トイレの花子さん(その1)
マンションの三階の廊下に歌が聞えてきた。
「守るも攻めるくーろがねのー♪」
……この声はメリーさんだ!
「ホニャララホニャララホニャニャラララ~♪」
歌詞が飛んでいるのもまさしくメリーさんである。
「メリーさん!」
私はあわてて玄関に行き、扉を開ける。
誰もいない。
……気のせいなの? 幻聴!?
いや、違った。怪異であるメリーさんには、現れるためには手続きが必要なのだ。
部屋に戻ってスマホの着信を待つ。
……来た!
「もしもし、あたし、メリーさん。今、サツキのマンションの廊下にいるの」
「はいはい、早く来てね」
ブチッ。
通話を切る。
着信がある。
「もしもし、あたし、メリーさん。ちょっと家によって着換えてくるの」
「うん、わかった」
隣りの部屋の扉が開け閉めされる音がする。ドキドキが止まらない。
シャワーでも浴びているのか、けっこう時間がかかる。けど、こちらから押しかけるのはルール違反だ。そんなことをしたら全てが台無しになってしまう。
私はココアを入れて時間をつぶすことにする。
耳をすませる。
何の物音もしない。
そもそもここの壁は隣の物音が聴こえるほどヤワな作りではない。
着信アリ。
「もしもし、あたしメリーさん。今、あなたの家の前にいるの」
「あけてもいい?」
「うん、ノックしてからね」
通話を切ってノックを待つ。
コンコン……
「はーい!」
鍵もチェーンもしていない扉を開く。
そこには、真っ赤なゴスロリを来た金髪美少女が立っていた。
「お帰り、メリーさん!」
メリーさんを抱きしめる。
知らず知らずの間に、涙がこぼれた。
「わっ、わっ!」
困惑するメリーさん。
「は、恥ずかしながら、還ってまいりましたー」
敬礼をしている。
……ごめん、せっかくの登場シーンを潰して。
けど、心が嵐のようにぐちゃぐちゃになってどうしようもなかった。
まるで、久しぶりに会えた恋人のような気分だ。
彼女は怪異、メリー・ウィンチェスター。隣りの住人、そして私の大切な相棒。
「いやー、大変だったの。拘置所でクサイ飯を食べてきたの。全然臭くなかったけどー」
メリーさんの話を要約するとこうだ。
私が米国大使館のビリケンさんに預けたパスポートが根拠となり、米国政府が日本政府に圧力をかけた。ドクター・メリーは純粋な米国市民であり、米国の知的な宝でもある、今回の拘束は非常に遺憾である、と。で、日米地位協定がどうのこうので政治的決着がなされた。その結果、検非違使庁は泣く泣くメリーさんを手放した。
……いやー、どこの政府とどこの政府が交渉したんだか。
「ちょっと待って! 博士、博士って言ったよね?」
「うん。論文博士。スピード審査で通してくれたって」
……早い、早すぎる!
「それにね、この四月から京都文化大学で講義も担当させてくれるらしいよ、今回のお詫びに。……って、ケインさんが言ってた」
……日本政府、どれだけ弱みを握られてるんだ!
「お、おめでとう!」
「えへへ-」
照れている。可愛い。
と、感動の再会も一区切りついたところで、チャイムが鳴った。
「誰かな、こんな時間に」
お向かいのかがみさんだった。
「夜分失礼します」
今日は地雷系の服だ。髪の色もオレンジがかっている。さすがに寒いのか、下にはジャージを着ている。それとも、最近の流行りなのだろうか。そして。かがみさんは沈鬱な面持ちだった。
「どうぞ入って」
「失礼します」
メリーさんとも普通に挨拶をかわす。この間までメリーさんの存在を忘れていたことはなかったことになったのだろう。
「実は相談があるんです。同人誌即売会で知り合ったサークルの子からお願いされたんですけど……」
一枚のメモリーカードを差し出す。
「これ、その子の同人サークルで売っている音声ドラマの音源なんです。これが、ちょっと変なんです」
「うん、それくらいなら何とかなると思うよ」
パソコンでファイルの一覧を表示、しようとすると、メリーさんが止めた。
「まず、ネットの接続を切って。セキュリティーソフトでチェックしてからでないと再生してはいけないのでーす!」
「えっと、慎重だね」
「世の中には、冗長性ファイルエラーを使ったウィルスなんてものがあるの。一度侵入されるとやっかいなのです!」
言われてみればそうだ。ウィルスはどこからどんな方法で侵入してくるか分からないのだ。
メリーさんが、パソコンの操作をしてくれる。まずはセキュリティーソフトの更新からだ。そういえば、勝手に起動するのが面倒なので、更新を止めていたんだっけ。
「OKでぇす!」
サムズアップである。
再生したドラマは、プロの声優が演じたかと思うほどのみごとな出来だった。効果音も適宜入っているし、BGMの使い方もうまい。ステレオ効果まで使いこなしている
「七、八分のあたりが問題なんですけど……」
「一応、全部聴いてみましょう」と私。
内容は、学校を舞台にしたホラーだった。トイレの花子さんをモチーフにしていて、便所メシを食べていたボッチの女の子が花子さんと親しくなるというストーリーだ。
「はーなこさん、あそびましょ」
正調の花子さん呼び出し呪文だ。音程が正しく「ミーレレミ、レレミレミ」になっている。
「は~い」
かすかな返事が聞える。くぐもったようなセリフだ。
次のセリフが入る。
「ほらね、なにも起きないでしょ」
明らかに展開がおかしかった。
「ここです」とかがみさん。
「ここで返事が入っちゃおかしいんです」
「脚本のミス?」
「違います。脚本ではこの時、花子さんは出張に出ていて学校にはいないはずなんです」
「検非違使庁につかまったの?」とメリーさん。
「いえ、仕事を請け負っていました。て、ケビイシチョウって何ですか?」
私はとぼける。
「ただの内輪ネタです」
メリーさんにゲンコツ一個。
ドラマの続きを再生する。
確かに、このシーンで花子さんが返事をするのはおかしった。そこにいないことがストーリーのキモなのだ。
「編集前の音源ではどうだったの?」
「返事はなかったらしいです。だから、サークルの子たちも完成した作品がお蔵入りしそうだ、て、私の所に相談が来たんです」
ネット放送のミスティックムーンナイトに調査依頼が来たのね。それをメリーさんと私に丸投げする気か……
かがみさんは、にへらっ、と媚びた笑みを浮かべて小首をかしげる。
……この顔に弱いんだな、私。
「これは、私たちだけだと解決が難しそうなの。この際、ミステリー研の叡智を結集するの~」
メリーさんもまた、外部への丸投げを主張した。
翌日の部室に来たのは、かがみさんと、ドラマを作ったサークル「山猫団」の一人、久遠あまねさんの二人だった。久遠あまねというのはもちろん役者名で、レイヤー名でもある。
「ふむふむ。これが問題の音声ドラマというわけか……」
話を聞いた会長は、空中にデータカードをつまみあげて目をすがめつつ透かし見ている。
……絶対、何も見つからないぞ!
「おや、こんな所にペンタグラムが……」
会長は机から小さなライトを取り出すと、電灯を消すように言う、
「ブラックライトだ。これでわかりやすくなる」
蛍光塗料で描かれた五芒星形が浮かび上がる。黄緑色に光っていて、ライトを消してもしばらくは輝きが残っていた。
「あー、それたぶんおまじないです。データクラッシュしないようにって、誰かが蛍光ペンで書いたんです」
「はあ……」
拍子抜けの会長である。
「うーん、これはやはり元データを見て、というか聴いてみないと何もわからないよなあ」
「とおっしゃると思って、編集前の素材も持って来ました」
あまねさんが、もう一枚のデータカードをさし出す。そこには、修正液で○に素と書いてあり、日付と作品名らしい何かが書いてあった。
「対応リストはこちらに」
紙もさし出す。用意がいい。
「花子さんを呼ぶ声…… T、一、二、三。再、一、二、三。別ドリなんだ」
それぞれ、質感が違っている。狭い場所か、防音の効いたスタジオか。
「はい。トイレの中感を出したかったので、色んな場所でとってみました」
なかなかプロ根性のある団体である。
残念ながら、その前後のセリフまでは入っていなかった。そういえば、完成版では蝉の声をつなぎに入れていたっけ。
「あっ、蝉の声!」
「効果音のCDから合成しているので、そこから声が入ったとは思えません」
あまねさん、隙がない。
「ひょっとして、女子トイレの中で録音したことってないかな」
会長の問いにも、あまねさんは首を横に振る。
「さすがにそこまでは徹底していません。スタジオのロッカールームとかならちょっとお借りしましたけど」
会長、しょんぼりとなる。
「スタジオ? それどこ?」とメリーさん。
「岩倉にあるスワンスタジオです」
「そこはよく使うの?」
「ええ、まあ。割と穴場ですし、料金も手頃なんです」
「編集もそこで?」
「はい。少し古いバージョンですけど、音声編集ソフトがありますから。エディター担当のメンバーがそれで仕上げてくれました」
「ふっ、この謎は全て解けた!」
メリーさんがガッツポーズをとった。
バスに乗って岩倉に向かう。
京都のはずれ、開発中のまま草ぼうぼうになった住宅街をすぎて一面の畑が広がるあたり。そこにスワンスタジオはあった。
「え? ここ!?」
かがみさんが素っ頓狂な声を出す。
「有名なとこなの?」
「じゃなくて。てっきりレンタルコンテナ的な場所だと思ってました!」
開けっぱなしの工事現場風のゲートに、スワンスタジオという古ぼけたロゴが描かれている。
その下には「二四時間し出入れ自由」と言う文字があり、さらに下の看板には「ワンルーム、二平米から・防犯カメラ完備・冷暖房はオプションで」などと書いてある。料金表も出ていて良心的だ。前金は三ヶ月分、レンタル料は月払い。三ヶ月間滞納の場合は中の物は全て処分する、等々。そして、広い敷地に散らばったコンテナには、色んな動物の絵がペイントされていた。
「これがスタジオ?」
怪訝そうなメリーさんである。映画の初めに出てくるようなレンガ造りの建物群を想像していたのかもしれない。
一方、アマリ会長はコンテナ・ジャングルになぜか目を輝かせていた。
「こ、ここは、『リリパット・ソルジャーズ』の撮影場所じゃないか! 当時のままだ!」
「『リリパット・ソルジャーズ』?」
日本の萌え文化の専門家、ドクター・メリーさんでもわからないらしい。
「ほら、知らないかな。うん、若い人は知らないか。昔のテレビドラマで、香月院ともよが主演したヤツ。ほら、最後のシーンであそこの鉄塔から腹ばいになってボスを狙撃するんだ。当然、許可なし撮影だったからあとで怒られたらしい。あと、無許可の爆破とかヌードシーンとかいろいろやらかしてさ、伝説のドラマなんだ」
熱く語られても、知らない物は知らない。いわんや、かがみんとあまねちゃんをや、である。
「くーっ、昔はレンタルビデオ屋に必ずあったんだけどなあ。いかんせんDVD化されてないんだよなー」
熱く語る会長である。
すると……
「やあ、こんにちは。聖地巡りですか?」
小太りのお爺さんがにこにこしつつ現れた。足元には散歩中のダックスフントを連れている。
「ここの管理をしている関口です。どうぞ自由に見ていって下さい」
「ありがとうございます! 写真とか撮っていいですか?」と会長。
「どうぞどうぞ。SNSにもあげていただいて結構ですよ」
そして、あまねさんに視線を移す。
「えっと、今日も収録ですか。ご苦労様です」
「恐縮です」
顔なじみのようだ。
そこにメリーさん、単刀直入に本質をつく。
「ここに、おトイレの花子さんがいますね!」
関口さんの顔がこわばった。




