ヤタガラスの裁き(1)
京都。
それは呪的結界によって守られた呪術都市。
四神相応? 巨椋池の干拓で崩れました。
四角四堺祭? もう七百年近くやってません。
鬼門封じの比叡山? は、健在です。
ですが、みなさん忘れていませんか。街全体がドーマンになっていることを。
ドーマンとは、大陰陽師蘆屋道満の名がついた四縦五横の格子模様です。侵入する魔物を切り裂く効果があると言われている図形なのです。
その割には、怪異があふれがちだって?
いけずだなあ。ドーマンがなかったら、一二〇〇年もの間、日本の都なんて続いてませんよ。
東京? あそこは行宮です。天皇はんが、ちょっと旅行に行ってはるだけです。紫宸殿の額がある限り、京都は日本の都なのです。
京都タワーの展望台で七瀬哲夫教授の「京都学」の熱い授業を受けていた私たち(ちなみに受講生の七割は留学生だ)は、通訳に四苦八苦するメリーさんへの笑いをこらえつつ、普段見ることのない京都市の上空からの俯瞰景を堪能していた。
……英語と中国語と韓国語とフランス語の通訳ができる講師なんて、そうそういませんよね。思いっ切り、使い倒されてるなあ。
とまあ、のんびりと周囲の景色やたわわちゃん神社を写真に撮っていると、急にあたりが騒々しくなった。
「火事だ!」
「燃えてる!」
「あそこ、どこ?」
皆の視線を追うと……
確かに、東山にそびえる大きな建物の最上階から煙が出ていた。
正確には、その屋上にあるプールの横の何かから、青空に向かって黒い煙があがっているのだ。
「見る?」
無料の望遠鏡にとりついていた学生の誰かがかわってくれた。
後釜に入る。
望遠鏡には、燃えている人体が写っていた。真っ黒になった全身から火を吹き出し、プールサイドをのたうち回っている。いや、これは死後の痙攣というやつか。
これはえぐい。
数秒のトラウマ映像を心に刻んで次の人と交代する。
先に見た誰もが「見ない方がいいよ」と言うが、まだ見ていない者は罠にかかった動物のように次々に望遠鏡へととりつく。
そして、ほとんどの者がえずきながら踏み台を降りる。
「人体発火現象なのです!」
望遠鏡の台から降りてきたメリーさんが、興奮気味につぶやいた。
七瀬教授もショックを受けたのだろう、蒼白になって壁に寄りかかっている。
「今日の授業はこれまで。現地解散にします。気分が悪くなった人は、よく休養をとるように」
メリーさんが四ヶ国語で通訳する。さすがは怪異、動揺は見せていない。
皆がエレベーターで下りていくのを見送りつつ、私はメリーさんにたずねた。
「大丈夫?」
「うん。サツキこそ、真っ青。どこかで休憩する?」
私はうなずく。
メリーさんに支えられて階段で一つ下の階のレストランへと降りる。
そこでも沢山の人が塞ぎ込んでいた。目撃者は百人は下らないだろう。
かろうじて空いた席を確保する。お店の人は突然増えた客にてんてこ舞いだ。
「何がいい?」
「ソーダフロートをお願い」
「OK!」
しばらくごたついた後、メリーさんはメロンソーダにアイスを載せた物を持ってくる。
「ごめん、払うわ」
「おごりなのでーす。……でも、ルートビアじゃないのには驚いたの!」
アメリカの常識ではそうらしい。
他の客の何気ない会話で先ほどの光景がフラッシュバックしてきて無口になってしまう。当分は焼肉に行けそうにない。
「ウィンチェスター先生、お疲れ様です。……ここ、いいですか。どこにも席がなくて」
コーヒーカップを手にした七瀬教授が相席を求める。皿の上のカップがカタカタと音を立てていた。これは坐らせてあげないと二次被害が出そうだ。
メリーさんは私がうなずいたのを見て「どうぞ」と言う。
「このあと講義は?」
「次のコマはないです」
「さっき小耳に挟んだのですが、人体発火現象と言ってましたね。その根拠は?」
ずかずかと来る先生だ。
「周りに発火物がなかったの。バーベキューでもしていたのならともかく、ただプールサイドにいただけで燃えたら、それは人体自然発火に間違いないのでーす」
「ふむ。なるほど」
教授と違って、私は納得していない。
「でも、人体自然発火現象って、もう解明されていたんじゃなかったかな。アルコールを衣服にこぼしてライターの火が引火したとか」
「それはないと思うの。もし、服に引火したとしたら、すぐそばのプールに飛び込んだはずなの」
そういえば、焼死体(仮)の背後にはきらきらと光るプールの水が見えていた。
……あ、またえぐえぐしてきた。
教授の全身の震えもいまだおさまっていない。男の人が私以上にメンタルが弱いというのは、ちょっと意外だった。
私は無意識に口を開いていた。
「ひょっとして、先生は燃え上がった方のお知り合い?」
七瀬教授は、びくり、と体をふるわせる。
「ああ、そうかもしれない。いや、正直言うと、その可能性がきわめて濃厚なんだ」
七瀬教授の話をまとめるとこうだ。
教授の高校時代の同級生に檍原信胤という人がいた。室町時代からの陰陽師の家系だという。土御門家の配下ではなく、もっと格上の帝のそば近くに仕える官人だった。そもそも陰陽五行説とは無関係なヤタガラスの御占を得意としてたのだ。
……これが檍原家の口伝だ。
さて、時代は進み、信胤は大学で色んな知識を学んだ。すると彼は気づいてしまった。ヤタガラスのミウラの元ネタが『太玄経』という中国の占いの書であることを。
『太玄経』とは、前漢末の揚雄が『易経』の真似をして作った新作占いだ。天地人の三要素を組み合わせた八十一卦、そしてその各々の四本ある爻の何番目に詳しい示唆を見るか、を筮竹を使って占うのだ。システムは易占と全く同じである。
「神武天皇を導いたヤタガラスの子孫に伝わる秘伝の占い」が、実は中国にネタ元があるれっきとした輸入品だった!
信胤氏が父親に問いただすと、あっさりと認めた。
「だから室町時代からの家柄と言っているじゃないか」
そして、息子に伝えた。お前はヤタガラスのミウラを継がなくてよい。好きなように生きよ、と。
だが、世の中とはままならないものだ。
ヤタガラスのミウラはすでに大きな教団となり、その収益源は占いから祈祷へと移っていた。信胤氏自身の言葉を借りると「インチキ祈祷」ということになる。
が、それが京都の政財界に流行した。
高度成長期なら何をしても大抵は儲かる。
不景気になれば藁にもすがる。
景気はどん底をすぎればまた上向く。
檍原先生にお願いすれば、事業はますます発展する――そう信じた人々が列をなした。政治家も、当選を祈ったり政敵の抹殺を願って大枚を積んだ。
そんなメシノタネを捨てられるわけもない。信胤の思惑とは別に、父祖重代の弟子たちはヤタガラスのミウラの担い手として脈々と法統を保っている。戦前はフトマニ教団と言い、戦後はミツミタマの会と名を変えて、今ではタロットやカバラ、九宮八風の占いも取り入れているのだとか。
「あの建物は、信胤君が予測科学研究所として建てた物だ。彼は教主だが、祈祷にはかかわろうとせず、あの建物を啓蒙書の出版社として独立させた。実は私もあそこから本を出してもらったことがある。おかげで、怪しい教団の御用学者とか陰口をたたかりたりもしたが、内容はきちんとした学術書だよ」
「予測科学研究所というと、脳トレとかマナー本の……」
「陰謀論とペット本でよく見かけるのですー」
「まあ、その何だ。そういう俗っぽい本も出している。そっちの方が売れるからね」
七瀬先生は、溜まっていた思いを吐き出したからか、かなり落ち着いた様子だった。
その数日後、メリーさんが沈鬱な表情で言った。
「七瀬教授がお縄になったのー」




