3. 甘い蜜
思っていた以上に桜子の変わり様がひどくて、駅前で待ち合わせた時、すぐに彼女だと気付けなかった。
いつもよく持っていたディオールのピンク色のショルダーバッグで、なんとかわかった。
そのくらい、桜子は変わっていた。
もともと痩せてはいたけど不健康な痩せ方ではなく、ほどよく自然についたであろう筋肉と肉が美しかった。それなのに、痩せすぎた彼女の顔はやつれ、頬はこけ目は窪み、ほうれい線がどっと濃くなっていた。
ブランド物で固めているのに髪の生え際は黒くなっていて、全体的にバランスが悪い。
美人なことには変わらないのに。なんというのだろうか、疲れ果てた美人、という感じ。
「やっほー未久、元気してたー?」
相変わらず高い声は、少しかすれていた。
でも笑うといつもの桜子のようで愛嬌があった。
「元気だよ!桜子こそどう?大丈夫なの?」
あたしのテンションは、今日桜子を見たときからあがりまくりだった。変わり果てた彼女に、心の中でガッツポーズをしていた。
「大丈夫じゃないよー……」
目を伏せた彼女の瞳に涙が浮かぶ。
「えぇー。とりあえず、今日は飲もう!」
前よりも細くなった桜子の背中に手を添え、一緒に歩き出した。
メニューを見ていくつか頼み、お互いビールで乾杯した。
桜子が喉をごくんと鳴らしながら飲んでいる横顔を見つめる。ずいぶん変わり果てたようだけど、やっばりパーツは整っているし美しかった。やっぱり彼女は生まれつきの美人だ。
早く聞きたい、という欲望を自分の内側で必死に抑える。あまりにも勢いよくすぐに聞いてしまったら、好奇心むき出しでおかしいと思われる。
ゆっくり、桜子のペースに合わせよう。
こちらから無理に聞かず、彼女の話したいタイミングまで待って……
「ねぇ、聞いてくれる?あたしの話」
「っうん!」
きた……!
ドーパミンなのかアドレナリンなのかよくわからないけど、興奮したときに出るホルモンみたいなやつがどんどん出てくるのがわかる。
こんなにビールを美味しく感じたのはいつぶりだろう。
刺身が、ポテトサラダが、唐揚げが、枝豆が、この世の物とは思えないくらいにとっても美味しい。
他人の不幸は蜜の味とはよく言うけど、桜子の不幸はどんな他人よりもとっても甘いのだ。
時々涙をぽろっとこぼしながら、あたしのこと信用しきったように何もかもをあけすけに話す桜子は、これ以上ない酒のあてだった。
言葉を詰まらせつつ、どれだけ自分が落ちぶれてしまったのかを一生懸命にあたしに話してくれる。
あたしは報われた。
出会ってから十年ほどの間、ずっと彼女に対して抱いていた劣等感が、全て消えたような気がした。これでやっと、浄化されたのだ。
でもまだ、足りない。
「仕事は?まだ続けてるんでしょ?」
「続けてるけど……」
桜子は大学時代にアルバイトしていたアパレル店にそのまま就職した。
アパレル店のスタッフは給料が安いとよく聞くけど、インスタグラムのフォロワーが多い桜子はインフルエンサーとしてPR活動的なことをしていて、どちらかといえばそちらの給料の方が多いと前に言っていた。
「お金足りなさすぎて、夜職もしてるんだ」
「うそ」
あたしは口元がにやけるのを堪えるのに精一杯だ。
「夜職って、なに?ホステス的な?」
「いや、そっちもしたんだけどなんか合わなくてすぐ辞めて、今は出張マッサージ的な……」
あぁ神様、こんなことってあるのでしょうか。
出張マッサージ嬢、つまりいかがわしい仕事をしている。桜子が。あの、桜子が。
高校生のときはこんな未来全く想像できなかった。
どこから見ても順風満帆で、欲しいものなんてもう何もないような、産まれたその瞬間から全てを手に入れたみたいな桜子。こんな状況になってしまったのは紛れもなく、欲張りすぎたせいだと思う。
つまり“自業自得”だ。
「えぇ!めっちゃ大変なんじゃないの?」
眉間に皺を寄せ、悲しみすら感じさせるような表情を頑張ってつくって彼女を見つめる。
そしてビールをごくっと飲む。
やっぱり美味しすぎる。
「大変だよ……もー疲れまくり」
「やばいじゃん。あ、すみませんビールおかわりください。桜子も飲む?」
「あぁ、あたしじゃあ白ワインにしようかな」
「うん飲みな飲みな!今日はあたしが奢るから」
「未久〜〜!!」
あたしに軽く抱きつき腕をさすってくる桜子からは、香水の甘い香りがした。
正直食事中には嗅ぎたくない臭いだったけど、もはやどうでもいい。
あんたの不幸が最高のスパイスであり蜜だよ、桜子。
人の奢りだと思ってかこの日、桜子はいつもより飲んだ。ストレスも溜まっていたのだろう、あたしがずっと聞き上手をしていたから余計に酒が進んだのだと思う。
店を出る頃にはとっくにベロベロになっていた。
千鳥足でふらつく桜子に腕を組んで支えてやる。
「未久〜大好き〜っ!」
甲高い大声で叫びながら「もう一軒行こう!次はあたしが奢るー!」なんて叫んでいる。みっともなくて見てられない。
「桜子、家まで送るよ」
「えぇー。じゃあそのまま泊まっていきなよ!あーでも、陽人くん怒るかなぁ?」
「べつに怒りはしないけど……」
「いいじゃん!泊まりなよ!散らかってるけどぉー」
こんな感じでいつも男にも甘えたり誘ったりしているのだろうか。なんとも桜子らしい。
桜子は、あたしのことを結構好きだ。同性愛とかじゃなくて、普通に友達として。
あたしだって桜子のことが好きだった……はずなのに。
どうして彼女の不幸がこんなに嬉しいのだろう。
あたしの頭は、イカれているのだろうか。
高校時代の校歌を大声で歌いだした桜子は、ふらつきながらも自分の家の場所はしっかりと覚えているようで、あたしは連れて行かれるがままだった。
桜子の部屋に行くのはかれこれ三年ぶりくらいだったので、場所までは覚えていなかった。
大学を卒業してすぐに、彼女は一人暮らしを始めていた。
さっき飲んでいた居酒屋のある繁華街からは徒歩十分くらいの、とても便利なところだ。
**
かつての桜子の広くて綺麗な実家を思い出して、やっぱりこれは何か間違った夢なんじゃないかと疑わずにはいられない。
ゴミ屋敷、とまではいかないが、服や鞄、ペットポトルやチラシが散らばりまくったこの部屋は、とても二十代女性の部屋だとは思えなかった。足の踏み場がない。
「ごめんねー。マジ散らかってるよねっ!」
てへっと笑う桜子に、返す言葉が見当たらない。
汚さより何より、こんな部屋に平気で友達を招いてしまうその神経がまずおかしい。
昔はもっと綺麗好きで、整理整頓は得意だったはずなのに。
冷蔵庫から缶チューハイを取り出し「未久も飲むぅ?」と甘ったるい声で聞いてくる桜子に、あたしはなんとなく狂気を感じた。
もうあたしの知っている彼女ではないことはたしかだった。
「……桜子、部屋片付けよっか。手伝うよ」
「もぉー!いいよそんなの!悪いよーゆっくりしてよぉ」
「……でも、これはさすがに……」
いくら桜子の部屋とはいえ、ここに泊まるのは勘弁だし、まず足の踏み場がない。
床に落ちている物と物の間の隙間をなんとか見つけて、つま先で歩かないといけない。
汚い部屋にやけに甘ったるい香水の匂いが充満しているせいで、どこか矛盾したおかしな空気が流れている。桜子もこの部屋も、違和感ばかりだ。
「気にしないで気にしないでぇー」
そう言って桜子は床に落ちている衣類を足でがっと蹴り、スペースをつくった。
「どうぞ」と微笑みあたしにそこに座るよう促す。仕方なくあたしはそのスペースに腰を下ろした。
桜子はその向かい側に同じようにスペースをつくって座り、缶チューハイを飲んでぷはーっと息を吐いた。
そんな彼女を見ていたら、やっぱりいまだに夢を見ているんじゃないかと思ってしまうを
可愛くて、綺麗で、明るくて、モテモテだった桜子。完璧な桜子。
こんな汚い部屋に住み、彼氏に振られ借金を抱え、おっさんのように下品にあぐらをかき酒を飲んでいる桜子は、本当にあの桜子なのだろうか。
けれど。夢なのかと疑いつつ、これが紛れもない現実であるということがあたしを興奮させているのも事実だった。
不幸という言葉がこれほど似合う状況になった桜子を、こうして一番近くで見つめることができていることが、どうしてか嬉しくてたまらない。
あたしは桜子の親友だったのに、彼女の不幸がこんなにとっても甘くて美味しいだなんて。
ここまでお読みいただきありがとうございますー!
ハムより薄い女の友情です。
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