真夜中の散歩者(2)
と、いうわけで、アマリ氏、メリーさん、私、そしてたまたま顔を出した大饗氏の四人がソソギの地へと向かった。
京都駅から大和八木駅に行き、そこで名張行きに乗り換える。二時間弱の旅だ。
そこからパスに乗ってソソギ方面に向かう。
降りる場所は、ソソギ地区の一番北にある「ソソギ北」だ。
電車に乗っている間、私はほぼ風水の解説をしていた。
世間で流行っているのは陽宅風水で、ほぼ近代の産物だ。何の置物をどこに置くとかは、風水の本質とはほど遠い。
対する陰宅風水、つまり風水地相は漢代からある伝統思想だ。よい気が集まる場所――竜穴に先祖の墓を作ると子孫が繁栄する、という。それゆえ、中国の戦争では敵の先祖の墓をあばくなんて事もなされた。
よい地相では、北にある山の気が山脈と水流に沿って掌で水を受けるように竜穴に集まる。山は厳密に北である必要はない。西や東までは許容範囲だ。つまるところ、ヒキコモリ古墳の被葬者の子孫に幸運があるようにとソソギの地は設計されているのだ。
さらに風水地相には色んな説があって、京都の四神相応、東京の蟠龍抱珠が有名。
ざっとこんな話だ。まあ、中学時代に読んだ本の受け売りだけど。
「ということは、ソソギの地は巨大なお墓だったということかな」
大饗氏がたずねた。
「その可能性はあります。後世の人がそれを知らずに開拓してしまったのかもしれません」
「そんな所に住んで大丈夫なんだろうか」
医学部生らしからぬ疑問だ。
「京都も四神相応の瑞相の地ですから、風水のいい土地に住むことに問題はないと思います」
「そうだな。京都は、巨椋池を干拓したことで南の朱雀が破壊された、そのため風水が悪化した、とはよく言われる」と会長。
「そうなのー。干拓の数年後から京都市の平均気温は十五度を超えだして、とくに八月の気温が上がり始めたのー」
メリーさんが言うとおり、京都の油照りは年々ひどくなっている。真夏に滋賀県に旅行すると、トンネルを抜けた瞬間空気がひんやりして、水が持っている熱の吸収力を身に染みて感じるものだ。
「うむ。風水の話はさておき、だ。葦名先生の悩みを解決するには、まず統計学的調査をすべきだろうな」
会長が、しごくまともなことを言った。
先生の家は、バス停から歩いて五分、ヒキコモリ古墳の北側に広がる窪地を越えたあたりにあった。
「ようこそ、遠路はるばる来てくれました」
作務衣姿の先生が出迎えてくれた。
葦名邸はかなり広めの一戸建てだ。庭にはビニールハウスがあって、自家用車が止めてある。宅地化の初期に、昔の農家の敷地を何分割かして売り出した、いわばテストケース的な家だという。ちなみに、古墳の南側の住宅はもっと小さい。
「田舎で驚いたでしょう」
「はあ」
確かに田舎だった。バスから見えた光景は、わびしいものばかりだった。
シャッターがほぼ閉まっている「センター商店街」。敷地ばかりが広くて子供が少ない小学校。ブームが去って放棄されたらしい太陽光発電のパネル群。
「買い物とかも大変でしょう」と大饗氏。
「大体は通販ですませている。急ぎの時は名張まで車を走らせている。ただ、最近、急速に目が悪くなっていてね。それで学者は完全に引退することに決めた」
京大を退官してしばらくは、奈良先端大学の特任教授として物性物理の講義と指導をしていたという。が、車で片道一時間の通勤は、目が悪いとさすがにきつい。何度か事故も起こしかけたという。
「加えて、最近の学問動向についていけなくなったのがつらかった。十年前の常識を持ち出したら、院生たちに笑われるんだ。『先生、その説はもう古いですよ』って。で、慌てて新しい論文を読もうとする。読んでいたら参考文献に私の名が出てきた。古い説を論破した根拠が、私の論文だったんだよ。あけは泣いたね」
場が、しんみりする。
「ところで、ですね」と会長。「ソソギ地区で亡くなった方の時家列データがほしいのてすが。それも、過去何十年かの」
「ああ。それなら自治会館にそろっているはずだ。車を出そう」
「えっと、そこまでしていただかなくても……」
「歩いて行けると思うのー」と元気なメリーさん。
葦名先生は照れ笑いをする。
「そうだね。田舎で暮らしていると、つい車に頼ってしまう。そして、『今月もガソリンが高くついた』などと愚痴ってしまう。……歩こう」
私たちは、ずらずらと斜路をくだったのだった。
窪地の底で将川添いの道へと進む。このあたりにはまだ古い農家もあって、家の周りには稲の田ん圃があった。
廃墟となったコンビニの跡地を横に見つつ「酹集会所」へと向かう。地元の人は「自治会館」と呼んでいるらしい。
「ここに亡くなった方たちの資料がある。自殺かどうかまではわからないが、見てくれたまえ」
集会所にいたお年寄りの視線が、私たちに集中する。今日は囲碁・将棋の集まりらしい。参加しているのは男性ばかりだ。
葦名先生は皆さんに挨拶してから奥の廊下に入る。立て替えられたばかりというだけあって、全てが明るく新しい。
途中にコピー室と書いた場所があった。扉が開けっぱなしだ。
「あっ、最新機種だ!」
大饗氏が、武骨な外見のコピー機を指さす。
「ええ。立て替えの時にいい機械を入れてもらったんです」と先生。
その向かいが資料室だった。
鍵がかかった部屋の奥に、大量のバインダーが並んでいた。昭和四十年から始まり、今年分までずらりと並んでいる。
「訃報回覧だ。持ち出し禁止なので、ここでメモしてもらうことになる」
えーっ、と私たち。
「紙と鉛筆はコピー室のものを使ってくれ」
「これを人手でチェックしろ、と?」と会長。
「申し訳ないが、会館内からは持ち出し禁止なんだ」
「あー、葦名先生、データ化はしちゃだめなんでしょうか」と大饗氏。
「データ化なら大丈夫だ。世間に流出しないと約束してくれるのなら」
「なら、コピー機で読み込ませればいい。……誰か、データカードとか持ってないかな」
「はいはーい」
メリーさんが、バッグからUSBスティックを取り出す。
「えっと、これで出来るかな」
大饗氏は、コピー機をチェックする。
「行けそうだ。一冊、持って来て」
私は「昭和四十年~五十年」のバインダーを取ってくる。
大饗氏は紙束をぱらぱらとめくって空気を入れて、蓋の上に突き出したソーターにセットする。カションカションとコピー機が動き出す。
「それは?」と先生。
「スキャナーです。コピーすることなく画像をデータにして読み込ませているんです。いわゆる『自炊』ってヤツですね」
最初の十数年のデータはすぐに読み取れた。ソソギ地区の死者は年に一、二人で済んでいたのだ。
「次のファイルをお願いします」と大饗氏。
だんだん訃報の枚数が増えてきた。
平成の後半から年一冊になり、ファイルされた枚数も多くなる。
「そうか。この手があったか。これは便利だな」
後ろで見守っていた葦名先生は、しきりに感心している。
令和に入ると、死者数が目立って多くなった。高齢化とコロナ禍で死者数が増えたのだ。
「これで最後です」
私は、バケツリレー方式で運び終えた最後のファイルを差し出した。
その頃には、囲碁・将棋をしていたお年寄りたちがコピー室の入り口に集まってきていた。葦名先生がデータ化の試みについて説明している。
ご老人の一人が文句を言った。
「こうやってデータ化しても、会館の外に持ち出されるのはちと困るのだが」
別の人がなだめる。
「いやいや、自殺者問題をなんとかするためなら、多少のことには目をつむるべきでしょう。そもそも、地区で回覧した訃報ですから、プライバシーというほどのことではありません」
「これだけのデータを統計処理するのは何日かかることやら」
「私らにもお手伝い出来ることがあれば言って下さい。これでもキーボードはずっと触ってきましたので」
ご老人たちは意気軒昂だ。
「だいじょーぶ。AIで全部処理しまーす!」
メリーさんが高らかに宣言した。
「その手があったか!」
「しかし、外部にデータが流出するのでは……」と最初のご老人。
「いや、訃報なんて新聞にも載ってるんだから、秘密でも何でもないでしょう」
「あんたは頭がかたい。資産状況がわかるわけでもないんだから心配せんでよろしい」
「葦名先生に全ておまかせしよう」
侃々諤々。
その間にも、メリーさんは印刷室の片隅にあるパソコンを起動した。
かなり古いバージョンのOSが動きだす。懐かしい起動音だ。
ブラウザーで外国のサイトを開く。
「それは?」と先生。
「ウィンチェスター研究所のサイトです。AIでデータを全てOCR処理するのでーす」
ゴスロリっ娘がパソコンに向かう姿はすごくミスマッチだった。
「最近のOCRは精度が高いのでーす。多分、大丈夫~」
たまに読み取れない文字をたずねてくる。それを私たちが指摘して直していく。「酹」という文字もきちんと読み取ってくれた。その他は、たまに手書きの字で読みにくいものがあるくらいだ。
「今では崩し字での古文書も読み込めるの」
ノリノリである。
「それに、並列処理だから処理速度も速いの~」
ふんふん、と鼻歌交じりである。
処理時間、ほんの数分。
「はい、表計算ソフトのデータにしました。これを地図データとリンクして…… ぽちっとな」
おおー、という歓声が上がる。
「大したものだ。わしらではこんなこと、思いもつかん」
「さすがだ! おみごと!」
葦名先生は、老人たちにお願いをした。
「さあ、ここからが皆さんの記憶の出番です。亡くなった方が自死だったかどうかを教えて下さい。……そうだ、無線LANで飛ばして広間のテレビで見ながらお話を聞かせてもらいましょう」
その頃には、どこで情報が広まったのか地域の暇な人たちが集まってきていた。
まずは記憶の新しいところから、というわけで、最近の自殺者からチェックしていく。
「この方は老衰だ。老人ホームで亡くなった」
「事故でしたな。いたましい」
「車が崖から落ちたんでしたっけ。自殺かどうかはちょっとわからない」
「この方は、コロナかインフルエンザでしたな」
「この人は、納屋で首を吊りなすったんや。家を手放すくらいなら死ぬ、ていつも言うてはった」
……死因は様々だ。それを聴き取ったメリーさんのスマホのアプリが、データの死因欄に書き足していく。
話が昭和になると、皆、記憶が曖昧になってきた。ただ、自殺と断言出来る人は十年に一度くらいで、ほぼ皆無になった。
「皆さん、ご協力、ありがとうございました。このあと、データを分析して調査を進めます。結果が出ましたら必ずご報告いたしますので、しばしお待ちください」
葦名先生が閉会の挨拶をして、自然発生した自殺問題の検討会は終了したのだった。




