ハヤトの秘密
♠ハヤトと咲良と花音♠
早朝4時。
ハヤトの住む2階建て地下1階の戸建ては、シゲの家から少し離れた高台にあった。辺りは住宅街で早朝ともあり、静けさが広がる中、新聞配達の走るバイクの音やスズメの鳴き声が響いていた。
大手企業の社長をしている咲良の父親の援助もあり、一戸建てに兼ねてからの咲良の希望であったピアノ教室を、地下室に防音効果を備え作ってもらった。そして、ハヤトは現在咲良の父親の元で企画課課長として、会社の商品開発をしている。
妻である咲良は、ピアニストを目指して音大で勉強していたが実力が伸びず、諦めかけていた頃にハヤトと出会い娘が出来たため、夢を娘である花音や自分が開く教室の子供たちに託した。
寝室で寝息を立てて寝ていたハヤトは、突然外から大きく響き渡るクラクションのような音に、胸がドキッとして飛び起きた。ベッドサイドの目覚まし時計を確認すると、午前4時を数分過ぎる所だった。
慌てて窓と雨戸を開けると朝日が差し込んできて目がくらんだ。辺りを見回すと、道を挟んで斜め前の家の老父が、ランニングシャツとステテコ姿、足元は靴も履かずに裸足のままで、家の駐車場に止めてあるベンツのドアをガタガタ開けようとしていた為、車に設置された盗難防止の機械が反応し、警戒音が鳴り響いていた。音は、静かな朝の予期せぬ目覚まし時計になっていたようで、ハヤト意外にも、何処かは確認できないが雨戸を開ける音がちらほら聞こえていた。
辺りに大きく響き渡る警戒音と老父にハヤトは冷めた視線を向けていた。
「とーさん、何やってんだよ? ほら、家に入って……」
慌てて出てきた家の息子が、警報を止めると老父を叱り家に連れ戻そうとしていたが、老父は「やめろ」と言いながら、声を上げながら大きく抵抗していた。ハヤトの視線に気が付いた家の息子が二階の窓から見ていたハヤトや近隣の家に頭を下げながら、老父を無理やり家に押し込むように入っていった。
『……ったく、えらい迷惑だよな。あのじーさん、これで2回目だぞ』
ハヤトが横で寝ている咲良を気遣いながら、雨戸を静かに締めようとすると、
「いいわよ、私、さっきので目が覚めちゃったから。それに、もう起きなきゃだし」
咲良がベッドから身体を起こし、ハヤトに声をかけた。
「お前も目が覚めちまったか……。また、あの家のじーさんだ」
「困ったものね。近所の人に聞いたけど、認知症らしいわよ。この前、お散歩一人で出かけて、戻って来れなくなって、お巡りさんが連れてきたの見たって」
咲良はドレッサーからヘアブラシを取り出し、黒くストレートのセミロングの髪をとかしながら、ハヤトに話した。
「こうも朝から大きな音立てられるとな……あの音は心臓に悪い」
ハヤトは大きな欠伸をした。咲良が起きるというので雨戸を開け、窓を閉めようとすると、飼い猫か野良なのかは不確かだが、よく近所で見かける茶トラのネコが屋根の上を歩いていた。さっきの警報に驚いたのだろうか、安心したのか朝日の当たる所に座り毛づくろいを始めていた。
「お陰で早起きしたから、今朝はゆっくり新聞読めるか。もう来てるか見てくる」
ハヤトは寝室を出ると、階段を降りて1階の玄関から外に出た。郵便ポストには既に新聞が入っていたのを確認し手に取ると、取った瞬間に何かがポストからカサッと音を立てて落ちた。
「? なんだ?」
事務用の角型をした茶封書にはプリントで“エンドウ ハヤト様”と印字され、それ以外は送り主の名前も、切手やメール便などの送られたであろう痕跡も一切なかった。ハヤトは新聞と封書を持って家に入った。リビングに行くと、新聞と封書をテーブルに置き雨戸とカーテンを開けた。ハサミを電話台の引き出しから取り出すと、テーブルの上に置いてあった封書を手に取った。中身を確認するかのようにハヤトはそれを窓のほうにかざして見た。大きさは封筒の半分もないくらいで手触りで紙に比べると少し厚みがあることが分かった。ハサミで封を開け中身をゆっくり出した。
「……?------!!」
ハヤトが中身を見て確認した瞬間、着替えて身なりを整えた咲良がリビングのドアを開けて現れた。
「どうしたの? 驚いた顔して。……? 手紙?」
咲良はハヤトの手にしていた封書を覗き見ようとしたため、ハヤトは咲良に見られないよう、とっさにそれを封筒に仕舞った。
「あ、あぁ。施設から。来月イベントあるから、その案内だった」
「ハヤトが居た養護園から? ……行くの?」
咲良はキッチンに行き、コーヒーを入れるためポットに水を入れていた。
「さぁ、どうかな……? 予定が合えばだけどな」
「その時は、花音には内緒で行ってね」
咲良の表情がストンと抜け、冷めた目でハヤトを見た。
「……あぁ。そうするよ」
とっさに出た嘘に墓穴を掘ったハヤトは、苦笑いしながら封書を手にしてリビングから出ようとした。
「ハヤト、コーヒーは?」
「あ、あぁ。いるよ。これ、部屋においてくる。花音に見られたらお前だって嫌なんだろうから」
「そうね。もう、封書送ってこないといいんだけどね……」
咲良は声のトーンを下げ言葉を漏らすと、それはハヤト胸にチクリと刺さった。ハヤトは暗い表情で小さく溜息を吐き、リビングの扉を静かに閉めて出た。
咲良との結婚で父親が猛反対したのは結婚よりも先に子供が出来たコトと、ハヤトが孤児で幼い頃から施設で暮らしていたからだった。当時、ハヤトと咲良は決死の覚悟で父親を納得させた。咲良の勘当は免れたが、結婚式に咲良の両親は出席せず、暫く冷戦状態が続いていた。しかし、孫の誕生がきっかけでハヤトはようやく咲良の父親との条件付きの和解が成立した。自分の娘や孫娘の幸せを第一にしたいと、自分の会社にハヤトを就職させ、生活の安定を与え家を建てて与えた。しかし、世間体を気にし、孫娘に哀しい思いはさせまいと花音には絶対にハヤトの過去は秘密にして欲しいと堅く約束させたのだった。
寝室に戻ると、ハヤトはベッドに腰かけて手にしていた封筒の中身を再び取り出した。
「……なんなんだ? 誰がこんな……」
送られた2枚の不気味な写真を凝視したまま、血の気が引いてくる感覚が身体に伝わり、スーッと顔から背筋、腕の皮膚の表面を撫でるように走った。悪質な悪戯なのだろうかと考えながらハヤトは2枚の写真を封筒に戻すと、寝室から出て隣の書斎に入り、鍵のかけてある引き出しにそれをそっと入れて鍵を締めた。書斎から出ると、花音が既に着替えをし部屋から出ると、こちらに向かって廊下を歩いてきた。
「パパ、おはよう。今日は、珍しく早起きなのね?」
小学校の制服である紺色のワンピースを着て、咲良譲りの黒い髪をポニーテールにした花音の姿は朝から凛と清々しかった。
「おはよう、花音。お前、いつもこの時間に起きてんのか?」
「違うわ。もうすぐコンクールが近いから、朝もママ……先生にレッスン受けるの」
レッスンを受けるときの決まりらしく、花音は咲良をママと呼ばず、先生とぎこちなく言い直した。
「朝練かぁ……えらいなぁ」
感心するハヤトに対して花音が鋭く、
「何それ? 運動部みたい。ダサいよパパ」
言い方が咲良によく似ているのは親子だからだろうが、実の娘に言われると咲良に言われるより胸を締め付けられる思いを、ハヤトは感じていた。
「そうかー。ごめんなぁ」
苦笑いしながらそう言うと、さらに追い討ちをかけるかのように、
「起きたんだから、いつまでもそんな格好していないでね。髪の毛、寝癖付いてカッコ悪いよ」
と、さらりと注意しハヤトの横を通り過ぎていった。
『……なんだが、咲良が二人いるみたいだなぁ……。二人とも、もっと昔は可愛かったんだけどなぁ……』
ハヤトは肩を落とし、小さく溜息を吐いた。
翌朝4時。
その日の朝は、パトカーと救急車のサイレンが遠くから聞こえハヤトは目が覚めた。
『今日はいったい、なんなんだよ……。ゆっくり、寝かせてくれよ……』
家の近くでそれらの音が止った。布団を被っても外の雑音は消えず、人が集まりだしざわついている様子も聞こえてきていた。苛立ちを感じながらも、目が覚めてしまった仕方なさからハヤトは寝室の窓と雨戸を開け辺りを見回した。すると……。
昨日、老父が警報を鳴らした斜め前の家にパトカーと救急車が止り、近所の人たちが家の前で野次馬のように見ていた。
「何かしら? 怖いわね……」
咲良が起きてハヤトに声をかけたと同時に、部屋の扉が勢いよく開きパジャマ姿の花音が蒼白した顔で入ってきた。
「パパ、ママ!! 怖い!!」
花音は咲良に抱きついて顔をうずめ、身震いしていた。
「大丈夫よ。ハヤト……」
咲良に目で訴えられ、ハヤトは気乗りしないが渋々あの野次馬の中へと出かけていった。外は朝から日が射して気温が少し高く、暑さを感じさせた。
救急車の中には既に、誰かが運び込まれ乗っている様子で慌しくなにやら処置をしている人や、搬送先の病院を当たり、電話をかけている様子が見えた。
家の前で集まっていた野次馬の近所の人たちは、ハヤト同様に身なり気にせずパジャマやTシャツ姿で立っていた。
「どうしたんですかね?」
ハヤトが近くにいた中年の女性に尋ねた。
「息子さんが、お父さんのコト殺しちゃったらしいわよ。朝早くから何か外で怒鳴り声聞こえてたらしいって。ほら、ここのおじいちゃんボケてるから、カッとしちゃったのかしらね?」
中年の女性は、ひそひそと話すというより、自分の知っている情報を他人に話すコトに満足気な印象を感じ、ハヤトは『ワイドショー好きのおばさんだな……』と呆れた。
「……そうですか」
興味ない雰囲気でそっけなくハヤトは言葉を返した。中年の女性の話していることはまんざらでもなく、合っていた。認知症の老父がまたしても車に近づき、警報を鳴らしかけていたのを止めるとそこから大暴れし始めた老父を勢いよく突き飛ばし、馬乗りになると彼の首を絞め殺害してしまった。この家の嫁がすぐに救急車と警察に連絡し、駆けつけた。しかし、既に老父の呼吸は止っており、ハヤト達野次馬が集まる傍で、救急車の中で懸命に心臓マッサージをしていた甲斐も虚しく終わってしまった。
「通してください! ほら、道空けて」
警察官に腕を捕まれ、手錠を掛けられた手元をタオルで隠し、ぐったりとうな垂れたこの家の息子が連行されパトカーの後部座席に乗り込んだ。家の中から出てきた警察官が、手際よく家の門に立ち入り禁止と印刷された黄色いテープを張り、規制線を作っていた。
「皆さん、ご自宅に戻られてください!」
警察官に声を掛けられ、渋々戻る人もいれば少し離れた所で更にみている他人もいた。ハヤトはすぐに家に戻り、出来事を咲良に伝えた。
コーヒーを入れて待っていた咲良は、
「……お気の毒ね」
とだけ言うと、薄い唇に白いマグカップをつけてコーヒーを啜った。
「そうだな……」
ハヤトは心の中で『やっと、静かな朝がくる。これで目覚まし鳴るまでゆっくり寝れるぞ!』と、言葉とは裏腹に明日に期待したのだった。
♠早朝の訪問者♠
午後8時。
連日早朝から起こされ、ハヤトは寝不足気味で仕事をしていた。部下の提出した書類に全て目を通し終わり、最後の一つに確認欄に印を押すとイスの背もたれにもたれ、大きく身体を反り両手を大きく伸ばした。席を立ち、ビルの窓ガラスから景色を眺めると、外はすっかり暗く辺りの会社のビルも所々窓の明かりが点いているだけだった。
鞄に荷物を入れ、ジャケットを手に取り鞄と一緒に手で持った。企画部のフロアーはまだ社員が残って仕事をしていた。通りすがり際、自分のデスクがある窓側に比べると室内の温度が異様に涼しく肌寒かった。
「ここ、寒くないか?」
ハヤトは立ち止まり、近くの席で仕事をしていた若い女性社員に声をかけた。
「課長、寒いですよ。だから私、こんなに装備してるじゃないですか」
見ると女性社員は、黒の長袖カーディガンにフリース素材のひざ掛けを掛けていた。
「? なら、温度上げればいいじゃないか?」
ハヤトは何の疑いもなくそう言うと、女性社員は小さく首を横に振り人差し指を立てて口元に当てた。
「課長、だめですそんなことしたら、大貫(おおぬき)さんに言われちゃいます……」
女性社員の言う大貫は、巨漢な体系をして、冬でも汗をかくくらいの暑がりだったのをハヤトは思い出した。
「あいつのせいで、こんなにここ冷えてんのか……。あいつの席、少し考えるか」
ハヤトは見兼ねてそうつぶやくと、女性社員の顔はパッと明るくなり両手を組んで神様に祈るようにハヤトを見ていた。
「かちょー! ぜひともお願いします!!」
すがるような目でそういわれ、ハヤトは“あぁ。考えておく……”と軽く返事をした。
「じゃ、お先。お疲れさん」
「お疲れ様でしたー」
フロアーに挨拶をして、ハヤトは最後にチラリと大貫の姿を目にしてフロアーを後にした。
『あのエアコン効いた中、汗かいてんだからスゴイなぁ……考えないとな……』
歩きながら、大きな欠伸をすると、
『今日なんだがダルくて疲れてるから、シゲんち寄るのやめるか……。昨日も仕事なんだかんだ遅くて行けなかったしなぁ……。まだ、みんなで角田と顔合わせしてないしなぁ。どっかで角田の音聴かせてもらいたいし、シゲに相談するのは明日にするか』
第二の我が家に帰るのを、今日も見送ることにした。
会社のある都内から自宅までの約1時間、電車の中でハヤトは音楽を聴いたり、ビジネス書籍や推理小説の文庫本を読んだりして過ごした。ipodから繋いだイヤフォンを耳にかけ、音楽を聞く。寄り道をしないハヤトにとって、仕事上がりの一杯は自宅で決められた量を嗜むのだが、音楽を聴くコトは仕事のON・OFFがすぐにシフトできる手軽な手段だった。シャッフルされた曲の中からthe HIATUSの曲がが流れていた。曲に聞き入ってしまい、自分自身を重ねてしまう。ここ数日の近隣の出来事で身体が不安定だったために、精神的にも負な考えが不意に思考回路に侵入しようとしかけていた……が、今朝それは既に残念な結果だったが解決した。
『危うく“不眠症”になるところだった。けど、今日から安心だな!』
ハヤトは負の考えを払いのけ、爽快な気分で足取り軽く家路に向かっていた。
翌朝4時。
ピーンポーン……。
静けさが漂うハヤトの家の中に、インターフォンの音が響いた。
「……なん……だ? こんな時間に」
ベッドサイドに置いてある目覚まし時計は4時を指していた。
『今度は、何なんだ……?』
ぼーっとするハヤトの思考回路は繋がらず、瞼が再び重なろうとしたその時、
ピーンポーン……。
「ハヤト……」
隣で咲良が目を覚まし、ハヤトの身体を揺すり起こした。
「誰だ? ったく、こんな時間に」
むくりと起きて、歩きながら寝癖だらけの茶色い髪をそのままに、ボリボリとパジャマの中に手を入れてお腹を掻いていた。
リビングのインターフォンのカメラに映し出されたモニターをONにすると、30代くらいの女性とその後ろに見える少女の姿がチラリと見えた。女性は、すらりとした身長で白い襟付きのノースリーブシャツにデニムパンツを履いていた。
「……あの、こんな朝早くなんですか?」
「沢木と申します。咲良先生いらっしゃる?」
『……おい、こっちの質問無視かよ?』
ハヤトは顔をしかめ、ムッとした。よく見ると、沢木の後ろには、花音と同じ私立の小学校の制服を着た少女が眠そうに、目を擦りながら立っていた。
沢木がインターフォンの前で待っていると、しびれを切らしている様子で再びインターフォンを鳴らし、
「咲良先生!! 出てきて頂けます?」
上品な口調は苛立ちが混ざり、声が少し大きくなっていた。
「…………」
呆れたハヤトは一旦モニターの画面を切ると、再び寝室に向かった。すると咲良は、素早く身なりを整え、グレーのノースリーブワンピースを着て、凛とした表情で寝室から出ようとしていた。
「聞こえていたわ。沢木さんね?」
「あ、あぁ……。なぁ、どーしたんだ?」
ハヤトは、咲良の後について歩きながら聞いた。
「昨日、花音が学校でマリンちゃんにコンクール間近だから、朝から練習しているのを話したら、自分もそれをやりたいと言っていたらしいの。だから、まさかと思ったけど……あの親ほんとうにきたのね。ウチも自分の子供は可愛くてバカがつくかもしれないけど、他人に迷惑かけてまでそのバカはしないわ!」
温和で物静かな咲良が憤慨するコトは滅多になかった。淡々とした口調で言い切ったと同時に、深呼吸を一つして家のドアを開けた。
「おはようございます、沢木さん。朝から、どうかされたの?」
ハヤトは咲良の後ろで身を狭くしたまま、咲良を見守っていた。
咲良が姿を現すと、沢木は娘の手を引いて門を抜けると駆け寄ってきた。その顔は、勝気でそれでいて何か勝ち誇ったような、笑みを見せていた。
「おはようございます、先生、うちのマリンにも早朝レッスン受けさせていただけます?」
ばっちり化粧をし、前髪まですっきりまとめたポニーテールで朝から気合が入ってるなとハヤトは感心し傍観していた。
「お断りします!」
咲良ははっきりと力を込めて、沢木に言った。咲良は真剣な眼差しでじっと沢木を見ていた。沢木は、咲良の言葉に一瞬引きを感じさせたが、気を取り直したのか変わらず負けん気で口を開いた。
「あら、花音ちゃんは早朝レッスン受けているじゃないですか? 昨日マリンが花音ちゃんから聞いたそうですよ? 自分の子供だけ時間外でレッスンなんて抜け駆けしないで、教え子になら平等にされるのが当然ではないかしら? 咲良先生だって、自分の教室の生徒から今回のコンクールの入賞者欲しいでしょう?」
咲良は沢木の言葉に迷うコトもなく、
「お宅にも、ピアノもあれば教えられる元音大学生のあなたもいるじゃないですか? 早朝から練習したいのは花音の自主的な意思を尊重してです。誰でも自宅で練習くらいするものでしょう? それに、沢木さん、教室の営業時間は決まってます。時間外で特別には、絶対受け付けません! こんな朝早くから他人の家に押しかけるのもどうかと思います。お引取り下さい!!」
そう言い切ると、薄い唇をきゅっと閉じた。沢木は悔しそうに言葉をためながら咲良を睨み付けた。
「そう!? 後で、どうなるか覚えてらっしゃい!! もう、こちらの教室には金輪際通いませんから!! ほら、マリンぼけっとしてないで、帰るわよ!!」
娘の手を勢いよく引っ張ると、ポニーテールをゆらゆら揺らしながらさっさと帰り、門もそのままに車に乗り込み黒のアウディーが家の前を通り過ぎていった。
「……ったく、随分自己中な来客だな。お前、大丈夫か?」
ハヤトは咲良を心配し声をかけると、咲良はゆっくりと振り向いてハヤトの顔を見た。
「大丈夫よ。あの人、学校でもかなり有名なモンスターペアレンツだから、すっきりしちゃった。……けど、教室に影響するわね」
力なく笑って咲良がそう言うと、家の中に入りハヤトはその後に続いて家のドアを閉めた。
「どういうことだよ?」
「沢木さんは、音大時代から少し知ってた人でその繋がりで、うちの教室通ってくれたの。あの人のママ友が割りとうちの生徒だったりしていたから……」
「便乗して、教室やめるかもしれない……?」
ハヤトが言うと、咲良は頷いて見せた。
「心配するな。それは、そいつらの勝手だ。誰もついてこなくても、“ウチの生徒”が一人いればいいだろ」
ハヤトはリビングのドアに立ち、黙って立っていた花音に視線を移した。
「花音、ごめんね。もしかしたら、ママのせいでマリンちゃんと何かあるかもしれない」
咲良は花音の前に行くと、花音に静かにそう言った。
「ううん。大丈夫よママ。私もさっきのママを見て、胸がスーっとしちゃった。マリンちゃんは、欲しいものはなんでも親がなんとかしてくれて、それを自慢するからちょっと嫌だったの」
花音になだめられると、咲良は力ない笑みを見せ、
「ありがとう」
そう言うと花音をそっと抱きしめ、笑みの抜け落ちた不安げな顔を隠していた。
咲良が予想していた通り、その日のうちに5人の生徒の親から教室を辞める連絡が入った。咲良は気丈に振舞っていたが、手がけて来ていた生徒たちが離れてしまったことに肩を落としていた。花音とマリンちゃんは、沢木が花音と口を利かないよう言い聞かせていたらしいが、子供同士はいつしか普段どおり会話し、心配するようなコトはなにもなかった。
ハヤトの元に届いた不気味な写真。一体、何が映されているのか? そして、それを隠したいためにハヤトの過去が出てきました。
今回は、ハヤトたち家族とその周りの関係者がメインでした。
途中、ハヤトが聴いていたバンドは実在します。これもまた、作者のお気に入りです。お話を書く上で、音楽を聴きながらイメージするので、メモ帳やパソコン以外にも音楽は必需品です。(ハヤトがお話の中で、聴いていた曲の“ヒント”を言ってます。これは、余談です)
ハヤトの周りで少しずつ何かが動き始めてます。今回は、長編になりそうです。どうか気長にお付き合い下さい。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。m(__)m