番外.思い出せない思い出
ヒトの世界には「迷子」という言葉があるらしい。
主に外出先で保護者とはぐれてしまった子どものことを指すのだとか。
兄と護衛に連れられて繁華街に繰り出してから五分と経たずに彼らとはぐれた四歳のキャロル=ベルスーズは、大きな川の流れを連想させる人混みを脇のほうで眺めながらひとり立ち尽くしていた。
事の始まりはキャロルがこっそり父の書斎に忍び込み魔術に関する書物を取ろうとしたことだった。
どこから嗅ぎつけてきたのか、ちょうど部屋に入ろうとしたところを兄・アーサーに現行犯逮捕されたキャロルだったが、諦められずどうにか駄々をこねれば魔術の本を読めないかと考えを巡らせた。
上目遣いで媚びてみる、ウソ泣きをしてみる、それでもダメなら子どもらしく不貞腐れてみる。思いつくことはだいたいやったと思う。
けれども兄は柔らかな物腰に反して頑固者だった。
なにがなんでもキャロルを魔術から遠ざけたかったようで、膝を抱えて口もきいてくれなくなったキャロルに「そうだ、代わりに甘いものでも食べに街へ行かないか」と困り笑顔で言った。なにが代わりだ、と言い返してやりたかった。
スイーツを引き合いに出せば丸く収まるだろうと思われていることは舐められているようで気に入らなかったが、まあ付き合ってやらんでもないとそれを承諾。使用人と護衛を付けてもらい、王国随一の賑わいを見せる商業都市ドリスの繁華街を訪れた。
それからいい匂いにつられて歩いているといつの間にかアーサーたちがいなくなっており、今にいたる。
(……兄さまったら世話が焼けるなぁ)
キャロルは自分が迷子であるとは微塵も考えていなかった。
迷子とは自衛手段のない庇護されるべきものが保護者と離れてしまうことを言う。ならばそこらで見回りをしている衛兵や聖騎士よりも強い自分ではなく、年相応の力しか持ち合わせていない兄こそが迷子なのだ、というのがキャロルの認識だった。
足元の小石を蹴飛ばしながらどう動こうかと悩む。
へたに歩き回っても入れ違いになるかもしれない。だがせっかく街まで出てきたのだ、このまま時間が過ぎるのをただ待つというのも癪だ。
クリームと小麦粉が焼けるいい香りがしていたのに……移動販売だったのか、辿ってきた匂いも気がつけばなくなっていた。
おかげで気分は最悪である。どんな甘味があったのか突き止めることもできずに目標を見失ってしまった。
こんなことなら強引にでも奪い取って逃げながら父の書物を読めばよかった。
「やあ、お嬢ちゃん。どうしたの、ムスっとしちゃって」
複合商業施設の壁に寄りかかって不満げに唇を尖らせていたそのとき、思いがけず声をかけてきた中年の男がいた。
別段変わった装いをしているわけではなかったが、どこか怪しげな空気をまとっている。少なくとも身分の高い人間ではないだろう、とわかるくらいには立ち振る舞いに品を感じない。
男は馴れ馴れしくキャロルの隣までやってくると、きょとんとした顔を上げているキャロルに続けて言った。
「もしかして迷子かな?」
「ちがいます。迷子なのはわたしじゃなくて、兄さま」
「そうかそうか、お兄ちゃんと来てたんだねぇ。ダメじゃないか、きちんと一緒にいなきゃ。ひとりじゃ危ないよ?」
「危ないことなんてないわ。わたし、街を歩くくらいひとりで大丈夫だもの」
「けどほら、子どもひとりじゃ人さらいなんかに簡単に連れて行かれちゃうだろ?」
「問題ありません。わたし、すごく強いので」
「おっと、それはすまなかったね」
見るからに適当にあしらうような態度をとられてピキ、とキャロルの頭のなかで何か亀裂が走るような感覚があった。
普段なら気にも留めなかったが、書物を読むことも叶わず兄たちとはぐれて無駄な時間を過ごし挙句の果てには気になる香りの正体も得られず、と不運が重なっていたので少々気が立っていた。
自分が強いということをその身をもって分からせてあげようか——と物騒な考えがよぎった矢先、ぐぅ、とキャロルの腹部で虫の音が鳴った。
すっかり甘いものの口になっていたことも相まって尋常ではない空腹である。
「ひもじい…………」
「あはは、おなかが空いてたからそんなにムスッとしてたんだね」
「べつにそんなんじゃないですけど……」
「よければおじさんがご馳走しようか?」
「…………えっ、いいの?」
顔をしかめていたキャロルの表情が一瞬で晴れ、男はにやりと口角を上げる。獲物がかかったとほくそ笑むように。
「ああいいとも。迷子の子を放っておくわけにもいかないしね」
「わたし迷子じゃない」
「ああ、そうだったそうだった。じゃあほら、おじさんと一緒に来ようか。なにが食べたい?」
「パフェ」
「パフェか、ちょうどよかった。とっておきの店に連れて行ってあげるよ」
そう言って男がキャロルの手をとり、大通りとは反対方向へと歩いていく。
食べ物をくれるいいヒトに遭遇できたのは幸運だった。
なぜか飲食店が揃っている道からどんどん外れたほうへ進んでいるのは気になるが。もしかすると知る人ぞ知る秘境のような店なのかもしれない。
俄然楽しみになってきた。
すっかり頭のなかがパフェに支配されていたキャロルがなんの疑いもなく人気のない細い街道に入ると、奥のほうで馬車が待機しているのが見えた。御者席にはもうひとり、別の男がいる。
「すこし距離があるからな、あの馬車に乗って移動しよう」
「座っているのはあなたのお友達?」
「ああそうさ。俺も彼も甘いものには目がなくてね、ここいらの店には詳しいんだよ…………くくっ」
それを聞いてよわったな、とキャロルは眉を下げた。
さすがに兄たちの断りもなく馬車が必要なほどの距離を移動するのはダメな気がする。
あとで怒られるのは嫌だ。険しい顔で非難の言葉を浴びせてくるのに敵意や悪意がまったく感じられないというのはなんとも複雑で奇怪な気持ちになるので、人間の怒り、特に兄の叱責はとても苦手なのだ。
「あの、わたしやっぱり……戻ります」
「おっと、そうはいかねえよ」
「え」
視界の端にチラつく鋭利な銀色。
引き返そうとしたキャロルの肩を押さえつけ、男は懐から取り出したナイフをその首元に突きつけていた。
状況が理解できず、どこか抜けた表情で男のほうを見る。
「だから言ったじゃないか、お嬢ちゃん。ひとりでいたら人さらいに連れてかれちゃうぞって…………俺みたいなね」
「は?」
男の言葉を聞いて、キャロルの顔に不満の色が差す。
人さらい……と言ったのか? キャロルを連れ去るためにここまで誘い出したと? となるとパフェを食べさせてくれるというのはただの方便?
パフェは……食べられない?
「いいヒトじゃなかったの?」
「くはは、相当な箱入りだな。こりゃ高く売れるぞ」
キャロルの問いを無視しながら、男は彼女の手を引いて馬車のほうへと向かおうとする。
一方でキャロルのなかで怒りの感情が煮えたぎっていた。
ようやく甘いものにありつけられると思っていたのに、ひどい裏切りだ。
許せない。その身で償ってもらわなければ気が済まない。
男の背中に向けて憎悪にも似た眼差しを突き刺す。
魔力で強化された握力で自分の手を引く男の手を握り潰そうかと考えたそのとき、
「その子をはなせ」
キャロルと男の間に突風が駆け抜けた。
どこからともなくやって来ては割り込んできた男性が男の腕を剣のようなもので叩き落とし、キャロルを引き剥がす。
「ぐおっ……! なんだテメェ!」
「白昼堂々誘拐とは恐れ知らずだな」
「クソッ……!」
駆けつけた男性がキャロルを守るようにして立ちはだかったのを見て、人さらいの男は驚きから弾かれるように逃げ出していく。
男性をよく観察すると剣のように見えたのは体を支える杖で、妙な間合いのとり方をしていることから察するに脚が不自由なようだった。
歳は三十代前半といったところだろうか。安心させるように穏やかに笑い、しゃがみ込んでキャロルと目線を合わせてくる。
「怪しい空気を感じて尾行してみたらナイフを取り出すところが見えてね。慌てて飛び出してきた。ケガはないかい?」
「うん」
「そうか、よかった」
怒涛の展開で状況を呑み込むのに時間がかかったが、どうやら自分は助けられたらしい。
こういうときはお礼を伝えるんだ、と脳内のアーサーが言ってくる。
「ありがとう、おじさま」
「おじさま…………? ど、どういたしまして」
男性は一瞬なにか言いたげな表情を浮かべるも、すぐ冷静な顔に戻って返す。
「さあ、街のほうに戻ろう。迷子のときは知らない人に付いて行くのではなく、騎士団へ行くと覚えておきなさい。お父さんやお母さんが来るまで保護してもらえるよ」
「む…………だから、迷子はわたしじゃなくて————」
ぐぅ、とまた低い音がキャロルのなかからこぼれる。
空しそうにおなかを撫でたキャロルを見て、男性は小さく吹き出した。
「ほら、早く行こう。きっと親御さんたちも心配してる」
「パフェ……」
「え?」
「パフェ、食べさせてくれませんか?」
「パフェ……?」
目を伏せ、独り言のようにキャロルがつぶやく。
「わたし、パフェが食べられるはずだったんです。でもウソをつかれた。クリーム増量で注文して、おもちゃ箱みたいにグラスからはみ出しているフルーツをひとつひとつ大切に口へ運んで、最後は奥のほうに詰まったミルキーな味わいを浴びるように堪能するはずだったんです。……これ以上お預けをくらうなんて、耐えられない。どうにかなってしまいそう」
「それは……災難だったね」
「だから、代わりにおじさまが食べさせてください」
「な、なんで?」
男性はおとなしそうな印象のわりに口がまわるキャロルに戸惑っている様子だった。
追い打ちをかけるように腹鳴を垂れ流しながら、キャロルは懇願のこもった目で彼を見つめ続ける。
「ありがとう。おじさまはいいヒトね」
「どういたしまして……」
街の中心部へ戻ったあと、最初に目についた喫茶店に駆け込んだキャロルは杖の男性にパフェを食べさせてもらっていた。
クリームがふんだんに詰まったグラスの上に色とりどりのフルーツが乗った、想像通りのやつだ。
黙々とグラスと口の間でスプーンを往復させる様子を苦笑いで眺めてくる彼に、キャロルはふと浮かんだ疑問を尋ねる。
「その脚、魔物にやられたんですか?」
「え?」
「わたしを助けてくれたときに魔術を使っていたから、魔術師なのかと思って。……右脚のほうが重傷みたい」
人さらいとの間に割って入った男性が身にまとっていたのは邪神ハストーラによる「風」の魔術だった。
身のこなしもどこか様になっていたのを見るに、普段から戦闘行為を行なっている人間なのだろう。
彼は一瞬驚くように目を見開いたあと、笑いながら言った。
「すごいな、あの一瞬で気づくなんて。でもおじさんは魔術師じゃなくて、聖騎士だったんだ」
「それはまた、珍しいですね」
数はそう多くないが、魔術を扱う聖騎士がいることは知っている。
ベルスーズ家もその方針であれば聖騎士になることもやぶさかではなかったが、兄以上に堅物な父は絶対にそれを許さないだろう。
「だった」ということは、今はもう引退しているのだろうか。脚の怪我のことを考えると当たり前か。
キャロルを助けたときの迷いのなさからして、現役時代はよほど正義感の強い騎士だったと見える。
「立派に務めを果たされたんですね。お父さまや兄さまはわたしを聖騎士にさせたいみたいだけど……おじさまを見てると、やっぱりわたしには無理だなって思います」
「そんなことないさ。おじさんの魔術を一目で見抜くなんて、君には才能があるよ。人を守れる素晴らしい力だ」
キャロル自身は聖騎士になりたいとは微塵も思っていないので少し的外れな励ましに聞こえたが、彼がキャロルの内情を知るはずもないので仕方ない。
それよりもキャロルは、わずかに彼の表情が曇ったことのほうが気になった。
「それに、おじさんはそう大した騎士じゃないんだ。……俺よりも生きて帰るべき人間はたくさんいた。俺の命じゃ釣り合わないくらい実力のあるヤツだって大勢いたんだ」
重たい感情が乗った声を聞いて、キャロルは無意識にパフェを食べる手を止めた。
「いったい俺はなんのために生まれてきたんだろうって、毎日考えるよ。脚を怪我してしまって聖騎士も続けられず、もう俺には挽回の機会すらない。結局俺は人からもらった命を誰にも返せないまま…………」
自問自答するように語っていた彼が自分をじっと見つめるキャロルの視線に気がつき、ハッと我に返る。
「す、すまないね。変な話をしてしまった……。まったく、いよいよダメだな……子ども相手にこんな……」
「なんだかわからないけど……心が沈んでいては、食べ物のおいしさも感じられなくなると思う。だから元気を出してほしい」
「はは……そうだな。……大事なことだ、それは」
以降、店を出るまで彼の表情は暗いままだった。
なにか余計なことを口走ってしまったのかと、キャロルはすこし不安になった。
「————キャロル!」
「お嬢様! ご無事で!」
近くにあった騎士団事務所の待合室で杖の男性と座っていると、入り口のほうから血相を変えたアーサーと使用人たちが走ってくるのが見えた。
いなくなったキャロルが騎士団に保護されていないか確かめに来たのだろうか。なんにせよタイミングぴったりである。
ぶらぶらと揺らしていた両脚で勢いをつけ、キャロルは軽快に椅子から飛び降りた。
「もう、兄さまったらようやく————」
「急にいなくなったらダメじゃないか!」
目の前までやってきたアーサーが潤んだ瞳で怒鳴りつけてきて、思わず面を食らう。
怒っているのかと思いきやすぐに安心したような表情でその場に崩れ落ち、呪文のように「よかった」という言葉を繰り返しながら自分の手でキャロルの手を覆った。
……やはり兄に叱られるのは苦手だ。
混ぜ合わせたインクのように変わる感情の波に戸惑いつつ、キャロルは兄を見下ろした。
「いい香りがして、気になったから。…………わたしに会えたのが、そんなに嬉しい?」
「ああ、嬉しいさ。……あとでお説教だ。今日はもう家に帰るぞ」
呆れたように笑ってアーサーが立ち上がる。
そこで彼はキャロルのそばに佇んでいた杖の男性の存在に気がついた。
「あなたがキャロルをここまで連れてきてくれたんですか?」
「ああ。この子のお兄さんかな? 今度は手を離さないようにな」
「はい! 本当に……ありがとうございました!」
深々と頭を下げた後、キャロルを連れてアーサーが歩き出す。
その後ろ姿を、男性は杖で半身を支えながら微笑ましげに眺めていた。
「——あなたは自分を大した騎士じゃないと言ったけど」
「え?」
「わたしは、そうは思わない」
不意に立ち止まったキャロルが後ろを振り返りながら口にした。
「だって、わたしを助けてくれたでしょう?」
そう言い残して、キャロルは兄と手を繋いだまま再び歩き出す。
男性は驚いた表情で目を瞬かせた後、また安堵するように息をついた。
「そうか。…………それなら、よかった」
キャロルから伝えられた言葉を噛み締めるように、彼はその場でしばらく瞼を閉じていた。
幸せな夢を見ているようだった。




