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如月飯店(2)

 老人ホームからの帰りの列車で、私たちは感想を話し合った。

「これはマヨイガ現象だな」

 会長が明言した。

「迷い蛾?」

 メリーさんは明らかに誤解している。私と会長で補足した。

「迷い+家でマヨイガ。柳田國男の『遠野物語』で有名になったけど、昔からよくある話よ」

「腹をすかせた旅人が、山中で立派な屋敷にたどりつくんだ。そこには豪華な食事の用意ができている。が誰も現れない。旅人は空腹に耐えかねて食べてしまう。すると『何か一つ持って帰っていいよ』という声がどこからか聞こえてくる。そこでお椀を一つ持って帰ると、食に事欠かなくなり大金持ちになる。しかしその屋敷には二度と行き着けない。その話を聞いた男が同じようにして屋敷にたどりつく。同じように食事を食べるが、帰り際に『何か一つ持って帰っていいよ』と言われて欲を出して色んな品を風呂敷に包んで持って帰る。家で風呂敷を開くとお宝はガラクタやゴミになって、男は不幸にみまわれて亡くなる。そういう感じの話だ」

「スズメのお宿みたいですね」と澪さん。

「前半だけだと、マリー・サレストみたいなの」とメリーさん。

「マリー・サレストって?」

「日本ではマリー・セレステって言う人が多いかな。一八七二年に行方不明になった船の名前。ポルトガル沖のアゾレス諸島で無人で見つかったんだけど、朝食の用意をしたお皿がそのまま残っていたって記録にあるの。争った跡はないし、船員の私物もそのままだったって。救命ボートが一隻なくなっていたから、積み荷のエタノールが揮発してみんなが酔っ払って集団幻覚で逃げ出した、て説が有力なんだけど、いまだ真相は不明のままなの」

「なるほど。食卓がそのままで人が消えた…… 陝西省の村でそんな事件があったな。千人規模の村で、ある日忽然として人が消えた、てやつ」と会長。

「カナダのイヌイットの村とか、ルーマニアのホイア・バチウの森とかも有名ですよね」と私。

「でも、ご飯を食べさせてくれたお店が消える、て話はめずらしいのー」

「桃源郷や、浦島太郎も構図としては似ていますね」と澪さん。

異郷訪問譚(いきょうほうもんたん)ですね。ただし、時間のズレという要素は欠けています」と寧々さん。

「家の方が時空を迷っている『マヨイガ』なのかも」と私。

「『ぽぽたん』か!?」会長の謎のツッコミが入る。

 いずれにせよ、空論は免れないのだった。


 部室に寄ると、大饗氏がノートパソコンに向かってキーボードを叩いていた。付箋を貼った専門書やコピーの束を積み重ねているところから察するに、どうやらレポートか論文を書いているところのようだ。

「やあ、盗電させてもらっています」

 腰を上げてアマリ会長に頭を下げる。根がまじめな人なのだ。

「ああ、いいからいいから」と会長。「それより、こういう話を聞いてきたのだが……」

 私たちが補足しつつ、大饗氏に八千代さんの話をする。

 話を聞き終えた大饗氏は、きっぱりと言い切った。

「それは老人性痴呆症が原因です。その症状のひとつ、妄想症ですね」

「そんなにボケた方ではないんですけど……」と寧々さん。「被害妄想とかは全然ないんです。たまにぼーっとしゃはる時があるくらいで」

「となると考えられるのはレビー小体型認知症だ。学説として確立されたわけではないが、異郷訪問譚の元となったのがレビー小体型認知症だ、という説はよく聞く。妄想がものすごくリアルなんだ。だから、本人は現実だと信じ込んでいる」

「でも、五十年以上前の体験談なんだよ」と会長。

「当人がそう思い込んでいるだけです。昔の記憶だってね。妄想は進化するんです。そうだなあ、ちょうどさっきよい事例を見ていたところなんですよ…… あー、これだ。元某大学教授の事例なんですけどね」

 大饗氏の話を要約するとこうだ。

 定年退官をした元教授は、七十を越えたくらいから言うことがおかしくなった。家の中を金色の猫が歩いていると言うのだ。その家では猫は飼っておらず、たまに野良猫が庭に現れる程度だった。やがてその人は子供の頃に実家の庭でライオンを飼っていたという話をするようになった。家族には聞いたことのない話だったが、生れが名家だったのでそういう事もあろうかと黙って信じていた。やがて「うちのライオンはどうした。どこにやった」と怒り出すようになった。息子がふざけて「食べてしまった」と言うと本気で怒り出した。

「他にも物盗られ妄想や被害妄想がひどかったので抑制剤を投与した、とあります。……まあ、昔の話ですけどね」

「野良猫が金色になり、やがてライオンになる。……妄想は進化する、か」

 感慨深そうな会長だ。

「でも、ヤチヨさんはオオサンショウウオやピータンや杏仁豆腐の話をしていたのです。本人が知らないことを妄想はできないと思うのー」

 口を尖らせるメリーさん。

「それは、テレビとかでその情報に触れたんじゃないかな。今は覚えていなくても、記憶の底にあった情報が脳内で勝手に結びついて妄想を補強する――それはちっとも不思議なことじゃない」

 完璧に医学部生らしい指摘だ。

「では、この画像はどう説明すればいいのでしょぅ」

 澪さんがスマホの画面を皆に見せた。そこには、SNSからキャプチャーされた「如月飯店」の看板写真がはっきりと載っていた。


「澪っちは人が悪いのですー。その写真はもっと早く見せてほしかったのー」とメリーさん。

「これは現代の話ですので、昔の話とは切り離しておくべきだと思ったものですから」としっかり者の澪さん。

 とりあえず大きなモニター画面に転送してもらい、拡大する。

 それは全くの偶然で入り込んだ画像だった。本題となる投稿の下に入り込んでいた画像なのだ。

「これを投稿、というか転載した元の人のIDはわかるんだよね」と会長。

「ええ。他の投稿はデザイン関係の話題が中心で、看板のデザインについてもよく触れています」

「全く無関係かもしれないし、昔の『如月飯店』の関係者がお店を復活したのかもしれない。とにかく、だ。本人に見てもらうべきだったな」

「はい」

 会長の言葉にしゅんとなる澪さん。寧々さんが、拡大写真を撮影する。

「その他にもあるんですよね、キャプチャー写真」

 私の言葉に写真をスライドさせる澪さん。

「これです。コンプライアンスの強化が自由な発想を逼塞させる、という一例としてあげられていました。『本来、万人に示す看板にすらこのコメントである。コンプラ厨、亡ぶべし!』とあります。この投稿もすでに消されています。あと、こちらも」

 別の画像をモニターに転送してくれる。『これは約束に反していますよ』というコメントがついた写真だ。こちらの看板はいまいちはっきりしない。

「気になるのが、『この写真は許可を得ていませんよね』と『これは約束に反していますよ』の言葉なのー。SNSの規約には、違法な投稿、明示的な掲載禁止の表示が写り込んだ投稿、著作権保持者からの異議申し立てが確認出来た投稿は、投稿者に理由を示した上で消去する、とあるのー」

 メリーさんが言うように、運営が消しにかかるようなヤバい画像には見えない。

「澪さん、投稿者との連絡はしてみたの?」と私。

「それが、どちらも返事が来ないんです。そして、即ブロックされました」

 反応が激しい。

 その時、寧々さんの携帯がポローンと音を立てた。

「八千代さんからの返信が来ました。『確かにこれです。私が若い頃に見た看板そのものです』とのことです」

 また新たな謎が生れた。


 伝統的な京町家。その小屋根に掲げられた、朱色の地に肉太の金文字がおどる巨大な看板。それは、半世紀以上の時を超えて現れたマヨイガなのか、それとも、大饗先輩の言うように、取り込んだ情報によって記憶が改竄されたことによる偽りの思い出なのか。

 不意に寧々さんが素っ頓狂な声を上げた。

「ねえ、これって京都市だとしたら景観保護条例に反してへん?」

「確かにそやね。京都市にチクられたら、即撤去やわ」と澪さん。

「とすると、ここは京都のように見えて全く別の街?」と私。

「いえ、投稿者はお二人とも京都在住のようです。その点は確認してあります」と澪さん。

「許可を得ないといけない看板写真…… まだ製作中だったということかな」と大饗氏も推理に加わる。

「約束に反しているというのは、看板の内見会か何か? お披露目までに公開したから苦情が来て投稿がアボーンされた!?」と私。

「その可能性は大いにあるな。景観条例に会わせてヨゴシを入れる前に、一度かけてみたかったのかもしれない」と会長。

 皆で、食い入るように拡大画像を見つめる。

 その時、メリーさんが不敵な笑い声をあげた。

「ふっふっふっ、見つけてしまったのでーす。謎は全て解けた!」


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