第一話 不憫令嬢は目覚めました
「なぜっ、なぜ、私ではないのですか………!」
悲痛に嘆き、涙を流し、女性は訴える。
目の前には肩を抱き、身を寄せ合っている男女。
頬を伝う涙を拭いもせず、ただただ女性は言葉を紡いだ。
「わ、たくしがどれだけ貴方を想い……!どれだけ、貴方の隣を望んで、いたと思っ……!」
視界は揺らぎ、将来を共にしたいと願った愛しい人の顔すら分からなくなる。
どうして、どうして、どうして!
なんで、なんで、なんで!
癇癪を起こした子供のように肩は震え、激情に襲われる。
深紅の短髪の男性は興味がないと言わんばかりに、泣きじゃくる女性から視線を外していた。
「黙ってっ、ないで、ちゃんと話っ……!」
感情のままに男女に掴み掛かろうとした瞬間。
“私”は“私”を思い出した。
………………あれ、なんで私泣いているの?
「……。」
確か、いつもの仕事帰りで横断歩道を渡ってて。
「………………リナリー?」
それで、雪が降ってきて、綺麗だなって。
そして………
「ッ!!」
頭がかち割れそうに痛み出す。アッ、ガッ、と声にならない呻き声をあげる。頭を抱え、意識が遠のく。
泣いていた理由は思い出せないが、なんだか視線の先にいる赤と白色の人物は見覚えがある、ような。
「は、早く!誰か、医者を!」
「リナリー様が倒れた!手を貸せ!」
あたりが急激にざわつき出したのを最後に目をゆっくりと閉じる。ひと雫の涙を静かに流して。
◇◇◇◇◇◇
はあ…。
今日も一つため息をもらす。
朝8時15分に家を出て、8時25分の電車に乗る。そして、8時45分ごろに職場に着いて9時に業務開始。変わらない日常、平坦な日常、変わり映えのない景色。
今日も1日何事もなく、早く過ぎ去ってくれますように。
何度願っているか分からない願い事を心の中で唱えながら仕事をする。
それとなくいつもの業務を淡々とこなし、定時になったら誰よりも早く退勤。
「お疲れ様でしたー。」
間延びした自分の声に、先輩達の表情が曇ったのではないかとヒヤヒヤしながらそそくさと職場を後にする。
はあ…。
数えきれないほどしたため息は、白い煙となって自分の目の前に現れた。
あ……雪が降っている。
今の季節は冬。雪が降る事なんて当たり前な筈なのに、この日の夜は何故か立ち止まって魅入ってしまった。
そう、立ち止まってしまったのだ。道路の白線の上で。
ぱぁぁぁぁああああああ!!!!
大きな音が鼓膜を震わすとともに眩い光が私を包んだ。
◇◇◇◇◇◇
「……うぎゃーーーーー!!??」
ガバッと勢いよく起き上がると目の前に驚いた顔でこちらを見ている黒髪の男性がいた。
「お、お嬢様!?」
男性は手に持っているティーセットを慌てて近くの机に置き、声をかけてきた。
どくどくどくどくどく…と脈打つ心臓を左手で押さえながら、私は返答する事なくあたりを見渡す。
質素だが物は良さそうなシンプルなベッド。ドレッサー、クローゼットに、大きな姿鏡。あたりには散乱しているくまにうさぎに犬にネコ、とレパートリーにとんだぬいぐるみたち。
私が住んでいた1K家賃7万円の賃貸アパートとはかけ離れた広い部屋。
「あれ、私さっき…。」
ぼそりと呟く言葉に対して、心配そうに顔を覗かせている男性の声がやっと耳に届く。
「リナリー様!お身体は平気ですか!?医者を呼びましょうか!?」
目を向ければ、満月のような綺麗な金色の瞳と目が合う。
うわ、綺麗……なんて思ったのも一瞬で、聞き慣れない単語に首を傾げてしまう。
「リナリー様って……、私のことを言っているの……?」
その言葉を聞くや否や、黒髪の男性はパチクリと大きな目を丸くさせて黙り込む。
あ、あれ…今のは失言…?いやでも、本当にこの人が誰で!ここがどこなのか!私が誰なのか!…分からないことだらけだし…!
そうやって一人でぐだぐだと思考していると、男性が肩を震わせるのに気づいた。
「あ、あの!今のは冗談!と言いますか…ドッキリでしたー!…みたいな……?」
しどろもどろに思いつく限りの言葉で挽回しようと慌てふためく私に男性は姿鏡を向けてきた。
「ショックのあまり、記憶が曖昧なのでしょうか…くそ、あいつが。あいつさえいなければ!」
何故か突然地団駄を踏み出した男性は、姿鏡を支えながら、口を開いた。
「貴女は、リナリー・アーノルド・ラタン様。この土地アイレスに加護を与えている風の魔女であり、ラタン公爵の愛娘。品行方正、眉目秀麗、周りの方々からは一目置かれている僕の自慢のお嬢様です!
そして、僕は貴女の使い魔ルノー。元は野良の黒猫でしたが、貴女が姿を変える魔法でこの姿にしてくれたんじゃないですか!」
お、おお。すごい説明口調。これがライトノベルなら自己紹介パートだな、ここ。
なんて、呑気に思いながら姿鏡に視線を移す。
鏡に映る自分の姿は、見慣れない容姿をしていた。
腰まであるだろう透き通る水色の長髪に、ルビーのように紅い瞳。新雪のように真っ白なキメの整った肌に端正な顔立ち。
何この……オンラインゲームで作りたくなるような姿は……。
それに、ルノーと名乗った男性の説明を聞く限り設定てんこもりで渋滞している気さえする。
ん?設定てんこもりで渋滞している?あれ、なんかやっぱり見覚えがある気がする。
「ああ、可哀想なリナリー様!あの男が貴女に舞踏会で“婚約破棄”など言い渡さなければ!!」
おっと、これは典型的な転生ものだ。婚約破棄なんて実際される事あるんだ、いい経験かも。
うんうん、と一人で頷いているとルノーはパチクリと数度瞬きをして私を見た。
「本当に、覚えていないのですか?」
「……あー、えーと。……髪の色なら覚えていますことよ?」
思わずふざけた口調でおほほほほなんて笑ってみせると金色の目をまんまるにして見つめてくる。
まあ、あんな公の場で醜態晒した張本人が目が覚めてケロッとしていたら普通に驚くだろう。それに、婚約破棄なんて言葉で発するのは簡単だが実際問題大問題である事に変わりはない。
何せ、公爵令嬢がまるで見せしめのように言い渡され、無様にも掴み掛かろうとしたのだから。
「……リナリー様の胸中をお察し致します。」
ルノーは右手のひらを左胸に置き、深々と頭を下げた。すごく、辛そうな顔をして。
私はそんな彼にありがとう、と一言だけ伝える。視線は自然と下を向いてしまう。別に私自身は何も感じないのだが、心の奥底がチクッと痛んだような気がしたのが原因なのかもしれない。
しばらくの沈黙の後、私は状況を整理するためにルノーに問いかけた。
「…ところで。」
「先ほどのお方は、リオルド・アルカルト第一王子。アルカルト家の長男でリナリー様のご婚約者様でございました。」
私の聞きたい事を真っ先にルノーは教えてくれた。
リオルド・アルカルト。
深紅の髪色と同じ瞳を持つ青年。齢十六にして人々を牽引するほどの統率力と誰もが目を見張るほどの知識や技術を持ち、弁が立ち、次期国王を約束されている人物。
そして、
「貴女様の、幼馴染でもありますね…。」
物憂げに言葉を紡ぐルノーは、眉を下げて私へと微笑む。
その言葉を聞いた瞬間、雷が直撃したような衝撃に襲われた。
“幼馴染のハイスペック王子”
“舞踏会での婚約破棄”
“泣きじゃくる公爵令嬢”
…
……じゃあ、あの王子の隣にいた女性は…
「……ユア…リーファル。」
「!?」
ぽつり、と呟いた名前にルノーは肩を上下させた。
「な、何故リナリー様がご存知なのですか!あのご婦人は平民の出であり……!」
慌てた様子の彼を一瞥し、私は頭を整理する。
リオルド、ユア。
この二人の名前、さっきの状況を考えると記憶の中のある恋愛ゲームと一致した。
そう、“BLゲーム”の物語と。
しかも主人公が“女装をしている”ジャンルもので。
「……。」
「あ、あの。リナリー、様?」
思考の海に溺れていると、ルノーが心配そうに声をかけてきた。
「あっああ、ごめんなさい。なんだか、疲れちゃったみたい。私の非礼は明日以降謝る形でも許されるのかな…?」
「ひ、非礼など!詫びをするのはあいつ!んんっ、リオルド第一王子の方でございます!!」
第一王子をあいつ呼ばわり…意外と口が悪い彼に苦笑してしまう。ふと窓の外を見ると、太陽は姿を隠し、夜を迎えていた。
私はどれだけ気を失っていたのか。というか、舞踏会からそれほど時間は経っていないのか。
んん?舞踏会での婚約破棄宣言??
「……あーーーーー!」
突然の絶叫にルノーが後ずさる。何故すぐに気づかなかった。馬鹿か私は。舞踏会での婚約破棄、ってことは。もう、私はすでに。
「王立魔法学園に入学しちゃっている…。」




