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ムラサキカガミ(2)

「ジュボクドウ?」

 皆が首をかしげる。

「木に入る道、と書いてジュボクドウです。弘法大師以来の書法で、力強さのあまり墨が木の板に染み込む、言われてる書法です。もう亡びた、言われてて、見たんは久しぶりどした」

 不殿先生は、立ち話も何だから、と喫茶室へと誘う。奥にあるので、道々、事件のあらましを皆で語る。

「ほんま、えらいことやったんやねえ」

 あらかた話し終えたところで喫茶室に到着した。

「まあええやないの。ここはおごったげるさかい」と先生。

「実を言うとね、ミス・ウィンチェスターには大きな恩がありますんよ。ほんまあの時はお世話になりました」

 深々と頭を下げる。殺人の容疑者として警察署に引っ張られたことが、よほど骨身に染みたらしい。

 そして、メリーさんがアメリカで博士号を取得したことを話すと、不殿先生は目を丸くしていた。

「ひゃー、やっぱり出来るお人やったんやねえ」

「ありがとうなのー。これからはドクター・ウィンチェスターなの-」

 胸をはるメリーさんである。

「これからが勝負やね。あんじょうおきばりやす」

「おおきに有り難うございます」

 ……すっかり京言葉が板についているメリーさんだ。

 席に着く。各自、飲み物を頼む。

「あ、そうそう。さっきの落書きやけど、もう一度見してくれはります?」

 田輪場氏がスマホの画像を示す。

「『ムラサキカガミを忘れるな』……ムラサキカガミ。怪談やねんね。元になった話、きいとことあるんやけど、何やったかなぁ」

 不殿先生は眉間にしわを寄せて考え込む。

 そして、はっとした表情になった。

「そや、思い出した。うちの大学の先生からきいたことある。戦前の女学校の話やわ!」


 不殿先生の話を要約するとこうだ。

 戦前の女学校は、お高くとまっていた。何せ、女学校に進学出来るのは家が裕福な上流階級のお嬢様だけだったからだ。

 談論風発、伝統重視、袴の裾をひるがえして京の町を闊歩していた。要するに「えばって(いばって)」いたのだ。

 昭和初期のこと。新しい校長が着任して良妻賢母型の教育に方針を切り替えた。そして、こういう事を言い出した。

「みなさんはいずれは家庭に入り、子を産み育てるという大切な仕事があります。二十歳をすぎていまだに紫式部気分で、やれ大鏡だ増鏡だと書物の世界に耽溺しているようでは、結婚もおぼつかなくなります」

 当時としては、庶民向けならごく当り前の価値観だった。

 が、相手が悪かった。

 王朝文化の担い手を自負している都のハイソサエティーな乙女たちだ。華族や貴族の縁戚もいる。今度の校長は()()()()()()()の真髄が分かっていない、雅やかな王朝文化を破壊する最低の愚物である、と総スカンをくらわした。

 それが、親族を通じて天皇陛下のお耳に達する。

 勅勘をこうむった校長は、あわれど田舎の校長へと左遷された。

 これを「紫衣(しえ)事件」ならぬ「紫鏡(しきょう)事件」と呼んで京雀たちは噂した、となむ。

「こういう事があったらしいのよ」

 秘話を語る不殿先生である。

「えっと、それが二十歳を超えて『ムラサキカガミを覚えていると不幸になる』という怪談の発端なの?」とメリーさん。ぽかんとしている。

「ええ、多分、この話が歪んで伝わり怪談になったのだと思います」

 先生は言い切った。

 帰り道、私たちはしょんぼりとなっていた。

「まあ、怪談なんて元をただせばこんなものさ」

 現実主義者の会長である。

「でも、疑問は残るのー。犯人はなんでわざわざあんな落書きをしたのかな」

「うん、それは…… ただのいたずら?」と私。

 私にも、まだ疑問が残っていた。

 澪さんも不満そうだ。

「あの場所に書いたということは、何らかのメッセージ性があった、と考えられますよね。元となった逸話とは別に」

「『忘れるな』ってことは、まるで皆を不幸にしたいという怨念が感じられますー」

 先ほどから無口になっていた田輪場君が口を開いた。

「ぼ、僕はもういいです。ムラサキカガミの謎が解けただけでもありがたかったです」

「うん、ごめんね。役に立てなくて」

「いいえ。多分、ただのいたずらなんです。僕も、ムラサキカガミのことは忘れようと思います」

 しかし、魔界探偵はそんな甘い幕引きを許さなかった。

「犯人を捜し出さなくてはこの事件は解決しないのです。まだ手掛かりは残っていまーす」

「ジュボクドウというお習字の流派?」と私。

「も、ありますが、それはさて置き」

……置いとくんかーいい!

「あのメッセージが誰に向けて書かれた物かを考えてみるのでーす!」

「誰に、向けて?」と私。

「というと、成人式の参加者だね」と会長。

「いいえ、それは違うの。犯人は、落書きが隠されることくらいは予測していたと思うのです。……ところでタワバさん、当日のスタッフの中に、あの落書きを見てから体調をくずした人はいませんでしたか?」

 田輪場氏、唇をぎゅっと結んだままだ。

「名前は言わなくていいのです。その人を思い浮かべて下さい。そのあとずっと体調を崩しているのではありませんか?」

 田輪場君はうなずく。

「『ムラサキカガミを忘れるな』という言葉は、誰か特定の人に向けられたかけられた呪いの言葉なんです。成人式のスタッフの誰かが、過去のことをすっかり忘れて生き生きとしていることに怒りの念を抱いた誰かが、あの言葉を記したのです」

 澪さんが反論する。

「でも、スタッフの名簿なんてそう簡単に手に入れられるわけないんじゃないですか?」

「そこです。あなた方は、何度か会館に打ち合わせに来たんじゃないですか?」

「はい」

「スタッフ名簿は渡さなくても、あなた方は名刺を持っています。打ち合わせの時にそれを会館側に渡したはずです。特にタワバさん、あなたの名前は珍しく印象的です。……その、体調を崩したというスタッフというのは、あなたの幼なじみではありませんか?」

「ええ」

「ひょっとして、その人はあなたの恋人なのでは?」

「どうしてそこまで……」

 田輪場君の目が驚愕で見開いた。

「あなたの必死さがそう感じさせたのです。落書きの犯人を捕まえたいという強い情念。けど、書道の話になってから急に何かを思い出した。都市伝説をふまえたいたずらということになると、急に追求への情熱を失った。過去の事件を掘り下げてほしくない、と思ったのですね」

「ええ、その通りです」

 田輪場君は泣きそうになりながらうなずいた。


 田輪場君の小学校時代の同級生には、仲のいい女の子三人組がいた。その一人が、今の恋人だ。

 三人組の他にも、よく遊びの輪に加わる(ドン)な子がいた。彼女の実家は書道教室で、お父さんは国語の先生、当然、書道は上手かった。

 ある日、その鈍な子が失踪した。

 学校では家出として話題になった。厳しい家だということは皆が知っていたからだ。

 数週間がたって、その子の死体が廃屋の井戸から見つかった。

 警察は事故死だろうと結論づけた。

 ただ、彼女が大切にしていた紫色の鏡が原因で、失踪する直前に「ムラサキカガミ」とからかわれていたことがあったという。

 田輪場君が知っているのはそれだけだ。何せ、その子たちとは別のクラスだったのだから。

「その書道教室とというのは今は?」と私。

「事件の後に廃業して更地になりました。今は普通の民家になっています」

 娘が亡くなって、その場所に居続けたくなくなったのだろう。

 メリーさんが推理を続けた。

「ここからはただの憶測です。亡くなった女の子の関係者がたまたま会館のスタッフにいた。そして、もらった名刺で見覚えのある名前をみつけた。その人には、ムラサキカガミと言っていじめられていた女の子が自殺した、という記憶が残っていた。けど、今となっては報復する手段はない。そこで、例の落書きをして怨みを晴らそうとした。そういうことだと思います」

「つらいですね」と澪さん。

 会長が年長者ならではの言葉をかけた。

「彼女にやさしくしてあげなさい。この話はしない方がいい。人生には忘れることが必要なこともある」

「はい。ありがとうございます」

 こうして事件は幕を引いたのだった。

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