2. 彼女の地獄
自分達でも驚くほど、あたし達はスムーズに交際し、結婚した。
子供はまだいないけど、お互い仕事をしながら二人だけの生活を楽しんでいる。
結婚生活が二年半を経過した、夏の終わりのことだった。
桜子が振られたと聞かされた。
日曜日はいつも一緒に過ごすのだけれど、陽人が久しぶりに友達と遊ぶ予定があるというので、暇を持て余したあたしは久しぶりに実家へ帰ることにした。
電車で二十分とそう遠くはないのだけれど、地元へ戻るのは三ヶ月ぶりだった。
駅から降りて、商店街の中を通って実家に向かう。
昔からあった駄菓子屋や本屋は潰れ、今風のジムやコンビニに変わっている。
そのせいか、なんとなく知らない場所のように感じる。
少し感傷的な気持ちに浸りながら歩いていると、背後から「未久ちゃん!」と名前を呼ばれた。
振り向くと、ベビーカーを押したかつての高校時代の同級生の女子がいた。さっきすれ違ったようだけど全く気付かなかった。
「あかねちゃん」
「久しぶりだね!元気してる?」
笑顔で話しかけてくる彼女が押すベビーカーの中には、一歳くらいの可愛い男の子がいた。きょとんとした顔であたしを見ている。
「元気だよ!可愛いね」
「ふふっ、りくっていうの」
「りくくん、こんにちはー」
相変わらず不思議そうにこちらを見ている。
可愛い。
あたしもそろそろ子供が欲しいかもしれない、とふと思った。
「そういえばさ」
しばらく他愛のない話をした後、あかねちゃんが急に声のトーンを落とした。
「桜子ちゃん、今やばいみたいだね」
「え?」
やばい、という言葉には数え切れないほどの意味があるので、あたしは何のことか全くわからなかった。
「やばいって、何が?」
「振られたんでしょ」
「……え」
あかねちゃんはわざわざ口の横に手をつけ、ひそひそと噂話をするように言った。
振られた。桜子が、振られた。
……桜子が、振られた?
「うそ」
「本当だよ。あれ、未久ちゃん知らなかったの?仲かったからてっきり全部知ってるのだと思ったんだけど」
「……あの、しゅっとしたイケメンの彼氏だよね?」
「そうそう!まさかだよね。まさかあの桜子ちゃんが振られるとは思わなかった。結構メンタルやられてるっぽいよ」
淡々と、でもどこか興味を持った口調で話すあかねちゃんの声を聞きながら、自分の鼓動が速くなっていくのを感じる。
“まさかあの桜子ちゃんが振られるとは”
それはきっと誰よりも、あたしが一番思う。
まさか、あの桜子が振られるなんて。
すぐに心配するべきなのに、なぜか、身体全身がほのかに熱を帯びていくような感じがした。
「まじか。最近あんまり会ってなくてさ、全然知らなかったわ」
最後に会ったのはたしか年末だから、もう半年以上も前だ。
軽い忘年会がてら、二人で居酒屋へ行った。
あのときの桜子の幸せと自信に満ち溢れた顔を、あたしは忘れない。
彼氏がいかにスマートで桜子を優先してくれているかとか、高いブランドのプレゼントをもらっただとか、結婚をほのめかす言葉を度々言われているだとか、たっぷりと惚気られた。
昔と変わらない、モテていること、愛されていることを自覚し誇りながらも、それを当然だと思っているような口ぶり。相手の愛情が強すぎることに少し不満を抱きながらも、まんざらでもなく幸せそうなあの笑顔。
「そうなの?地元じゃ結構有名だよ」
有名?いったいどういうことだろうか。
それからあかねちゃんが話してくれた桜子の話は、とてもあたしの知っている桜子のこととは思えなかった。
あたし達は高校から出会ったけど中学が隣同士で、地元もすごく近い。
早朝五時、犬の散歩で出かけていた別の同級生の母親が、公園のブランコにまたがり泣き崩れている桜子を見たという。
誰かと電話で喋っているようで、わんわんと子供のように泣いていたらしい。
化粧は崩れ髪も乱れ、とてもあの桜子とは思えなかったと。
いったい彼女に何があったのだろう。
あかねちゃんと別れてから実家に帰り、縁側に座ってぼうっとしたり、テレビを見たり、ご飯を食べたりしている間中ずっと、あたしの頭の中は桜子のことでいっぱいだった。
心配するべきだ。心配している、べきだ。親友なのだから。
それなのに今湧き溢れてくるのは、とてつもない興味と好奇心だった。
泣き崩れている桜子なんて、想像できない。
だから、見てみたい。
あたしは桜子の親友失格だ。こんな風に思ってしまう自分は最低だ。
しかし、それでも、どん底に落ちた桜子を、どうしても自分のこの目で見てみたいという欲望が収まらない。
自分の家へ帰る電車の中、あたしは桜子とのLINEを開いた。
あの話を聞いてすぐにそうしなかったのは、興奮していたからだ。
しばらく時間を過ごして、興奮が落ち着いてきたら送ろうと思っていた。
『元気?』
なんて白々しいのだと自分で思いながら、あえて何も知らない風を装って聞く。
すぐに既読が付き、返信が返ってきた。
その時点で違和感だった。桜子はいつも基本的に返信が遅くて、ひどいときは一週間後に返ってくることもあるくらいなのに。
『元気じゃないよ〜』
思った通りの返しがくる。
あたしのドーパミンが溢れていく。
『なんで?なんかあった?』
本当は全部知ってるけど。
『ケイちゃんと別れた……』
うん、知ってる。
その後にキャラクターが泣いているスタンプが送られてきた。
『え、マジで?いつ?』
また心臓の音がどくどくどくと急加速していく。
『一ヶ月前』
『えぇー、信じられない』
あちらもずっとトーク画面を開いているのだろう、すぐに既読が付く。
『まじ辛い、、』
まじ辛い、と送ってくる桜子のLINEのアイコンは、おそらく彼に撮ってもらったであろう、花畑をバックにした笑顔の写真だった。そのギャップが痛々しい。
そしてあたしは、つい嬉しくなってしまう。
午後十時、電車が最寄駅に着いた。
『ねぇ、電話かけていい?』
『いいよ!』とすぐに返ってきて、あたしは桜子に電話を掛けた。
なんかもう最近全然いいことなくてさ、と語る桜子の口調は、とてもあたしの知っている元気で明るく自信満々の彼女と違っていた。
始まりは、ケイちゃんが桜子に隠れて他の女と連絡を取り合っていたことがきっかけだったという。そこから桜子はどんどんケイちゃんを束縛してしまい、束縛に耐えられなくなったケイちゃんの堪忍袋の緒が切れ、振られてしまったという。
そしてなんとケイちゃんは今、その浮気相手と付き合っているらしい。
よくある話だと思ったが、これが桜子の話とは思えない。
桜子が浮気されるなんて。桜子が束縛して振られてしまうなんて。桜子が、乗り換えられてしまうなんて。
こんなことって、あるんだ……。
「それは辛かったね。ケイちゃん最低だわ!許せない」
精一杯同情しているふりをしながら、あたしはにやけていく顔を堪えるのに必死だった。
そして彼女の次の言葉に、さらにフィーバーを迎える。
『しかもさ、あたし今、借金もあって』
「えぇ!」
静かな夜道でつい大きな声を出してしまう。
慌てて手で口を押さえ「どういうこと?」と囁くように聞く。
早く聞きたい。聞きたくてたまらない。あなたの不幸を。
『カードのキャッシュを繰り返して、リソク?がやばいことになってるんだ』
さらに低く小さくなった桜子の声と反芻するように、あたしのテンションは上がっていく。
「えぇ!なんで」
『本当バカだよね……買い物中毒、っていうのかな。ストレス発散のためにショッピングしてたんだけど、なんか止まんなくなっちゃって』
桜子のキラキラしたインスタのアカウントを思い出す。
高そうなディナーや、ブランド物のバッグやアクセサリー。あの輝きの裏側には借金という最高のサプライズがあっただなんて。
「桜子、大丈夫?だいぶんストレス溜まってそうだよね。近いうち飲みに行かない?奢るよ」
同情するように、優しく。自分でも笑ってしまうくらいの穏やかな声だった。
桜子は喜んで行きたいと言い、あたし達は後日会う約束をして電話を切った。
家に帰ってから陽人に桜子が恋人に振られたあげく借金もあるという話をした。
あくまで、親友のことを本気で心配している喋り方をした。
桜子の不幸は私自身の不幸でもあるというように、眉を八の字に曲げる。
しかし陽人は言った。
「なんか、楽しそうだな」
予想外の言葉に、あたしは困り顔をつくったまま硬直した。
見透かされている。と一気に不安に襲われたが、その必要はなかったようで、陽人はあたしの反応を見て笑った。
その笑顔は悪戯っぽく、どこか共感めいたものがあった。
この人はきっと初めから、あたしのことをわかっているのだと思った。
昔からあった、あたしの桜子に対する劣等感、そして現在の優越感。それを全部知りながらもこうしてそばにいてくれているのだと思うと、やっぱりあたしは桜子よりも勝っている。
「もー、何言ってんのよ!」
軽く笑い飛ばし、彼の腕を叩く。
ずっと隣にいたけど、いつもどこかあたしの先を歩いていて、あたしよりも可愛くて幸せだった桜子。
そんな桜子が今いる地獄を、あたしはこの目で一緒に見たくてたまらない。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
引き続き執筆してまいりますので、気になっていただければブックマークや⭐︎評価お願いいたします!^_^




