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キツネ坂  作者: 千ノ葉
2/16

帰郷。思い出の場所へ

 僕は車に揺られて、田舎道を走っていた。ロクに舗装されていない道は車体を揺らし、その度に、座席に詰めた荷物がガタガタと悲鳴をあげる。ここまで揺れると割れモノが心配になる。いくら新聞紙で包装してあるといっても、この長旅で割れてない保証はどこにもない。やはり素直に宅配便で送ればよかったかと少し後悔している。だが僕にはこだわりがあるのだ。慣れていないお茶碗じゃないと美味しくご飯を食べられないのだ。だから引越しの最後の日までお気に入りの茶碗で美味しいご飯を食べて出て来たのだ。その選択が正しかったと思いたい。

(ゆう)、この辺り、覚えているか?」

 僕が私事を考えている間に運転席の父親が僕へと話しかけてくる。その言葉を聞き、僕は外へと目を移した。

 車の横を通り過ぎる景色は秋色に染まっていた。黄金の穂をつける田園。赤や黄色に染まる木々、そして、頬をなぞる冷たい北風――――これらはすべて思い出せる………いや、思いだしたんじゃない。この風景はずっと僕の胸の中心にあったものだ。だから懐かしいという感情は出てこなかった。ただこの風景を見ているとやはり落ち着くのだ。

 これが故郷の良さってものなのだろうか。十七歳でそんなことを思うなんて、ずいぶん心が老けているのではないかと苦笑してしまう。

 僕は秒速十一メートルで進む田舎道の風景を飽きることなく見続けた。

 しばらくすると景色は徐々に姿を変えていく。道路はコンクリートで舗装され、横には様々な真新しい建物が見えてきた。

「へぇ、ウワサ通り、開発されたんだな。この町も」

 父はその街並みを見て感心しているようだったが、僕はそうは思わない。何なのだろう。この違和感は? 近代的な鉄の塊が田畑を覆い隠し、太陽の光さえも少なくなったように感じる。心の風景にはない〝それ〟は僕を苛立たせる。

 高くそびえ立つビルを睨むが、車の速度はそんなことお構いなしに鉄の塔に向かい道を走っていく。


 しばらく走ったところで車は速度を落とす。僕にもこの周辺は見覚えがあった。それはそうだろう、僕の実家はこの近くなのだから。この辺りの風景は然程変わっていないように感じる。だが、少し目を凝らして見てみると、小学校の頃によく行った駄菓子屋。その入り口はカーテンが閉められており、店の前にあった自動販売機も無くなっている。辞めてしまったのだろうか? それとも今日はお休みなだけなのだろうか? 判断はできない。けれどその些細な変化は、ここでの時間の経過を僕に示すのだ。

 信号待ちで止まった自動車の中で僕はそんなことを思った。

 車は商店街を抜け、閑静な住宅街へと進んでいく。この辺りのことは僕の庭といってもいいほど知っている。どこにどの同級生が住んでいるかだって言える。引っ越しが無ければという前提付きだが。

 そしてやっと赤い屋根の家が見えてきた。それを目印にするかのように父は、その家の敷地内へと車を止めた。父の手慣れた車庫入れなどを見ていると、ここが自分の実家だという実感が持てる。一緒に車を出て玄関へと足を運ぶ。その短い間に庭などを見渡したが、大した変化はない。雑草が生い茂っていないことから推測するに、姉貴はしっかりと庭の管理をしているようだ。

 父がチャイムを押すと中から女性の声がし、玄関の扉が開いた。

「いらっしゃい。お父さん、裕」

 中からは僕より背丈が二周りほど小さい女性が顔を出した。彼女は僕の姉である、津谷 海晴だ。現在は社会人三年目で、年は僕より四つ上の二十一歳だ。

「お父さん、運転大変だったでしょ? 少し休みなよ。今、コーヒー出すから」

「ああ。助かるよ」

 父は姉の言葉に甘え、居間の方へと向かったらしい。僕もそれに追従して玄関を上がろうとしたところ、姉の言葉に足を止められた。

「あら、裕。また背が伸びた?」

 姉貴は僕の頭を背伸びして撫でて来る。つま先をプルプルさせながら、僕のてっぺんを触ってくる動作はまるで小動物のようだ。

「姉貴が縮んだんじゃないか?」

 僕は逆に姉貴の頭をポンポンと叩く。

「きーっ! 弟の癖に生意気!!」

 姉貴は僕の頭を叩こうとジャンプしてくるが、僕はフットワーク良く、それをかわす。背丈の差もあるので、姉貴の攻撃はまったく届かない。僕が大きいのではない。姉貴が小さすぎるのだ。姉貴は高校生や中学生に間違われることがしょっちゅうあるという。背だけではなく、この幼い顔つきや、行動がそういうことに結びつくのだろう。

「晴海。コーヒーはどこだ?」

 僕たちのやり取りに父の声が介入してくる。どうやら姉貴に待ちきれなく、自分でお茶でも淹れようとしているらしい。

「ちょっと、待って。私が淹れるからっ!」

 姉貴はそう居間に向かって叫ぶと、

「ということで、勝負はお預け。良いわね?」

 一時停戦を決めて、姉貴は台所へと走っていった。


 居間に行くと父は畳の上に胡坐をかいてリラックスモードだ。やはり長年住み慣れた家は良いものなのだろうか。僕は父から少し離れたところで棚の上を物色していた。そこには家族の写真がそのままになっており、なんだか懐かしみを感じる。

「裕っ! 運ぶの手伝って!」

 台所から指名がかかったので、僕は文句も言わずに姉貴の元へと向かう。自分に課せられた使命はショートケーキを運ぶことらしい。それにしても、わざわざ甘いものの最上級詞を用意しているとは姉貴も中々できる。

 フォークとコーヒーを用意してティータイムの開始だ。

「ほう…………美味いな」

 父は姉貴の淹れたコーヒーを褒める。

「でしょ? マスターのブレンドしたコーヒーを分けてもらったの。裕には分からないかな?」

 ミルク入りのコーヒーを飲んでいる僕を馬鹿にしたような目で見る姉貴にはむかついたが、ケーキに免じてここは敢えて反撃しない。この苺ちゃんをどう美味しく食べるかが問題なのだから。

 主に父と姉貴の会話によりブレイクタイムは終了する。さてここからが大変だ。僕の引っ越し作業が待っているのだから。

 僕と父は荷物の積んである車のほうへと向かった。引越しといっても、実家には家具もあれば姉貴もいる。なので洗濯機やテレビを運ぶ手間が省けた。しかし僕の衣服や食器だけでも結構な量があるのだ。それらの入ったダンボールを家の中に運んでは、箱を開ける。その作業の繰り返しで時間は刻々と過ぎていった。


 すべての作業を終わらせたときには時計の短針が四のところを指していた。作業時間は一時間半ほどだが、結構疲れた。体力があるほうではないのでそう感じたのかもしれない。

「じゃあ、ボクは帰るから。海晴、裕のことをよろしくな」

 引っ越し作業からほとんど経っていないというのに、父は僕らに手を振って車へと乗り込んだ。本当はゆっくりしていきたいのだろう。だが明日から仕事の待っている社会人にそれはできないのであった。家に着くのは七時過ぎになるのだろうか? せっかくの休日を僕の引っ越しに使わせてしまい、少々申し訳なく思う。年末に会う時には肩たたきでもしてやろうと思う。いつも計画倒れに終わるのだが。

「お父さんも気をつけて帰ってね」

 姉貴はそう言った。僕も便乗して「ありがとうと」感謝を述べておく。父は一瞬、笑顔を見せ、アクセルを踏んだ。そうすると呆気なく父の顔は視界から消えてしまう。車が曲がり角を曲がるまで見送った後、僕たちは玄関へと向きを変えた。

「さてと、裕。こっちに来なさい」

 姉貴はそういうと家の中へと入る。僕はそれに続いた。そして居間にあるテーブル越しに僕は姉貴と対面する。

「じゃあ、これから決まりごとを発表します」

 張り切った声で姉貴はそう宣言。別に僕は驚かない。これは僕たちの家では定例行事のようなものなのだから。家の中でのルールを決め、こうして発表しあう。それは以前から当たり前のように行われていた。

「まず、家事は二人で分担すること」

 姉貴はカレンダーを引っ張り出してきて、そこに何やら印を付けていく。

「週末は私が忙しいから、裕がご飯を作ってね」

「分かった」

 仕事のスケジュールを僕に教えながら、姉貴は家事分担をしていく。社会人対学生ということで、僕に家事の割合が大きくなっているが、それはしょうがない。実家とは言えど、ここは姉貴の家なのだ。居候させてもらう僕にどうこう言う権利はないだろう。

「門限は決めないけど、遅くなるときは連絡すること」

「はい」

「私の部屋には入らないこと」

「はい」

 事細かな性格の姉貴だけあって、結構細かいことまで決められてしまった。まあ理不尽なルールもないので極力守るようにしよう。

「で、さっそくなんだけど」

 姉貴はメモ用紙にシャープペンを走らせると、僕にそれを渡してきた。そこには、ジャガイモやらニンジンやらの文字が書いてある。

「今夜はカレーだから、それを買ってきてね」

 引越しの準備で疲れているので、嫌な顔が露呈してしまう。しかし、姉貴は言葉巧みに僕を誘導してくる。

「町の様子も見たいでしょ? 買い物がてら見に行ってらっしゃい」

 言い方自体は柔らかいが、姉貴の内側からは〝強制〟の二文字を連想させるオーラが出ている。

「わかったよ………」

ここで断れば僕の居候人生は不利になるだろう。大人しく財布と携帯を持って、玄関を出た。



 玄関を出ると頼もしげな陽光が僕の顔に掛った。もう夏も終わりに近いと言ってもまだ外は明るい。僕は夕暮れに近い涼しげな空気を楽しみながら、商店街へと足を進めていた。

 商店街の店々にとって今の時間は書き入れ時なのだろう。主婦と思われるおばちゃんや、おばあさんが真新しい店舗の入り口付近に群がっているのが見える。

 この商店街は家から近く、幼いころにもよく遊びに来ていた。だが、僕の覚えている駄菓子屋や、八百屋は既に無くなっていて、その代わりのように人を集めているディスカウントショップなどが目に入った。

 この町に来るまで、ここの時間は止まっていると思っていた。だがそんな僕の意思とは関係なしに、時間は刻々と経過している。移り変わりつつある風景を見て、僕にそんなことを思うのだ。

 まあ、哀愁ばかりを浮かべていても、おつかいは終わらない。買い物する店をに目星をつけながら僕は道を歩いていった。



 だが足を進めているうちに、僕は商店街から出て、いつの間にか野道を歩いていた。

方向音痴ではないと思うのだが、引っ越しの疲れでボーっとしていたからだろう。

 踵を返そうと、ボクは振り返る。だが、すぐに向きを変えた。何となくだがこの道を歩かなければもったいない気がしたのだ。幸い、時間にはまだ余裕がある。僕はその道を歩いてみることにした。そう心に決めると、驚くほどスムーズに僕の足は前の道を進んでいった。


 町の中では見られない、紅葉やイチョウ。その道は僕の記憶にある風景そのものだった。確かこの道を一緒に歩いたことがある。

「一緒に、か…………」

 心の中の言葉を呟く。誰に言う訳でもない。何となく呟いた、そんな言葉は冷たい空気に混じり消えていく。

道を歩き続けていくと、足が重くなる。まあ、何の不思議もない。僕の目の前の道は登り坂になり始めたのだ。

ここの名称は覚えている。この坂は地元の人に古くから、〝キツネ坂〟と呼ばれている。名前の由来は、昔この坂でキツネが現れ、人を化かしたというエピソードからきているらしい。そんな話が実在したのかは定かではないのだが、昔から呼ばれている名前を否定する気もない。

 そんな坂で僕がすることはただひとつ。この坂を興味が無くなるまで登ることだ。

 〝あのこと〟以来、ここに来るのは初めてだった。ここは本来、来たくない場所なのだろうが僕の足は自然と頂上を目指している。

 僕はわざと道の端を見ないように路側帯を道路に近いほうを歩いていく。目線は空だけに向けていた。

 膝の古傷が痛む。それに伴い、脂汗が出てくる。子供のころは簡単に登れたこの坂も今の僕にはとてつもなく急な斜面に感じられる。それは怪我のせいだけではないのだろうが…………

 息を切らしながら、ついに僕は頂上付近まで足を運んだ。あともう少しで〝あの風景〟が見られると思うと、足取りもなんだか軽くなった。


 坂が終わる…………その時だった。僕の目の前に真っ白な霧が出てきたのだ。

 こんな時間に霧など出るはずがない。僕は自分の目を疑った。しかし、その霧のようなものは僕の視界を完全に遮る。半ばパニックになりながら、その場で立ち尽くす。前を見ても、後ろを見ても、霧が立ちこめ僕は完全に感覚を失っていた。

「ど、どうなっているんだ…………これ?」

 生まれてこの方、こんな体験はした覚えがない。だがこのとき、ある言葉を思い出した。

「〝この坂ではキツネが人を化かす〟…………そんなはずはない」

 未知の恐怖をかき消すかのように僕はそう呟いた。だがその言葉とは裏腹に、僕は焦っていた。第六感というのだろうか。僕は本能でこの事態を恐れているのだ。だが下手に動こうとすれば、もっと悪いことが起こりそうだ。

 僕は平衡感覚を保ちながら五感すべてを使い、辺りの様子を探る。そうすると、自分の前方に小さな明かりが見えるのに気づいた。霧に浮かぶその明かりは、ぼんやりとしており、キツネ火という言葉を連想させる。

進むべきか、否か迷う。だが、このままここに居ても、状況は変わらないだろう。僕は意を決して、その方向へと足を進めた。

 だが、どんなに歩いても一向に進んでいる気がしない。その明かりは自分の遥か彼方にあるのかまったく近づけないのだ。

「はぁはぁはぁ………」

 足にも疲れが出始めている。元々、僕は怪我のために長距離を歩くことは医師に固く禁止されている。ついに僕は膝を折り、その場で動けなくなってしまった。

 山で遭難してしまう人はこのような感覚を味わうのだろうか? 

 先の見えない道を歩き、動けなくなり、力尽きる…………

 こんな町中で遭難するなんて、どんな事件になるんだろう?

 明日の新聞の一面に自分が載ることを想像して、思わず苦笑してしまう。諦めかけた、その時、前方から足音が聞こえてきた。

それは靴で石畳を歩くような、コツコツという軽い音だ。その音は一定感覚で僕へと近づいてきている。

 人? いや、こんな状況で出てくるのは怪物と相場で決まっている。小説やらアニメやらの先入観で、僕は身体を強張らせてしまう。

 霧は先ほどより濃くなり、自分の鼻先すら見えない状態だった。そんな状況にもかかわらず、足音はまっすぐに自分のほうへと向かっているらしい。

 そして、その音は突然消える。だが、その人物が消えたわけではない。僕の目の前で止まったのだ…………

 霧越しのシルエットはとても小さい。子供のようにも見える。だが僕は警戒心を解いたりはしなかった。小は大を兼ねる場合もあるのだ。ホラー映画などの場合。

「裕ちゃん…………」

 その声に僕は耳を疑った。その透き通るような高い声は聞き覚えがあるのだ。僕がこの声を忘れるはずがない! 


 だけど…………


 霧の先の人物は僕へと手を伸ばす。その手はとても小さく、手首にはカラフルなミサンガが結んであった。


 僕はこの手を取って良いのか悩んだ。この手に触れてしまえば、僕の培ってきたものが崩れそうで怖い…………

 だけど…………


 僕は〝彼女〟の手を握った。その瞬間、瞬く間に霧が晴れていった。その霧と共に彼女は手を離し消えていく。

「待って! 行かないで!」

 僕は彼女を捕まえようと懸命に手を伸ばすが、その腕は空を切る。

「また会おうね」

 その言葉を最期に僕の意識は闇の中へと吸い込まれていった。


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