精霊の王(1)
四月。
新年度の最初の授業は、オリエンテーションから始まる。講義の内容や一年間のスケジュールを教えてくれるのだ。これが二回くらい続く。
私たち広域生は、大体はネットの録画を見てどの大学のどの授業を取るかを決める。が、人気の講座はその場で抽選があったりするのであなどれない。去年は幸い、その狭き門をくぐり抜けて針谷教授の講義を聴くことができた。
というわけで、今年も私は京都大学の吉田キャンパスに来ていた。
針谷教授の講義は面白い。北はイヌイットから南はタミール族に至るまで、様々な民族の話が聴けるのだ。人呼んで「一人民博」。いろんな実物資料も見せてもらえる。大阪の民族学博物館に見学に行った時も、さまざまな体験談が聴けて大満足だった。前年度の最後の授業では、教授は春休みを活用してタイ・ラオスのあたりの少数民族ニャルプン族のフィールドワークに行くと言っていた。その土産話も、ぜひ聞きたかったのだ。
立ち見も出る階段教室に、見慣れないぼさぼさ頭の人が入ってきた。頭の天辺がハゲているのがダサい。
「准教授の手越です。えー、ニュース等ですでにご存じの方もいるかもしれませんが、一昨日、針谷教授がお亡くなりになりました」
ざわめきが広がった。
「本日はその本葬の日です。僕もこのあと、葬儀に参列します。葬儀の会場は……」
京都の有名寺院だという。
「えー、諸君、お静かに。今年度の講義は急遽、私がつとめることとなりました。針谷先生ほどの講義が出来るかはわかりませんが、私なりに全力を尽くしていきたいと思います。諸事ありますので、本日のオリエンテーションはこれにて終りといたしたいと思います。……えー、最後に、針谷先生への黙祷を捧げたいと思いますので、ご賛同いただける方はその場にてご起立ををお願いします」
一分間の黙祷の後、オリエンテーションは散開となった。
「あーっ、なんてこと!」
澪さんが嘆いていた。手には先月出たばかりの針谷先生の著書を持っている。大方、サインでももらうつもりだったのだろう。
針谷教授は、サインをもらうといったミーハーな行為は嫌いだった。前にサインを欲しがった学生がいたが、お小言をくらっていた。
「サインというものは、その人への敬意を込めて書くものです。君が一流の学者になった暁にはこの本を持ってきなさい。そうすれば献辞でも帯でもきっちりと後に残る物を書きますよ」
そして、にやりと笑った。
「それに、サインなんぞしたら、古本屋での買い取りで査定が下がります」
私はそれを聞いてから安易にサインをねだることはやめた。価値観が一転した事件だった。
人の流れに逆らって前の方へ移動する。
「澪さん!」
「あ、サツキちゃん!」
なぜかハンカチを差し出される。
「えっ……?」
「涙!」
私はようやく気がついた。一年間授業を受けていた恩師の訃報に触れて、思わず涙を流していたことに。
「メリーさんは?」
「京都文化大学に行きましたよ。張り切ってコロコロを引いて」
時間のあいた私たちは、東一条通りに面した喫茶店に来ていた。昔ながらの名曲喫茶だ。そして、コーヒーの香りがいい。
「え? 文化大学!?」
驚く澪さん。あまりランクの高い大学とは言えないが、最近伸びてきた京都の新興勢力だ。特に、観光学科が人気だとか。
「うん。今日から教壇に立つんだって」
「何か授業!? そもそも、あの子何歳だったの!?」
「アメリカ文学の講師。それと、アメリカ英語も教えるって」
年齢に関しては触れてはいけない話題だ。そっと流す。
澪さんは、興味津々でその先をうながす。
「アメリカ南部文学の湿度感とかそんな話をするらしいけど、よくわからなかった。あと、英語講師はおまけ。けどこっちの方がコマ数が多いってぶちついていた」
「わーっ、すごーい!」
目をキラキラさせている。
「アメリカ人なら本場の英語がしゃべれるから、って突っ込まれたらしいんだけど。……妙なスラングとか教えまくんなきゃいいんだけどね」
「わかるわー。あの子なら萌える英単語とか、バリバリ教えそう」
「ふふふっ、世界にまたオタクの種が撒かれる!」
ミステリー研究会の時とは違って、澪さんは意外とよくしゃべる。彼女もまた、普通の女子学生なのだ。というか、会長の手前、カマトトぶっているだけなのかもしれない。
その時、スマホがビビビっと震えた。メリーさんからだ。
「もしもし、あたしメリーさん。今、警察署にいるの。今夜のディナー作戦は決行出来そうにないの~」
それだけ言うと、プツリと通話を切ってしまった。
「澪さん、ごめん。メリーさんからだわ。急いで帰らないと」
「うん。じゃ、ここで」
のほほん、と手を振っている。
私は自分の分のケーキと紅茶の代金をテーブルに置くと、急いでマンションに向かった。
「ディナー作戦」というのは、昔の傑作映画からとった合言葉だ。これを聴いたら、すぐに自宅に直行して、メリーさんの部屋のヤバいブツを片付けなくてはならないのだ。
保管する場所はお向かいのかがみさんの家。というかスタジオ。鍵は互いに持ちあっている。
メリーさんは、文化の研究という名目で、ちょくちょく昔のいけない写真集やマンガを「保護」していた。ガサ入れされる前にそれらを移動させるのだ。昭和の頃に上映されていた普通の映画のデータがたくさんある。ありふれた入浴シーンや、女衒が少女の値踏みをするシーンが今では違法になってしまったのだ。
よかった、ガサ入れはまだ来ていない。
私は盟約に従ってディナー作戦を決行する。
「読後焼却」と書かれた段ボール箱に封をすると、脇に抱えてかがみさんの家に放り込む。
あとはパソコンのデータ消去だ。
「トリックオアデリート」という隠しアイコンをクリックする。これでハードディスクの中は無意味なデータの羅列で一杯になるはずだ。
私はそっと鍵をしめると自宅に戻った。
その夜。
メリーさんが鳥の丸焼きをおごそかに捧げ持ってお詫びに来た。
「面目なかったのー。ただの通訳の仕事だったのー」
頭を掻いている。
「取り調べに立ち会う側だったんだ」
「うん。ラオス国籍の女性がつかまって、ラオ語の通訳がほしかったんだって」
「あはは。……パソコン、初期化しちゃったよ」
「うん。徹夜でなおすのー」
しゅんとしている。
それから二人で鳥の丸焼きをつつく。今夜のディナーはいつになく豪華だ。
「で、どんな事件だったの?」
興味本位でたずねてみる。守秘義務は課されているのだろうが、おおまかな事は教えてくれるかもしれない。
「それがね。お寺のお葬式にラオス人が割り込んできて騒いだんだって。自分も妻のひとりだ、喪主の資格がある、て。それが無理なら、主人の首を切り落として持ち帰る、て。それで騒ぎになって逮捕されたらしいの」
いやな予感がした。
「それって、針谷教授なんじゃ……」
「そう、プロフェッサー・ハリヤ。って、まだ報道されていないはずなのに、なんで知ってるの!?」
メリーさんがぽかんとしている。
「そうか。メリーさんは民族学の講義、受けてなかったものね」
「そう。特に興味もなかったし」
そう。とってない授業の先生など知るわけがないのだ。メリーさんの記憶に残っていなかったのも仕方ない。
私は、手越准教授が語ったことを話した。
「へーえ、そうだったんだー」とメリーさん。
「結局、お葬式に教授の愛人が乗り込んできた、てことなのね」
「それがね。彼女の民族――ニャルプン族では、王には一夫多妻制が許されている、いや、むしろ義務だ、て言うの。故国にはあと十一人の妻が残されている、て」
「王?」
「そう。プロフェッサー・ハリヤは王だから、もっときちんとした葬儀をしなくちゃいけない、だから首を持ち帰ろうとした、て主張してたの。故国できちんと樹液で固めて神像にして祀らなくちゃいけないんだって」
頭の痛い問題だった。結婚や葬儀の概念が、日本とニャルプン族では根底から違うのだ。もはや対立しかない。
そして、日本人ーーおそらくーーである針谷先生がニャルプン族の王だったという事実。
これは、実に興味深い話だった。……民族学的に。




