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スク水人魚(1)

 京都大学には変人が多い、と言われている。

 和装の学生、女装の学生、年がら年中ゴスロリを着ている学生。……あ、最後のはメリーさんか。

 そんな一人に、スクール水着に白衣をコーディネートした女子学生がいた。人呼んでワンダー・ルーシー。薬学部の博士課程だという。

 私たち文系の学生は、薬学部の人と知り合う機会は滅多にない。サークル活動で出会うのが関の山だ。が、イベントに行く、という例外がある。

 去年の秋の京都留学生フェスティバル――私たちはそこで知り合った。


 珍しい食べ物につられた私とメリーさんは、薬学部横の運動場に来ていた。

 もう十月だというのに真夏日。誰もが真夏のような薄着の中、ワンダー・ルーシーの服装も特に違和感なく受け止められた。

 南アジアのサモサやネパールのモモで小腹を満たした私たちは、〆の一皿を探していた。

「どこもありきたりな料理なのー」

「京都は食の都だものねー」

 トルコのケバブ、ギリシャのムサカ(これはちょっと食べてみたかった)、ワカモレ山盛りのケサディーヤ(メリーさんの得意料理でうちでも食べられる)、そして四川の麻辣湯麺(マーラータンメン)

「麻辣湯麺って、食べたことないなあ」

「じゃあ、ここにしよっか」

 普通話(プートンホア)で何か会話している中国人留学生に、赤いのと緑のを一杯ずつ注文する。私のは赤いのだ。緑のは激辛らしい。

 運動場に置かれた長机で味わう。

 プラスチックのレンゲで救った最初の一杯を口に入れる。

「はうあっっっ!」

 それは私には全くの拷問だった。なぜかアイスクリーム頭痛が起きた。

……ムリムリムリムリ。

 無理矢理喉の奥を通過させると、今度はしゃっくりが止まらなくなった。

「誰か、水をお願いなのー!」

 メリーさんが叫ぶ。スタッフがプラコップに入った水をくれる。しかし、味蕾を直撃した痛みは引かない。

 全身が冷えるような痛みに包まれて心臓がバクバクする。咳としゃっくりが止まらず、滝のような汗が流れ出る。てか、鼻水がみっともなさすぎる!

……ここは薬学部。まさか、人体実験!?

 私は、死を覚悟した。

 その時現れたのがルーシーだった。実行委員会の腕章をつけている。

「日本人は、辛い辛いって騒ぎすぎなの」

 そう言いながらも私の顔を見てはっとし、脈をとる。

 そして、私が一口だけ食べた麻辣湯をレンゲですくうと口に含んだ。

「げっ、何これ!」

 ペッ、と吐き出す。

 中国語でマシンガンのような罵倒が続いた。

 厨房のスタッフを呼びつける。どうらや、香辛料の配分を間違えていたようだ。

「こんなところで日本人を倒してどうする、中日友好の場を破壊するアンポンタン、て言ってるの」

 メリーさんが通訳してくれる。けど、私がほしいのはそれじゃない。

「み、水を……」

「ミミズ?」

「ちゃうわ、解毒剤!」

 メリーさんが中国語で怒鳴る。

 スク水白衣の女の子が指示をして下っ端(スタッフ)を走らせた。

 すぐに、エピペンとマヨネーズと牛乳が届く。

 私は赤ちゃんよろしく彼女に抱えられてマヨネーズを口に注入され、さらに大量の牛乳を一気飲みさせられたのだった。

 エピペンは使わずに済みました。


「はーっ、ちょっと落ち着いてきたー」と私。

「ごめんなさい。厨房、アホだった。あいつら偽四川人。四川料理、わかてない。営業停止にした」

 スク水美女の膝枕、という男子学生の夢のような状況から現実に復帰した私は、彼女に丁重に礼を言った。

「私はワンダー・ルーシー。薬学部です」

 握手する。汗だくで申し訳なかった。

「私は霧島彩月、京都広域大学の文学部一回生です。とても助かりました」

「私はメリー・ウィンチェスター、オーバードクター、京都広域大学文学部の留学生なのー」

 お互いに自己紹介する。

「あ、ちょっと待って。あのバカたち、麻辣湯、また売ろうとしてる。止めないと四川料理への誤解が広まる!」

「それは危険なの。……あたしにいい考えがあるの。きゃつらを胃痛の海に沈めてやるの。激辛料理はまかせて!」

 メリーさんは、ニヤリ、と悪い顔をした。


 偽四川人たちはズンドウ二杯の在庫を抱えていた。それが売れないと明日からの生活に困ると言う。

 実行委員会側の論理は明快だ。「食べられない物は売るな。売るなら食べられることを自ら証明しろ」だ。

 ここに、メリーさんがウィンチェスター家の伝家の宝刀「札束」をつき出した。

「激辛王選手権にするの。誰も損しないよ。在庫もなくなる。優勝の賞金はこの百万円。ただし、私も参加するのー」

 その場で協定が結ばれた。

 偽四川人たちは強制参加。というか、この勝負に勝てば屋台で見込まれるよりもはるかに高額な金が手に入る。参加しないわけがない。

 まずは予選。ここで参加者をふるい落とす。

 予選は、おちょこサイズのミニプラカップ一杯の麻辣湯(マーラータン)だ。激辛の緑の方で、麺は入れない。これを飲みきって五分間経過を観察、棄権しなかった者だけが本選に出場する。ワンコインの代金は、激辛王選手権への参加費だ。これだけでも屋台側は十分な利益が上がる。

 アナウンスが激辛王選手権の開催を告げる。

 ずらっと試飲の列が並ぶ。司会は拡声器を持ったルーシーだ。会計と配膳は適当に採用された遊びに来ていた女子中高生だ。バイト代が出るというので喜んで引き受けてくれた。

「さあ、皆さん、始まりました、激辛王選手権。今年の残暑と激辛を生き抜き百万円を手にするのは誰か! 参加費五百円で予選に参加出来るよ! なお、司会は私、激辛の本場、中国の四川省から来たワンダー・ルーシーでぇす」

 ノリノリである。

 てか、あんた、日本語上手やん!

 観客が集まったところで一斉に試飲が始まる。

……ヤバい。予想をはるかに超える激辛具合に棄権をする者が続出、他の屋台に飲料を求めてかけ出す。

 その様子を見て、次の予選に参加しようと身構えていた観客がざわめく。

「はい、飲みきったら五分間、その場に静止ですよー。他の飲食物は口に入れちゃだめですよー」

 審判は観客たちだ。

 唇が変色したりまぶたが腫れた人間はエピペンのお世話になる。思った以上に苛烈な戦いだ。

 五分後、その場に残ったのは、メリーさんと偽四川人たち、韓国人、インド人、そして日本人女性だった。

 ルーシーの指示で、長机と椅子が配置される。

「はい、本選に移ります。いいですか、ラーメンを持ってきて下さい」

 発泡スチロールの器に注がれた血の池地獄のような麻辣湯が運ばれてくる。さっき私の前に運ばれて来たのと同じ量だ。お箸とレンゲも配られる。

「汁は残しちゃだめですよ~ さあ、始め!」

 一口食べた偽四川人たちの顔色がかわった。残りの参加者も、鬼の形相になっている。ただ一人、メリーさんだけはお人形のような美しい顔を保ちつつ、優雅に麺をすすっている。憎らしくなるほどの余裕っぷりだ。

「棄権する場合は、黙ってこの場を去ってね。最後までこの場にいた人が優勝です」

 さすがに激辛王を狙うツワモノたちである。だらだらと汗をかき、ムーンフェイスになりつつ耐えている。咳き込んだり、しゃっくりを起こしている者もいる。が、棄権はしない。

……死者が出ないか? このゲリライベント。

 腕時計を見ていたワンダー・ルーシー、情け容赦なく宣告する。

「はい、おかわりをお願いします」

 アルバイトの子たちが麻辣湯を持ってくる。今度は緑色だ。

 偽四川人は、プライドにかけて――いや、欲に駆られて麻辣湯を胃の中に流し込んだ。他の出場者も同じだ。人間、その気になれば耐えられるらしい。

 ただ、一回目より完食に時間がかかった。あいかわらずマイペースなメリーさんが際だつ。てか、こいつ、人形の怪異だし。

 ルーシーの元に他のスタッフが駆け寄る。

……やっぱ、ストップがかかったな。

 と、思いきや、ルーシーは意外な言葉を告げた。

「ここで、スポンサーの出町柳酒店から、強炭酸激辛ワサビサイダーの差し入れです」

 酒屋さんが、段ボール箱に入った飲料を運んでくる。

 うおー、と会場が沸いた。

 かの有名な、強炭酸激辛ワサビサイダー! 清涼飲料水メイカーが何をとち狂って作ったのかとこの夏話題になったゲゲボドリンクだ。

「お口直しにどうぞ! なお、飲みきらなかった場合、激辛王選手権からは即時脱落となります」

 ひどい、という声がインド人からあがった。がルーシーは無視する。

「激辛に耐えきった勇者たちよ! スポンサーの出町柳酒店に感謝を!」

 そして自らも一本、ぐいっと飲み干す。

 ここでインド人はイソチオシアネートと炭酸の刺激に敗れて棄権、偽四川人も全員脱落、韓国人と日本人女性とメリーさんの三つ巴対決となった。


 三杯目の麻辣湯は、辛みの主軸を(マー)――すなわち痺れる方に持っていった。大量の花椒(ホワジャオ)をぶち込んできたのだ。偽四川人の嫌がらせである。

 これで韓国人が脱落した。泡を吹きながら脱落していった。

 隣りが京大病院でよかったと胸をなで下ろす。

「えー、最終決戦に勝ち残ったお二人ですが、ひょっとして味覚障害とかあります?」

 二人は否定する。

「激辛耐性の秘訣は?」

 メリーさん。

「シントーを滅却すれば火もまた涼し、なのー」

 日本人女性。

「海外の各地を放浪した経験から、何物でも食べられる耐性がつきましたー」

 頂上決戦は、真の強豪の戦いとなった。

 またしてもスタッフがメモを手にルーシーにかけよった。

「ここで薬学部創薬研究室からの差し入れです。ククルビタシン、サポニン、クエルシトリン、イソキノリンアルカロイド、セコイリドイド配糖体、フラボノイド配糖体、プレニル化配糖体、イソアルファ酸、エチルバニリンを配合した、新開発の辛み成分です。どうぞ!」

 一部の学生の間にざわめきが広がった。「ありゃあ吐くぞ」「さすがに危険すぎる!」

 ルーシー自身が、水の入ったプラコップにスポイトで一滴、その怪しい薬を垂らす。そして、試飲してみせる。

「辛い、というよりも苦い感じですね。さすが創薬研究室、いい仕事をしています」

 なぜかあたりに甘い芳香が広がった。それに耐えかねた日本人女性がえづき始める。

 二人の前に新辛み成分水を置く。メリーさんは、臆することなく一気に飲み干した。女性は、コップに手を伸ばしたがどうしても触れられない様子だ。

「あの、代わりにワサビサイダーじゃダメですか」

「ダメです」

「……まいりました。棄権します」

 女性は口をハンカチで押さえながら席を立った。

「どうです、体調に問題はあります?」

 ルーシーがメリーさんにたずねた。

「大丈夫だよ、こ()くらい」

 なんかふらふらしている。

「えー、今回の激辛王選手権、優勝は、えっと……」

「ドクター・メリー・ウィンチェスターなのー」

「でしたー!」

 わー、という歓声と、盛大な拍手が広がった。

 そして、偽四川人たちはというと……

 腹を押さえながらブースの撤去にとりかかるのでした。


 そのあと、私たちはワンダー・ルーシーの研究室に向かった。地下二階にあり、あたりに激甘な香りが漂っている。

「創薬研究室?」

「そう。最後に出てきた辛み成分の開発元だよ」

 中に入ると数名の女子学生が雑談していた。みんな、水着に白衣を着てる。そういえば、ここは換気が悪いせいかやたらと蒸し暑い。

「お疲れ様です、教授!」

「みごとな采配でした!」 

 拍手が広がる。

「ありがとう。あんたたちも、差し入れありがとう! ナイス・フォローだった!」

 そうか、ここの産物だからルーシーがためらいもなく飲み干したんだ。

 ルーシーがたずねた。

「ところで今日、誰かスコビル計測した?」

 全員、首を横に振る。

「じゃ、今日はプールモードにしよう!」

「はい、教授!」

 女子学生たちは部屋の鍵を閉めると白衣を脱ぎ始めた。セパレートにワンピース、色とりどりだ。

 電動カーテンが開く。          

 そこには、壁一面の巨大水槽がしつらえられていた。あそらくは、水族館にあるアクリルとガラスを層にした材質だ。

 その奥には灌木の生い茂った中庭が透けている。向こう側からの視線もないのだろう。

「君たちも泳いでいく? 大丈夫、ここには女子しかいないから」

「はーい!」

 メリーさんが陽気な声を上げて服を脱ぎはじめた。さすがは欧米系だ。

 私も、ちょっとためらいつつ全裸になった。何、銭湯の女湯だと思えばいいのだ。

 そして、水槽の横にある階段をのぼり、プールへと飛び込む。

 爽快だった。一日の汗がすっと流れ去っていく。

「あー、楽しかった! こうなると偽四川人に感謝だね」

 ルーシーが楽しそうに笑った。

「私も面白かったですー」

「うん。すごくよかった!」

 夕日に照らし出された私たちは、無邪気な人魚のように戯れるのだった。


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