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スク水人魚(2)

 十一月になると京の底冷えが骨身にこたえるようになった。

 さすがのワンダー・ルーシーも、スク水白衣はやめて普通の格好にかわる。

 私自身は彼女と二人で遊ぶことはなかったが、メリーさんとはよく遊んでいるようだった。

 似た者同士だからだろう。

 服装へのこだわり、我が道を行く天才、外国人、年齢不詳、そして今年からは博士号持ち。

 ルーシーは本名を「王羅瑞兮(ワンルオ・ルイシー)」という。早口だと「ワンダー・ルーシー」と聞えるのでそう名乗っているのだとか。ちなみに王羅というのは欧陽、司馬などと同じ複姓だ。ルーシーは飛び級で四川大学を卒業したのち、アメリカの大学に留学、そのまま京都大学に就職した。元々は香辛料化学の研究者で、香料の特許を複数持っていたりする。

……いや、なんか劣等感を抱きますわぁ。

 たまにケーキを食べにいっても香料の化学成分の話になると、私とメリーさんが取り残される。そのかわりルーシーは日本アニメのオタク話で置いてけぼりになる。ハリウッド映画の話とかなら無難かな、という感じ。

 そして、年を越えて三月。

 珍しくルーシーからのお誘いがあった。

 新しい香料を開発したので「聞香(ぶんこう)」に来ないか、と言うのだ。

 聞香、とは香を嗅ぐ、という意味のおしゃれな言葉だ。そういえば清末には「聞香教の乱」なんてのがあったっけ。

 てなことをだべりつつ、私とメリーさんは近くで調達した和菓子を手土産に王羅研究室へと向かった。


 エレベーターで地下二階に降りて研究室向かう。すると閉じられたシャッターの前に院生たちがたむろしていた。

「どうしたの?」とメリーさん。

「緊急用のシャッターが閉じていて、中に入れないんです」

「ルーシーに連絡は?」

「電話に出ないです」

 なるほど、中から呼び出し音が聞えている。

「先生、先生!」

 一人がシャッターを叩く。

「このシャッターは、どういう時に閉まるの?」とメリーさん。

「中で火災とか毒ガスが出た時とか……」

「でも、警報音が鳴っていないからそれではないです」

「あと。中で緊急ボタンを押した場合も閉まります」

「ということは、うかつに踏み込んではいけないってことね」

 メリーさんは、考え込む。

「ここの中庭に降りることってできるかしら。中の様子を確認したいの」

「それならここの奥に出入り口があります!」

 一人が壁の突き当りにある防火扉を指さす。

 古びた防火扉を開くと、今は封鎖された研究室が出てきた。廊下には電灯もともってなくて、研究室もガラクタ置き場のようだ。

 その先を曲がると、非常口があった。

「ここは鍵がかかっているんですけど」

「本当、緊急時に使えない非常口なのー」

 メリーさんは、近くの放水ホース入れを開く。そこには、腰ほどまで届く大きな斧が隠されていた。

「行くよ!」

 斧をふりかぶって……

 動きを止めた。

「鍵開けセット、持ってたんだった」

 ずごっ。

 メリーさんはポシェットから小さな道具入れを取り出す。

「探偵七つ道具の一つよ」

 二本の金属棒を使って器用に開ける。

 かしゃっ。

 一分もかからず扉が開いた。

 手にした斧をふるって奥の灌木を切り開きつつ、王羅研究室がのぞける窓へと行きつく。

 皆がはっと息を呑んだ。

 巨大水槽に沈んだ、紺色のスク水に包まれたルーシーの白い肢体があったからだ。


「この際、仕方ない!」

 メリーさんは斧をふりかぶった。

 ガン、ガン……

 何度か叩いていると研究室の金網入り窓ガラスが割れた。

 尖ったガラスを斧で横薙ぎに払いのけて中に入る。

「怪我に気をつけて!」

 皆、カーディガンや上着を手に巻きつけて窓を乗り越える。そして、水槽への階段にとりつく。そこには、白衣と靴、ジーンズとセーターなどが脱ぎ散らかされていた。

「ルーシーを引き上げるよ!」

 メリーさんは水槽のふちに立つ。

 が、そこで「ちょっと待った!」と叫ぶ。

「サツキ、水を舐めて確認して!」

 水槽の舐めてみる。辛みも毒性もないようだ。

「大丈夫よ!」

「OK! 救出に向かうよ!」

 下着姿になったメリーさんは、ざんぶと水槽に飛び込んだ。私もそれに続く。

 ルーシーの弟子たちも服を脱ぎ、水槽に飛び込んだ。さすがにこの季節だ、水着を着込んでいる子はいない。

 水中から引き上げたルーシーを、遅れてきた子たちが水槽のへりに引き上げる。そこからおろしてリノリウムの床へと横たえる。

「誰か、人工呼吸をして!」

 一人が名乗りをあげる。

「タオルを取ってきます!」

 院生の一人が駆けだした。そして、実験用の洗い場がついたテーブルの間で立ちすくんだ。

「人が、死んでいます!」

 皆がその場に立ちつくした。


 倒れていたのは五人。全員が男子学生。そのうち三人は例の「偽四川人」だった。

「ううっ、あうっ……」

 一人が目を覚ました。

「ロープでしばって!」メリーさんが指示する。

「取ってきます!」

 院生の一人が、非常用ボタンの「開」を押して研究室のシャッターをあけた。

「さっきの空き部屋にバレーボール用のネットがあった。あれを取ってきて!」

 私は、生きている気配がない残りの四人の息を調べる。

……死んでいる! 一人のミゾオチには、ぶっといナイフが鍔のところまで深く突き刺さり、今も血を垂れ流していた。

「あうー、あうー」

 生き残りの男は、黒いスーツによだれを垂らしながらうめいていた。男たちの中では一番の年長者のようだ。

「持ち物を確認します。誰か手伝って」

 私は、男の上着を脱がせると、全裸にした。見知らぬ男の裸を見るのはいやだが、武器と身分証を確認するのはこういう場合の基本だ。

 口の中も確認する。何も隠している様子はなかい。これらの全ては映画で学んだ手順だ。

 メリーさんは、他の死体の死亡を確認している。ピペットで耳の穴に水道水を入れるという容赦ないやり方だ。どんなに訓練を積んだ人間でも、これをやられると死んだふりは出来ない。

「全員死亡を確認したわ。一人は刺殺。一人は扼殺。あと二人は、おそらくは撲殺。わからない。ここで一体、何が起こったの?」

 メリーさんは頭を抱える。

 バレーボールのネットが到着する。

「縛り上げて。容赦なくきつくしていいから」

「はい!」

 院生は、素直に指示に従う。

 もう一人がオレンジ色のパックをさげてきた。

「AEDです」

 ルーシーののそばに駆け寄る。

 人工呼吸をしていた院生が水着をはだけさせてパッドを装着、AEDの音声ガイドに後をまかせる。

 機械が動いた。ということは、まだ心停止はしていなかったのだ!

「離れて下さい」

 装置が無機質な声で警告する。

「3、2、1」

 どん!

 ルーシーの体が跳ねる。

「3、2、1」

 どん!

「3、2、1」

 どん!

 げほっ……

 ルーシーが水を吐いた。

「先生!

「教授!」

「ルーシー!」

 皆がそれぞれの声をかけた。

「あ、あうー」

 ルーシーの発話もまたおかしくなっていた。

 そこに担架を押した救急隊員がかけつける。

「生存者はこの二名、あとは死んでいます」

 メリーさんの的確な報告にも、自分たちなりの方法で死を確認する隊員たち。

 肩につけた無線機で報告する。

「早くルーシー教授を運んで。犯罪者の方は後回しでいいから」とメリーさん。

「京大病院に運び込んで。すぐ隣りにあるでしょ!」

 院生たちは、救急隊員をせき立てる。

「警察官が到着するまであとをお願いします」

 あうー、というルーシーの声にならない声が遠ざかっていく。担架には一番年上の院生が同行した。

 しばらく静寂が戻る。

 メリーさんは、床に散らばった衣類をまとめると後を追うように院生の一人に指示する。

 そして、鋭い目つきで研究室の中を歩きはじめた。

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