6. 蜜
風呂からあがった陽人は呑気に鼻歌なんかうたいなから髪を乾かし、ソファに座りスマホを触った。
なんでもないような顔をしているけど、きっと桜子に連絡しているに違いない。
『陽人さんもね!笑』と書かれた桜子からのメッセージが頭にこびりついて離れない。
トーク画面を開く勇気はなかったからどういう会話をしているのかはわからない。
でも、二人があたしの知らないところで連絡合っているということは確かだ。
洗い物をしながら陽人の後ろ姿を見つめていたら、不意にあらぬ考えがよぎった。もしかして、本当にもしかしてだけど、桜子にできた新しい彼氏とは、陽人だったりしないだろうか。
ガシャン!と、あたしの手から滑り落ちたグラスがシンクの中で割れた。
「うわ!大丈夫?」
「……大丈夫」
この指が震えているのが怒りのせいだと彼は気付きもしないだろう。
あたし自身、自分が何に怒っているのかもうわからない。
危ないから離れてて、と割れたグラスを片付ける陽人の横顔を見つめ、ふとこの人と結婚した理由を思い出す。
すると桜子の顔が浮かんできた。
桜子より自分を選んでくれたという理由だけで、あたしは彼と付き合った。彼と結婚した。
桜子ではなくあたしを見てくれたことが、本当に本当に嬉しくて……
「未久?なんで泣いてるの?」
手を止めた陽人が、心配そうに近付いてくる。
嫉妬とか、優越感とか。
全部バカみたい、と思った。
陽人があたしの肩に触れる。そして自分の方へ引き寄せ、抱きしめた。
温かい、と素直に思った。
幸せだ、とも思った。
「……っ、ごめんなさいっ……陽人、ごめんなさいっ……っうぅっ」
勝手に口から出てきた謝罪の言葉は、それから何度も繰り返された。
桜子のことを常に意識し続けている限り、あたしは永遠に報われないのだ。
夫の腕の中で子供みたいにわんわんと泣きながら、手放そうと心に決めた。
彼はそんなあたしの頭をただ撫で続けてくれた。
**
純白のウエディング姿に包まれた桜子は、今まで見たどんな彼女よりも綺麗だった。
桜子の彼氏が陽人だったらなんていうのは、ただの被害妄想だった。
あの日泣き終えたあたしが恐る恐る聞くと、いつになったら未久は元の生活を送るのだろうかと桜子に相談していただけだった、らしい。
どうやらあたしはずっと自分で自分の人生を生きにくくしていたようだった。
すらっと痩せた彼女の顎のラインは美しく、背中は健康的に引き締まっていた。
そんな桜子が笑うと辺り一面に花々が咲くかのような雰囲気が漂うのだった。
新郎は決して男前とは言えないけど、とにかく優しさが内側から表情に滲み出ているような人だ。桜子より七つ歳上の彼は、誰よりも桜子を愛している。
彼らが誓いのキスをしたとき、あたしは自然に泣いた。
それは桜子の幸せをちゃんと心から喜べるようになった自分に対しての驚きからの涙でもあった。
膝に置いた手を、隣の陽人がぎゅっと握り締めてくれた。
美しい式が無事に終わり、披露宴になった。
スクリーンに映される、新郎新婦の幼少期から現在までの写真達。高校時代の桜子とあたしのツーショットもあり、また泣いた。
新郎と笑い合う桜子の姿を見て、心底よかったと思えた。
ただ一つ、あたしは自分に問いていた。
桜子の隣にいるあの新郎が、あんなに素朴で地味な背の低い男じゃなかったら。前に付き合っていたようなエリートのイケメンだったら。あたしは同じように、こうして彼女の幸せを祝福できていただろうか。
正直、自信がなかった。
ただ一つ言えるのは、人間なんてそんなに綺麗なものじゃないということ。
きっと桜子もあたしも、陽人やあの新郎だって、誰もが優越感や劣等感を抱いて生きている。
人の幸せを自分のことと同じように喜んだり悲しんだり、できたり、できなかったりしながら、ただ日常を繰り返していく。
「おめでとう!」
写真撮影のため高砂席まで行ったあたしに桜子に言った。これはあたしの心から出た言葉だ。……おそらく。
「未久、ありがとう!!大好き!!」
愛くるしい満面の笑顔を浮かべてあたしに抱きついた桜子からは、やっぱり甘い香りがした。
かつてはうんざりしていたのに、素直に良い香りだと思った。
やっぱり好きだ、と思った。
あたしは彼女のこの毒から一生逃げられない。
Fin.
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