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キツネ坂  作者: 千ノ葉
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運命の悪戯 ―再会―

 家に戻り、昼食を食べたあと、僕は家の中でダラダラと休憩を取っていた。今日の一大イベントをクリアして気が抜けてしまったのだろう。

 本当は今すぐにでも、あの坂に行きたいところだった。

 でも、あの場所では夕陽を見なくてはいけない気がするのだ。何となくだが。

 そうなれば時間を潰さなければいけない。なら何をすればいいのか…………僕の視線の先には特に何もない部屋が飛び込んできた。

「うん。掃除をしよう」

 というわけで、僕は家の掃除をすることにした。部屋の水拭きから、おまけの水周りの掃除まで。特に綺麗好きというわけではないのだが、これから住む家なのだし、やって損はないだろう。

 姉貴は仕事があるので、細かい掃除はめったに出来ないらしい。表面上は綺麗に取り繕っているが、隅には埃の山が出来ている。その事実は昨日のうちにお見通しだ。

 僕は腕まくりをし、掃除道具を友として埃の殲滅を開始した。


 掃除というのは不思議なもので、やり始めると止まらない。気が付いた時には四時半を回っていた。そろそろ丁度いい頃合いだろう。

 綺麗になった部屋を見回し、満足感と共に僕は家を出るのであった。日の入りまではあと一時間以上もある。ゆっくりと歩いていこう。また倒れたら恰好悪いし。




 坂道は昨日と同じで穏やかであった。紅葉している木々も、微かに聞こえる風の音も変わらない。巣に帰る鳥の声を聞きながらゆっくりと坂を歩く。

 昨日とは違い、今日は特に疲れを感じない。僕は快調に足を進め、ついに頂上付近へと辿り着いた。

 ここは峠道の頂上だ。僕の記憶が正しければ、小さな展望広場があり、そこから街を一望できたはずだ。


 記憶通り、僕の目線の先には広場がある。不思議な達成感を感じながら、僕はその広場へと近づく。だけど、そこには僕以外の人が居た。人物の特徴より先にその服装が目に飛び込んでくる。


 ブルーのチェックスカート、それに合わせるかのような青のワイシャツ。正面を向けばネクタイがついていることも分かるだろう。その制服を僕は見たことがあった。ついさっき訪れた白狐高校の制服だ。

 時間的には高校生が下校しても変ではないのだが、彼女みたいな子が一人で居ることは珍しいと思う。ここの景色はいいとしても、ここには木で作られた簡易的な腰掛しかない。遊び盛りの高校生が来る様な場所ではないのだ。


 風は彼女のスカートと長い髪を揺らす。その風なびく黒の髪は何故か〝あの子〟を連想させる。


 でもそんなはずはない…………彼女はもういないのだから。



 彼女は街を眺めているようでそこから動かない。僕はここに居るべきか迷ったが意を決して歩み始める。僕にだってここに用事があるのだから。

 数歩進んだところで、彼女が動く。落ち葉を踏んだ音で彼女は僕に気が付いたようだ。ゆっくりと僕のほうを向いた。

「っ!」

彼女の顔を見て、僕は言葉を失った。



 彼女は似ているのだ――――

 いや、そんなはずはない!

 

 僕はその場に立ち尽くし、彼女の顔を眺めるしかなかった。赤の他人にそんな行動をすれば変人に思われるかもしれない。自分で思うほど彼女を凝視していた。それしかできなかった。

 しかし彼女もそんな僕を不審な目で見ることはしなかった。



 二人の間に静かな時間が流れる。風の音さえ聞こえそうな永遠の一瞬だった。

「裕さん…………?」

 彼女の声で僕は我を取り戻す。そしてその言葉が意味することを知った。彼女は僕のことを知っているのだ。どこかで会ったのだろうか?

 いや、そんなことはどうでも良い。やはり彼女は〝あの子〟ではなかったのだから。

 彼女は僕を〝裕ちゃん〟と呼んでいた。

 〝呼び方〟。そんな些細な違いでも、僕にとってはまったく別の人物である証拠なのだ。


 彼女は僕の逢いたい人物ではなかった――――


 そんなことは分かっていた。

 分かっていたはずなのに僕の心の中には、何か苛立ちにも似た感情が芽生えたのだ。その感情を押し殺し、僕はその場を取り繕う。

「えっと…………」

 僕が言葉に詰まる中、彼女は少しずつ僕へと近づいてくる。何故かその場から逃げ出したい気持ちにもなっていた。そんな気持ちも知らずに彼女は近づいてくる。

 その顔がはっきりするたびに似ていると思ってしまう。そんな思考を消すことはとても苦痛だ。まるで消しゴムで心を削るかのように思える。

「えっと、裕さんですよね? 私を覚えてますか?」

 そんなこといきなり言われても困る。彼女に似た人物ならば知っているが、その子は死んでいるのだ。五年前に…………

「あっ、えっと、ごめんなさい………」

 彼女の足は僕から少し離れたところで止まる。謝罪を口にしたのは僕が悲痛な表情を取ったからだろうか。それでも彼女の口は止まらない。

「亜季の妹のです。坂上、亜矢です」

 そこで僕はやっと理解した。〝あの子〟には妹が居たことを思い出した。

 何故そんな大事な事を忘れていたのかは分からない。だけどはっきりしたことがある。

 目の前の少女はやはり〝あの子〟ではないのだ。亜季はもう居ないのだ。

「裕……さん?」

「えっ?」

 頬に何か生温かい流れを感じた。指ですくってみると、それが何であるのか分かった。

 僕は泣いていた。その自然と流れ落ちる涙に視界はぼやけていく。

「あれ? なんで泣いてるんだろ?」

 目を擦っても涙は止まらない。この涙はどこから来るのだろう?

「ご、ごめん。ちょっと」

 僕は彼女に背を向け、涙を止めようと必死に努力する。しかし涙は止まる気配を見せない。恥ずかしさあまり、この場から一目散に逃げ出したいとも思った。


 ふいに背中になにか柔らかいものが触れる。それが彼女の掌だとすぐに理解した。

 彼女は両手を背中に付け、身体を寄せてきたのだ。その背中越しの暖かさに、僕の涙も不思議とだんだんと収まった。この温もり…………懐かしい。


 しばらくそうした後、僕は彼女からゆっくりと離れた。温もりを失った背中は急に寒くなる。その温度差は僕に平常心を取り戻させた。感情が収まってくると急に恥ずかしくなってくる。それは彼女も同じようだ。俯いている顔は真っ赤に見える。それは夕陽の赤さのせいではないだろう。

「ごめんね。僕…………」

「い、いえ。私こそ……」

 気まずい沈黙が流れている。僕はその状況を打開すべく、彼女に会話を試みた。

「亜矢ちゃん。僕、覚えているよ」

 と、口では言ってみたものだが、僕の記憶の中にほとんど彼女の姿はない。おぼろげに思い出せることと言えば、僕と亜季が楽しそうに遊んでいる後ろで見守っている幼い亜矢ちゃんの姿だけだ。

「えっと、裕さん。この町にはなんでいらっしゃったのですか?」

「ああ、昨日から引っ越して来たんだ」

「えっ!」

 彼女は驚きを顔に表す。それとともに嬉しそうな顔を見せた。

「そうなんですか。よかった………」

 彼女が見せる初めての笑顔はやっぱり亜季とそっくりだった。そんな笑顔を見ると何か心の奥に引っかかりのようなものを感じてしまう。

「あっ、そうだ。いっしょに景色を見ませんか?」

 彼女は僕の手を取り、展望広場の方へと引っ張る。

「あっ、ちょっと……」

 半ば強引に腕を掴まれ、僕はその場を後にする。


 峠の展望広場。ここからは街一面が見下ろせる、ここは〝僕たち〟の秘密の場所だった。

 特に夕暮れ時の眺めは最高だった。すべてのものが紅く染まり、まるで赤い海の中に沈んでいる街のように見えるのだ。


 だがそれは僕の記憶の中の話だ。今、僕の目に飛び込んできたものは、全く異なる景色であった。

 町の中央には建設中のビルの姿が見える。海から突き出る長いコンクリートの塊は何か不協和音のような嫌悪感を募らせる。

「綺麗ですよね」

 もしかして隣にいる彼女と僕は、違う景色を見ているのだろうか?

 こんな景色を僕は綺麗とは言えない。ここに亜季が居れば彼女も僕と同じことを考えてくれるだろう…………

「私、ここが大好きなんです」

 僕の気持ちも知らずに彼女は嬉しそうに語り出す。

 僕はそんな彼女の言葉を半ば聞き流し、目の前に広がる景色を眺めていた。



「そろそろ帰るね。じゃあ、また――――」

 しばらく景色を睨んだ後、僕は彼女に軽く挨拶をし、その場を後にしようとする。

「あっ、裕さん…………あの」

「ん?」

「その、一緒に帰っちゃダメですか?」

 彼女は真っ直ぐな目で僕の顔を見てくる。そんな表情をされては断るわけにはいかないじゃないか。

 というよりもよくよく考えてみれば彼女は女だ。こんな時間に一人で出歩いていたら、どんな危険があるか分からない。

「うん。行こうか」

 そう告げ、僕と彼女はその場を後にした。




 大した会話もなく坂を下り、商店街へとたどり着く僕ら。ここまで来ればもう危険は無いだろう。

「そうだ、僕、買い物しなくちゃいけないんだ」

「あっ、手伝いましょうか?」

「えっ、悪いよ、そんな……」

「でも、安いお店知っていますよ」

 早く別れたいと出した言葉は、思わない方向へと話を発展させてしまった。

 この話題は彼女の得意領域らしい。僕が話さずとも話題は膨らんでいく。

 面倒だと思う一方で、ある別の考えが浮かんできた。それは最大限に彼女を利用してやろうというものだった。

 ここに来てから商店街のお店の値比べをしたことはない。親から仕送りされている状態なので、食費をケチれればそれに越したことはない。姉貴も大層喜ぶだろう。そんなことを計算し、彼女に連れられ商店街の店を巡ることにした。

言うだけあって亜矢ちゃんのアドバイスは的確で、僕は二、三割安い値段で野菜を買うことができた。他にも自分ひとりでは入らないであろう隠れた名店を発見できたのだ。

 時間と手間はかかったが、それなりの収穫を手にし、僕は帰路に着いていた。その隣には当たり前のように彼女の姿もある。

 亜矢ちゃんは他愛のない会話を僕へと振ってくる。でも何か無理している感じもする。まるで沈黙を嫌うような感じだ。本当は年上の僕が会話を引っ張らなければいけないのだろうが、そんな気分ではない。少なくとも今は。

「じゃあ、私の家はここなので」

 突然彼女は立ち止る。そこは僕の家に程近い見覚えのある家であった。

「ああ……………」

 見慣れた家の前にいる亜矢ちゃんの姿を見ると、彼女が亜季の妹だと再認識させられる。

「じゃあ裕さん。また」

「うん。じゃあね」

 僕は手を振る彼女に見送られながら、その場を後にした。ひとりになると右手に持った買い物袋がやけに重く感じた。



 ボーっとして夕飯を作っただけにあって、その日のディナーはみごと失敗した。お皿は割るわ、フライパンは焦がすわ、酷いものだった。これは姉貴に叱られることを覚悟しておこう。そして僕の予想通り、家事全般にダメ出しをされる僕であった。掃除でマイナスを相殺していなかったら危ないところだった。

「で、裕。今日、何かあったでしょ?」

「えっ?」

 僕を散々へこませた後に姉貴は唐突に聞いてくる。

「顔に書いてあるわよ。嫌な出来事がありましたって」

「別に嫌なことではないけど…………」

 そうだ。僕は亜矢ちゃんに会って、ちょっと変わった景色を見ただけなのだ。それ以外は何の変哲もない一日だったのだ。なのに、どうしてこんな気持ちになっているのだろう?

「姉貴。亜季に妹がいるのって知ってた?」

「うん。亜矢ちゃんでしょ」

「そりゃそうだよね……」

 姉貴はずっとここらに住んでいるのだ。それは亜矢ちゃんのことも知っているだろう。ご近所さんだし。

「そっか。亜矢ちゃんに会ったのね」

「うん…………」

「亜季ちゃんに似ているわよね。彼女」

「そうだね…………」

 僕はそんな空返事をする。そんな僕の態度に姉貴はため息を付いた。そして僕の方へと詰め寄ってくる。

「てぇい!」

「痛っ?」

 僕のスネにはローキックが突き刺さった。その痛みに思わず声が出てしまった。

「なんだよ。姉貴!」

 姉貴は睨みつける僕を指さすと、

「あんたが何を思っているか知らないけど、亜矢ちゃんは亜矢ちゃんなんだからね!」

「はぁ?」

「まあ元気になれってこと!」

 そう言って、お風呂場に消えていった。

「たくっ、何なんだよ…………」

 疑問を抱く僕にはジンジンするスネの痛みが残っていた。


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