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キツネ坂  作者: 千ノ葉
10/16

色あせたミサンガと思い出

 いつものように朝日が部屋に差込み、僕は目を覚ました。昨日は寝るのが遅かったのに、心なしか、体が軽い。

 顔を洗い、キッチンへと出ると、姉貴がソファーに腰掛けていた。

しかし、その顔にはいつもの元気は無く、疲れた大人の顔をしていた。顔色が悪いのは気のせいでは無いだろう。


「おはよう」


 僕が挨拶をすると、姉貴は気だるそうに「おはよ」と、だけ返してきた。

 姉貴は明らかに調子が悪そうだ。まああれだけ飲めば当然の結果だ。


「姉貴、今日休みだろ? もっとゆっくりしてれば?」

「あー、そうさせてもらうわ。ごめんね」

 そういい残すと、姉貴は自分の部屋へと向かってトボトボと歩いていく。


 まったく、折角の休みの朝を二日酔いでダメにするとは、大人ってやつが嫌になる。まあ、姉貴がどう休日を過ごそうが、僕には関係が無い。朝の時間は貴重だ。僕はいつも通り動かなければ。


 僕は朝ごはんの支度をする。弁当も自分で作るとなると、ちょっと面倒だが、僕には冷凍食品という強い味方がいる。ちょっとした炒め物をフライパンで作り、それと冷凍食品のハンバーグを弁当箱に詰める。これで完成だ。

 たいした手間ではないが、これを毎日やってくれている姉貴には頭が下がる。だからこそ休みの日ぐらい、ゆっくりしてほしいというのが僕の本音であった。

 朝ごはんで使った食器を洗い、自分の身支度を整え、僕は施錠をして家を出た。



「裕さん、おはようございます」

 突然、背中にかかった声に振り向くと僕の前には亜矢の姿があった。

「おはよう」

 僕が挨拶を返すと彼女は眩しい笑顔を見せてくれる。デートしたのは昨日の今日の事なのでなんだか照れ臭い。

「いっしょに登校いいでしょうか?」

「うーん……どうしようかな?」

「ええっ!」

 僕が意地悪にも悩む素振りを見せると、亜矢は目を丸くして驚く。

「冗談だって」

「もうっ!」

 僕の冗談に本気で反応する彼女のリアクションは可愛らしかった。亜矢は少し機嫌を崩し、膨れっ面で僕の前を歩き始めた。まあ、そんな不機嫌は続くはずは無く、すぐに僕たちは横に並んで会話を始める。


 亜矢と話しながら登校すると、徒歩二十分という距離がいっそう近く感じた。沙理奈とも同じように歩いたことがある道なのに、この違いはなんなのだろうか?

 亜矢と一緒に教室に入り、そのまま隣の席で談笑を続ける、僕ら。

 昨日のデートのお陰で距離は確実に縮まった。僕は亜矢の好きそうな話題を狙って振る。予想通り、亜矢は僕の話に食いついてくれる。

 こんなに女子、いや家族以外の人と話したのは何時ぶりだろうか。僕は決して他人と話す事が嫌いでもなければ、苦手でも無い。しかし、都会に居た頃は、特に親しい友達を作らなかった。

 仲が良くなれば、良くなるほど、別れた時の悲しみが増える。そんなふうに思ってしまうのは、過去のトラウマが影響しているのかもしれない。

 けれど、故郷に帰って来てから、僕の気持ちは徐々に変化してきていると思う。クラスメイトとも仲良くやっているし、こうして女友達もできている。

 故郷に戻って来たことで、僕は元に戻りつつあるのかもしれない。それが良い事なのか、悪い事なのか、僕には分からないのだが。



体育の準備運動の時間であった。僕は不意にクラスメイトにこう言われた。

「おい。津谷って、坂上と付き合ってるのか?」

「はぁ?」

 僕はクラスメイトの突然の発言に声を出して驚いてしまう。

「なんで、僕とあゃ――――坂上が?」

「今更、恥ずかしがんなよ。そうやって名前同士で呼ぶのもそうだし、いつも一緒にいるし」

「うっ…………」

 僕は苦い顔をしてしまう。彼がそう思っているということはクラスの殆どの人が僕たちをカップルだと思っているのかもしれない。


たしかに僕は大半の時間は亜矢と一緒にいる。けれども自分では、ある程度の節度を守っていると考えていた。


「そうそう、俺も最初から、そうだと思ってたよ」

「だよな。転校早々、仲良いもんな」


 僕を中心に話題の輪が出来る。僕がムキになって否定するほど彼らは僕をからかうのだ。亜矢と付き合っているという噂が立つのは僕にとっては決して悪いものではない……はず。けれど僕は心のどこかに引っかかりを感じているのだ。


 だからその噂を頑なに否定し続ける。

 それに亜矢の気持ちも知っていないのに、そんな噂があるのは彼女に対して失礼だ。彼女だって僕を親しい異性の友人だとしか思っていないだろうし。


「こらぁ! そこ、話をするな!」

 体育の先生の一喝によって、僕はどうにかその場から解放された。だが、そんなことを聞いてしまったせいか、授業中、頭の中は亜矢のことでいっぱいになってしまっていた。



 体育が終わり、教室に戻ると亜矢がいつも通り、僕の隣に来た。いや、席が隣なのだから当たり前のことなのだが……だが今の心情ではその当たり前さえ、ドキドキしてしまう。

「裕さん」

 彼女はいつも通り僕に話しかけてきてくれる。体育の後であるからか、彼女の顔はほんのりと赤い。それにこの匂い……いつもならモヤモヤして臭いと思う清閑スプレーの香りがとても良い匂いに感じた。

「体育疲れましたね。男子は何をやったんですか?」

「えっと……男子はサッカーかな……」

 彼女は普通どおり会話をしているつもりなのだが、僕が意識してしまっているのだ。彼女の事を。だから、どうしても僕の返事はギクシャクしたものになってしまう。

「ご、ごめん。僕、トイレ行ってくるよ」

 そう言って、僕は亜矢との会話を中断し、大慌てで教室を抜け出した。


「はぁ、何をしてんだろ……僕」

 トイレの鏡で自分の顔を見ながら、僕はため息をついた。

あんな調子では〝彼女を意識しています〟と顔に書いてしまっているようなものだ。他人に少し、からかわれたぐらいで、どうにかしている。


ある程度、気持ちが治まったところで僕はトイレを後にした。

それから放課後までの彼女、もとい、自分自身との戦いは続くのであった。




「おーい、裕っ!」

 僕を呼ぶ声に足を止める。その声の主はすぐに分かった。

「なに、笹本?」

 彼は僕を三階の階段の方へと手招きする。

「相変わらず、暗い顔してるなぁ」

 彼は僕の顔を見た瞬間、そんなことを言ってくる。出会い頭にそんなことを言われるとさすがに僕も虚しくなる。

「うるさいなぁ、イロイロあるんだよ」

「もしかして亜矢ちゃんのことか?」

「うっ……?」

 僕は不意にリアクションをしてしまう。その仕草を彼は見逃さなかったようだ。ニヤニヤしながら僕の顔を覗いてくる。

「そうか。で、どんなことだ?」

「教える訳無いじゃん」

「ふーん? そんな態度とっていいのかな?」

 彼は僕の首を掴むとロックヘッドの形を取る。しかも前以上に容赦が無い。

「オラオラ、何があったか話してみろ!」

「いてて……わかった、わかったから…………!」

 痛みに負け、僕は彼へと半ば強制的に相談をさせられるのであった。



 僕らは屋上へと上る。幸運なことにそこには人の姿はない。こんなことを言うのには最適な状況であった。

「最初に言っとくけど、誰にも言うなよ」

「ああ、任せとけ!」

 笹本はお調子者だが、昔から人の秘密を暴露する奴ではないと知っていた。だが年月の流れが彼をも変えている恐れがあったので、僕は固く口止めをしておく。

「僕さぁ、亜矢と一緒に居ていいのかな?」

「はぁ? なんで?」

 一言で伝わると思ったが、期待通りにはいかないらしい。仕方が無いので僕は掘り下げて話をしていく。

「彼女のことを見てるとさ、どうしてもあの子のことを思い出しちゃうんだ…………」

「亜季、か…………」

 笹本の顔は少し曇る。僕ほどではなかったが、笹本と亜季も友人関係にあった。

 亜季は誰とでも気軽に話せる太陽のような元気な子であった。

 だから彼女にとってはクラス全員が友達のようなものだった。そんな彼女を通して、僕は友達をたくさん作った。

 亜季がいなければ、沙理奈や笹本とも友達になっていなかったかもしれない。

「今も亜季のことが好きなのか?」

「…………」

 そんな彼の質問に僕は答えられなかった。それは僕自身、答えが見つけられないからであった。

 あの頃の僕は亜季のことが好きだった。これは紛れもない真実だ。でも今の僕はどうなのだろう?

 居なくなった人へのこの想い、これは好きというものなのだろうか?

 もしかしたら、僕はもう亜季のことが好きではなくなっているのかもしれない。

 ただ単に、あの頃の気持ちを忘れないようにと、どこか自分の気持ちを縛っているのかもしれない。

 好きと思っていれば、彼女は自分の心に居てくれる――――と。

「まあ、悩むのは勝手だけど、はっきりしない態度で亜矢ちゃんを悲しませるなよ」

「ああ…………」

 自分の思考が邪魔して、笹本が何故、「亜矢ちゃんを悲しませるな」と言ったのか、分からなかった。そんな言葉、すぐに忘れてしまった――――





 その日の帰り道、いつもより身体が重かった。いや、身体というより心だ。

どうやって学校を抜けて、どこに向かって歩いているかすら分からない。

思いつくままに歩みを進め、僕はある場所へと辿り着いた。



「まったく、なんでここに来ちゃうんだろう?」

 僕は坂の上の丘でひとり立っていた。

 坂の上から見る風景は、いつもと同じ夕焼けの赤。綺麗だ。

 心がこうも曇っているのに、ここから見る風景は変わらずに綺麗だ。

 あれだけ憎んでいたビルも、オブジェクトの一つと考えれば、そう邪魔ではなくなる。

 景色を見つめながら僕は心の中で彼女へと呼びかける…………


(亜季…………来たよ。一緒に遊ぼう)


 心の中で何度も囁いた。


「そんな、来てくれる訳ないよな…………」

 僕は自分の行動に自嘲の笑みを浮かべ、そう呟いた。

 くだらない――彼女はもういないのだ、と、心に言い聞かせ。



 僕が帰ろうと踵を返すと、急に突風が吹いた。

 その風に思わず僕は目を瞑る。この時期は空気が冷たいというのにその風はひどく暖かかった。それにこの匂い…………

 僕の心臓はドクンと、高鳴った。そしてすぐさまに振り向くのだ。


「裕ちゃん」

「亜季……」


 振り返った先、三歩分の距離を挟んだ場所に亜季は立っていた。



 僕らは並んで、そこにあった腰かけに座り、夕陽を眺めている。

 何か亜季に声を掛けたかったが、何にも話題が思いつかない。僕たちは以前、何を話しただろうか?

 学校であった些細な話。テレビのドラマやアニメの話。今度の休みはどこかに行こうという話――――

 亜季はいつも僕に話題を振る側だったな。彼女が無限に話題を出してくれるから、僕は答えるだけでいくらでも話が続いた。

 亜季が話を始めなければ、こうも世界は静かだ。

風の音と、虫の声だけが聞こえている。


 彼女は夕焼けに染まる街を見下ろしている。亜季はこの風景を見て何を思っているのだろうか? それが僕と同じであれば良いと思った。


「裕ちゃん」

「なに?」

「悩みがあるんだよね?」

「うん…………」

「そっかぁ…………ごめんね。やっぱり私のことだよね?」

 彼女は少し困ったような顔で僕の顔を覗く。

「ううん、亜季は悪くないよ……」

 僕は彼女の言葉を否定する。彼女は僕の言葉を聞いて、また笑顔になってくれる。

「裕ちゃんって、本当に優しいよね」

「そう……かな……?」

「そうやって私のことで真剣に悩んでくれる…………昔からそうだった。それって、すごく嬉しいよ…………」

 亜季は膝を抱え、身体を抱くように座り直す。

「けど…………私のことを忘れてもいいんだよ?」


 彼女は呟きのようにそんな言葉を口にする。彼女の表情は変わらない。

 けれど、僕は亜季の声がとても寂しいように聞こえた。

 そんな言葉をかき消すかの如く、僕は今まで出したことないぐらいの大きな声を出した。

「そんなこと出来るわけないよ! そんなこと言わないでよ!」

 感きわまり、僕の目からは涙が出てしまう。喉が熱い。胸が締め付けられるように痛い。

 彼女は表情を変えてくれない。どうして? どうして! 笑ってくれよ、亜季…………

「でも――分かってるでしょ。私はもういないんだよ?」

「そんなの関係ない! 亜季はここにいてくれているだろ? ずっと傍にいてくれよ!」


 雪崩のように次々と言葉が出てくる。今まで心の奥底に留めておいた言葉が…………


「裕ちゃん……」


 彼女は何の言葉も僕に言ってくれない。

 ずっと傍にいる……そんな言葉が聞こえてくれば、どんなに僕が救われることか……

 しかし、彼女は困ったような顔をするだけで僕の望んだ言葉を言うことは無かった。


「変だよね……? 前は私がワガママで裕ちゃんのことを困らせてたのにね」

 そう、亜季はワガママでいつも僕を振り回していた。でも亜季のそんなところも僕は好きだったのだ。

「前みたいに、僕を困らせてくれよ、亜季! 今ならどんなワガママだって聞いてやれるよ…………」

 俯いた僕の頬に温かいものが触れる。そのまま彼女は腕を僕の背中へと回してくる。

「じゃあ、もう少しだけ…………このままでいていい?」

僕は無言でコクンと頷いた。


 彼女の身体の温度は、今まで感じたことがないほど温かい。

 震える背中を抱きしめる彼女の手、その小さな掌からは力強さを感じた。



 どのぐらいの時間、僕たちはそのようにしていたのだろうか?

 彼女が身体を離した時、秋の風が吹き込んでくる。僕の胸はとても冷たく感じた。

 もっともっと彼女を抱きしめていたかった。どこにも逃げられないように。

 しかし、身体を離す彼女の腕の力は強かった。それに抗えなく、僕は腕を離したのだ。


「裕ちゃん、もう時間だよ」

「うん…………」

「大丈夫。また逢えるよ」

 彼女は立ち上がり、笑顔で手を振る。僕もそんな彼女へと大きく手を振った。

 そして夕闇が訪れるように、彼女の姿も徐々に消えていった。

 最後に目に留まったのは彼女の手にあるミサンガであった。




「おかえりー。裕。遅かったわね?」

 姉貴に掛けられた言葉を無視し、僕は自分の部屋へと駆け込んだ。

 ついさっき、ひと昔のことを思い出したのだ。彼女の手首に結ばれていたミサンガ。それは僕とお揃いで買ったものだった。

 狂ったように机の中を漁る。引出しの中の物が外に散らかろうと、構わなかった。

 そして、ついに引き出しの奥にある色褪せたお菓子の箱を発見した。このアルミ製の箱は僕の思い出――――いわゆる宝箱であった。

 心臓の高鳴りを感じながら蓋を開ける。そして、僕は見つけたのだ。彼女と同じ色をしたミサンガを…………

 そのミサンガを握り締めると思い出が蘇ってくる。


 商店街のある店で僕らはそれを買った。亜季は半ば強引に僕にそのミサンガを買わせた。

 当時、おこづかいの少なかった僕は、その事で亜季と喧嘩をした。けれど喧嘩で亜季に勝てるはずはなく、僕はいやいやミサンガを買うことになったのだ。

 彼女はそのお揃いのミサンガが、かなり気に入ったようで片時も離さずそれを身に付けていた。当の僕は、お揃いという響きに恥ずかしがって、それを机の奥底へとしまってしまったのだ。


「裕ちゃん。ミサンガが切れたとき、願いが叶うんだって」


 そんな亜季の言ったワンフレーズが頭に響いている。


「亜季、君は何を願ったんだ?」


 僕はミサンガを手首に巻く。これで願いが叶うのならば…………

 僕の願いは…………


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