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キツネ坂  作者: 千ノ葉
13/16

いつか見た世界で


 身体の感覚が戻り、僕は目を開けた。目の前の景色は先ほどとは違う。ここはどこだろうか? 

 坂の上では無い事は確かだ。


 辺りに目をやると何とも懐かしい気持ちになる。そうだ。僕はここを知っている。いや、覚えている。

 正面にある、あの建物は僕の通っていた小学校だ。そしてここは校庭だ。

 少し錆びれたシーソーやブランコ、そしてあの鉄棒。よく亜季と一緒に遊んだ――――


 懐かしさを胸に僕は歩く。歩幅で気づいた。僕の身体はまた縮んでいる。

 なるほど――これだけ小さければ、校庭も大きく感じるだろう。

 僕は辺りを見渡した。彼女の存在を感じたから。小さい事は亜季が傍にいる時は、何となく分かった。



「裕ちゃん」


 思った通り、亜季が桜の木の陰から飛び出してきた。


「亜季――――」


 僕は彼女に対しての色々な質問が頭に浮かんだ。しかし、それを引っ込め、代わりに手を出した。


「行こう」

「うん」


 亜季は僕の手を取った。懐かしい。この感触もあの時のままだ。


 僕から手を繋いだというのに、情けない。行くあての思いつかない僕を引っ張り、亜季は歩いていく。

 歩幅は亜季の方が少し大きい。

この頃はずっと亜季の方が背が大きくなるって思っていたっけ。今の僕の身長は170を超えたというのに。


「ねえ、裕ちゃん。商店街のほうに行こう」

「うん」


 僕は亜季の行きたい場所へならば、どこにだって行った。川の傍、森の奥、高い丘。

 今思えば大したことのない所だったと思うが、あの時の僕は亜季に振りまわされて、勇気を振り絞ってそんな場所について行ったっけ。


 商店街には人ひとりいない。いつもは賑やかな場所が静かだと、こうも不気味なのだ。だが亜季の足は止まらない。

 亜季は慣れた様子で駄菓子屋へと足を踏み入れた。ここにも誰もいない。懐かしいお菓子だけが棚へ陳列されている。


「裕ちゃんも好きなの選んで」

「え――」


 お金はどうするのだろうか? と考えている間にも、亜季は黄粉餅の袋を開けて食べていた。

 僕もそれに倣い、スナック菓子の袋を開けた。


 亜季は店内に供えられた椅子に座り、二つ目のお菓子に手を伸ばしている。子供ながらすごい食欲だ。

 僕は喉が渇いたのでソーダ味のアイスを食えた。それを真似し、亜季もアイスを加える。


 目があった。当然のように亜季は微笑む。そして僕も釣られて笑う。

 懐かしい。彼女が隣にいるのが当たり前だった日々が。


「さてと、裕ちゃん。少し遠くへ行こうか」

「遠く?」

「うん。いつもの場所」


 いつもの場所とはキツネ坂を指すのだろう。彼女はいつもそう。自分の思いつきであの場所へと僕を連れていった。

帰りが遅くなって何度、両親に怒られた事か。


「嫌なの?」

「ううん。行こう」


 断る理由などはないし、僕は亜季の言葉に頷いた。


 商店街に出ると、やはり人っ子一人存在しない。無人の商店が客を待つように入り口を開けているだけだ。


「誰もいないね」

「うん――――本当はもっと人を造りたかったんだけど、足りなかったの」

「…………へぇ」


 亜季が何を言ったのかは理解できなかったが、僕は頷いた。

 勘が正しければ、これは亜季の世界。僕にとっては遠き日の思い出の世界。ここには懐かしい風景が存在する。しかし、それは僕にとってだ。

 亜季は自分の記憶を具現化したに違いないだろう。季節も時間帯も、さっき食べたお菓子も亜季の大好きな物だった。そして、この僕の姿さえも――――




 坂の道を行く。身体が小さいお陰か、急な坂道を登るのに苦を感じない。

 少し大きい、亜季の歩幅に合わせながら、僕は歩く。


 中腹に差し掛かった時、歩道の右側に何かが見えた。途端、僕の心臓はドキリと音を立てて鳴った。

 そこには地蔵があり、その近くには花の山があった。蒲公英、コスモス、向日葵など季節関係なしの色とりどりの花が横たえられている。


 亜季は道端に咲いていた小さな桃色の花を摘むと、その山の天辺に置いた。そして手を合わせるのだ。


「亜季…………」


 僕はそれ以上何も言えなかった。

 ここは僕が事故にあった場所。

 そして亜季にとっては自分の死んだ場所なのだろう。

 僕は自分の記憶を紐解いた。思い出さないように頑張って心の奥底に縛りこんでいた記憶――――

 しかし、この状況で思い出すなという方が難しかった。




 七年前、僕らはこのようにして坂を登った。あの時も提案したのは亜季だ。

 いつものように峠の広場で夕陽を眺めた。その日の夕焼けは綺麗だったと思う。

 そこで少しの間、亜季と話をした。最期の会話は鮮明に覚えている。


 そして、帰り道。僕たちは少し早足で坂を下った。もう少しで日が暮れそうだったし、お腹が減っていたからだ。

 峠の中腹、そう、この場所で、僕たちは命運を分けた。



 耳を劈くクラクションの音は、まだ思い出せる。その音に僕たちは振り向いた。目の前には大きな車。おそらくトラックがいて――――僕の記憶はそれっきりだった。

 僕が目を覚ましたのは病院のベッドの上。もうその時には亜季はこの世にいなかった。


 両親から亜季が死んだ事を聞き、僕は頭が回らなかった。

 死ぬという意味は当に理解していた。けれども自覚をすることはできなかった。亜季は隠れているだけで、少し時間を置けば出てきて僕に見舞いのお菓子を持ってくるのではないかと思っていた。


 しかし、いつまで経っても、亜季は僕の目の前に現れる事は無かった。

 彼女の死をやっと頭で理解できたのは病院を退院し、間もなくの事だ。彼女の家に招かれ、仏壇を覗いたその時だ。

 遺影の後ろにある亜季は笑っていた。だがそこ亜季はもう動かない。僕に話しかけもしない。

 僕は泣いた。その時、死というモノを受け入れたに違いなかった。

 泣くだけではなく、僕は謝った。彼女の両親へと。「僕だけ助かってごめんなさい」と。

 許しを請えば、亜季の両親はすぐに許してくれた。いや、元々僕を恨んだりはしていなかったのだろう。しかし、僕は自分を許せなかった。


 一緒にいた僕が助かって、なぜ亜季だけが居なくなったのか――


 亜季は僕の右手を掴み、車道側を歩いていた。

 あの時、僕が車道側を歩いていれば、亜季は助かったのかもしれないと――――

 今でも時折思い出し、後悔の念に駆られる。


 亜季の死後、怪我の経過が悪く、僕は都会へと引っ越すことになった。

 両親にしてみれば、僕に辛い過去を早く忘れて欲しかったのだと思う。


 しかし、僕は、今ここに居る。

 僕がここを目指したのは過去の決着をつけるためだった。

 亜季との思い出は僕を縛りつける。楽しい思い出も事故の事も――――

 言い換えるならば、それは亡霊。いつ、どんな時でも僕を苦しめた。

 友達とも特に交わらず、趣味などを持たず、無気力に過ごしてきた。

 そんな自分を変えるために僕は帰って来たのだ。



 だが、そんな決意を知らず、彼女は僕の前に現れてしまった。

 嬉しくない訳ではない。嬉しくない筈がない。

 だからこそ、僕は迷っている。よりにもよって、彼女の妹と彼女を天秤に掛けているのだ。



「ごめん」


 僕の口からは謝罪の言葉が出た。そして涙も。

 僕が泣いたら亜季は困るだろう。涙を止めようと必死に目に力を込めるが、それも叶わない。

 僕に出来る事は、酷い顔を見せないように俯くだけだった。


 突然、頭の上に何か乗った。

 温かい――――

 それは亜季の手であった。彼女は僕の頭を撫でたのだ。


 撫でられた事なんて久しぶりだ。しかも相手は小学生。その事が、何となく恥ずかしかった。


「裕ちゃん、行こう」


 僕の涙が治まったのを確認し、亜季は手を差し伸べる。僕は躊躇せずに手を取った。やはり亜季の手は温かかった。

 僕らはキツネ坂を登り切り、広場へと辿り着いた。そこにあるベンチは僕たちを歓迎している。

 やはりここは特等席だ。沈まない夕陽は、僕たちや街を同じ紅の色に染めている。


 綺麗だ――――


 亜季も僕と同じことを思っているに違いない。ただ黙って街を見下ろしている。

 

 もし、亜季が僕と同じ時間を生きていたら、彼女は亜矢と同じぐらいの背丈、同じような容姿をしているのだろう。

 ふと、亜矢のことを思い出してしまった。

 彼女の姿をかき消そうと、僕が頭を横に振ると、亜季と目が合った。僕は罪悪感を持ってしまい、目を背けた。


「裕ちゃん。もしかして、亜矢のこと考えてた?」

「え…………あ」


 考えを読まれ、固まってしまった。そんな僕のことを気にせず、亜季は話し続ける。


「亜矢ってね…………裕ちゃんのこと好きだったんだよ。今もだけど、昔っからね」

「えっ? そうだったの?」

「うん…………ずっと見てたよ。でも、亜矢ったら人見知りだからね。一緒に遊ぼうって言いだせなかったんだ」

「へぇ…………」

「あの子。ずっとそうだった。私の顔色ばっかり窺ってさ――」


 僕は思い出す。子供の頃から亜矢は僕を見ていた。僕が亜季の家に行けば、必ず顔を出していたし、僕を好いていたのも何となく感じていた。


「でもね。そんな妹が裕ちゃんに告白できたんだよ? 私、嬉しかったな」

「っ……なんでそれをっ!」


 思わず、僕は声を荒立てて亜季の顔を見てしまった。彼女は笑みを浮かべ、僕を見つめてくる。本当に嬉しそうだ。だからこそ、僕の頭に血が昇った。


「いいの? 僕は亜季が好きだ。亜季だって僕が好きなんだろ? なのに、いいの? 妹に取られちゃって――」


 自分で言っていて恥ずかしい。そう思った台詞だが、言葉の勢いを止められず、すべてぶちまけた。

 僕は真剣だというのに、亜季は笑った。


「うん。いいんだよ。私って……もう、幸せになれそうもないし、第一、死んじゃってるしさ」

「そんなこというなよ! 今もこうして僕と一緒にいるじゃないか!」


 僕は亜季と一緒にもう一度生きたい。一緒に遊んで、一緒に話して、ありきたりな日常を送りたいのだ。


「…………ダメだよ。裕ちゃん。私と居たら裕ちゃんは幸せになれないよ」

「それでもいい! お願いだ……亜季、一緒にいてくれ」


 僕は自分の思いを込めて、そう言い放った。


 僕の言葉を聞いた亜季は泣いた。彼女の泣き顔は久しぶりだった。


「嬉しい…………」


 だが、それは悲しい涙ではなく、嬉しい涙であった。

 僕はそんな彼女の顔を見た事は無かった。元々、感情表現の豊かな彼女だが、これほどまで感情を表した事は無かった。


「でもね…………やっぱりダメだよ」


 亜季は目を伏せ、そう言った。


「私はもう居ないの。裕ちゃんと一緒には居れないよ」

「じゃあ、僕がここに残る。亜季を一人になんてしないっ!」


 それは僕の我儘だった。そんなこと可能な訳がないのに――――


「ダーメ! 裕ちゃんは待っている人がいるでしょ?」

「待っている人…………」

「そう。おじさん、おばさん、晴海おねえちゃん、それに亜矢。裕ちゃんがいなくなったら、悲しむよ」


 亜季は少し寂しそうな顔で夕陽を見た。


 亜季が死んでからの彼女の両親の顔が思い出された。大人だからと涙を堪えて――僕の怪我を心配して、「今まで亜季と仲良くしてくれて、ありがとう」と言ってくれた。あの顔が。


 亜季はもしかして、自分の死に際を覗いてしまったのではないだろうか? だから僕にそんな事を言ったのではないか?


「ねえ、裕ちゃん」

「なに?」


彼女は少し寂しそうな顔を向け、僕と会話をする。

僕はいつの間にか泣いていた。


「泣かないで。大丈夫だよ」


彼女は僕の頭を撫でてきた。子供じゃないんだからと、手を振り払おうとしたが、僕の頭は完全に彼女の温もりを受け入れていた。


「ねえ、裕ちゃんは亜矢の事、どう思ってるの?」


 亜季は僕の顔を真正面から見て、そう聞く。

 そうだ。僕は答えを出してはいない。亜季も亜矢も僕の答えを知らないのだ。

 そろそろ出さなければいけないだろう。質問の答えを。


「僕は――――亜矢が好きだ。亜季と同じぐらい」


 答えは既に出ていた。どんなに思考を巡らせても、この我儘な答えに辿り着くのだ。卑怯なら罵ればいい。けれど、僕は二人とも失いたくはない。もう二度と――


「そっか。やっぱりね」


 亜季はうつむく僕を置いて、ベンチを立ち上がり、柵に手をかけた。

「私ね。亜矢が裕ちゃんを好きなのも知っていたし、私自身も裕ちゃんを好きだった。でも私が好きになればなるほど、亜矢は裕ちゃんに近づけないって、ずっと悩んでたの」


 僕は思わず噴き出した。七年も前に亜季は僕と同じ悩みを抱えていたのだ。当時の僕はアニメや漫画がすべてだったというのにさ。


「でも、悩みは解決だね。私が抜けて、裕ちゃんと亜矢で」

「そんな――――」

「ほーら、悲しそうな顔しないの。こればっかりは仕方が無いんだから」

「でも、亜季は――僕は、亜季を守りたかったのに――――」


 僕の目からは今日何度目か分からない涙が零れた。


「裕ちゃん…………裕ちゃんのせいじゃないんだよ。だから、もう自分を責めるのは止めよう」

「だけど…………僕は自分を許せない――――」


 長年思っていた。亜季に逢えたなら、謝りたいと。キミを守れないでゴメン、と。


「じゃあ、私を守れなかった罰として、言う事を聞いてもらおうかな? そうすれば許してあげる」

「うん。なんでも――」


 なんだか懐かしい。僕が約束を破った時、亜季は僕に同じことを言った。そのほとんどの命令がハチャメチャで、完璧にこなせた事は無いのだが。


「裕ちゃんは、自分の事を許す事。私の事はずっと忘れない事。それと――――」


 亜季は僕に呟き、柵に手を掛け僕を見る。夕陽を背にした彼女の姿は見えなくなった。影だけが光に溺れずにそこに残っている。


「亜季っ!」


 消えそうな彼女に手を伸ばした。しかし、その手は届かない。後数センチだというのに――


「大丈夫だよ。私はいつも傍にいるよ」


 亜季は微笑んだ。僕が見た中で最高級の笑顔で。けれども、僕は――――


「これが私からの最期の魔法だよ」


 手が細い体を包んだ途端、光が溢れ、僕は光の波に飲まれた。だが前の感覚とは違う。

 今度は海面に押し上げられるようなそんな気持ちだった。



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