ヤタガラスの裁き(3)
ピンポーン。
ドアのチャイムが鳴った。
「はいはーい」
扉を開くと、そこには車椅子に乗ったお婆ちゃんがいた。
スカーフをしていて、その下からは強いウェーブのかかった灰色の髪がのぞいている。後ろにはお向かいの美大生、かがみさんがいた。
「ハーイ。私はマリー・マクリス。日本在住のギリシャ人よ。夫とは三十歳の時に死別、この間まで大阪のジャム工場で働いていたけど、荷崩れに巻き込まれて今は下半身不随、ヘルパーさんに付き添ってもらっているの」
「って、メリーさん?」
みごとな変装っぷりだった。特殊メイクで顔の骨格まで変えている。声を変えているので、本当にメリーさんなのか不安になるほどだ。
「どうです、この出来ばえ。どこからどう見てもお婆ちゃんでしょう」
かがみさん、鼻高々である。さすが、レイヤー、というか、もはやハリウッド映画の特殊メイクの域だ。
「服も合わせてみました。これなら誰もメリーさんとは分からないでしょ?」
見れば、体型もかなりかわっている。ギリシャのお婆ちゃんぽく、草色のワンピースにはぽっこりお腹の形が出ている。
「さあ、ヘルパーの交代です。さつきちゃん、お願いしますよ」
「は、はいっ!」
交代した私は、車椅子を押してエレベーターに向かう。
……エレベーターがあるマンションで、本当によかったよ!
予約したタクシーで東山に向かう。後ろからスロープが出るユニバーサルデザインタクシーというヤツだ。
市街地をぬけてちょっと山道を進み、予測科学研究所の前で止めてもらう。ここもスロープ完備で、高齢化の時代を感じる。
受付で、ゲストの名札を二人分、もらう。「GUEST」とあるだけなので、名札というりもむしろ名無し札だ。
エレベーターで五階に向かう。この上が社主室や会議室、そのさらに上が事件の起きたのプールのあるペントハウスだ。
「こんにちはー」
私が声をかけると、編集部の人たちが一斉に振り返った。男性比率が高い。
「ギリシャ語の翻訳が必要とのことなのでまいりました。えっと……」
「マリー・マクリスですー」
メリーさん、ちょっといつもの口調に戻っている。
一番奥の席から、小柄な中年男性が立ち上がった。背広にワイシャツ、というきっちりした服装だ。
「これはこれは。部長の片淵です。どうぞこちらへ」
小さな会議室に案内される。
「さっそくで何なのですが、採用にあたってちょっとテストを受けてもらいたいのですが、よろしいでしょうか」
相手がお婆ちゃんとあって態度が慇懃だ。
「はいな。なんなりと」とメリーさん。
片淵氏は、会議室の隅の棚から書類を挟んだクリップボードを持ってくる。
「スマホの使用は禁止です。ギリシャ語の辞書はこちらに用意してあります。時間は三十分で……」
その言葉が終るか終らないうちに、メリーさんは翻訳を口述しはじめた。
「葉が入れ替わるように、人間の世代もまた交代する。風が木の葉を地に散らし、森は新たに芽吹き、春が来てまた増えるのだ。人の世代もまた同じ。滅び、そして再び生まれる」
「はっ、早い!」
「『イーリアス』の有名な一節ですよ。グローコスがディオメデスに語る言葉です。日本人で言うなら『春はあけぼの』と言われたら『ようよう白くなりゆく山ぎわ、すこし明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる』と続けるようなものです」
次のページにうつる。間髪を入れぬ翻訳が続く。
「素晴しい! 合格です。で、今回チェックしていただくのがこの本の翻訳なのですが……」
片淵氏は、分厚い革装丁の本と、コピー用紙の束を運んでくる。
「あら、たくさん。でも、下訳は済んでいるのよね。これは……」
メリーさん、ちょっと固まる。
「『ハトクルポ魔術体系』!。まさか生きているうちにこの本に巡り会えるとは思わなかったのー」
……興奮のあまり地が出そうになっている。
「マクリスさん、そろそろおしっこの時間ですよ。……すみません。障害者用トイレはありますか」
私は片淵氏にトイレの場所を教えてもらうと、あわてて車椅子を押すのだった。
「ちょっと興奮しちゃったのー」
メリーさんが小声で恥ずかしそうに言った。
「なんてったって『ハトクルポ魔術体系』ですよ。ギリシャ魔術の集大成と言われる稀覯本ですよ」
段々、声が大きくなる。
「しっ! マリー・マクリス先生。便座に移しますからねー」
「えっ、あっ」
私は構わず車椅子からメリーさんを抱え上げる。
「ディテールは大切に」
「わかったわよ。……ドロワーズも脱がす?」
「そこまではしませんよ」
私が数多くの映画を見て学んだこと。それは、偽装は細部から崩れるということだ。たとえば、ほら、トイレットペーパーの先が三角になったまま放置されているとか。
ちょろろろ……
トイレットペーパーの先もOK。
きちんと手も洗う。
「これでご満足いただけました?」
「はいはい」
メリーさん、もとい、マリー・マクリス先生を抱えて車椅子に戻す。
最後に、大きな姿見で特殊メイクをチェック。
「問題なし」とメリーさん。
元の部屋に向かう。
「あー、僕は緊急の会議があるので、あとのことは真田君にお願いします。そうだ、資料庫を開けるのにカードが必要だろうからこれも預けておきますね。帰り際に真田君に返しておいてください」
私は「第一編集部長」と印字されたプラスチックのカードを受け取りポケットにしまう。色んな場所に入れそうだ。
部長と入れ替わりに、長い髪のおとなしそうな女性が来て挨拶した。
「第一書籍編集部の真田です。よろしくお願いします。
彼女はメリーさんにに深々とお辞儀をしたのだった。
第一編集部。
そこは学術出版を中心としたエリート集団だった。
真田さんの先導で見学する。宗教系の出版社ではない、とアピールしたいのだろう。
応接室の棚には、錚々たる学者の著書が並んでいた。もちろん、その中には七瀬教授の著書もある。
同じ階の鍵のかかった書庫には、大学の図書館でしか見られないような外国語の辞書や全集が並んでいた。
「もしわからない言葉があったら、ここの本を自由に使って調べて下さい」と真田さん。
社員証兼キーカードをちょっと持ち上げて示す。
「社外に持ち出す時は、部長のカードで貸し出しチェックをお願いします。期間は一週間、延長は一回のみ。必要な工具類は二週間に一度、必ず返却をお願いします」
書庫の天井には防犯カメラもついている。貴重書の管理は徹底しているようだ。
ちなみに「工具類」と言うのは、文系の人間が使う言い方で、辞書や事典などの参考書のことを言う。
書庫の横には自販機コーナーとコピー室があり、その先は喫煙者向けバルコニーになっている。東山の色濃い緑の山並みが見えた。
「他の階も見せていただけるかしら」とメリーさん。
「ええ、いいですよ」
真田さんは下の階の第二編集部へと向かう。
「ここでは雑誌の編集をしています」
オープンな応接スペースには、風水やインテリア、健康関係の雑誌が並んでいる。いわゆる「意識高い系」の編集部だ。女性が多く、服装からデスク周りの色合いまで上の階とは全然印象が違う。
「ここにはキッチンとフィットネススタジオがあります。撮影スタジオもあります」
中に入るにはキーカードが必須で、社員福祉も兼ねているのだという。かがみさんが見たら狂喜しそうないたれりつくせり設備だ。
さらに下の階におりる。
そこは、電灯のあかりも少なく、暗くどんよりした雰囲気だった。
「ここが第三編集部。分冊百科を作っていました」
「え? 分冊百科!?」と私。
「過去形なのね」とメリーさん。
「はい。現物を見てもらえばわかると思います」
応接室の棚には、一昔前に流行った付録付き月刊誌がずらりと並んでいた。全部集めて組み立てるとお城やロボットが完成する、というアレだ。木製パズルのついた知育雑誌などは、私も子供の頃に集めていた。
「こういうのって、最初は売れても段々売れなくなるんです。とくにハイテク系は日進月歩で、最初の巻の部品があとの巻では調達できなくなったりするんですよね。今では、在庫管理だけが仕事です。といっても、法律がかわって付録としてつけられなくなった付録とかは、廃棄倉庫に山積みなんですけどね」
廃棄倉庫の扉には「ご自由にお持ち下さい」と印字された黄ばんだA4用紙が貼ってある。
さらに下に降りる。
「こちらは先端技術研究所。世界中のトレンドを追っています」
「というと?」とメリーさん。
「新しい発電システムとか、軍事関連技術の調査員も抱えています。アウトソーシングのライター集団として活動しているんです」
Y字型のデスクにパソコンが並んでいて、隅にはバーチャルリアリティーの体験機が置いてあったりする。ゲームセンターに置いてある球形のヤツだ。他の階に比べて紙の量が圧倒的に少ない。
さらに下に降りる。
「ここが絵本出版部とライトノベル編集部です。ここ、意外と第一編集部と関係が深くて、世界の神話事典とかはうちで原稿を出してこちらでリライトしてもらったんですよ」
意外に整頓されたデスクが並ぶ。パーテッションにはマンガやアニメのポスターが貼ってあって、今まで見て来た階とは全く異質だ。
……予測科学研究所、思った以上に巨大な出版社だった。
その時、ピンポンパンポン、という音が響いて社内放送が始まった。片淵さんの声だ。
「仕事の手を止めて下さい。先ほど京都府警から連絡がありました。檍原社主の死亡が正式に確認されたとのことです。葬儀日程は未定です。まずは皆様、ご起立の上、一分間の黙祷をお願いします」
私とメリーさんもその場で静止して目をつむる。
黙祷がおわると真田さんが言った。
「さあ、第一編集部に戻りましょうか」
「はい。よろしくてよ」
メリーさんあらため、マリー・マクリス婦人はしっかりと老婦人になりきっているのだった。
メリーさんはその日、バリバリと仕事を進めた。『ハトクルポ魔術体系』の原本を少し読み進めては、ささっと翻訳にチェックを入れる。透明な文鎮というのが目新しい。
ヘルパーである私には、二時間おきにトイレに連れて行くのが仕事だ。その他、ドリンクを買ってくるといった時に動くだけで、やることがない。
「あのー、下の階で何か文庫本でも借りてきて大丈夫でしょうか」
「ええ、どうぞ。帰る時にはここに置いていってくださいね」
真田さんは、にっこりうなずく。
私はまず、ラノベ編集部に向かった。軽く読めそう本を一冊、手にとる。
階段を使って上の階に向かう。
ゲームセンターっぽい機械を間近で眺める。これは楽しそうだ。
分冊百科の階に移る。廃棄倉庫の「ご自由にお持ち下さい」がどうしても気になる。
中にはたくさんの付録が積み上げられていた。
奥の一角には、「取扱注意」という張り紙のついた場所がある。見ると、『ロボキャットを作ってみよう』や『ドローンを作ってみよう』の付録だった。おそらく、バッテリーの性能が時代遅れになって休刊になったのだろう。あるいは、本の取り次ぎがリチウムイオン電池の入った付録を拒否し始めたからか。
箱の一つを手に取ってみる。
軽い!
これは、『ドローンを作ってみよう』の付録だ!
他の箱も棚から取り出してみる。
中身は全て抜かれているようだ。
ロボキャットは? 入っている。さすがに手足ばらばらで配本するというのは企画自体に問題があったと思う。可哀想なので、ガワだけでも集めて飾りにしよう。
私は、一体分のロボキャットの部品を集めると、そこらにあった紙袋にまとめる。
……え? でも、この子のバッテリーは?
抜かれていた。仕様を見るとリチウムイオン電池だ。おそらくはドローンと同じ大きさ。
つまり、誰かがドローンを組み立ててロボキャット用の電池もまとめて持って行ったということだ。
まとめて処理した?
……なら、箱だけ残しておく意味がない。
何かがひっかかった。
リチウムイオン電池の発火。
ひょっとしたら、檍原社主の死因はそれか!?
私の中で一つの仮説が組み立てられた。




