四不象がやってくる(3)
黒猫は、数メートル先で尻尾を立てて意気揚々と私たちを先導する。まるで旗を持ったツアーガイドのようだ。
淡いモヤの中、見失わないように集中してついていく。これが白猫だったら完全に見失うところだ。
やがて私たちは広い田んぼの中に入っていた。
……こんな場所、あったっけ?
一之峯からは見えていなかった。ということは、ここはすでに異界か!?
田んぼの向こうには、やたら鳥居だらけの小山が見えている。たとえるならブリューゲルの「バベルの塔」の神社版といったところか。ただしロッテルダムにある完成された方の。
メリーさんをうかがうと、とくに緊張した様子はない。ということは、ここは安全な場所なのだろう。
ほどなくして正門につく。
見上げると、色んな猫たちがミニ鳥居の下に陣取っていた。中にはパソコンやら携帯やらをいじっている者もいる。けど、しょせんは猫だ。仕事をしている者などほとんどいない。そして、パソコンは古いブラウン管のものばかりで、ほとんどが骨董品だ。液晶ワープロが最新といったところか。
……仕事になるのか!?
私たちは鳥居の向こうにある丘の洞窟へと導かれた。天井からちょっと弱った蛍光灯が照らす。
黒猫がすっくと立ち上がり、意外なイケボで語り出した。
「こちらが正一位稲荷大明神の執務塔です。どうぞ奥へお入り下さい」
その先には、巨大ホテルのロビーのような広間があった。内装はシャンデリアがあったりしてゴージャスだ。
ぶっとい肘置きがついた椅子がラウンジのように配置されている。その一区画へと案内される。
「面会のアポを取ってきますので、ここでしばしお待ちください」
ぺこりと頭を下げる。
異界の面白いところは、何が起きてもその場にいる限りはそれが平常だと思えるところだ。チワワやフェネックが水干姿で警備についていようが、菜っ葉服の狸がコピー機のメンテナンスをしていようが、異常だという気がしない。会長と澪さんも平然と受け入れている。
私は知っている。これが限定的なパティクリパティクラ効果だと。これが現実世界に侵食を始めると、世界の構造は根底から更新される。あたかもグリセリンの種結晶がこの世界のグリセリンに固形化をもたらしたように。王さんと胡さんはそれを阻止した現実世界の恩人だ。
周囲を見渡すと、面会待ちの来訪者にも色んな動物――というか怪異がいる。
烏帽子をかぶり赤と金の派手なおでんちを着た、大きな御幣をかついだ猿。神鏡を角の間に挟んだ大きな鹿、甲冑を着た虎。一升瓶を背負った亀なんてのもいる。もちろん人の姿をした来訪もそこそこいた。
ふと見ると、胡さんの震えようが半端ない。どうやら隣りの席の虎と目が合ってしまったらしい。可哀想に……
「メリーお嬢様! メリーお嬢様!」
いかにも執事という感じの、直立歩行をしている人が声をかけてきた。顔は、丸メガネをかけた…… 羊!?
「ヤン! ヤンではありませんか!」
メリーさんの顔に驚きの表情が浮かんだ。
「まだ日本におられたのですね。てっきりアメリカにお帰りになられたのかと思っていました。六甲の館にお寄りくださればよかったのに。水くそうございます」
ヤン執事は片膝をついて礼をしている。周りのお使い達が何事かと振り返って見ている。
照れ笑いをするメリーさん。
「夏休みあたりにはチョコっと寄れると思うのだけど。今のところは日常が忙しすぎて。……牧場の羊たちは息災ですか?」
「はあ、それが……」
ヤンさんは声をひそめた。
「 実はやっかいなことが起きたのです。大陸からの亡命者が入り込んでおりまして、その犠牲になる者が続出、なんともみっともないことになっているのでございます」
「亡命者!?」
「はい。今日もそのことで日本政府と交渉に来たのです。亡命者を引き取ってほしいと陳情にまいった次第でございます」
とんでもないことになっているようだ。てか、メリーさんの館ってどういう立場なの? 領事館?
「それはひょっとしてシフゾウかしら」とメリーさん。
「いえ、違います。ちょっと大声では言えないのですが……」
ヤンさんは手にした書類をちらりとメリーさんに見せて指さす。いや、蹄でさす。てか、この人、よく書類を食べずに持って来れたな。
「ホワッ! なんですかこの漢字! 読めないのー」
少なくとも四不象ではなさそうだ。メリーさんは義務教育程度の文字なら読める。
陳情書をぱらぱらとめくる。
「まさに羊たちの沈黙、というわけね」
何か重い事情があるようだ。
「亡命者のことは仮にTとしておきましょう。私どもも四不象が現れたという噂は耳にしております。あるいはひょっとして、Tを狙って送り込まれた、外国からの刺客かもしれません」
「四不象って刺客なの?」
「はい。変幻自在にして神出鬼没、性別不詳、年齢不詳の凄腕の暗殺者だと噂されています」
……都市伝説としては今一定型化しにくい特徴だ。元になったCMってどんなんだったんだろう。
そこに黒猫氏が現れた。
「ヤン主事。陳情の間へどうぞ。……こちらの方は?」
「私の主人と、そのご学友でございます」
「では皆様もご一緒にどうぞ」
できる猫さんだ。
私たちはずらりと並んだ陳情者を尻目に、扉をぬけて次の場所へと進んだ。
薄暗く長い廊下が続いていた。下は畳敷きで土足で歩くのがためらわれる。照明は足元行灯になっていて、どこの旅館かと思ってしまう。
その先にある襖の向こうに、正一位稲荷大明神が待ち構えていた。ぐでっとうつ伏せになって、目にクマを作っている。見た目は若い女性。十二単姿。ご丁寧に狐耳までつけている。
周りには長いあごひげをのばした老人の姿をした側近がひかえていた。平安貴族の袍に指貫という見た目は、老人の姿の稲荷像そのものだ。
「わお!」
メリーさんが軽く感嘆の声をもらした。主に、稲荷神の後ろにわだかまっている巨大な尻尾に反応しているらしい。
女神様は、机の上の書類をめくる。
「えーっとー、次は亡命してきた――ゴウチン? の扱いについてね」
お稲荷さん、オーバーワークなのか、徹頭徹尾ダレている。威儀を正す気は毛頭ないらしい。横の老人が耳打ちする。
「あ、トウテツか」
「はい」とヤンさん。緊張している様子だ。
「かいつまんで説明して」
「そこに記した通り……」
「それはどうでもいいの。あなたの口から説明して」
イラッとしているようだ。
「はい」
ヤンさんはメリーさんの館に起きたことを話しはじめた。
六甲羊牧場。
そこは知る人ぞ知る羊たちの楽園だった。
アルパカやリャマなんかもいて、皆が自由にのびのび暮している、知る人ぞ知る観光名所でもあった。
ある日、そのはずれに一匹の大柄な羊が現れた。
のっぺらぼうで目がなく、もさもさの黒い毛に覆われて泥だらけの姿をしていたのだ。
ヤン主事たち羊牧場の運営者――佯一族は、その泥がこびりついたの毛を刈り、とりたての羊の乳を飲ませて世話をした。
毛を刈ってた結果わかったのは、その羊には目があるということだ。それも脇の下のに。
正体は、饕餮という怪物だった。
一度引き入れると居座られるやっかいな怪異だ。手近の羊が何頭か犠牲になった。
そして、とてつもなく強かった。眠ることもなく、油断することもなかった。
ただ、饕餮は伝説に言われるほど貪欲ではなかった。食べる羊も次からは週に一頭程度、特に老いて弱ったものを選び出して捕食していた。
精鋭を頼んでの襲撃も、饕餮には効かなかった。刃物が皮膚を通らなかったのだ。
そこで、羊たちは全面降伏し、神に生贄をささげるがごとく侵入者を敬して遠ざけた。
メリーさんの館は饕餮に乗っ取られた。
一度、ヤン主事は饕餮にこうたずねた。
「我々羊を食すのでなく、人を食べたらどうでしょう。世界にはこんなにも多くの人間が繁殖しているというのに」
すると饕餮は自嘲気味に笑って答えた。
「人は喰えないのだ。喰うと毒が回って首がもげ落ちてしまう」
またこうも言った。
「我に仕えれば莫大な富を与えよう。我は財福の神。あがめて損はないぞ」
実際、六甲羊牧場の経営は上向いた。人の姿になった佯一族は、乳製品や肉製品(!)をネットで売ることで大きな利益を得るようになった。
羊たちは週に一頭、弱った仲間を差し出しつつ饕餮の命令に従った。幸いだったのは、子羊には手を出さないということくらいだった。
しかし、羊たちの間にも憤懣は高まっていた。日本政府に饕餮を引き取ってもらうべし、とヤン主事は突き上げをくらった。
かくして、今日の稲荷神との会見に至ったというわけだ。
お稲荷さんは少し考えてから答えた。
「六甲、ねえ。道教の神に六甲六丁っているじゃない。呼び出して何とかしてもらえないかなあ」
「試してみました。護法神は法を守る以外には使えないそうです」
……ごもっとも。
「朝廷としては、そんな危ない怪物を引き取るわけにはいかないんだけど」
「饕餮は莫大な富を与えてくれます。景気回復の秘密兵器としてはいかがでしょう」
「そうしたいのは山々だけど。景気が悪いのはそもそも中央銀行制度が引き起こした構造が原因だし、根本的な解決策はないのよねー。下手に戦争でも引き起こされでもしたら大変だし、饕餮って祀っても結局は破綻するらしいじゃない」
お稲荷さん、意外と考えている。
てか、ヤンさん、何て案件を持ち込んだんだ!
「で。そっちの子たちは?」
お稲荷さんは、ひらひらの扇子で王さんと胡さんを指した。
「あたしから説明するのー」
メリーさんが身を乗り出した。




