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キツネ坂  作者: 千ノ葉
14/16

告白と別れ

 光の波が止んだ時、僕の耳は風の音を捉えていた。

 無音の世界から這い出し、僕は今ここにいる。ここは僕の世界だ。

 僕はベンチに座っていた。隣には白孤の姿もある。


「逢えた? 亜季に」

「ああ」


 僕は立ち上がり、正面を見た。真っ赤な太陽は沈みかけている。その眺めは僕の心臓を高鳴らせた。


「悪い、白狐! 荷物見といてくれ!」

「御意」


 彼女の返事を聞き、僕は駆けだした。やらなければならない事があるからだ。




「それと――――亜矢に気持ちを伝えてね。妹をよろしくね」


 亜季は僕に言った。僕は亜季の命令を聞かなければいけないのだ。亜季の為、自分の為に――――


 下り坂を走る。バランスを崩し、前のめりに転んだ。

 怪我と運動不足で足がガクガクする。でも、止まる訳にはいかない!

 僕は伝えるのだ!


 走って――――走って――――


 緩いカーブを曲がった時、制服の少女が目に入った。

 その顔は亜季そっくりだ――


「亜矢っ!」


 声を出したのは亜矢を呼び止めるためではない。僕を叫ばせたのは後ろからのクラクションだ。

 おそらくは大型トラック――――


 僕は手を伸ばした。必死に――あの子には届かなかった。

 たぶん永遠に届かない。だからこそ僕は亜矢を――――



 強風を巻きあげ、大型車は通り過ぎた。


 目を瞑ってしまって周りの様子は分からない。だが、腕の中には確かに、温かい感触があった。


「裕さん……?」


 亜矢は戸惑いの声をあげた。そりゃ、いきなり抱きしめられたら困惑もするだろう。けれど僕は止まれなかった。


「はぁはぁ…………亜矢、聞いてくれ!」

「は、はいっ!」


 僕は息を吸い、一息に言った。


「僕は君が、坂上 亜矢が好きだ――――」


 言葉は自分で思っている以上にすんなりと口を飛び出した。

 けれど代わりに彼女が黙ってしまう。

 フラれた? 返事が遅すぎたか? 敗北の二文字が頭に浮かぶ。


「裕さん――――でも、私、いいのでしょうか?」

「どうしたの?」

「だって、こんなに嬉しいのに…………私、姉の顔が思い浮かんでしまうのです。本当に許されるのかって――――」


 亜矢の顔には涙が浮かんだ。気持ちを素直に伝えたというのに、困った。こんな時に亜季が出てきてくれれば――


「亜矢――――」


 困り果てた僕は彼女の手を掴んだ。

 急なアクションに亜矢は動揺を隠せない。しかし、そんなこと構わなかった。


「行こう! 見せたい景色がある!」


 僕は歩いた。亜季と同じように、亜矢を連れて。

 今度は僕が連れていくのだ。彼女を、僕らの場所へ。


 時間間隔が狂っているだけかもしれないが、今日は夕陽が沈むのがやけに遅い。

 ありがたい。これで最高の風景を長く楽しめるのだから。


 後ろのベンチは空だったが、敢えて僕は柵の付近に立っている。白孤と荷物が消えているのは気になるが、まあ、なんとでもなるだろう。


「綺麗――――」


 亜矢は呟いた。

 彼女が言う通り、峠からの眺めは絶景だった。

 亜季と見た、先ほどの風景よりも綺麗に見える。それは何故だろうか。

 北風が冷たいというのに、右手は温かい。僕の掌は彼女の手を握り続けていた。拒む様子も無いので、僕は彼女の体温を拝借し続けている。


「裕さん……裕さんって、今もお姉ちゃんのことが好きなんですか?」

「ああ。もちろん」

「そうですか…………」


 僕のハッキリした答えを聞き、彼女は意気消沈気味に呟く。


「私って……裕さんの、その、彼女になる資格ってあるのでしょうか?」

「どうして?」

「だって、裕さんはお姉ちゃんのことが好き。私はお姉ちゃんに何も勝てませんし――裕さんを好きな感情も、たぶん…………」


 亜矢も縛られているのだ。過去に。亜季の存在はそれほど大きいものだったのだろう。

 だが、僕たちは進まなければいけない。未来へと。亜季もそれを望んでいるのだから。


「亜矢――――僕は亜季を守れなかった。事故で失ってしまった。過去は変えられないと分かっているのに、後悔ばかりする。けど――――」


 僕は進もう。未来へと。


「だからこそ、彼女の分まで、生きなくちゃいけない。だから――――僕は決めた。僕は亜矢を守りたい。亜季の分まで」


 亜矢を守れる保証などどこにもない。陳腐なペテン師の言葉かもしれない。

 けれど、僕は誓った。自分自身、そして亜季自身に。


 長い沈黙だった。

 だけど、その沈黙は以前のように重いものではない。おそらく僕は彼女の返事を分かっていたからだ。


「姉ちゃんのため――――私は自分が前に進めないのをお姉ちゃんのせいにしていたのかもしれないですね…………」


 亜矢は僕の手を離し、柵に手を置いた。


「この風景。いつまでも私と一緒に見てくれますか?」

「ああ。もちろん――――」


 この瞬間。僕たちは結ばれたのだろう。

 証など形のあるものは存在しないが、おそらくこの時に――――




 パン、パンっ――――


 そんな神聖な空間に、突如、音が鳴り響いた。

 驚いて振り向いた途端、顔に細かくて細長いものが絡みついてくる。いったい何が起きたというのだろう?

 絡まった物を振り払うと、目線の先には二人の少女の姿が見えた。


「おめでとーっ!」

「パチパチパチパチ」


「亜季! それに、白狐まで……」

 

 彼女らがなぜここに現れたのかも分からない。唯一理解したのは、彼女らがやけに嬉しそうな事、僕らに向かってクラッカーを鳴らしたということだけだった。


「えっ? お姉ちゃん? えっ、えっ? 耳……それに尻尾……」


 亜矢は目を丸くし、亜季、僕、それに、獣耳の少女を交互に見るのだ。


「裕さん…………これって……」

「ああ、僕もちょっと分からない状況なんだけど――――」


 説明を求める目で亜季を見るが、その当人も答えを持ってはいないようで、隣の少女に助け船を求めるのだ。


「何? 顔に何か付いている?」


 全員の視線が集まった所で彼女もそれに気が付き、不思議そうに首を傾げた。


「みんな、この状況を説明してもらいたいんだって」

「正直、面倒」

「えーっ、そんなこと言わないで、ね?」

 

 亜季は慣れた様子で白孤に両手を合わせ、お願いをする。僕らはその様子を見守るしかない。


「分かった。説明する」


 亜季の交渉の末、彼女は口を開けた。その口調が如何にも面倒臭そうだったのは気のせいではないだろう。


「私は白狐。一応、神様」

「ええっ? 神様……ですか」


 亜矢はたいそう驚いた目で、目の前の小さい子供を見下ろした。初耳の僕もそりゃ驚いた。けれども、なんだか納得だ。だって耳の生えた人間なんて、現世に存在する訳ないし。


「で、その神様が、なぜここにいるんだ?」

「契約の一環。これで亜季の願いを完全に叶えた」

「お姉ちゃんの願い?」


 亜矢は亜季の顔を見つめた。彼女の表情はまだ固い。死んだはずの姉に逢えた事がまだ信じられないのだろう。


「亜季の願いって、どんなこと?」


 僕は亜季に問う。


「それはね。裕ちゃんが私無しで、生きられるようになるまで見届ける事」

「はぁ。そうですか…………」


 亜季の言葉の通りだったら、今までの僕が亜季無しじゃ生きていけない存在であったかのように聞こえてしまう。まあ半分はそうかもしれないが。


「裕は大丈夫。もう亜季無しでも生きていける。保障する。コイビトも出来たし」


 その言葉に顔が赤くなる。良く考えてみれば、僕は二人の目の前で亜矢に告白したことになる。亜矢も同じことを考えているようで、頬を赤く染めている。


「亜季。そろそろ時間」

「あっ、そうなんだ」


 嫌な予感がした。亜季の表情が少し曇ったからだ。亜季の嘘は分かり易いから。亜矢も気が付いている。


「お姉ちゃん……行っちゃうの?」


 先に亜矢が声を出した。頭の良い彼女はもう分かっているのかもしれない。


「うん。ごめんね。本当は亜矢とも、いっぱいお喋りしたかったんだけど…………契約って白狐がうるさいからさ」

「うるさくない。これでも寛大な処置。本当なら、最期の時間を与えていない」


 文句を言われた当人は、亜季に向かって眉を吊り上げてみせる。だが、亜季は大した反省の色も見せず、亜矢と抱き合った。


 亜矢は泣いてしまった。

 抱き合う彼女らを見ると、歳の離れた姉妹のように見える。とは言っても、背の高い亜矢が亜季の妹になるのだが。

 僕は何も言わずに彼女たちを見守った。亜矢も僕と同じ、それ以上に亜季と触れあいたかっただろうし。邪魔をするべきではない。


「ねえ、今度は裕ちゃんの番。ハグしよ」

「えっ?」


 付き合ってすぐに他の女子と抱き合っていいのだろうかと、迷ったが、亜矢の目は僕を許してくれているように見える。


「じゃ、じゃあ……」


 僕は亜季を抱きしめた。折れそうなほど細い背中に僕より少し低い体温。どこからするか分からない良い匂い――――

本当ならば、ずっと抱きしめていたかった。しかし、時間が迫っているらしい。亜季は僕の背中を軽く叩いた。


 僕が名残を惜しみ、身体をそっと離すと――――

 突然、口を顔で覆われた。


「あっ!」


 後ろで悲鳴が聞こえた。亜矢の声だ。

 まったく、亜季の奴――最初から、最期まで僕を困らせやがって…………


「ごめんね…………これだけは、妹にも譲れなかったの」


 女児とは思えない色っぽい声で亜季は言った。

 まさか、こんな形でファーストキスを経験するとは思わなかった。


「あはは。お姉ちゃんにはやっぱり敵わないや」


 亜矢はそう言って笑ってくれた。

 それに釣られ、僕らは笑う。

 これで最期でも惜しくないほど、大きく、盛大に。



「亜季――――」

「うん」


 白狐の口から言葉が出る前に亜季は柵の方へと移動した。

 二人が並んだ所で、白狐が空へと手をかざす。途端、光の大群が現れた。これがあの世とこの世を結ぶ門なのだろうか。

 本当に行ってしまうのだ。彼女は。


 引き止めるという選択肢が無かったわけではない。しかし、彼女の笑顔を見てしまえば、そんな考えを起こせなくなる。

 亜矢も同じだ。涙を堪え、笑って見せている。


「お姉ちゃん。私、お姉ちゃんの分まで、生きる」

「うん。頑張って!」


 亜矢は再び、亜季と抱き合った。涙を流さないということに彼女の決意の固さが見受けられた。


「裕ちゃん」

「なに?」

「ありがとう」


 亜季は珍しく、僕に頭を下げた。


「気にするなよ。僕と亜季の仲だろ」

「ふふ。裕ちゃんは優しいね」


 亜季は悪戯に笑った。

 まったく。この顔、忘れられそうもないな。


「それじゃ。亜矢、身体に気を付けて。裕ちゃんは亜矢を泣かせちゃダメだよ」

「うん」


 亜矢は返事をし、僕は黙って頷いた。右手でグーサインをしたのを亜季も気が付いたらしい、小さいピースが返ってきた。


「行くよ」

「うん」


 白狐は亜季ともに光に包まれていく。

 神秘的だった。天国に召されるって言葉が良く似合う光景だった。

 亜季の背中に向かい、僕は居ても経ってもいられなくなり、叫んだ。


「亜季―っ! 今までありがとな!」


 言葉が届いたのかは分からない。しかし、最期に亜季は笑顔で居てくれた気がする。

 彼女たちの姿が完全に見えなくなった時、僕らは暗闇に取り残されていた。

 先の景色には街頭を照らした、街しかない。そこに愛おしい幼馴染がいた事を疑いそうになるほどだ。




「行っちゃいましたね」

「…………うん」


 亜矢も僕と同様に、ボーっと街を眺めている。しかし、彼女の瞳には、前に存在しなかった強い光が宿っているのを感じ取れた。

 彼女は姉から受けた言葉を反芻し、心に刻み込んでいるのだろう。


 息を吸った。今日の風は冷たい。完全に冬が近いらしい。

 短い秋は僕に色々な思い出を残してくれた。その大部分に登場していた幼馴染はもういない。それを僕は受け入れなければならないのだろう。

 僕らには未来があるのだから。


「寒いね」

「そうですね――」

「帰ろうか」

「ええ。そうしましょう」

「帰りにホワイトフォックス寄ってかない? 少し、何か食べたい気分だから」

「いいですね――――あっ」


 亜矢は僕の腕を見ている。そこにあった筈の色あせたミサンガはどこかにいってしまっている。

 地面を見れば、そこにプッツリと切れた、紐が落ちていた。


「切れちゃいましたね」

「うん」


 僕はミサンガを拾って、内ポケットにしまった。

 僕の願いは叶ったのだろう。だって――――

 

「じゃあ、行きましょう」

「うん」


 こうして愛すべき人を見つけたのだから。


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