四不象がやってくる(5)
とりあえず私も風呂に入ることにした。
今日一日――もとい、日付変って昨日一日、稲荷山をハイキングしてきたのだ。体中汗だくになっていた。
少女は照根凛と名乗った。何年か前に親とともに六甲羊牧場へと観光に来た。
そこで一日遊んで、ずっとここにいたいなどと思ってしまった。それが貧乏一家の最後の旅行だということにはうすうす気づいていた。
いつの間にか家族とはぐれていた。
園内放送で呼び出してもらったりしたが家族は迎えに来なかった。
牧場の人は警察に連絡してくれた。が、その結果わかったのは、家族の車が崖のカーブから落ちて全員死亡したということだった。
凛には引き取り手がなかった。いや、あるにはあったが、やはり貧乏家族で同居してもいやがられるのは目に見えていた。
「何かあったら、いつでも連絡を下さい。力になります」という言葉とともにヤン主事からもらった名刺を握りしめた凛は、最後の貯金をおろすと牧場へとバスを乗り継いでやって来た。
住み込みで働く日々が続いた。
羊たちの世話が主な仕事で、つらくても楽しい日々が続いた。
「えっと、長風呂も何だし、話の続きは部屋でしない?」
「はい」
私は、汚れがすっかりおちた凛ちゃんをうながすと湯船からあがり、棚に用意されている浴衣に着替えて部屋へと戻ったのだった。
一息ついた凛ちゃんは、続きを話し始めた。
牧場の隅で弱っている巨大羊をみつけたことから凛の運命はかわる。
饕餮。
人の目のないところで他の羊を噛み殺し、むしゃむしゃと食べる生き物。
羊たちは武器を手に立ち上がった。が、それはいたずらに犠牲者を増やす無駄な抵抗でしかなかった。饕餮は力を頼んで羊たちを支配した。
凛は、羊の世話係から屠畜係へと異動になった。
その頃には経営層である佯一族の目つきがおかしくなった。
金の亡者となり世間に羊肉を売り始めたのだ。
そのしばらく前に饕餮は当主の部屋にこもるようになった。ヤン主事だけがその命令を伝える。
ある日、当主の部屋に用事で行った凛は、大きなデスクの向こうにふんぞり返って寝ているヤン主事の姿を見た。
その大きさは、凛が牧場のはずれて見つけた巨大羊そのものだった。
薄目を開いたヤンは言った。
「おや、私の正体を見てしまいましたか。そう。私は饕餮。ヤン主事を食べて入れ替わったのです」
凛は悲鳴を上げて当主の部屋を飛び出した。
佯たちは凛の話を受け入れなかった。いや、我が身可愛さから耳と目を塞いでいた。凛は主事を誹謗したとして厳しい折檻を受けた。
凛は逃げようとした。が、饕餮が張った結界は強力で、小娘が逃げ出せるほど甘くはなかった。
連れ戻された凛は、さらに厳しい折檻を受け、毎日の労働にもどされた。
「どうかヤン主事を倒して下さい。そうすれば、この牧場は解放されます。お願いします」
深々と頭を下げる。
……はあ。いっかいの女子大生である私に何をさせるつもりなの。
タイミングよくスマホの着信音が鳴った。
「あたしメリーさん。今、新神戸の駅にいるの」
元気な声が漏れている。
「はいはい。武器は持って来れた?」
「はいのー」
「じゃ、早く来てね」
通話を切る。
凛ちゃんは、ぽかんとしている。
「私たち、友達なの」
説明する。
また着信だ。
「あたしメリーさん、今、六甲駅にいるの。配信は見てくれた?」
「ごめん。こっちはそれどころじゃなくて。……切るね」
ブチッ。
「あの、メリーさんというのは……」
「え!? この舘のあるじでしょ。知らなかった?」
私は、マキリを手元に引き寄せつつ答える。
「はい。ご主人様はずっとご不在でしたから」
また着信だ。この儀式はワープには欠かせないのだ。
「あたしメリーさん。今、六甲羊牧場の裏門の前にいるのー」
「うん。あのね、ちょっと殺してほしい相手がいるんだけど、大丈夫かなぁ」
「うわーっ、唐突にしてハードな展開~」
「ナイフは持ってる?」
「うん」
「ざっくりやってほしいんだけど」
「詳しくはそっちについてからきくねー」
ブチッ。
「あたしメリーさん、今……」
「はい、電話。この舘のトップからだよ。ヤンさんが饕餮だ、て話をしっかりしてね」
私はスマホを凛ちゃんに手渡した。
「メリー様。かわりました。舘に仕える照根と申します。折り入ってお話ししたいことがございまして……」
メリーさんの声が凛ちゃんの背後から響いた。
「今、あなたの背後にいるの-」
ザクッ!
凛ちゃんの喉が横真一文字に切り裂かれた。
「な、なんでこんな……」
「それは貴方が饕餮だから。そして四不象でもあるから」
私はマキリを構えると、凛ちゃんの両脇をぶすりぶすりと切り上げた。
「眼が、眼がー!」
凛ちゃんだったものがのたうちながら膨れ上がる。
「なぜ、なぜ……」
「おかしいね。喉を切り裂かれてしゃべれる人間なんてこの世にいたっけかなぁ」
凛ちゃんだったそれは、もはや人の形をしていない怪物へとかわった。醜い茶色の肉塊。羊の姿すら保てていない。
「……いつ気づいた」
「あなたの髪の毛からあっさり血が落ちたあたりからかな。ううん、その前に脱衣所の床が血まみれになっていなかったあたりかも」
そう。髪の毛についた血は、シャンプーでは流せないのだ。
「やたらヤンさんを饕餮に仕立て上げようとしたことで疑いは確信にかわった。稲荷の神に直訴に行ったヤンさんが饕餮であるはずがない。そして、あなたはヤンさんをメリーさんに殺させようとしている。伝説の暗殺者であるこの舘の女主人に。あなたは玄関での会話を盗み聞きしてメリーさんが帰還したことには気づいた。けど、多分、姿は見えていない。メリーさんが地下から別の場所にワープしたことにも気づかなかった。だから、私のスマホに電話がかかってきたときに慌てた。そして、説得の相手を間違えていたことに気づいた」
「だが、なぜ四不象だと……」
「簡単なこと。神戸の怪異が饕餮の噂を全くしていなかったことが理由よ。饕餮のような超大物が来たとしたら、その話題でもちきりになるはず。何せ、古代中国の聖帝、舜によって放逐された四凶の一人、竜が生んだ九匹の魔物の一体だという超大物なのだから」
「ふっ、ワシとしたところが、とんだミスをしたものだ。人間の娘よ、縁があればまたどこかで会おう」
ぬたぬたした塊がどろりと床にくずれ落とした。
「大丈夫ですか、お嬢様!」
ヤンさんが押っ取り刀でかけつけた。他の佯たちもそれぞれ得物を手にして駆けつける。
「あたしとさつきがかたづけました。バラバラに切り刻んで焼却しなさい。灰は集めて事業ゴミに出すように」
「はい、お嬢様」
佯たちはメリーさんの命令に従う。
王さんと胡さんも、慌ただしく働く佯たちの後ろから首を伸ばす。
饕餮、もとい四不象の死体は何枚かのシーツに包まれて運び出された。このあと屋外でばらばらにされるのだろう。
最後にちらり見えた四不象の姿は、動物ともアメーバともつかないただの肉塊だった。
ヤン主事が溜息をついた。
「これが、四不象の正体なのですか」
「そうです。何者にも似ていない陰陽のはざまに住まう怪異。……今日は疲れました。別の部屋を用意してちょうだい」
「かしこまりました」
ヤンが動く。
私は、血まみれになった浴衣をどうしようかと悩む。もう一度風呂にはいるしかない。メリーさんも同じだ。
二人で大浴場に向かう。さっきまで少女の姿をした怪異が使っていた風呂場だ。
メリーさんがたずねた。
「ねえ、四不象って怖かった?」
「ううん。ただ、他人をだまして利用しようとする手口は怖かったかな。最初はちょっと信じかけたもの」
「そうか。変幻自在で他人に暗殺させる――おそろしい相手だったね」
沈黙が続く。
「ねえ、六甲羊牧場の今後はどうなるのかな」
「さあ。あたしはここの経営は全て佯たちにまかせてるの」
「そんな無責任な……」
「領主ってそういうものじゃない? 問題が起きた時だけ乗り出すって感じで」
メリーさんの言葉は、実にもっともなのだった。




