不人気な講演会(2)
パティクリパティクラ――それは「概念の浸蝕と改変」の話だった。
例に挙げられたのが、エルフとドワーフとゴブリンだ。
トールキンの『指輪物語』で提示されたエルフ像が、それ以前の「エルフ病」をもたらす魔物や、小さくて醜い「幻覚を見せる者」「狂わせる者」のイメージを駆逐して、「耳の尖った、白い肌の高貴なる種族」へと変貌させた。ドワーフが「頑固で職人気質な酒飲みの種族」という代表観念を得たのもまたトールキンが原因だ。ゴブリンもまたトールキンの小説から、いたずら好きの小悪魔や病気の原因のイメージが駆逐されて、緑色の肌をした、醜悪で狡猾な種族へと変貌する。そして、テーブルトークのゲームが洞窟や地下に住む邪悪な種族というテンプレートを完成させた。固定化された代表観念が現実を変容させた。
私の斜め前に坐った銀髪の学生がうなずいた。彼はエルフだ。更に向こうには、ずんぐりむっくりの一団がいる。彼らはどう見てもドワーフだ。異界の存在がテンプレートを得ることで現実世界に顕現したのだ。
教授の講演は続く。
レイプ魔としてのゴブリンのイメージ。それは日本の漫画がきっかけで世界中に爆発的に広まった。そして、男しかいないゴブリンの繁殖方法が白日の下にさらされた。かくして、ゴブリンだけは無条件に「駆除」していいという法律が施行されるにいたった。
……え? そんな法律、あったっけ!?
慌ててスマホを引っ張り出す。「ゴブリン 駆除」で調べると「特定外来種駆除法」の中に記述があった。野外への放逐や生きたままの移送が禁止されている。すぐに増えるからだ。知性ある存在が駆除対象になる――世界にならって日本でもそうしたらしい。そもそも動物園でもゴブリンなど見かけたことがないのだが。
後頭部がズキズキ痛んだ。
何かがおかしい。
この講演会は不人気で、聴講者はほんど入っていなかったはずなのだ。なのに、今見まわすといろんな種族で座席がうまっている。
半魚人はサハギン? ダゴン? ギルマン? その生臭いにおいすら漂ってくる。
犬頭の人はコボルト? 環狗? アヌビスかもしれない。
猫頭の聴衆は、数が少ない。彼らは他種族に興味がないのだ。
講演は続く。
異界からの侵攻。それは生物の脳を通じて行われる。クトゥルー神話がハワード・フィリップス・ラヴクラフトの脳を通じて現実に影響を与えられたように。
そう。パティクリパティクラは、情報化社会の進展によって加速した。今では電磁波に乗ることで世界を変化させている。ほぼ同時更新だ。
……何かがとてつもなくおかしかった。けど、私には何がおかしいのか分からなかった。異界におけるキクル・ケッカ運動が世界を変え、七つの次元にわたる世界を統合した。その理論的根拠となったのがパティクリパティクラなのだ。
けど、私はその事実に疑問を抱いてる自分からはまだ逃がれられずにいた。
……これ、現実じゃないよね。夢の話だよね。
講演は、トラペゾヘドロン分子がもたらす物性の話へと移った。文系脳には理解不能な解説が続く。メリーさんの翻訳精度も落ちている。こういう時は字幕に頼って……
字幕がバグっていた。見たことのない文字になっていた。
私は理解することをあきらめた。
ただ、脳には心地よいニーデマン教授の強いなまりのある英語が入ってくるのだった。
質疑応答は極めて低調だった。
後半の理系部分は誰も理解出来ていなかったようだ。向こうではシャム猫頭の留学生が頭を突き合わせている。かの優秀な猫人間ですら理解に苦しんでいるのだ。
ホスト役の哲学科教授も、適切な質問を思いつかなかったようだ。
「メリー・ウィンチェスター先生、通訳をされた上で何か疑問点はなかったでしょうか」
……質問を投げやがった。
あわあわするメリーさん。レジュメの紙をペラペラめくっている。
そして、口を開いた。
「素人質問で恐縮ですが……I'm afraid this is a layman's question.」
……おっ、何をきく気だ!?
「パティクリパティクラの思考浸潤って、『ハトクルポ魔術大系』の異界からの思考支配と何らかの関係があるのでしょうか!?」
ざわざわ。周囲から「ハトクルポって何だ」という声が聞えてくる。
たおたおするのはボルス・ニーデマン教授の番だった。必死で記憶をさらっているようだ。
「えっと、ひょっとするとそれは、『バフォメットの隠された教え』のことでしょうか」
「いえ、その元ネタの一つとなった三世紀から五世紀のギリシャの魔術書です。そこにソロモンの七十二柱の精霊の章に記されていたと記憶しています」
……やりおった!
ボルス・ニーデマン教授のピンク色の顔が見る見る陰っていく。
メリーさん、恐ろしい子!
「あー、実に興味深い指摘です。ちょっとこの場で答えるのは拙速がすぎますので、今後の課題として検討したいと思います」
もっともな回答だ。
その時、会場からすっと手が上がった。
「はい、そちらのお嬢さん」
湯浅教授が指名し、マイクを持った学生が走る。茶色い髪を何段かに染めて、ドクロっぽいブローチをしている。男子受けのよさそうなほんわかした顔立ちだ。
「台湾からの留学生、コ・ケイメイと申します。質問は、単純なことです。教授の経歴で東湖大学で教鞭をとられていたということですが、何学部の何学科だったのでしょう」
誰もが息を止めた。メリーさんが冷静に通訳をする。
「そういう君はどこの学部でしたか」
「中文系でした」
「私は哲学系でした」
「おかしいですね。私は哲学系でも学んでいます。ここの経歴の年には、確かに在学していました」
「君は一体、何歳なんだ!」
「私は、東湖大学創立の年から在学しています」
……こいつも怪異かよ!
確かに、エルフなんかは千年以上生きているけど。
「質問を変えます。教授の本当の名前は、ロノウェ、もしくはアガレス、グシオン、ではありませんか」
何かきいたことがあるような…… そうだ、ソロモンの七十二柱の精霊にそんな名前があったかもしれない!
教授は首を横に振る。
「オロバスかパイモンでは?」
「よしたまえ。私はボルス・ニーデマン。それ以外の何者でもない」
コ・ケイメイさんの追究は頓挫した。というか、対話によって追究の本筋をずらされてしまったのだ。
コさんの隣りの女性が手を挙げた。マイクなしで発言する。
「私も東湖大学にいました。オウ・ギョクヒと言います。職員でした。ボルス・ニーデマンという名前は聞いたことがないです。外国人の教授はそう多くはありません。私が知らないはずがないのです」
思わぬ所で紛糾し始めた。
ホスト役の教授がメリーさんに何かささやく。
メリーさんがマイクに向かった。
「ちょっといいでしょうか」
そして、何かわからない言葉で話し始める。中国語に似ているが聞き取れない。かなり早口だ。コさんとオウさんは真剣に耳を傾けている。
メリーさんは手帳を取り出すと何かを言った。二人はうなずくとメモをし、静かに会場を後にした。
「ありがとう」
教授たちはほっとした様子だ。
「ところで」
メリーさんがのほほんとした調子で続けた。
「東湖大学でどんなことを教えておられたのか、かいつまんでご紹介いただけるとありがたいです」
ニーデマン教授は、ぽつりぽつりと思い出を語りはじめたのだった。




