想像上の私〜ブラコン令嬢と呼ばれて〜
訓練所で見学をしていた私と目が合うと、兄は軽く片手をあげて、それから戯けたようにウインクをしてみせた。周囲から黄色い悲鳴が上がる。
「いつも素敵ねぇ〜」
隣で、感嘆したような声がした。一緒に見学に来ていた、友人のイレーネ・ヴァルシア子爵令嬢だ。
私は、不自然ではない程度に微笑んで、「ありがとう」と答えた。
伯爵家の嫡男である私の兄シルヴェイン・クローデルは、騎士団の中でもかなりの人気者だ。こういった公開訓練の際には、いつも令嬢たちの黄色い声がたくさん投げかけられている。
緩くウェーブのかかった豪奢な金髪に、夏の空のように晴れ渡った青い瞳。
顔立ちも甘く、口元はいつも礼儀正しい微笑みを湛えている。本物の王子様よりも王子様らしいと令嬢たちの間で騒がれる、優美な見た目をしていた。
「あんなに素敵なお兄様がいたら、あなたが他の男性に気が向かないのも仕方ないわよねぇ。マリエル」
悩ましい吐息と共にそんなことを言われて、私は苦笑する。
私の理想の男性は、兄のような人ということになっている。私自身はそんなことを言ったことは一度もないのだが、気がついた時には、周りから私はすごいブラコンの妹だと思い込まれていたのだった。
訓練が休憩に入ったのを見計らって、私は兄に近付いた。手には、一通の封筒と差し入れの入ったバスケットを持っている。
「兄様、これ」
「マリエル! わざわざ来てくれて嬉しいよ!」
私が封筒と共にバスケットを差し出すと、兄は大きな声で大仰に喜んで見せた。
封筒を雑にポケットにしまい込んでから、いそいそとバスケットを開ける。兄はなかなかの食いしん坊なのだ。
中には、家族に持たされた差し入れの焼き菓子が、ぎっしり詰まっている。
「やあ、これは美味しそうだ。マリエル、いつも差し入れありがとう。——みんな、妹が差し入れを持ってきてくれたんだ。一緒にどうだ?」
兄は、令嬢たちがうっとりするような甘い笑顔で私に笑いかけてから、周囲に声をかける。途端に、兄の同僚の騎士の方々がわらわらと近付いてきた。
騎士団の方々も、大体食べ物の差し入れには目がない。特に、私のような家族枠からの差し入れは、気を遣わずに安心して食べることができると評判が良いのだった。
「おや、マリエル嬢は今日もシルヴェインに差し入れか。いつも熱心だな」
「俺もこんな優しい妹が欲しいよ」
「シルヴェインのことが本当に好きなんだな」
「いいえ、そんな」
「そんなふうに恥ずかしがらずとも、マリエル嬢が兄であるシルヴェインを大事に思っているのは、みんな知っているよ」
「いつも仲が良くて羨ましいな」
微笑ましいものを見るように、騎士様たちが言う。見学の令嬢たちも、騎士様たちに囲まれる私のことを誰一人敵視しないのは、私の目的が兄だけと思っているからだろう。女性の嫉妬はなかなか恐ろしいと聞くので、そればかりはありがたい。
私は、あくまでも兄の忘れ物である封筒を届けにきたのだけれど、家族に持たされた差し入れしか、周りの人たちの目には入らないらしい。もはや、この誤解はどうしたって解けないのだと、私は内心でため息をつく。
周りの人たちには、まるで私が差し入れをしにわざわざ訓練を見にきたように見えているのだろう。兄の振る舞いが理由だけれど、わざとではないのがわかっているから、何も言えない。
思えば、いつもそうだった。
周囲は、いかに私が兄のことを好きなのかを語るが、今日、私が訓練所に来たのは、兄に忘れ物の封筒を渡すためであった。差し入れは家族……と言うか、兄の食いしん坊を知っている母からのものだし、兄が自慢していた刺繍入りのハンカチは兄だけでなく家族全員分を刺したし、出かけ際に「気をつけて」と言うのも兄に対してだけではない。
趣味に合うプレゼントを誕生日に渡すのも、パートナーがいない同士でパーティーに共に参加するのも、せっかくだからとダンスを踊るのも、家族なのだから特別におかしなことではない。
出先でよく遭遇してしまうのも、私と兄のデザートの好みが似ているからであって、決して兄が行きそうな店に先回りしているわけではない。
そこに、騎士団の宴で酒を飲んだ兄の「マリエルは子供の頃、将来はシル兄様と結婚するって言っていて、本当に可愛かった」などという暴露があったせいで、私は完璧に兄を理想の男性として慕う、究極のブラコン娘というレッテルを貼られることになった。
そのせいか、学園に入学してもう二年も経つのに、いまだに私には婚約の打診が一つも届かない。兄には婚約の打診がたくさん来ているらしいのだが、兄は「今は仕事が面白いから、まだ良いよ」と、一言で断っていると聞いた。
それもあって、私たち兄妹は、誰も入り込めない麗しい兄妹愛に結ばれていると、巷で噂らしい。よく似た美形の兄妹が仲良く寄り添い並ぶ姿は、なかなかの眼福なのだとか。友人たちから、そう聞かされた。
穴があったら入りたかった。ただ、概ね崇高な家族愛として見られているのであって、汚れたいやらしい目で見られていないのだけが私の救いだった。
兄のことは好きだ。あくまでも家族としてだけれど。
そうでなかったら、こんな誤解をされているのにも関わらず、忘れ物を届けになんて来ない。だって、兄も私のことを好きでいてくれているし、とても優しい。
いつも「困っていることがあるのなら、遠慮なく言ってごらん」「もしもの時は何があっても、兄さんが守ってあげるからね」と優しく笑う。
ちょっと天然なところがある兄だけれど、こんなふうに大事にされたら、嫌いになんてなれるはずがない。
「お帰り、マリエル。今日も餌付けお疲れ様。体の大きな騎士様たちに囲まれて、途中から姿が隠れていたわよ」
休憩時間が終わり、私が空になったバスケットを手に元の席に戻ると、もう一人、付き合ってくれていた友人のアデル・フェルナン伯爵令嬢が、揶揄うような口調で声をかけてきた。
イレーネのほうは少し兄の情報狙いのところがあるのだが、アデルは私の『噂』を気にせず付き合ってくれる、とてもありがたい友人だ。
「マリエルの用事も済んだし、そろそろ帰りましょう」
「ええ〜、まだシルヴェイン様を見ていたいのに〜」
アデルの声かけに、イレーネが反論する。
「それなら私たちだけで行っても文句は言わないのね? せっかくマリエルが予約してくれたサロン・ド・ミレイユのデザートコースだけれど、残念ね」
腰に手を当てて、アデルがわざとらしくため息をついてみせる。
サロン・ド・ミレイユは、王都でも人気のデザート専門店だ。完全予約制で、いつも枠はあっという間に埋まる。
兄に連れて行ってもらってから、私のお気に入りの店でもあった。
「いやー! 行く行く! 置いていかないでー!」
途端に、イレーネはアデルに縋り付く。変わり身の速さに、思わず笑ってしまった。
こういうところが、嫌いになれない理由だ。素直で可愛げがある。
周りの令嬢たちは、相変わらず手にオペラグラスを持ちながら、夢中で兄たちを眺めている。私たちは、一応周囲の令嬢たちに一礼して、訓練所を出た。
その日も私は、父からの兄への届け物を持って、放課後に騎士団の詰め所を訪ねていた。直しに出していた懐中時計の修理が終わったとのことで、それを渡されたのだった。
例によって、母からの焼き菓子入りのバスケットも持たされた。
「おや、マリエル嬢。シルヴェインなら、今は副団長と面談しているよ」
受付で呼び出しをお願いしようとしていたら、通りかかった騎士様がそう声をかけてきた。何度か訓練所で見かけたことのある方だが、名前は知らない。
私は、軽く会釈した。
「そうですか。まだ時間はかかりそうですか?」
「そうだね。ついさっき呼ばれたばかりだから、もうしばらくはかかると思う」
鮮やかな赤毛に、灰色の瞳をした騎士様は、長身のほうの兄よりもさらに背が高そうだった。でも、不思議と目の前に立っていても威圧感はない。少し垂れ目がちの顔立ちが、迫力よりも安心感を与えるのだろうか。
私は少し迷ってから、騎士様に声をかけた。例え断られるにしても、この人なら手厳しい反応はしないだろうと思ったからだ。
「あの、大変申し訳ないのですが、兄への言伝と、この荷物を預けても宜しいでしょうか? 修理に出していた懐中時計と、いつもの差し入れなのですが」
私が言うと、騎士様はちょっと驚いたような顔をした。
「待たなくて良いのかい? わざわざシルヴェインに会いにきたんだろう?」
「いいえ? 私はこの預かり物が渡せれば、それで構いません」
確かに今の兄は騎士団の寮に入っているため毎日は会えなくなったが、週末にはほぼ毎回帰宅するのだし、どうと言うこともない。
「え、本当に? 会わなくてもいいの?」
赤毛の騎士様がやけに確認をしてくるのに、私は首を傾げる。何か、都合が悪いのだろうか。
「騎士様がご無理なようでしたら、待ちますが」
「え、いやいや、うん。大丈夫。ちゃんと渡しておくよ。修理していた懐中時計ね」
赤毛の騎士様はそう言って、慌てた様子で私に手を差し出した。私はバスケットと、時計の入った箱を渡して、お礼を言う。
「ありがとうございます。助かりますわ。えーと……」
「ディオン! ディオン・アルヴェールって言います! シルヴェインとは同期です」
急に敬語になった赤毛の騎士様——ディオン様が、そう名乗った。私は今さらながらに、自分も自己紹介する。
「マリエル・クローデルと申します。いつも、兄がお世話になっております」
制服のスカートではあまり様にならないけれど、スカートの裾を持ち上げて軽く足を折る。ディオン様も、慌ててバスケットを持ちながら、器用に片手を胸に当てて、敬礼してみせた。
「それでは、よろしくお願いします。あの、本当に助かります。ディオン様」
「あ、はい! お任せください!」
私が微笑んでもう一度お礼を言うと、ディオン様は少し赤面して、しゃちほこばった様子で何度も頷いた。私は一礼を残して、詰め所を出た。
騎士団を訪ねても、受付の人を除けば、兄以外と話すのは滅多にないことだ。ちょっと緊張したが、相手があまり威圧感のない、親切なディオン様で良かった。
私は背の高い赤毛の騎士様のことを思い返しながら、ふふっと小さく笑った。
翌朝。私は騒がしさに目を覚ました。
階下から、人の声が聞こえる。
兄の声のように聞こえて、目を擦りながら首を傾げる。平日の早朝に兄が帰ってくることなど、これまで一度もなかったはずだ。
気のせいかしら。そう思っていると、兄のらしき声と、それを止めるような数名の声が段々と近付いてくる。
大きな音を立てて、扉がノックされた。私はビックリして体に布団を巻き付ける。
「マリエル! 起きているか!」
兄の声だ。間違いない。
どこか必死な声音に、私はどうしようかと視線を彷徨わせる。いくら兄妹と言っても、良い年頃をした娘が寝巻き姿を晒すのは駄目だと思う。
「お待ちください! シルヴェイン様!」
「マリエル様が着替えるのをお待ちください! どうか!」
必死に止める執事のベリルと、私付きの侍女リベラの声。
「突然帰ってきて何をしている、シルヴェイン!」
とうとう、父の声までしてきた。私は布団をきつく巻きつけたまま、ベッドの上で固まっている。
「父上!」
気のせいでなければ、兄の声は涙をこらえるように震えている。いったい何事なの?
「とにかく、お前は食堂に来なさい。——リベラ、マリエルを着替えさせてから、食堂に連れてきてくれ」
父が、兄を食堂へと促す。そして、リベラへ指示を出してから、兄を連れて去っていったようだった。
「マリエル様、起きていらっしゃいますか?」
リベラの声と共に、今度は軽いノックが聞こえた。
「起きているわ」
私が答えると、静かに扉が開く。リベラは、猫のようにするりと部屋に入ってきて、すぐに扉を閉めた。
「兄様はどうなさったの?」
「それがさっぱり……。突然先ほど帰っていらして、そのままこちらの部屋へ向かわれたので、ベリルさんたちと止めていたのですが」
私の質問に、リベラも困惑した表情で答える。
私がベッドから降りると、すぐに学園の制服を持ってやってきた。夏の制服はふくらはぎまで覆う半袖のワンピースに、膝上までの靴下を合わせる。これが、私が持っている中で一番早く着替えられる服なのだ。
他の侍女が急いで持ってきた湯で手早く顔を洗い、気が急きながら化粧水をつける。
その後は手伝われながら制服に着替えて、背中にかかる緩いウェーブのある金髪を簡単に漉かれ、ハーフアップにまとめられた。学園へ通う時のいつもの髪型だ。
食堂の椅子に腰を下ろした兄は、どこか悄然として見えた。父が胡乱な眼差しを向けているが、黙りこくっている。
「兄様……」
私が声をかけると、バッと音がしそうな勢いで振り返った。ガタンと椅子が鳴る。
らしくなく、音を立てて立ち上がり、こちらへ駆け寄って来た。
「マリエル!」
両手を掬うように掴まれて、顔を覗き込まれた。見上げてみると、涙目だけれど、それだけではなく目が赤く充血している。
「兄様……もしかして、寝ていないの?」
「とても寝ていられなかった……マリエル、すまない!」
大きな声で謝罪される。
私は、近くにいる父の顔を見上げた。目が合うと、父もさっぱりわからないと言った様子で肩をすくめてみせる。
「どうしたの、急に……」
「俺の振る舞いが原因で、お前にブ、ブラコンなどという不名誉な噂が立っていると昨夜、ディオンから聞いて……それからもう、いてもたってもいられなくて」
「まあ」
私は、驚いて声を上げた。
昨日会ったばかりの、赤毛の長身な騎士様を思い出す。彼も、私のブラコンという噂を信じていたのか。だから最初、様子がおかしかったのね。
「パーティーできっちりとエスコートするのも、ダンスを踊るのも、俺はお前のことを守っているつもりだった……。パーティーで女性に声をかける男たちの中には、女遊びの激しい軽薄な連中もいると先輩方から聞いていて、そんな奴らをマリエルに近づけるわけにはいかないと、そう思っていた。でも、俺がそうしてダンスのひとつも他の男と踊らせなかったために、お前に不名誉な噂が立つことになっていたと知って……俺は……俺は……!」
兄の目元が見る見る潤み、美しい青い瞳から涙が転がり落ちた。
「兄様。泣かないで。私は、兄様が私を守ろうとしてくださっていたこと、ちゃんと知っているわ」
私は仕方がないなと思いつつ、兄の目元をハンカチで押さえた。
「兄様はずっとそう。私が庭で転んだあの日から、ずっと私のことを守ろうとしてくれているのよね。知っていたわ」
「……覚えていたのか」
私が歌うように言うと、兄は驚いた様子で瞬きをした。また、瞳からポロリと涙がこぼれる。
「まだ、ほんの三つの頃のことなのに」
「ええ、覚えているわ。兄様は七つの頃よね」
ほんの小さな日のこと。親の目を盗んで、兄は私の手を引き庭に連れ出した。もちろん、悪意なんてない。
多分、庭に咲いた花か何かを見せようとしてくれたのだと思う。ただ、歩幅が兄の予想以上に違ったのだ。
意気揚々と歩く兄について行けず、私は派手に転んだ。そして、驚いたのと痛みとで、大声で泣いた。
その時の、兄の青ざめた顔を、今でも覚えている。鮮やかな庭と、晴れた空と、泣きながら謝る兄の強張った顔。それは、私の最古の記憶だ。
「それから、兄様は本当に私に過保護だった。私がほんの少しでも傷つかないように、意地悪な令息には決して近づけなかったし、お茶会で気の強い令嬢と会う時には必ず同席してくれた」
「気がついていたんだな、ずっと……」
「ええ。だから、噂のことは知っていたけれど、これまで言わずにいたの。兄様に悪気なんてないって知っていたから」
「マリエル、シルヴェインのことを甘やかしすぎては駄目だぞ」
傍から、苦い顔をした父が口を挟んでくる。
「それから、そんな噂があるのを知っていたのなら、私にまずは相談しなさい」
「ごめんなさい、父様」
私は父に謝って、それから兄にもう一度向き直った。私も、兄と同様でまだ婚約とかちょっと早いなと思っていたので、これまであまり深刻に考えずにきてしまっていたのだ。
父も母も、年頃の特に瑕疵のないはずの娘に、なぜか婚約の申込みがないことをきっと心配していただろうに。
「兄様、でも、私ももう十七歳よ。婚約者がいてもおかしくない、年頃の娘なの」
「ああ……いつまでも小さくて大事なお姫様だと思っていたけれど、そうではなかったんだな……。ディオンが、今のままではいけないと言ってくれて、それでいてもたってもいられなくて……朝を待って寮を飛び出してしまった」
「お前、ちゃんと上司に休みの申請はしたのか?」
父が心配げに声をかけて来る。私もそこは心配で、兄の顔を見上げる。
兄は、居心地が悪そうに顔を背けた。……これは、黙って出てきたな?
「シルヴェイン……お前なぁ。——ベリル、騎士の詰め所へ連絡を入れてくれ。シルヴェインを家の急用で呼び出したと」
父が呆れた様子で執事を呼ぶ。流れるように嘘の理由で騎士団長様への言伝を頼むあたり、父も兄に甘い。
「これからは、シルヴェインへの言伝をマリエルにばかり頼むのは、やめることにする。私たちも、兄妹仲が良いからと、いつもマリエルに甘えていたんだな……すまない」
父が、申し訳なさそうに私に謝罪する。私は黙って首を振った。
私自身も、それで良いと思ってやってきたことだ。噂のことを両親に黙っていたのも、よくなかった。
「さあ、食事にしよう。シルヴェイン、お前、寝ていないせいだろうが顔色があまり良くないぞ。しっかり食べて、軽く仮眠してから騎士団に戻るんだ。良いな?」
「まあ、シルヴェイン。急に戻ってきて、どうしたの?」
食堂に顔を出した母が、おっとりとした口調で言う。あの騒ぎの中で眠っていられたのだから、相変わらずマイペースな人だ。
「おはよう、アマンダ。ちょっとした行き違いがあったようでな。食事をして、仮眠を取らせたら詰め所へ戻らせる予定だ。一緒に朝食を食べよう。ああ、平日の朝に家族四人揃うのは、とても久しぶりだな」
父が万事取り仕切るように、手を叩く。母はそんな説明でも納得したように微笑んで席に着いた。私も、兄に席を引かれて腰を下ろす。
あら? こういうのが良くないって話ではなかったかしら?
「シルヴェイン。マリエルの椅子を引くのは、執事か従者に任せなさい」
「あ、すみません……つい」
無意識のことだったらしい。なかなか先が思いやられる。
次のパーティーで、いつものようにエスコートしてくれた兄とファーストダンスを踊って、いつもならばその後も兄と踊るけれど、兄は私を連れて騎士団の人たちが集まっているところへと向かった。
「ディオン。良かったら、妹と踊ってやってくれないか?」
「え、俺——じゃない、私が?」
赤毛の長身の騎士様が、兄の申し出に驚いたように声を上げた。私も少し驚いて兄の顔を見上げる。兄は、私を安心させるように柔らかく微笑んだ。
「ディオンが無理なら、クルセリオか、シーディス先輩、お願いします」
「なんだ。妹君のガーディアンはもうやめたのかい?」
「安心できる方となら、これからは少し踊らせようと思って。妹ももう、年頃ですから」
そう言って、再び私に笑いかける。
「ディオンが断るのなら、私が喜んで相手を務めよう」
「待ってください、シーディス先輩! 私は断ってはいません!」
笑顔で近寄ってきてくれた先輩を大声で止めて、ディオン様がこちらへ向かって来る。手を差し出そうとして、慌ててズボンで手を拭ってから、恐る恐ると言った具合で手を差し出された。
顔が赤い。なんだか、私まで緊張してしまいそう。
「マリエル嬢。ダンスをお誘いしても?」
「ええ、喜んで」
笑顔が少しぎこちなくなった気がするけれど、なんとか差し出された手に右手を乗せて、連れ立ってダンスフロアへ向かう。周囲の人たちの視線が、突き刺さるようだった。
「シルヴェインほどの美男子でなくて申し訳ないですが、ダンスは得意なほうです。安心してください」
「兄以外と踊るのが初めてで、足を踏んでしまったらごめんなさい」
「騎士は頑丈なので、いくらでも踏んでください」
私が言うと、にっこりと笑顔でそんな頼もしいことを言ってくれた。私の緊張をほぐそうとしてくれているのがわかって、私は今度は心から微笑むことができた。
音楽に合わせてステップを踏む。見上げる視線がいつもより高くて落ち着かないけれど、とても踊りやすい丁寧なリードだった。だから、兄はディオン様を指名したのかしら。
「兄に、噂のことを教えてくださったそうですね」
「……余計なことをしましたか?」
踊りながら会話をする余裕が生まれたので、ディオン様にそう話しかける。ディオン様は、少し強張った顔をされた。私は軽く首を振る。
「いつかは言わなくてはならなかったことです。皆様が想像上の私を見ていて……あんな噂が立って……正直、少し困っておりました」
「私も、申し訳ないことに最初は噂を信じていたのですが、先日、あなたがシルヴェインを待たずに私に荷物を預けて帰られたので……。もしかしたら我々は勘違いをしているのではないかと思って、シルヴェインに噂の話をしたのです」
「おかげさまで噂のことも解決しそうですが、家族の絆も確かめ合うことができましたわ」
私がそう答えると、ディオン様はホッとした様子で息を吐いた。
「それなら、良かった」
それからは、無言で踊る。後半はかなり息も合ってきて、くるりくるりとターンを決めることもできた。先に言っていた通り、ダンスが得意というのは本当のことだった。
「ありがとうございました」
踊り終えると、そのまま兄の元へと戻るようにエスコートされる。これまで差し入れの際に見たことのある騎士団の方だから、安心していられた。
「こちらこそ、初めてのダンスの相手に選んでいただけて光栄でした。——また、次のパーティーでお誘いしても?」
手を離す際に、はにかんだような表情でそう言われて、少し頬が熱くなる。年頃の令嬢として殿方に扱われるのは、こういうことなのだと初めて知った。
「……ええ、喜んで」
私が笑顔で答えると、ディオン様は照れた様子で笑った。垂れ目がちの灰色の瞳が、私だけを甘く見つめていた。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
よろしければ、ブックマークや★評価などで応援していただけると幸いです。
また、次の作品でお会いできますように。




