如月飯店(1)
「こんにちは」
「やあ、さつきくん、こんばんは」
確かに外はもう逢魔が刻だ。
アマリ会長と挨拶していると、天王寺澪さんと山口寧々さんが現れた。
「やあ、澪くん。それと、えっと……」
当人にかわって澪さんが紹介する。
「山口寧々さんです」
寧々さんは優雅に挨拶する。
「そうだった。久しぶりだね」
アルカイックスマイルを浮かべようとする会長だが、頬にひきつけが出ているのは難事件を予想したからだろう。寧々さんが持ち込む話はいつも「面倒くさい」のだ。
案の定、寧々さんが持ち込んだのは都市伝説がらみの話だった。
「会長、キサラギハンテンって知ってます?」
澪さんがいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ああ、アレだろう。メチャクチャうまい中華屋があって、ある日その裏を通ってみたら猫の生首が並んでたってヤツ」
「え!?」
澪さんは驚いている。
「違ったか。アレだろう、高級中華屋に盲導犬をつれて入った人が、料理人に『食材は裏!』って怒鳴られたやつ」
「じゃなくて……」
寧々さんは笑っている。
「それ、京都のめちゃめちゃ古い噂話ですよ。戦後すぐのとか、平成初期のお話。……まあ、両方とも実話なんですけどね」
さらっと怖いことを言う。
「ははは。……で、そのキサラギハンテンというのは、何かね」
寧々さんはまじめな顔になった。
「知り合いのお婆ちゃんの話なんですけど。昔、疲れて倒れそうになったときにたまたま入ったのが如月飯店なんだそうです。そこで食べた中華料理がとてもおいしかったって。死ぬ前にもう一度食べてみたいって言わはるんです。六十年前の当時、すでに幻の名店と言われていて、その後、どんなに探しても見つからなかったそうです。これってミステリーだと思いませんか」
「ちなみに、この件はネットでのリサーチは済ませています。該当する過去の記事はなかったです」
澪さんが補足する。
「というと、怪異的な何かかな。如月飯店、か。……さつき君なら説明出来るんじゃないかな。駅といい飯店といい、どうして怪異が如月を好むのかということを」
……いきなり口頭試問が降りかかってきた。
ということは陰陽道がらみか。
ちょっと考えてから答える。
「如月、ということは二月ですよね。二月と言えば節分。暦の上では運気の流れが転換する時期です」
「そう、それだ。私もよく知らないんだが、占い師が万年暦を見ながら『誕生日が節入り前と節入り後では運勢が大きく違う』と言っていた」
……誰の運勢を占ってもらったんだろう。二月生れといえば、やっぱり澪さんかな。会長は九月生れだし、相性は悪くないはずだ。
お婆ちゃんに教わった生れ月占いが瞬時に脳内を走る。
澪さんがやや早口で付け足した。
「如月は、二月。方位に重ねると東北東。つまり、節分は鬼門なんです。ゴースト・ゲート。だから怪異が出やすいということはあると思います」
私は寧々さんにたずねた。
「如月飯店が現れた時刻と場所とはわかります?」
「真夏の夜九時以降、四条烏丸の近くの路地だったそうです」
……四条烏丸といえば御所の真南、鬼門とは無関係だったか。
その時、廊下から聴いたことのある歌声が聞えてきた。
「くーもにそびゆる高千穂のー、たーかねおろしに草も木もー、なーびき伏しけんおーみよをー、にゃーにゃにゃにゃにゃーにゃにゃ楽しけれー」
そして、部室のドアがばたりと開く。
「こんにちは、なのでーす!」
メリーさんだった。今日のゴスロリは真っ白だ。皆の視線が一斉に振り向いたので、さすがの怪異娘もたじろいでいる。
「……話し合い中?」
「ううん。怪異ミステリーの検討中。メリーさんは、如月飯店って聴いたことある?」
「キサラギハンテン? 袢纏?」
「ごめん。中華料理屋の方」
「う、うーん。特には」
寧々さんは、一から説明しなおす。新しい情報はない。
「それなら、ちょうどいいツールがあるのでーす!」
メリーさんは、本棚から『京都グルメガイド』を取り出した。
索引を調べる。
「……ないです」
しょぼん。
元の場所に戻す。
「この本にないということは、そのお店は絶対になくなっていると思うのー」
グルメガイド、絶大な信頼度だ。
「それがね、最近、どうも復活したらしいの」
澪さんが新たな爆弾を投下した。
「ネットで、すこし前に写真が上がっていたことがわかっているんです。けど、SNSに上がった写真は全て消されているんです。キャプチャー画像を見ても『この写真は許可を得ていませんよね』とか『これは約束に反していますよ』とかそんな感じのものばかりで。……メリーさんは、何か感じませんか?」
「はうー。面目ない……」
ぽりぽりと頭を掻いている。
私は現実的な提案をした。
「そのお婆さんに会いに行くことはできないかな」
「そうしていただけると助かります」
その場にいた皆がうなずいた。
相模八千代さん。伏見区にある老人ホームの入居者だ。ほぼ寝たきりだという。
「お見舞いに来てくれておおきにありがとうございます」
上半身を上げて、丁寧に頭を下げる。
寧々さんは、あわてて制止する。
「どうぞ、休んでいて下さい」
「大丈夫え。たまには体を動かさんとあかん、てお医者さんも言うてはるし」
そして、お土産に持って行った銘菓「満月」に目を細めている。
寧々さんが、私たちを紹介する。
「大学のお友達なんですよ。如月飯店のことを聴きたいって」
「まあ、わざわざご苦労さんどす。正直、あれは夢やったんとちゃうかと思ったりもしますんやけど……」
八千代さんの話をまとめるとこうだ。
当時、八千代さんは神泉苑の近くの乾物屋で事務員をしていた。
その日は思いのほか体調が悪く、定時後に奥の倉庫にある小上がりで休んでいたのだという。
気がつくと夜の九時。終電もなくなりタクシーを拾うしかなかった。
いざなぎ景気のはしりで、庶民の娯楽は映画。タクシーは、映画おわりの客を狙って新京極の界隈へと向かっている時間だ。それに給料日前。八千代さんはタクシー代をケチって家まで歩くことにした。歩いて一時間もかからない、と高をくくっていたのだが……
「それがね、途中で空腹と目眩で倒れ込んでしまったのよ」
八千代さんは恥ずかしそうに笑う。
「そこで通りがかりの紳士に声をかけられたの。あまりの空腹に倒れていましたなんて言えないでしょ。そしたらお腹がグウグウ鳴り出したの。恥ずかしかったわ。そこで、近くのご飯屋さんがあいているからおごりますよ、て言われたの。そんな夜遅くにご飯屋さんが開いてるわけないじゃない。私、もうどうにでもなれってついていったら、本当にご飯屋さんだったの」
ほっほっほっ、と笑う。
「そこが如月飯店だった、と?」とメリーさん。
「そうなの。軒の上の看板に金文字でそう書いてあったわ。そこは立食パーティーの最中で、その紳士が席を用意してくれて、ようやくその日初めてのご飯にありついたというわけなのよ」
……そりゃ倒れるよね。
「どんなお料理が出たのですか」と澪さん。
「北京ダック。鯉の丸揚げの甘酢あんかけ。最後には『赤ちゃん魚の姿煮』なんてのもあったわね」
「赤ちゃん魚?」
「そう言ってたわ。私も気になってたずねてみたけど、みんなはぐらかして答えを教えてくれなかった。『生きてる時は赤ちゃんみたいに鳴くんだよ』って言って」
……何だ、その都市伝説ど真ん中の魚は!
メリーさん、あっさりと謎を解いた。
「それはオオサンショウウオなのでーす。紅焼娃娃魚という、もはや日本では味わうことの出来ない禁断のお料理なのでーす」
「オオショウウオ…… どうりで変な顔の魚だったわ。ガマガエルみたいな顔をしていたもの。アンコウかと思っていた!」
「主食はどんな感じでした?」と私。
「イーストの香りがする本物のマントウだったわ。揚げたねじりん棒もあったわね。これをお椀にとったスープにひたして食べたら、もう絶品」
当時の記憶が甦ったのだろう、お婆ちゃんの顔が生き生きしている。
「でも、他のお客さんの中にはご飯がほしいって人もいて、『バイファン! バイファン!』って叫んでいたわ。給仕の女中さんが慌てて出していた」
「どういう客層だったんです?」と会長。
「それがね。最初に案内してくれた紳士みたいな人もいれば、いかにも工員風な人もいて、何の集まりかわらかなかったの。ハッピを着た職人風の人もいたし。女性も、事務職風の人から、ワンピース姿の女の子まで。だから私が混じっていても違和感がなかったの」
「ということは、趣味の親睦会だったんでしょうか」
会長が、推理とも質問ともとれる言い方をする。
「政党のパーティーとか?」と私。
「そういう感じじゃなかったのよ。いろんな立場の人がいたから。話は景気や経済政策から俳優のゴシップまで、本当にいろいろ。同じ目的を持った人の集まりではなかったと思うわ」
うーむ。ひょっとして、秘密のグルメクラブ?
「何か風変わりな、というか、これは食べられない、という物は出なかったですか」と澪さん。「マーケティングのためのサンプルを集めていたのかもとしれない思いまして」と捕捉する。
「そうねえ。……ピータンは腐っていたわね。あれは食べられなかった。かわったというと、杏仁豆腐はあの時初めて食べたのだけど、これは本当に豆腐かって思うほどおいしかった。あの味つけは、きっと料理人のオリジナルね」
「うーん。ピータンが腐っていた……」
会長が首をかしげる。
寧々さんが説明した。
「昔、その話を聞いて調べてみたんですけど、当時はピータンは香港や台湾から船便で送られていたです。何週間も高温多湿の船倉に入れておくと、雑菌が入って本当に腐る場合があったみたいですよ」
「そうだったのね。私、思わず『腐ってる!』って言っちゃって、ずっと悪いことを言ったかと後悔していたの」
八千代さんは、ほっとしている。これだけでも今日来た甲斐はあったというものだ。
「食器とかは覚えていますか」と会長。
「とってもいい食器に思えたわ。博物館で見るような感じの、すごい食器」
紹興酒やワイン、ビールも飲んでしたたかに出来上がった八千代さんは、タクシーを呼んでもらって自宅まで帰ったという。
その後、ただ飯を食べて酔っ払って帰った、という負い目から、そのあたりを通ることはしばらく避けたのだとか。
半月後にその通りを通った時には、店はみつからなくなったという。その後何度も同じ通りを通ったが、如月飯店には出会えなかったのだとか。
「当時はまだ貧乏な小娘だったし、夢まぼろしを見たんじゃないか、とも思うの。その後、いろんなお店で中華料理は食べたけど、如月飯店で食べた中華料理ほどおいしい物には出会えなかったわ」
思い出を語る八千代さんは、とても楽しそうだった。




