四不象がやってくる(2)
「伏見稲荷大社の創立者は、秦の子孫だ。つまり、お稲荷さんというのはもともと中国から渡来した神様なんだ」
……え? そうだったの!? 私はてっきり日本古来の稲作の神様だと思ってたよ!
私の中ではまだ半信半疑だ。
「秦、というと、春秋戦国時代のあとに初めて中国を統一した王朝ですね」と澪さん。
「そうだ。殷を亡ぼした周、その残存王朝にとどめを刺したのが秦の始皇帝。敵の敵は味方、というわけで、君たちとは相性がいいんじゃないだろうか」
会長は、一人、満足げだ
「秦王朝の子孫が日本にいたのですか?」
「それは初耳です」
王さんと胡さんは目を丸くしている。
「|応神天皇の時代の、秦の伊呂具という人物だ。弓月君というご先祖が百済から難民を引き連れて渡来した。弓月君は養蚕と機織の技術を伝えたので、天皇から秦と書いてハタと読む、という日本式の読み方を与えられたと言われている」
「そういえば、太秦にある蚕ノ社の祭神は、秦酒公ですよね」と私。
澪さんが訂正する。
「いえ、あそこの祭神はアマテルミタマノカミです。秦酒公が祭神なのは、少し離れたところにある大酒神社です。大酒神社には始皇帝と弓月王も祀られています」
「あっ、すぐ近くには広隆寺もありますよね! 秦河勝が創建した。奇祭牛祭でも有名な神社!」
太秦はミステリー好きには有名な謎エリアだ。牛に乗った摩多羅神がミトラ神に由来しているとか、その淵源は大秦国、つまり古代ローマ帝国だとか、色んなことが言われている。
いきなり始まったディープな会話に、王さんと胡さんはポカンとしている。メリーさんは我関せずとポーカーフェイスだ。仕方がない。ここはメリーさん探偵事務所ではなく、ミステリー研究会、ミステリーについて語り合うのが通常運転の場所。
アマリ会長は話を続ける。
「伏見稲荷大社の創建にはこういう伝説がある。すでに機織りや養蚕、酒造で長者となっていた秦の伊呂具が、ある時、餅を的にして矢を射た。すると、餅が白鳥と化して飛んでいった。追いかけていくとその行き先は今の稲荷山。その山上に稲がなっていたのでこれはめでたいと神社を建てて『稲成り』、漢字で書くと『伊奈利』と名づけた。……僕は個人的にこれを弓月王の名に由来する伝説だと思っている」
「つまり、本来は餅ではなくて月に弓を引いた、という事ですか!?」
目を丸くする澪さん。
「そうだ。月に弓を引く、というのはあまりにも恐れ多い。まだ餅の方がましだろう」
「白鳥になったあたりは、倭建命を思い出しますね」と私。
「八尋白智鳥ですね」と澪さん。
「中国渡来の神様だということはわかったったの。あたしからも補足しておくの。お稲荷さんのおつかいはオキツネさん、だから狐狸精にはとっても優しいの」
メリーさんが肝心の所を締めてくれた。
というわけで、私たちは伏見稲荷大社に来た。
「ああっ、ここでしたか。千本鳥居が有名なところですね」と胡さん。
「私たちも写真で見たことはあります。ただ、神社は恐ろしいので、近づこうとは思わなかったです」と王さん。
京阪電車を使うと裏参道に入ってしまう。今回は、JR稲荷駅の方に曲がって大鳥居の前の青銅のオキツネさん像をまず見てから境内に入ることにした。
「わーっ、バナナをくわえているのですー」とメリーさん。
「あれ、稲の束だよー」と私。
「外国人観光客でいっぱいなのー」
澪さんが解説する。
「世界遺産になってから、めちゃくちゃ観光客が増えたんです。参道も整備されました。母からきいた話では、昭和の頃は平日だとかなり寂れていたそうです」
大鳥居をくぐり、本殿に向かう。
「大丈夫?」
王さんと胡さんはうなずく。
「ここはあまり力を感じないです。陽明山の狐仙廟だと、霊気が濃くていつも霧がかかっていたりします」
「むしろ俗っ気が強い感じですね。なんか欲望の志向が強いというか世俗的というか……」
私は、ふふっと笑った。
「まあ、商売繁盛を願う神社ですし、外国人はただの珍しい物見たさですから」
全員で本殿にお参りする。とにかく人が多い。色んな国の言葉が飛び交っている。
「まだここは序の口だ。奥の院に向かうぞ」
会長が先をうながした。
「あっ、猫!」
本殿の左の坂を登っていくと、小さなヤシロが長屋式に並んでいた。その中の一社に白い猫が神様然として坐っている。
「最近は猫がみつかいの代わりをしていますね。この先が有名な千本鳥居です」と澪さん。
スマホで調べると五社相殿と書いてあった。
その向こうの玉山稲荷社でも猫が鎮座してる。観光客は「カワイイ」「ワンダホー」と言いつつ写真をとっている。王さんと胡さんはいたく感動した様子だ。
会長が解説してくれた。
「玉山というのは昔で言う新高山なんだ。台湾の人にはなじみ深い名前なんだよ」
「あっ、真珠湾攻撃を命じた暗号文のニイカタヤマノボレ、のアレですね!」
「戦前は日本一高い山と言われていたのー。富士山より二百メートルは高いよ!」
……さすがにメリーさんは戦前の情報に詳しい。
千本鳥居に入る。途中で二股に分かれていた。特に登りと下りが分かれているわけでもない。横にすり抜けられる所もあって……
「猫!」
やっぱり猫が遊んでいた。観光客の中には心得た人がいてカリカリをやったりしている。
熊鷹社を越えて三ツ辻に出る。
「ここから先は稲荷山官有地――つまり国有地なんだ。それでも建物があったりする。鳥居の管理は伏見稲荷大社がしているそうだ。けど、立っている土地は伏見稲荷大社の土地じゃない。僕もそのあたりの契約関係がどうなっているのかは知らない」
「近畿財務局と契約して借りているみたいですよ」と澪さん。
さらに歩いて四つ辻にたどりつく。もう脚がくたくただ。このあと、三ノ峯、二ノ峯、一ノ峯と見て回るらしい。
「ちなみに、右回りコースを行くと一ノ峯までが遠い。今回は左回りで行こう」と会長。
「ちょっとタンマ。休憩したいのでーす」
メリーさんが私と留学生二人に気をつかってくれた。それで気づいたのだが、澪さんは結構タフだ。
ここの崖からは京都市内が一望出来る。
私は澪さんにたずねてみた。
「どうして稲荷神社のおつかいがキツネになったんでしょう」
「食糧の神様がミケツネノカミだからです。本来はミケツカミなのですが、根本神という意味でネノカミ、ミケとは食べ物の意味なので、ミケツネノカミと訛伝してミケツネがおつかいになったそうです」
「仏教の荼枳尼天とも習合していますね。どうしてなんですか?」
「荼枳尼天は野干に乗っています。野干がジャッカルの音訳というのは有名な話ですが、日本にはジャッカルはいません。そこで、形と性質の似たキツネが乗り物とされるようになったんです」
「ちょっと違うな」会長が首を横に振る。「中国では荼枳尼天信仰はなかった。尊像もインドから渡来した物があるのみだ。日本で荼枳尼天の乗り物はキツネとされた、と言いきっていいだろう。ダーキニーはインドでは人の心臓や血の入った器をを手にしている姿で表現されている。人の手足をちぎって持っている像なんてのもあったっけ。じゃなかったジャッカルやキツネは死体を食べる、同時に野の鼠をとってもくれる。豊穣神としてのイメージはそこから来ているのだと思う。あと、荼枳尼という漢字がチャギツネと読めるから、という説もある。荼という字は茶の異体字だからね」
「はあ。そうしえばミーさん――蛇もまた豊穣神ですよね。やはり鼠をとってくれるから?」
「そうだな。宇賀神さん――宇迦之御魂神もまた豊穣と福徳の神として知られている。人頭蛇身の奇っ怪な姿だが、中世から信仰されている」
「人頭蛇身! 伏羲と女媧みたいなのー」
会長はまたしても首を横に振った。
「伏羲と女媧は手がある。宇賀神には手がないんだ」
「『山海経』の燭陰みたいですね」と私。
とまあ、雑談をしつつ休憩もすんだので先へと進んだ。
「しかし。まさか、王さんと胡さんの依頼でいきなりハイキングになるとは思ってなかったよねー」と私。
「はいのー。スニーカー履いててよかったのー」とメリーさん。
鳥居の列をくぐりながら先に進む。新しい鳥居、古い鳥居、いろいろある。稲荷山全体で約一万基と言われるから、手前の千本鳥居をのぞいても役九千基。
そこをしばらく進むと三之峯に行き着く。
沢山の自然石に○○大神という太い文字が彫られていて、鳥居が建てられていたり小さな鳥居が置かれていたりする。このお塚が無数にあるのだ。そして、どこからどこまでがお塚の領域すらわからないくらい密集しているのだ。鬼気迫る光景、とはまさにこのことか。
「霊気を感じるの-」
「うん、わかる!」
「そうですね。ここまで来ると、本物の神域という感じがします」
王さんがたずねた。
「ちころで、稲荷の神様に相談するにはどこに行けばいいのでしょう?」
「シャーマンとかいるのでしょうか」と胡さん。
そう。問題点はそこだった。
普通にお塚を回って礼拝する「お山めぐり」だけでは四不象への対処法はわからない。かといって、恐山のように霊媒師がいるという話も聞いたことがない。
「普通に考えたらこの山頂にたどりつけばいいはずなのだが……」と会長も口を濁す。
「一応、一ノ峯が山頂となっているのですけど。お参り道の真ん中がくぼんでいるんですよね。ここってカルデラなんでしょうか」と私。
「いや。京都符の地質調査では火山の痕跡はなかったとなっている」
会長と澪さんはあたりを見回して首をかしげる。
「あっ、猫!」
お塚の間でのんびり昼寝をしていた黒猫がいた。
首をもたげると眠そうにこちらを向く。
「霊妙なるかな黒猫。
闇を纏いてなお光沢あり。
その尾は闇を払う柔らかき鞭。
かそけき祓えの力をたたえる」
メリーさんが何かの詩を歌い出した。
黒猫は「こいつ、何言うとんねん」という顔でこちらを見ていたが、やがて立ち上がるとついて来いという風に首をふった。
「あの子、ついて来いって言ってますよね?」
「ああ。僕にもそう見える」
私たちは一之峯から、一番奥のお塚の脇にある崖道を下って草むらの間を進むことにした。




