カラーリバーサル
♠美しい被写体♠
夕暮れ時に蜩が遠くで鳴いているのが聞こえた。それを、物悲しげと感じるか、うるさい音と感じるか若かりし頃にサギヌマは妻とのデートで妻に聞かれたコトを思い出していた。当時、妻は物悲しげと答え、サギヌマはどちらかと聞かれたら、後者だと答え妻に“あなたらしいわ”と、笑われた。庭の植木や花はサギヌマの妻の趣味で、庭にあちこち植えられ、名前も知らないそれらを相手に、サギヌマはホースに付けたシャワーで淡々と水をまいていた。
「こんばんは~。涼しそうですね」
通りすがりの近所の婦人が、立ち止まりサギヌマに笑顔で声をかけた。
「こんばんは」
小さく会釈をして静かに言葉を交わすと、サギヌマは水の出ているシャワーに視線を移した。婦人は視線をそらされてしまい、会話のタイミングを失うと軽く会釈をして去っていった。
サギヌマは無言を好み、感情をあまり表にださない。家の中でも、妻や娘とも会話は必要最低限で余計な無駄話はしないほうだった。会話をすることで、考え、感情が表れ、選んだ言葉で相手に伝え、相手の思考や感情の中で更に変換される。一通りの流れが、サギヌマにとって無駄にしか思えなかった。むしろその一通りの流れを傍観し、人の思考が複雑に混乱しその人の主観で相手の会話を理解してしまい、満足する人と腑に落ちない人達、変換されてもそれに気づかない人たちを見ているコトのほうが興味深かった。
庭全体がしっとりし、百日紅の艶やかな葉からまいた水の雫がぽたぽたと滴り落ちていた。蜩はまだ鳴いていて、サギヌマはシャワーのホースを丁寧に巻き上げ片付けながら若かりし頃の自分に答えを出した。“鳴き声”に耳や感情を傾け心を動かすより、生命を終わらせた蜩のほうが美しいのではないか……と。
家に入ると、洗面所でしっかりとハンドソープで手を洗い指1本ずつを丁寧に水気を拭うと、自分の部屋に向かった。途中、キッチンで妻が夕飯を作る料理の、醤油の香ばしい匂いが鼻についた。部屋に入るとドアの鍵を閉めた。静寂し整頓された書棚には写真の知識の書籍や風景などの写真集、自分が撮ったアルバムが並んでいた。スライド式になっている書棚の奥には、特注で作ってもらった鍵付きの扉があった。サギヌマは鍵を開けて棚から1冊のアルバムを取り出した。黒い表紙のアルバムを机に置くと、デスクに設置されていたライトをアルバムに光が反射しないよう傾けた。
表紙を開くと、最初のページには少女の死体が写真に収められていた。右側の身体全体を強く地面に叩きつけられ、真っ黒なおかっぱの髪からは頭部が切れ、鮮やかな血が地面に広がっていた。頭蓋骨や肉片、脳などは飛び散ることなくドスンと地面に吸い付くように落ちたのだろう。生気がなく、焦点も定まらない少女の見開いた目、地面に這い蹲るような身体を眺め、サギヌマは芸術作品を鑑賞するように堪能して眺めていた。同じ目線でと思い、地面に横たわりレンズを少女の顔に向け、サギヌマはその日、丁度写真部の集まりで持っていたデジタル一眼レフカメラを取り出すと夢中でシャッターを切り、何枚も写真に収めた。
当時、小学校の非常勤講師をしていたサギヌマは偶然居合わせた、少女の自殺現場だと思っていた。ふと視線に気がつき、校舎を見上げると3階の屋上に人が立っているのをサギヌマは見た。逆光で生憎顔がはっきり見えなかったが、体の大きさからして生徒だろうと認識した。
この偶然が、サギヌマの感性を目覚めさせた。それまで被写体とと言えば、景色や建築物、草花だったがこの美しい被写体に魅了されてしまい、刑事の間で“掃除屋”と呼ばれる仕事をし始めた。殺人に対する感情は依頼者の思いであって、サギヌマにとってそれは作品を作る上での工程の一つでしかなかった。
ページを捲ると、これまで仕事をしてきた作品たちが次々現れる。大抵は絞殺され、ぐったりと地べたや床、様々な所に横たわっている写真なのだが、次のページを捲りサギヌマは再びじっくり鑑賞し始めた。
島田アヤカの写真と沢木たかこの写真には、今までなかった依頼者の殺人に対する強い思いが表現されていた。それらの演出の工程にサギヌマはどんなレンズを使おうか? リバーサルフィルムで撮ったら写真以外に、プロジェクターで鑑賞し更に楽しめる……など、無邪気な気持ちで胸が踊っていた。
普段は、デジタル一眼レフカメラを使うのだが、依頼人の指示で事前にイメージされた写真がメールで送られる。イメージは、ハヤトの手元に届いた写真と全く同じものだった。指定された場所に置いてあった人形の部品を受け取り、写真のイメージをそのままに殺害を再現して、ポラロイドカメラに収め、依頼者の指定した場所へ撮った写真を置いておく。依頼人は本当に殺害したのかと、作り上げたイメージの両方を確認したいと希望していた。たまには指向を変えるのも悪くないと、サギヌマは自分のポラロイドカメラを使用し、作品を仕上げた。
ドアの向こうでノックが2回鳴ると同時に、妻の“ご飯の用意ができました”と声が聞こえ、サギヌマは、
「あぁ」
と短く返事をした。アルバムを閉じ、元の場所にしまうと鍵をかけ書棚をスライドさせた。掛けていたメガネが少し下がり、鼻の付け根にかかったフレームを軽く指で押し上げた。
リビングでは、妻と娘が食事や皿をテーブルに並べていた。
「おとーさん、ご飯このくらい?」
茶碗に盛ったご飯を見せ、サギヌマは一つ返事をして答え、食卓についた。
「ね、おとーさん。最近、なんか嬉しそうだよね?」
正面に席を構え座った娘がニコニコしながらサギヌマに尋ねた。
「あら、そうなんですか? あなた」
娘の隣に座った妻が、微笑みながらサギヌマの顔を見た。
二人に見られ、サギヌマは少し考えていた。
『知らぬ所で気が抜けていたか……』
二人が気づかないほどの微笑をし、口を開いた。
「……そうかもな。今、一緒に仕事している相手がいい感性しているから」
サギヌマがそう言うと、娘はぽかんとした顔をしていた。
「感性って、おとーさんの仕事保険の仕事でしょう? どういうこと?」
家族には表上、保険会社勤務と話しているため、サギヌマは不意に出た言葉に戸惑った。
「あぁ……」
「ふふ。ハルミちゃん、お父さんはねこう見えても、感受性豊かなのよ。きっと、気が合うのでしょう? だからそう表現したのよ」
妻は穏やかに微笑み、娘に教えた。
「えー? おとーさん、感受性豊かだったの? 写真趣味なのは知ってるけど……じゃぁ、私の結婚式、もーすぐだけどやっぱ、泣いたりしちゃうかなー」
娘はからかうように、笑顔でそう言った。サギヌマは返事をせずに食事に手をつけ始めた。
「もー、図星でしょう?」
「……さあな」
ぼそりとサギヌマは娘に答えた。
「将来、子供生まれたらおとーさん、孫の写真ばかりとっていたりしてー」
食卓は、結婚式間近の娘が浮かれ気分で話に花を咲かせていた。サギヌマは、娘にそう言われ何かを思い出していた。
「あなた、お魚、味薄かったかしら?」
妻がサギヌマの顔色を伺っていた。煮付けにされた魚の味や味噌汁の味よりも、考えていた意識のほうに集中してしまい、妻に尋ねられハッとした。
「いや……大丈夫だ」
「そう」
ほっとした顔をして、妻は微笑み食事に箸をつけていた。
食事を済ませると、サギヌマは再び自分の部屋に行き手前の書棚からアルバムを取り出した。小学校で非常勤講師をしていたときに、サギヌマは写真部の顧問をしていた。さっきの娘との会話の中でサギヌマは、1枚の写真を思い出して見返したくなりそれをデスクに置いた。爽やかなライトブルーの表紙のアルバムは、写真部で教えた児童の写真を焼き増しした作品集だった。パラパラとページをめくり花や飼っているペットを写した写真たちを通り過ぎていくと、あるページにたどり着き手を止めて開いた。
自分が撮り続けている被写体が“静”と例えるならば、この写真は“動”だろう。放課後、グランドでキャッチボールをして遊んでいる躍動感溢れる動き、夢中に遊んでいる少年の楽しげな笑顔からは声が聞こえてきそうで、表情が自然に撮れたポートレートだった。
タイトルは“友達”。その写真は、全国児童フォトコンクールで金賞を取った作品だった。大抵の子は、人をモデルにすると直立不動でピースサインをしている写真が多い。デジタルカメラが主流でオートフォーカス任せで簡単に撮る子が多い中、この写真を撮った児童は、アナログでフィルムを手巻きするタイプの一眼レフカメラで撮り、フィルムまでこだわり、カラーリバーサルを使用し、その露出や絞りが素直に表現されていたが、小学生にしては上出来な仕上がりだった。
『たしか……この写真を撮った子は……。あ、あぁ。そうか』
サギヌマはイスから立ち上がり、書棚をスライドさせ再び鍵の中の書棚からさっきの黒いアルバムを取り出した。1枚目の記念すべきサギヌマの被写体となった少女の写真を広げ、眺めていた。
『グンジ ナホ……。君の写真からは何か特別なものを感じた。私の写真には全くもってない“人の感情や被写体に対する特別な想い”が滲み出てる。残念だが、やはり私には生きた人物を撮る楽しさに、魅力を感じない。モデルになった君のほうが、ずっと魅力的で美しい……無意味な労力である“会話を交わさない”死体の方が、私は心が開ける』
サギヌマは、2冊のアルバムを並べ、ナホの死体とナホの撮った少年の写真を並べてしばらく眺めていた。
♠新たな封筒~カラーリバーサル♠
午後7時。今日、最後のレッスンを受けた男の子の生徒が、母親に連れられ家の前に止めた車に乗り込んだ。
「咲良先生、さよーなら」
助手席に座り、母親にシートベルトを掛けてもらった男の子は、ひらひらと小さな手を咲良に振って見せた。
「さようなら。明日のコンクール、頑張ってね!」
屈んだ姿勢で咲良は男の子に話しかけた。運転席に乗り込んだ母親が、
「先生、ありがとうございます。明日は先生も会場行かれるのでしょう?」
咲良に尋ねながら、シートベルトを掛けていた。
「えぇ。花音も出るので」
「じゃぁ、明日お会いするかもしれませんね」
「そうですね。気をつけてお帰り下さいね」
咲良が声をかけ、母親は車のエンジンをかけ出発した。門の外に出てそれを見送り、角を曲がり車が見えなくなるまで立っていた。
「さて。最後は花音のレッスンだわ」
両手を組みそれを身体の手前に伸ばし、自分に言い聞かせるよう言った。門を閉め、郵便受けに何かが入っているのに気づき、咲良はそれを手に取った。茶色の角型の封筒には“エンドウハヤト様”とだけ印字されており、差出人の名前や切手すらなかった。
「? 何かしら? ……また施設からかしら」
少し考えたが、家に入り咲良はリビングのテーブルにそれを置き、花音の待つ地下の教室に降りて行った。
スタジオで曲の練習をしたハヤト達は、ちょうど同じ時間に隣の部屋で練習していたバンド仲間に声をかけた。彼らとは、以前にライブのイベントに出させてもらった仲間だったため、ライブの相談を持ちかけた。タイミングよく、ライブイベントの提案をしバンドを集めていた所だと言うことで、ハヤト達は喜んでそれに参加することを依頼した。
「オレ達、ラッキーだな!」
帰り道、車を運転しながらシゲは嬉しそうに言った。その言葉に、グラスホッパーのメンバー全員が頷いていた。
「後は、選曲だな! 今度はリハーサルか」
薄く開けた助手席の窓から風が入り、茶色のさらさらしたハヤトの髪が風に揺れていた。ハヤトは目にかかった前髪を手ではらいながら、皆にそう言った。
「もう、スタジオ日程押さえたし、そーだな。次はリハーサルかぁ。俺、高校の友達に声かけておこう」
カジは後部座席に席を構え、くしゃっとした笑顔で話していた。
「やっぱしさぁ“トリケラトプス”は、はずせねーだろ!」
シゲが満足気にそう言うと、ジンとカジは苦笑いしてハヤトを見ていた。
「……マジ?」
ハヤトがおずおずとシゲに聞くと、シゲは大きく頷いてにかっと笑った。その顔は血を継いだ蓮にそっくりコピーされていたと、ハヤトは思った。
「おう! だって、あれはグラスホッパーの代表曲だろ!」
「マジでかっ!? あれ、うちのバンドの代表曲だったのかっ!?」
ハヤトは大きな声で呆れながらシゲに言った。後部座席の二人は、互いに顔を見合わせ肩を震わせ声を出さずに笑っていた。
「マジかよ~。あれ、歌うのけっこう……なぁ」
言葉に詰まったハヤトに、シゲは、
「ハチャメチャで、はっちゃけて歌えばきもちーぞ! 俺らはよく風呂で歌うと、大暴れするから風呂のお湯がなくなっちまうんだ。うるさいし、お湯はなくなるしで、まぁこちゃんとかあちゃんに叱られっけどなぁ」
そう楽しそうに話、ハンドルを握っていた。
「あー……マジかー……」
溜息をつき、もはや暗黙の了解となってしまったようで、ハヤトは抵抗を諦めた。カジは窓の外を眺め必死に笑いを堪え、ジンは小さく笑い、ハヤトに同情していた。
「もうすぐ、着くけどハヤトはジンのところでいいのか?」
「あぁ。俺、ジンの所で弁当かなんか買って帰るから」
「家に嫁さんいないの?」
カジが尋ねると、ハヤトは助手席から後部座席のほうを見た。
「いや、今、娘のピアノのレッスンしてるんだ。明日がコンクールだから。俺の夕飯は後回しされたわけ」
「なるほどな。自分でなんとかしろって? 俺なんかいつもコンビニ弁当だぞ」
カジの言葉に、ハヤトは苦笑いながら頷き同情していた。
ジンの店の前で車を降り、シゲ達を見送るとジンと二人でコンビニに入っていった。
「いらっしゃいませ~。あ、店長お疲れ様です」
レジに立っていたアルバイトの男の子が挨拶をしていた。ハヤトは店内で夕飯になるものを考えながら商品棚の前に立っていた。悩んだ挙句、枝豆と漬物に缶ビール、から揚げ弁当を選ぶと、アルバイトの立っていたレジにそれらを置いた。レジの中で書類に目を通していたジンにハヤトが尋ねた。
「そういや、おまえんとこのかみさんって、店出たりしてんの?」
書類から視線を離し、ハヤトの顔を見た。
「あぁ。掛け持ちだけど。パートで年寄りの介護? ホームヘルパーっていうのやってんだ。ウチのヤツは身体丈夫じゃないから、買い物とか食事作ったり、掃除したりくらい……らしいけどな」
「へー。それでも、他人の世話なんて、えらいなぁ……。そうだ。今度のライブ、かみさんも誘ったらどうだ? 俺たちまだ会ってないし。多分、日程合えばうちのやつとか、シゲんとこのまぁこちゃんや蓮も来るだろうし。カジも友達誘うって言ってたし。な?」
ハヤトがそう言うと、ジンは少し考えたあと、
「わかった。聞いてみるよ」
一重の円らな目を細め小さく頷いた。
ハヤトが家に帰ると、案の定夕飯の用意はなく、リビングのテーブルに角型の茶封筒が置かれていた。
「------!!」
ハヤトはハッとしてそれを手に取り、買ってきた弁当をリビングに置くと、書斎に行き部屋のドアに鍵を掛けた。
『……まさか。また、写真なのか……?』
恐る恐るハヤトは茶封筒にハサミを入れ、中を出した。
「? なんだ?」
封筒からカサっと音を立てて滑り落ちるように出てきたのは、白く薄い四角形のプラスティックだった。よく見るとそれは、写真で使うマウントと呼ばれるもので、カラーリバーサルフィルムを切り、一枚ずつそれに収めるものだった。
カラーリバーサルフィルムがマウントに挟んでいたコトに気が付いたハヤトは、デスクのライトを点けてマウントを手に取るとそれをデスクの光に当てて、かざして見た。
「これ……」
マウントが小さな額のようになり、カラーリバイサルフィルムに映された1枚の小さなカラー写真には、小学生の自分が楽しそうにキャッチボールをして遊んでいる姿が写されていた。
『どうしてこれを俺に……? これを持っているのは、たぶん“アイツ”……』
ハヤトは大きく溜息を吐いた。遠い日の記憶が送られてきた1枚のカラーリバーサルフィルムによって、呼び起こされていた。
♠グンジ ナホ♠
その夜、ハヤトはなかなか寝付けず、午前3時過ぎようやく眠りに入り懐かしい夢を見ていた。
ハヤトが幼少の頃暮らしていた養護園には、親がいても虐待で預けられてしまう子供、ハヤトのように両親がいない子供、様々な事情の子供たちが共同生活をしていた。
「ハヤトくん、私、ピアノの発表会の練習してるの。聴いてくれる?」
「あぁ、いいよ」
黒いおかっぱ頭の少女は、にっこり笑ってハヤトの手を引いて歩いた。もう片方の手には、ブライスドールの人形を大事に抱えていた。小学校6年生。当時は、少女のほうが背が高く、痩せ細い小柄なハヤトは可愛いと、施設や学校で女の子に人気者だった。
施設に置いてあった、アップライトのピアノの前にあるイスに腰掛けるよ言うよりは、身体が小さいため、お尻を当てている程度に座っていた。そうして人形を自分の隣に置くと、鍵盤と向かい合わせた少女は、真剣な顔をし楽譜なしで小さく細い指で大きな鍵盤を静かに弾き始めた。パッヘルベルのカノンを一つもミスなく引き上げると、静かに指をピアノから下ろした。ぽかんとした顔で、感心し聞き入っていたハヤトの顔を見て少女はにこりと笑った。
「どうかな?」
「すげー! ナホおまえ、ベートーベンみたいだな」
興奮気味にハヤトにそう言われ、ナホはハヤトの誉め言葉にクスクス笑いながら照れていた。
「おじいちゃんがね、発表会用にお洋服買ってくれたの。パパやママにも見に来て欲しいけど……病院から出たらまた、ママはお酒飲んじゃうし、パパも外出できないんだって……。けど、山梨からおじいちゃんたちと妹も来てくれるから、楽しみなの」
嬉しそうに話すナホを見て、ハヤトもつられて笑顔で聞いていた。
ナホの両親は、お互い病を抱え父親は精神疾患、母親はアルコール依存症でお互いが病院に入院していた。母親の両親であるナホの祖父母が、ナホと身体の弱いナホの妹を世話していた。
「あのね……。発表会、ハヤトくんも来てくれる?」
夕日が差し込み、ピアノの置いてある部屋にオレンジ色の光が広がっていた。夕日でナホの顔が赤く染まっていたのを、ハヤトは気づけなかった。部屋の外では、子供たちが駆け回る声や、話し声が遠くで聞こえていた。穏やかな時間がゆっくりと二人の間に流れていて、心地良い感覚がハヤトの中で残っていた。
「あぁ。もちろん! 楽しみだなー。頑張れよ!」
ハヤトに応援され、ナホは顔をくしゃっとして笑顔になっていた。
「よかったー。うん! 私、頑張るね」
ピンクのワンピースを着たナホが、発表会当日、リハーサルとして与えられた時間、舞台でピアノを弾いていた。自由に出入りできていたため、ハヤトは最前列の客席でナホの弾くピアノを聴いていた。すると、舞台の袖のほうから足早に駆け寄ってきた、白いノースリーブのワンピースにポニーテールをした発表会の参加者である少女が、ナホの弾くピアノの前に現れた。
「さっさと、終わってくれる? 次、私が弾く時間なくなっちゃうじゃない!」
言葉を言い切ると共に、ピアノの蓋を思い切り閉めナホの手が挟まれた。
「ギャーーーーーッ!!」
ナホは苦しみながら叫んでいた。ハヤトが駆け寄り、急いで蓋を開けたが、両手の指は骨折し動かなくなっていた。突然の出来事とあまりの痛さに、ナホは放心状態の中涙を流していた。
「おまえ、何てことすんだ!! ナホに謝れよ!!」
ハヤトは思い切り少女を突き飛ばした。
「たかこちゃん! どうしたの?」
「あの子が、私をドンって突き飛ばしたのー」
騒ぎを聞いて駆けつけた少女の母親が、じろりとハヤトを睨みつけた。
「うちのたかこちゃんに、なんてことするの!!」
「ひでーのは、コイツだ! 突然ナホの手、ピアノの蓋で思い切り挟んだくせに! ナホの手どうしてくれんだ? お前、謝れよ!!」
ハヤトは近くにいた大人たちに取り押さえられ、ナホは救急車で病院に行き手術を受けた。勿論、発表会どころではなくなっていたし、その後、ナホは二度とピアノを弾こうとしなかった。
ハヤトはハッとして、目が覚めた。ベッドサイドの目覚まし時計は午前4時を過ぎていた。ハヤトの隣で咲良は寝息を静かに立て眠っていた。ハヤトはそっとベッドから降り、部屋を出てリビングに行き、水道水をコップに注いだ。
『……沢木たかこは、あの時、ナホの手を挟んだ女だったんだ……。そいつが、まるでナホの仕返しみたいに殺された……』
食卓に座ったハヤトは、コップに注いだ水をゴクゴクと飲み、はーっと息を吐いた。
『丁度、あの頃だったなぁ。ナホが学校でいじめられたの……』
きっかけは、ハヤトにはさっぱり分からなかった。ハヤトは小学校の児童会会長をしていたため、ハヤトと仲のいいナホをいじめていた児童は、クラスの中ではいじめず、陰でナホを苦しめていた。ナホが施設のピアノのある部屋でそれをハヤトに打ち明けた頃には、いじめはかなりエスカレートしていた。
「……大丈夫だ。俺がいるから。俺が、守ってやるから! 誰なんだ? ナホをいじめてるヤツって」
ナホはぎゅっと口を閉じたまま横に首を振り、名前を言わなかった。ナホは床に体育座りし、顔を胸と足の間にうずくめて、嗚咽しながらひたすら泣き続けていた。ハヤトはその隣で何も言わず、泣き終わるまでずっと座っていた。
『けれど、俺はアイツを守ることなんて出来なかった……。結局、いじめた相手を打ち明けず、ナホは学校の屋上から飛び降り自殺して死んだ……。せっかく、ピアノの後、アイツのじーさんがくれたカメラに興味を持って、写真のコンクールで金賞とれて、写真を撮るの楽しくなってたのに……辛かったんだろうな……』
ハヤトは何も解決できず、ナホを救えられなかったコトにずっと苦しみ続けていた。時々、こうしてナホの夢は未だに見るが、届いた写真や事件のせいで夢を見る頻度は増え、考え込んでしまい不安が膨らみ眠りが浅く、熟睡することがあまり出来ていなかった。
頭を抱えていると、目から涙がスーッと頬を零れ落ちた。声を殺し泣いていたハヤトの喉の奥がぎゅうっと苦しく、熱くなっていた。
『あんな写真を送りつけ、人を殺して……ナホを守れなかった、俺への制裁なのか? もし“アイツ”だとしたら、なにがしたいんだ……?』
ハヤトは両手をテーブルに置き拳を作ると、強く力を込めてそれを握り締めていた。
掃除屋サギヌマが仕事をはじめたきっかけ、私生活や人物像が出てきました。
(サスペンス書いているのに、死体とか血とかホント苦手な作者なので、描写が物足りなく感じられたかもしれません……) m(__)m
ブライスドールの写真や、送られたカラーリバーサルフィルムから、ハヤトは少しずつ何かを確信しつつあります。
そして、登場人物同士がループして少しずつ全貌が明らかになりかけてます。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございます。m(__)m
まだお話が続くので、引き続きお付き合い頂けましたら幸いです
評価もできましたら、お手数ですがよろしくお願いいたします。m(__)m