み発信させ、店の前を通り都心の方へ向かっていった。直し忘れたブラックボードが見送りながら。




 車を都心へ走らせて約三十分、日向は都立病院に来ていた。車を止め、助手席の荷物を持ち病院の受付に行き手続きを済ませ三階病室へ向かうエレベーターに乗り組み三階のボタンを押す、エレベーターを出ると数人の看護婦と鉢合わせになり軽く会釈をして通り過ぎる。看護婦たちもこんにちはと微笑み通り過ぎるがその後小声で話し始めた、小声でもしっかり聞いてしまった。だが聞き流す、極力頭には入れたくない話だから。三階フロアの一番端にある病室の前まで立ち止まる。ドアに貼られたプレートには「穂風 桜」と書かれている、俺の恋人の病室。一回深呼吸をして二回ノックしたが返事がない。恐る恐るドアを開けてみるとベッドに座りラジカセからジャズに聞き浸っている髪の長い女性 がいた。眼を閉じているためこちらには気づいていない。まあ開けても見えないのだが。彼女はもともと「ベーチェット症」といった視力低下の病気を持っていたが、それが一年前に急激に悪化して両目の全視力を奪われてしまい焦点が合わなくなった目を隠すためか眼を閉じるようになり極端に笑わなくなってしまった。


もともと桜はパン職人で俺なんか比じゃないほどの腕前を持った職人だ。サクラノパン屋も彼女とでオープンさせる予定だったのを俺一人でオープンさせることになった。


桜の真横まで来るがまだ気がつかない。ならばと横から抱きしめてみる。


「ひゃ、だ、だれ。」


俺を突き飛ばして必死でナースコールを探し始めた。これはまずい、そう思いナースコールを取り上げ、


「俺だよ、椿だよ、だから安心して。」


「ほんとに椿君、ほんとに?いきなりは怖いよ。」


ちょっとやり過ぎたかな。俺はごめんと何回もつぶやき、頭をポンポンとなでる。


「ところで、今日も持ってきてくれたの?」


俺は手に持っていた紙袋の中から一つもメロンパンを取り出して桜に渡した。


「今日はメロンパンで、今までで最高の出来だと思うし、桜の好みに仕上がってると思うよ、今日こそは合格をいただきます。」


パン屋をオープンさせる半年前から、焼いたパンを試食してもらって感想と合否をいってくれている。なお今までで合格は出た事がない。だけど今回は味を追及して焼いた傑作だから自信はある。その傑作のパンを一口二口と食べすすめる。そして数回頷く。


「どう、おいしい。」


だけど俺の問いには答えず、三口目を口に含みゆっくり食べ始めた。


「おいしいの?」


三口目を飲み込んだ桜はしばらく考え込んでから、


「おいしい、おいしいけど不合格かな。」


予想もしてなかった言葉に少しの間沈黙が流れた。だがここで黙り込むわけにもいかない。


「何処がだめだったの、焼きすぎたかした?」


だが首を横に振る桜、そしてゆっくりと口を開いた。


「味も焼き加減も生地も全部しっかりしてて、合格レベルだったよ、だけどあと一つ足りないものがあるの、しかもそれは最初のころにあって今はなくなってきてるの。あとはそれさえ有れば合格できたの。」


 足りないもの、前まではあって今はないもの、まったくわからないし心当たりもない。


「椿君、今回足りないものは、パンにとってとても大切なものなの、だから分かるのも難しいと思うの。だから次のパンは一週間後にお願いしたい。」


今にも思考回路が停止しそうな頭に無理やり覚えさせる。とほぼ同時に六時を知らせる放送が流れた。ここの面会時間は六時なのでしぶしぶ出て行かなければならない。


「それじゃ、今日はここで帰るよ。来週パンを持ってくるからね、元気でね。」


「椿君も無理しないでね、じゃあまたね。」


俺は桜の声を聞きながら病室を後にした。


 帰りの車の中で、足りないものを必死で思い出そうとするがまったく思い出せないでいる。そうして帰りの三十分弱が終わる。そして裏の駐車場に止め表へ回る。そこで気づいた、ブラックボードが出しっぱなしにしたままだった。直そうとし近づくと何かいた。正確に言うと小さな小学生の男の子がブラックボードに寄り添うようにぐっすり眠っていた。


 ひとまずは店内に入れてあげなくてはと、ドアの鍵を開けてから軽い体を持ち上げ運ぶ。レジカウンター裏の椅子にゆっくりと降ろし、男の子の肩をポンポンと軽くたたいて声をかけてみる。男の子の目がゆっくりと開いて、


「あれ、ここはどこ、お兄さんは誰。」


「俺は日向 椿、パン屋さんだよ、君の名前は何かな。」


「つぼみ、みしまつぼみ、パン屋さんって書いてあったから、ここで待ってたら貰えるかなって思って座ってたんだ、お母さんパン大好きだから食べさせてあげようと思って。」


 それから話を聞いたところ、つぼみ君のところはシングルマザーで、毎日遅くまで働いているらしい。朝もつぼみ君の小学校の準備に朝食の用意などで休む暇もなくまた仕事に向かわなくてはならないらしい。さすがにつぼみ君も心配に思ったらしく母親の大好きなパンを食べさせてあげようと考えて家を抜け出してきたとのこと。


「なあ、だからパン持っていってもいい?」


「いいよ、好きなのも持っていきなよ。」


ほんとと喜びながら、売れ残ったパンを次々と袋に詰めていく。


「お母さんが好きなパンって何かわかるかな。」


「メロンパンだよ、あと、いろんなパンも食べてるよ。」


メロンパンか、と思い手荷物の袋からメロンパンを取り出しつぼみ君に渡す。


「はいメロンパンだよ、ちゃんとお母さんに食べさせてあげてね。」


「うん。」


つぼみは大きくうなずいて満面の笑みを浮かべた。


「じゃあもうそろそろ帰ろうか、家はどこ一緒に帰ろうか。」


「ほんと、ありがとうお兄ちゃんやさしい人だね。」


慣れていない言葉に思わず苦笑いをしてしまう。お人よしとはよく言われるがこんなに素直にお礼を言われたのは久しぶりだ。


「ありがとう、じゃあ道案内お願いするね。」


「わかった、ちゃんと付いてきてね。」


はいはいとこれまた苦笑いをしてしまう。




つぼみ君の家はパン屋から歩いて十分足らずのところにある小さなアパートの一階の部屋だった。


「じゃあまたね、お母さんに食べさせてあげてね。」


「うん。なあ、明日も来ていいかな。」


「ああいいとも、また明日も来いよ、俺はいつでもあのパン屋にいるからさ、明日と言わずいつでも来い。」


 つぼみの頭をポンポンとなでて俺は店に戻る、つぼみが大きく手を振ってくれた、俺も手を振り返すと自然に笑みがこぼれてきて心が何処かしら温かくなった。自分に子供ができたのならこんな感じなんだろうな、と思いながら賑やかになりかけてる夜の町を歩いて店に戻っていった。




 次の日もいつもの同じ時間に開店させた。といっても客足は昨日と大して変わらず、時間が一向に過ぎてくばかりだ。午前中が終わり今のところ五名ほどの来店者で、このうち買って行ってくれたのは三名と今日も赤字経営になりそうだ。そして今は人が居ないので、ふと昨日のことを思い出した。


「何か足りないか何が足りないのかな、もう少し生地を寝かせたほうがよかったかな。」


 桜がすきなのはすべて入れたし、何より味を追求したのにだめだった。そして最初のころにはあって今はないもの。それも分からずじまいである。そんなことを考えてたら勢いよく店のドアが開かれた。


「お兄さんこんにちはっ。」


すごい勢いでつぼみが入ってきた。時間を見たら三時を回ろうとしていたどうやら三時間近くも考えふけてたらしい。


「お母さん美味しいって言って笑ってたよ、お兄さんのおかげだよ、ありがとう。」


つぼみが満面の笑みで言ってくる。こちらも自然に笑顔が出てきてしまう。


「それはよかった。今日も持って行っていいよ、ところでつぼみ君も食べたのかい。」


レジカウンターからつぼみのところに向かいパンを入れる袋を手渡す。


「食べたよめっちゃ美味しかった。ほっぺが落ちるかと思った。」


初めて桜以外の人からここまでいってもらった、子供から言われたとはいえここまでうれしいものだと思う。いや子供だから本音を隠さず言えるのではないか。どちらにせよかなりうれしいことだ。


「今日もありがとう、ほんとにお金とかはらわなくていいの?」


「良いんだよ、つぼみは好きなのを持って言っていいんだからね。」


この笑顔の一部になるなら、代金なんてどうでもいいかもしれない。そう思ってしまう。


「お兄さん今日もありがと、明日も来るね。」


大きく手を振ってつぼみは店を跡にした。俺も大きく手を振り返した。


その日店を締めたあとに、明日に出すパンの仕込みを行っていた、焼き方、分量などはいつもと一緒だが今日はあの笑顔を思い浮かべながら、人を笑わせられるような、人を幸せにするようにと思いながらパンをこねてみる、今までは味だけしか考えてなかったけど、今日のつぼみの笑顔で思い出した。俺がパン作りを始めたきっかけを。


高校生のとき俺はパン屋のバイトをしていた。ある日泣いてる子供が来店してきた。動揺する俺を見かねた店長が、一つのパンをその子供にたべさせた。すると嘘みたいに泣き止んでしまった。その日のバイト終わりに店長に聞くと、『相手を居も居やる気持ちが心を暖かくさせるんだ』といってた。それを聞いて深くパンを知りたいとパンの専門学校に進学した。そこであったのが実技トップの桜だったんだよな。すぐに息が合いお互いのパンを食べ比べしたりした。そのたびに、


「椿のパンって心も膨れて美味しいね、私にはまねできないよ。」


 桜いわく俺のパンには思いやりみたいなものがあると言ってた。


だけど、昨年から俺の心に余裕がなくなってきて、いつしか味しか追求しなくなっていた。たりないといわれてたのはこのことだったんだと気づいた。


仕込みを終わらせて、メロンパンの製作にあたった。


 


次の日俺は、午前中に病院へ向かった、そして桜の病室に入る。


「椿君?来てくれたんだね、でもパンは来週だったよねどうかしたの。」


俺は昨日から作ったメロンパンをとりあえず食べてみてといって渡した。


「え、うんじゃあ、いただくね。」


一口かじる、そしたら


「おいしい、それになつかしい感じもする。」


そういって二口、三口と食べる口を休ませることなくすべて食べきった。


「どう、前の感じに戻ったかな。」


「うん、懐かしいよ、心があったかくなってやさしく包まれてる感じだよ、文句なしの合格だよ。」


その桜の顔には一年前を境に見ることのなかった満面の笑みが浮かんでいた。きれいで明るくよく笑う桜が今目の前にいる。俺の一番の理解者であり恋人が笑ってくれた、こんな嬉しい事はない。俺はうれしくなって桜を抱きしめた。少しびっくりした声が聞こえたがあまり気にしない。


「なあ桜、今から言うことを心して聞いてくれるか。」


抱きしめた桜の耳元でささやく。


「どうしたの、いきなり改まって。」


「いや、なんだそのいきなりで悪いが、俺と結婚してくれないか。」


 一年以上も前から言おうとしていたのにずっと出てこなかった言葉を必死で搾り出す。


「いいの、私なんかで、眼も見えないし、椿に迷惑しかかけないかも知れないんだよ、椿を不幸にするかもしれないのに。」


「そんなのどうでも良いんだよ、ただ俺には桜が必要なだけなんだ、桜じゃないといけないんだ。こんな俺でよければ俺の妻になってはくれないだろうか。」


ほんの少しだけ沈黙が続いた、そして桜は満面の笑みで答えた。


「はい、よろこんで。」


桜からは大粒の涙が零れ落ち始めていた。


「何で泣くの、いやだったか。」


「ううん、うれしいの、眼が見えなくなって迷惑しかかけないから、できないものだと思っていたから。」


この一年間ずっとこんなことを考えてたのか、だけどこれからは大丈夫だ、俺が支えてみせる。


そう心に誓い、俺はそっと桜の頭を優しくなでた。




俺がプロポーズしてから七日が立った、このころには、客足がだいぶ増えて行き、常連さんも多く増えた、つぼみはほぼ毎日のように顔をだし、今ではマスコット的な存在だ。つぼみの母親も時々来るようになり多くのパンを買ってくださる。


サクラノパン屋は最初のころでは想像できないような賑わいを放っていた。


そしてパン屋の前に一台のタクシーが止まり、そこから一人の女性が杖をつきながら、タクシーから降りる。俺はその女性を満面の笑みで迎えた。


「おかえりなさい、桜。」


そして彼女もまた満面の笑みで返した。


「ただいま。」


 今日から新しい「桜のパン屋」がオープンした。


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