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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
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私とあいつ

作者: 蒼李月
掲載日:2026/10/29

長らく下書きで保存されたままだったので供養公開

 会えたね。


 幼い私の目の前に現れた、可愛らしい天使。

 春の日向に咲く蒲公英のように、あいつは優しく、それでいて凛とした気配をまとわせ、産着に包まって眠っていた。私を抱き上げた母の腕の中から見ていた、その寝姿。まだ幼かった私の手が記憶の中の視界へゆっくりと現れる。

 悠、はじめましては? という母に促されるように、私は「はじめまして」と舌足らずな声で言おうとして、ひく、と喉を詰まらせた。

 言葉を出せなかったのではない。言えなかったのだ。

 はじめましてなんかじゃないんだ、という魂の深い場所から湧き上がる強烈な痛みが、無意識に言葉を封じ込めたのだろう。胸を刺すような愛おしさと狂おしさにかき乱され、私はただ泣き出した。

 それが、私の最初の記憶で、世界の始まりだった。


一


「はるちゃ、なによぉでる?」

 次に鮮明な記憶は、三歳を超えたあたりの、まだ丸みを帯びたあいつの声だった。

「ぐらとぐる」

 年長組にいた私はといえば、うまく同級の輪に溶け込むこともできず、園庭で遊ぶ子らを眺め、眺めていると思われるのがいやで、読むともなしに同じ本を手にとっては、時折思い出したようにページをめくっているだけの有様だった。

「おもしろい?」

 屈託なく問いかけてくるあいつの笑顔が何故だか無性に胸を締め付けて、「おもしろいよ」と、憮然とした声で端的に答えていた。そのころはわからなかったその感情が何なのか、今ならばよく理解できる。

 年少組でありながら、自分の同級も含め園のみんなと仲良くできるあいつの社交性がうらやましく、まぶしく、同時に「お前は私以外と仲良くしてはいけないんだ」という声に出せない、形にならない禍々しいほどの独占欲に苛まれて――ただ、「おもしろいよ」と言うしかなかったのだ。

 私が頑なに俯き、唇を噛み締めていると、その櫻のように愛らしく、椛のように可愛らしく柔らかい掌が、私の両頬を包み込んだ。驚く私の顔をゆっくりと上げさせられた先には、きらきらしすぎるほどの笑みがあった。

「じゃあね、ぼくね、そのおあなしききたいな」

 おはなしだろう、とそっぽを向いて言おうにも、顔は両手で固定され、眼前には眩い瞳があるばかり。少しだけ頬を朱に染めた私は、一度も読んだことのなかった絵本の中身を、たどたどしく一音ずつ音読するしかなかったのだ。


二


「どうしたのさ」


 中学になった頃、私とあいつの接点は、家が隣で、母親同士が仲のいい友人同士という以外、綺麗に失われていた。それでも、いや、そういう環境だからこそ、あいつの情報は毒のように私の耳へ流れ込んでくる。

 あいつは小5になったころ、県でも有数のリトルリーグのチームで、上級生を抑えてエースの座をつかんでいた。

 私はそれを母親から聞いて知っていたし、今度の大会も順調に勝ち進んでいるらしいということ、明日は試合があるからあちらの母親と一緒に応援にいくのだということも聞いていた。休みの日は引きこもってばかりいるあんたもたまにはどうなの、とおせっかいな台詞を投げかけてくる母を心の中で数回罵倒し、私は家を出たばかりだったのだ。

 だから、商店街の本屋までの道すがらであいつをみかけた時、思わず声をかけてしまったのだ。かけてすぐ後悔した。またいつもの胸の苦しさが蘇ってきたからだ。


「なぁ悠ニィ、つきあうってどんなん?」

 数ヶ月前、小学校の卒業式の日にあいつが不意に投げかけてきた声が、不意に蘇る。

 なんでそんなこと聞くんだ、と問いかけた私に、あいつは少し恥ずかしそうに鼻の頭をかきながら、私と一緒に卒業する高木という子に告白されたのだと言ってきたのだ。そこそこかわいく、そこそこ大人びた、どこか計算高くて――これはたぶん今思い返している私の歪んだ心根のせいかもしれない――とにかく、なんとなく気に入らない相手に対して見せた、はにかみながらもまんざらではない、という様子。

 かっとした頭で、知るかよバカ、とつぶやき、手の中にあった卒業証書の筒で、その頭を軽くたたく。本当はなんでそんなことを私に言うんだ、という言葉が胸の中に荒れ狂っていたのだが、「それ」は絶対に出してはいけないものなのだと直感が訴えていて。だから、それが精いっぱいだった。

 「そっか、そだよな」というあいつの困ったような声で我に返った私は、あぁ、ちがう、そうではない、と思い直そうとした。先輩として何らかのアドバイスをしてやらなきゃいけないのだと、まだ小学校を卒業したばかりの頭でぐるぐる考え、だけれどもやはりうまく言葉にならなくて。

 つきあってみれば、わかるんじゃないの。

そんな無責任なアドバイスしか、してやることはできなかった。


 その日以来、私はあいつのことを避けていたのだ。もしかしたら、そのままつきあっているかもしれない。それは恐らく喜ばしいことなのだけれども、何故だか素直に喜べなくて。

 それはきっと、弟子に先をこされるような状況に焦っているからなのだと――結局小学校で友とよべるような関係をほとんど築けなかった自分と違い、活発で、無数の人間に慕われるあいつがうらやましくてしょうがなくなってしまうからなのだと、思っていたから。

 だから、リトルで活躍しているという母の話も煩わしくてしょうがなかった。

 マウンドに立つあいつを、高木がグラウンドの外から応援している、そんな光景を、想像するだけでたまらない。それが寝る前であったりすると悔しさか何かで頭がぐるぐるとして、何度も寝返りをうっては、眠れなくなることもあった。

 それなのに、あいつは不意打ちで私の視界へと飛び込んでくる。そして私は、余計なことをしてしまったと後悔しつつ、声をかけてしまうのだ。

「あ、悠ニィひさびさー」

「その呼び方はそろそろやめない? ――どうしたのさ、こんなところで。練習あるんじゃないの」

 平静を装った分、幾分硬い声での問いかけになってしまった感は否めない。そんな私に、あいつは少しだけ頭をかいて、へら、と笑いかけてみせた。

「ちょーっと調子わるくってさ。さぼりさぼり。あ、ここにいたって言わないでよ。家で寝てることになってるから」

「そんなので明日大丈夫なの? 試合あるんだろ」

 あー、と少し考えるように声をもらすと、あいつはまた笑って見せた。

「大丈夫、いけるいける――悠ニィもさ、たまには応援に来てよ。今俺すっげぇんだぜ。この前の試合とかもう少しでノーヒットノーランだったの! 明日は絶対達成するからさ!」

「ばかだな。そんなにかっこいいとこ見せたきゃ、彼女に頼みなよ。何が悲しくて中学にもなって休みの日に母親とでかけにゃならんの」

 半分は、本音。だが半分は、まだ求めてくれることが、うれしかった。

 私はまだ、あいつの中でその程度の位置づけは保てているんだと感じたからだろう。もちろん、それは気のせいかもしれなかったが、私にはその気のせいが、多分必要だったのだ。

 どこかで、あいつに会うことを避け、それでいてあいつがキラキラとした人生を、私の知らない誰かと楽しく過ごしている様を想像する生活に、限界が来ていたからだ。

 もちろん、私は翌日あいつの試合へ行くことになる。母親に連れ出された体で――実際は、笑顔がこぼれないように気を張るのが精いっぱいなくらい、不思議とわくわくした気分に満たされながら。


三


「まったく、わかんね」

 学生時代の二歳差というのは中々一緒の時間を重ねることは難しいものだ。

 それでも何故か、私とあいつは毎週土曜日、図書館で落ち合う日々を重ねていた。

「将来はプロじゃなくて、大学を目指すんだろ? もうちょい頑張れって――それは3ページ前の公式、使ってみるといいよ」

「あ、本当だ。さすが悠ニィ、頭いいなぁ」

 あいつはへらりと笑って、ノートに鉛筆を走らせる。

 高校に入ってから、あいつの投球フォームはさらにキレを増し、甲子園の常連校で1年生にしてベンチ入りを果たしていた。私といえば、相変わらず地味な地元校に通い、本と向き合うだけの静かな日々を送っていた。

 本来なら交わるはずのない二人の時間が、この土曜の図書館だけで繋がっている。

「悠ニィはさ、将来なにするの?」

「別に。適当に生きて、適当に死ぬよ」

「ふーん。じゃあ俺が稼いで養ってあげなきゃな」

 冗談めかして言うあいつの言葉に、胸の奥が痛いほど締め付けられていた。何も分かっていない。私が二人だけの未来にどれほど重く、暗い執着を抱いているかも知らずに。


 だが、その平穏は高2の夏に呆気なく崩れた。腰の故障――それが、選手としてのあいつに突きつけられた残酷な宣告だった。

「もう、投げられないし、打てないんだってさ」

 雨の降る土曜日、病院に行ってたはずのあいつが、濡れたまま私の部屋にやってきてそう呟いた。周囲の期待、監督の失望、仲間の同情。輝いていたあいつの周りから、潮が引くように人が去っていく音がした。

 その時のあいつは――ただ、俯いていた。涙を流すこともなく。ただ、膝に顔をうずめて、浅く息を繰り返していた。

 その背中が、悲しかった。

 その首の震えが、痛ましかった。

 けれど、私の胸の奥で咲き誇ったのは、恐ろしいほどの歓喜だった。

「バカだな」

 私はその濡れた髪に手を差し入れ、優しく撫でつけた。

「野球がなくなったくらいで、お前の価値は、変わらないから――疑うなら、ずっと見ててやるよ」

 あいつは泣きじゃくりながら、私の服を強く掴んだ。誰もあいつを救えないどん底で、私だけがあいつの側に、唯一居ることを許される存在になれたんじゃないかと、思ってしまう私は――罪深いのだろうか。


四

 大人になり、社会に出てからも、私はあいつの「一番近くにいる相談相手」であり続けようとしていた。

 仕事の壁にぶつかった時、真っ先に酒に付き合わされたのは私だった。人間関係に悩み、弱音を吐いてくる相手も私だった。

 ――だからこそ、あいつが「結婚する」と告げた夜、私は自らの胸を刃で切り裂かれるような痛みに見舞われたのだ。


「紹介するよ。彼女の……」

 あいつが連れてきたのは、桔梗の花のように、可愛らしくふわりと微笑む女性だった。あの小学校の卒業式の日、あいつに告白した高木さんとは別の、けれどあいつに相応しい、太陽のように眩しい女性だった。

 最初から分かっていた。私はあいつの「恋愛対象」にはなり得ない。二人の間に積み上がった時間はあまりに濃密で、性別や欲望を超えた「家族以上のなにか」という名の檻としてあいつの中に固着していたからだ。

「よかったな。お前には勿体ないくらいだ」

 私は笑顔を作った。

 喉の奥が焦げ付くほど熱く、瞼の裏で涙が溢れそうになるのを、必死で噛み殺しながら。

「悠ニィに、一番に祝ってほしかったんだ」

 無邪気に喜ぶあいつを見つめながら、私は心の中で目の前の世界を幾重にも切り刻んでいた。この世界全てが、切り裂かれて、溢れ出した泥のような何かで埋まってしまえばいいのにと、思いながら。

 式の当日、二人を教会の外で出迎える歓声の中で、私はあいつの両親のすぐ近くで、誰よりも大きく拍手を送った。笑顔の裏で、自分が隣に立てない存在であることへの絶望と、それでもあいつの人生から消え去るくらいなら親友の顔をして側に居続けたいという、醜く狂おしい執着がないまぜになり、視界はずっとぐるぐると回り続けていて。

 その日は、私の人生最低の日だった。受け取った花束は、寝室の床に打ち捨てて、買ってきた同じ花で、ドライフラワーを作り、部屋に飾った。あいつが時々訪ねて来た時に、ちゃんと見せてあげられるように。


五

 時が流れ、あいつの結婚生活にも唐突な終止符が訪れた。まだ若いのに――そう言われる年齢であったあいつの妻が病で倒れ、そのまま還らぬ人となったのだ。最愛の伴侶を失い、家の中でただ呆然と佇むあいつは、あの時私の前でへたり込んでいた時よりもなお、ボロボロだった。かける言葉もなく、打ちひしがれるあいつの側に、私は再び寄り添うしかなかった。

 掃除をし、温かい飯を作り、ただ黙って酒に付き合う。悲しみに暮れるあいつが夜にうなされれば、その背中を静かに擦り続けた。

「……なぁ、悠ニィ。俺、一人になっちゃったな」

「バカ。私がいてやってるだろ」

「――なんで、そんな付き合い良いんだよ」

 あいつは涙を零しながら、また私の服の袖を掴んだ。

 そうして、互いに人生の折り返し地点を過ぎて遥かな時が経った頃。

 あいつと私は、ごく自然な流れで一つの家で暮らすようになっていた。

 あいつにとっては、恋愛感情ではないかもしれない。

 私が、傷ついたあいつを包み込み、身の回りを支え、共に歩むための関係。けれどその関係は、私にとって、人生の全てを捧げた末の、姿だった。


六

 白髪が混じり、互いにシワの刻まれた晩年。

 あいつは病室のベッドの上で、衰えた呼吸を繰り返していた。ガラス越しの夕暮れが、その痩せた頬を橙色に染めている。私はベッドの脇の椅子に座り、あいつの手をずっと握りしめていた。

「悠ニィ……」

 掠れた声で、あいつが私を呼ぶ。

「ここに、いる」

「……迷惑ばかりだったな。若い頃も、アレを亡くした時も……ずっと、側にいてくれた」

 あいつは弱々しく笑い、握り返す力もない手で私の指先を包もうとした。

「いつも、側にいてくれて……本当にありがとうな。何でいつも一緒にいてくれるんだろう、バカみたいにお人好しだなって思ったりもしたけど――いてくれて、良かった」

 その穏やかな感謝の言葉を聞いた瞬間、私の胸の中で、幼い頃から半世紀以上封印し続けてきた想いが、溢れ出して止まらなくなった。あいつの人生を邪魔しないよう、ただの「唯一の味方」として隠し通してきた感情が。今の関係のまま、人生を完結させるための仮面が、ボロボロと崩れ落ちていく。

「……ずっと好きだったから、一緒にいたかったんじゃないか。バカだね……」

 私の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ落ちる。あいつはその一時、硝子玉のようだった目に色を取り戻し、こちらを見つめてきた。

 そして、私の告白の意味を、半世紀以上を越える私の想いを理解したように――どこか愛おしそうに、切なさの混じった美しい笑みを浮かべた。

「……そっか。バカは……こっちだったな――ありがとう、悠」

 彼は、初めて普通に私の名前を呼ぶと、静かに瞼を閉じ、手を握られたままゆっくりと息を引き取った。


結

 澄み渡る秋空の下、風が吹き抜ける丘の上の墓地に、私は立っている。

 墓石には、あいつと、そして私の入ることになるであろう、家銘が刻まれている。

 新しい花を花立に生け、線香に火をつける。そうして墓前に座り、静かに手を合わせながら、私は風の音に耳を澄ませた。あいつは最後以外、私を「悠ニィ」と呼び続けた。

 幼い頃、あいつは舌が上手く回らなくて「はるねぇ」と言えず、「悠ニィ」と呼び始めたのだ。周りはそれを男勝りな私への冗談混じりの愛称だと思い込み、私自身もあいつの側に在り続けるための仮面として、その呼び名を受け入れていた。

 風に揺れる黒い喪服の裾を押さえながら、私は自分の手を見る。

 シワの刻まれた、小さく細い、女の手。

 あいつが他の誰かを愛した時も、妻を失って絶望した時も、私は涙を隠して側に居続けた。終の時期に伴侶となり、最期に想いも伝え、私はあいつの人生の最初から最後までの全てにこの身を沿わせられたのだ。この手は、常にあいつの背を撫で続け、支え続けてきたのだ。

 心に宿る思いを噛み締め空を見る。背後からそよぐ風に、久しく忘れていた、あいつのいない世界の寂寞を思い出す。

 あの日、産着に包まれたあいつと出会った最初の記憶。蒲公英のように優しく凛としていたあいつの姿を思い出しながら、私は空を見上げたまま、静かに微笑んだ。

 待っていてね。

 今度もまた貴方の側に生まれるから。


 そうして私はまた、「会えたね」と微笑むのだ。



BLと思って読んだ方いたらゴメンナサイ


メモ書きみたら、「幼い頃からその人の事が好きだから、困ってる時には常に相談にのって、苦しんでいる時には手を差し伸べて、悲しんでいる時には寄り添って喜んでる時には共に分かち 合い、嫁が出来ても変わらず年老いても変わらず誰よりもその人の側に居続けた事を誇り思いを告げずに寿命を全うする人生捧げる系ヤンデレ見たい。」というリクエストに応えた奴だったようで。誰ですかこんなのリクエストした人は。(思い出せない)

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