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4. もっと



『ごめん、今日も桜子の家に泊まる』


 夫の陽人から『また?』とLINEの返信が来る。

 『うん、ごめんね』と返す。

 あれからあたしは月曜日と水曜日と金曜日、毎週桜子の家に泊まっている。

 

 不幸を事細かに話してくれる桜子の話を聞いていると、なぜか小学校の頃、みんなの前で先生に褒められたときのような気持ちになる。

 彼氏と別れた経緯、買い物をやめたくてもやめられない自分に対しての憂鬱、嫌な仕事をしていること。親にも呆れられ、友達はほとんどいない。

 どうしようもないほど愚かな、彼女の語る彼女の人生の全てが、本当に、甘くてたまらなかった。

 桜子の不幸はあたしにとって、中毒性のあるものだった。


『ほどほどにね』


 返信をせずに陽人とのトーク画面を閉じ、あたしは桜子にもらった合鍵で部屋に入る。

 季節は秋になっていた。

 このマンションの壁は薄いのか、外にいるのと同じくらい室内も肌寒い。すぐにエアコンで暖房を付けた。

 

 未久がいてくれて助かる。未久はずっとそばにいてね。

 そう言ってあたしに縋ってくる桜子は、あたしの知っている強くてどこでも一人でも生きていけそうなあの彼女ではもうなかった。

 

 甘い香りが充満した汚い部屋を片付けていく。

 床に落ちている服を拾い集め、必要であれば洗濯やアイロンをする。掃除機をかけて、窓を開けて換気する。それでも甘い匂いはなかなか消えない。

 あたしは今、完全に桜子に勝っている。結婚だってしてるし、借金もないし、それなりに余裕のある暮らしをしている。もちろん仕事だってちゃんと昼職のみだ。

 あたしと陽人が暮らす家はこの部屋なんかよりずっと広いし片付いている。

 

 彼氏に捨てられお金もない桜子のお世話をしているとき、あたしは心から生きている実感を得られる。

 夜遅くに帰ってくる桜子のために軽い料理をつくってあげている間は、夫の腕の中で眠るときよりも幸福を感じてしまう。

 野菜炒めの香ばしい香りが、桜子の甘い香水の匂いを少しずつ掻き消していく。と同時に、あたしが桜子を支配できているような気がしてくる。


 

 桜子は午後十一時に帰ってきた。

 「疲れたぁー!」と叫びながら、どかっとソファに座る。あたしは「お疲れ様」と言いながら、その前にある小さなテーブルに、野菜炒め、白米を持ったお茶碗、缶ビールを置いてやる。

 桜子の目が輝く。



「未久、本当にありがとねっ!!」



 食べ盛りの中学生男子かのようにがっついて食べる桜子には上品さのかけらもなく、こんな時間に食事をすることに対してなんの抵抗もないようだった。

 あたしがここへ来るようになって、桜子は少しずつたけど肉づきを取り戻していった。

 人生に欲張ったせいで自分で自分の首を絞め、生きるために時間を削って働いている桜子。かなり痩せたその身体を、これからは逆にどんどん太らせてあげよう。そしてもっと醜く、不幸になって……



「あー美味しいっ!おかわり!」



 満面の笑みで空になったお茶碗を差し出す桜子に「はぁい」とあたしは優しく微笑む。

 桜子にはこれから先、どんどん育ってほしい。もはや聖母マリアのような気持ちだ。



「今日は仕事どうだったの?」



 自分の分の缶ビールを冷蔵庫から取り出し、桜子の方にこつんと当ててプルトップを開けた。



「もうさぁ!最悪だったよ!!」



 テーブルに両手を叩きつけ、聞いてとばかりに必死な顔をする。

 聞くよ、いくらでも。たくさん聞かせて。あなたの最悪だった話を。それは絶対に他では味わえない最高の蜜だから。


 あっという間に桜子は五本目のビールを開け、怪しい呂律で客の愚痴をまくしたてる。

 ちなみにどれもあたしが買ってきたビールだ。彼女のこんな姿を見られるなら、お金はいくらでも払える。



「マッサージだけだっつってんのに、ここ触ってよってあたしの手を握って近付けるてくるの!マジきもくない?でもさぁ、料金と別にチップ渡すって言われたから、仕方なく触ってあげたけどさぁ」



 あたしは全力で共感しているふりをしながら、桜子の母親の顔を思い浮かべた。

 桜子とよく似ている、優しくて綺麗なお母さん。まさに絵に描いたような、お金持ちで余裕のある、愛情深い奥さんといった人。

 桜子のことをとても可愛がっていた。まさかあんなに可愛かった娘が、こんな状態になるとは想像もしていなかっただろうな。

 時々実家には帰っているみたいだけど、母親は桜子のことをどこまで知っているのだろう。

 あたしですら、こんなに落ちぶれてしまったら自分の親に向ける顔がない。

 桜子……。残念すぎるけど、最高に興奮する。


 一通り喋り終えた桜子は、床に無造作に投げていたバッグを漁り出し、煙草の箱を取り出した。



「え、桜子、煙草なんか吸ってたっけ?」



 さらなる不幸サプライズに、声が上ずるのを堪えられない。



「あーたまにね!たまぁに。ごめんね臭いよねぇっ」



 そう言いながらも悪びれる様子はない。

 桜子が吸っているのは加熱式ではなく紙煙草だった。

 慣れた手つきで火をつけ、部屋が臭くなることなんてどうでもいいというように煙を吐き出す桜子。

 細めた目で斜め上を見つめている。あぐらをかいて背中を丸め、頬にはぽつりとニキビができていた。

 

 その瞬間だった。

 どうしてかはわからない。あたしの中で、雷が落ちたような衝撃が走った。そしてそれはあたしを苦しめるものだった。

 これまでの幸福感や優越感が、突然踏みにじられたような感じがした。

 あたしは彼女を、こんな姿になった彼女を、それでも()()()と思ってしまったのだ。

 出会った頃からずっと抱いていた劣等感がやっと消えたと思っていたのに。こんな状態になってもあたしは桜子には敵わないと、そう思ってしまった。

 誰から見ても、あたしの方が上にいるはずなのに。


 桜子のすぐ後ろにある小窓の向こうに、星のない空が見える。

 散らかった部屋、やつれた顔。彼氏に振られ、お金もなく、あたしなんかに支えられている桜子。どうしようもない姿になっても、それでも尚、あたしは彼女になりたいと思ってしまう。

 あたしはもう本能で桜子に憧れてしまっていて、そして憎んでいる。



「うん、臭い。ベランダで吸いなよ」


「えぇー、面倒臭いじゃんっ!」 



 きっとかなりの闇を抱えているだろうし、一人で泣いている姿だって安易に想像がつく。

 だけど、それでも、少なくともあたしといる時の桜子の性格は、昔からずっと変わらない。彼女は昔も今も、とても明るくて可愛い。


 あたしと桜子の、絶対的な違い。

 それはきっと、相手に対して劣等感を抱いているか抱いていないかだ。

 あたしはずっと桜子になりたい。けれど桜子は自分がたとえどんなに落ちぶれても、あたしになりたいなんてこれっぽっちも思わないのだ。

 汚れのない彼女の、もはや痛さすら感じるくらいの頭の悪いあどけなさに、あたしは押し潰されそうだった。


 どうしたらこの痛みは消えるのだろう。

 自分の方が上になれば、劣等感はなくなると思っていたのに。

 大好きで、大嫌いな桜子。

 あたしはどんな風になっても桜子にはなれない。

 桜子はどんな風になってもあたしになりたいと思わなくて、これからも思わない。


 だめだ、足りない。

 まだ足りない。

 あたしは唾を飲み込んだ。



「コンビニでケーキでも買ってこようかな」



 平然を装いながら、俯いて顔を見られないように呟いた。



「マジ!?やったぁー!」



 両手を合わせて満面の笑みで喜ぶ桜子の無邪気さが、あたしの汚れた心を蝕む。

 ケーキを買うのはあなたを太らせてもっと醜くさせるためだということに、彼女の綺麗すぎる心はちっとも気付かない。

ここまでお読みいただきありがとうございますー!

劣等感って厄介ですよね。

私もずーっと抱えています。

続きが気になっていただければ、高評価とブックマーク登録お願いします!

作者泣いて喜びます( ; ; )⭐︎

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