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キツネ坂  作者: 千ノ葉
12/16

雨の午後とキツネ坂

 あの日からもう一週間が経とうとしている。

 依然答えの出せない僕にも、亜矢はいつも通り接してくれる。

 彼女の笑顔を見ると、心の奥底の吹き出物を潰したような、激しい痛みが込み上がってくる。だが、そんな痛みに晒されながらも、僕は答えを出せないでいる。


 僕は臆病者だ。彼女に答えを言えば、僕は必ず何かを失ってしまう。

 それが怖い。怖いのだ!!

 だから、僕は答えない――――答えられない――――



 そして痛みに耐えられなくなった時、ここへ来る。

 坂の上の夕焼けはいつも綺麗だった。あれから亜季は僕へと姿を見せてくれない。

 だが、僕は坂の上に登ることを止められなかった。

 これをやめてしまえば亜季にもう逢えない、そんな気がして…………




 ある日の昼休み、僕は屋上へと上っていた。今日はここには誰もいない。

 それもそのはずだ。空からは大粒の雨が落ちてきて、無防備なコンクリートを濡らしている。

 僕は入り口の軒下からずっとグラウンドのほうを見ていた。何をしようとしている訳でもない。ただ一人で居たかったのだ。教室にいれば否応無しに亜矢に顔を合わせてしまうから……

 一人でいると頭の中に色々なことが入ってくる。亜季のこと亜矢の告白のこと――――

 考える…………でも、答えは出ない。

 どんなにイメージを頭の中で膨らませても、僕が満足する答えには行き着かない。

 僕はこのまま永遠に悩み続けなければならないのだろうか?


 叫びたかった。この雨に負けないぐらいの大声で――――


 どんなことを叫ぶ? なんでもいい。この気持ちが楽になるなら、なんでも――――



「裕くん」

 僕が叫ぼうと息を溜めていると、突然背中から声が掛かった。タイミング的に僕は声を飲み込むしかなく、それと同時に吸い込んだ空気が肺に流れ込む。


「ごほっ、ごほっ!」

「ご、ごめん? 驚かせた?」


 沙理奈は僕の様子を見て謝罪の言葉を述べる。


「いや、大丈夫……」


 彼女の不意打ちで、むせ返りながらも僕は平然を装って言葉を口に出す。


「沙理奈、どうしてここにいるの?」

「その質問、そのまま返すよ。裕くんの跡を追ってここまで来たんだから」

「そうか……」


 尾行されていたことにぜんぜん気が付かなかった。彼女は気配でも消せるのであろうか? いや、僕が鈍いだけなのかもしれない。


「で、何でこんな日に屋上に?」

「ああ――気分、かな」

 亜矢から逃げてきたなんて言えるわけない。

「そっか……」


 彼女は口から出まかせの言葉に納得してくれた。本当は納得なんてしてないだろうが。気を遣ってくれた彼女に感謝をしたい。

「そうだ、裕くん。これ食べる?」

 沙理奈は鞄から掌ほどの大きなシュークリームを取り出す。

「あ――――せっかくだけど」

「いいから、いいから。食べなかったら、お姉さんにでもあげて」

 彼女は半ば強引に二袋のシュークリームを俺の胸に押し付ける。

「じゃあ、貰っておくよ。ありがとう」

「うん。素直に受け取っておきなさい」

 沙理奈はニコッと笑う。誰かの笑顔を見るとなんだか救われた気がする。

 亜矢はあれから僕に対して本当の笑顔を見せてくれていないから――――


「じゃあ、私は戻るね」

「えっ? ああ……」


 沙理奈は僕に用があって来たのかと思いきや、あっさりと身を引いてしまった。


「今日の夕方は晴れる予報だから、坂の上に行ってみるといいよ」

「えっ?」

 彼女はそう言い残した。

「沙理奈――――今なんて……」


 疑問を問うべく、彼女を追おうとしたが、既に彼女の姿はなかった。




 沙理奈の予想通り、午後になると雨は上がっていた。

 学校が終わるや否や、僕はキツネ坂を目指して足を進めていた。

 先ほどの雨はコンクリートに数々の水溜りを作り、それらは僕の旅路を邪魔する障害に思える。ぬかるみを踏みつける足底冷たい。少し靴の中に浸水したようだ。

 しかしそんなことでは僕のスピードは変わらなかった。

 今日は何かが起こる、そんな気がしていた。それが良い事か、悪いことかは分からないけど…………


 急いで登ったせいか僕の額には薄っすらと汗が出ていた。心臓も平常時よりも早く鼓動をしている。体温と対照的な冷たい秋風が心地よい。


 僕は坂を登りきった。坂の上には誰もいない。亜季が待っていてくれるという期待は外れた。だが諦めるのはまだ早いだろう。

 雲から顔を出した太陽はまだ高い位置にある。彼女と逢うときは決まって夕暮れ時であるし、まだ可能性は残っている。

 僕は少し湿った椅子に座りながら、時が経つのをひたすら待っていた。鳥の声と午後の暖かい日光が僕の身体を包む。このごろ寝不足のせいか意識が途切れ途切れになる――――



 夢を見た。おそらく、これは僕の幼い記憶だろう。

 手を握っている少女は亜季だ。彼女は僕をキツネ坂の上へと連れて行こうとしている。そうだ。この日は少し寒かったっけ。なのに亜季は半袖で、「寒くないか」と聞けば、「寒くない」と答えたんだよな。


「うわぁ……今日の夕焼け、綺麗っ!」

「うん。そうだね」

 亜季は僕へと微笑んでいる。覚えている。この夕陽も、亜季の笑顔も。

 けれど、僕は知っている。これが亜季との最期の思い出ということを――――

「ねえ、裕ちゃん」

「なに?」

「裕ちゃんって、この場所好き?」

「うん。好きだよ」

「じゃあ、さ。ずっーと、私と一緒にここに来てくれる?」

「ん? なんで?」

「どうなの?」

「えー。なんでだよ」

「いいから。どうなの? 私が頼んだら、いつでもここに連れて来てくれる?」

「うーん。いいけど。水曜日はダメだよ。〝マジカル戦士・テルルン〟見るんだから」


 僕は苦笑した。今考えると、面白いタイトルのアニメだと。


「水曜は……いいけど、そのほかの日は?」

「うーん。いいよ」


 亜季はニッコリと笑った。


「じゃあ、約束ね。はい」

「指きり? 子供じゃないんだから――――」

「いいから。はい」

「……うん」

「ゆびきりげんまん――――」


 何が「子供じゃない」だ。亜季の問いの質問にも気が付いていない癖に…………



 鼻先にフワリと何かが触れた。くすぐったい――――僕はまだ、亜季と一緒にいたいのに――起こさないでくれ――――


「裕。起きて」

「ん――」


 僕は目を開けた。目の前には小さい背丈の女の子がいた。最初は亜季だと思ったが違う。亜季にはそんなフワフワな耳などついていないのだから。

 彼女は猫じゃらしを持ち、再び、僕の鼻をくすぐってくる。猫じゃないというのにこんな扱いは屈辱だ。

「やめて」

「やだ――――と言ったら」

「はぁ…………」

 ため息をつき、僕は身体を起こした。それに合わせ、少女も僕から数歩離れる。後ろについた尻尾はフワフワと宙を漂った。

「寝ぐせ」

 彼女は僕の頭を指す。僕は気になって頭に手櫛を掛けた。

「嘘」

 僕の慌てる様子を見て、彼女はクスりと笑った。

「はぁ…………」

 おちょくられているのか知らないけど、怒る気にもなれない。相手は子供だし、それに彼女がいるということは、これは夢の中に違いない。ということは、さっき覚めたのは夢の中の夢――――

 どれだけ深く眠りたいのだ。僕は。思わず苦笑した。

「君――なんでここにいるの?」

「君じゃない。ビャッコ」

「ビャッコ?」

「名前」

「ああ」

 ビャッコと言われて、僕が思いつくのは白虎という文字だ。しかし、彼女の風貌から見て、虎という印象は持てない。おそらく、白い狐と書くのだろう。良く見れば、耳はキツネっぽいし。

「白狐は、どうしてここにいるの?」

「人を待っていた」

「奇遇だね。僕も人を待っているんだ」

 亜季のことを他人に言うのは気が引けたが、何となく口から出てしまった。まあ、いい。これは夢だし。

それに白孤は亜季の知り合い。そんな気がしたから。


「裕が待っているひとは、大切なひと?」

「ああ……とってもね」

「そう」


 白孤は僕の隣に腰を掛けた。あまりにも躊躇の無い動きだったものだから、僕は鞄を除ける気遣いも出来なかった。まあ、彼女の身体は小さいので問題なく椅子に座れたのだが。

「裕。食べていい?」

「えっ?」


 一瞬、僕を食べるのかと驚いたが、彼女の視線は僕ではなく、鞄の方へと向いていた。鞄のチャックを開けてみると、そこにはシュークリームがあった。


「シュークリーム。好きなの?」

「こくり」


 白孤は頷く。これ以上待たせたら、本当に僕を襲いそうな目をしていたので、包装を破り、彼女へと渡してやる。

 ハムハムと、白孤は食を進める。隙だらけだったので耳に触れてみる。獣耳は僕の指の動きに合わせピクピクと動き、面白かった。

「裕――」

「あ、ごめん」

 いつの間にか白孤は食事を終えており、僕をジトっとした目で睨んできた。慌てて手離すと、彼女は再び鞄の方を向いた。

「ダメだよ。おやつは一日ひとつまで」

 姉貴に良く言われた台詞を口にすると、白孤は出しかけていた手を引っ込めた。その表情には無念さが見える。相当シュークリームに執着しているらしい。


 白孤はシュークリームの余韻を楽しむかのようにボーっとしている。その姿は何だか可愛い。また頭を撫でようと試みるが、フットワーク良く、彼女は僕の手を擦りぬけた。

 白孤は柵の傍へと行き、街を見下ろした。そこからの風景は知っている。いつもはあそこに僕がいるのだから。

「裕」

「うん? 何?」

 とても穏やかな言葉で彼女は僕を呼んだ。

「シュークリームのお礼」

「えっ?」

「逢わせてあげる。あの子に」


 白孤は振り返り、僕の手を掴んだ。

途端、僕の視界には真っ白な光の壁が現れた。


「わあああああっ!」


 壁から逃れようと、僕は身を翻えそうとしたが、少女の手がそれを拒んだ。


「臆さないで――――」


 僕を安心させるかのように、彼女は手に力を入れた。

僕に伝わるのは、小さな圧迫感と温もり。その感触を味わいきる前に僕は光へと飲み込まれた。


 まるで光の洪水だ。水が全身を濡らすように光が身体の隅々を通過する。けれどそこには苦しみも痛みもない。温かさと心地よさだけ。

 僕はおそらく眠ってしまう。だってこんなにも気持ちいいのだから――――


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