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25.悪意と化けの皮

「それで、なにがしたいわけ?」


 キャロルが投げかけたのは率直な疑問だった。

 カウンターを挟んだ先できょとんとした表情を見せた後、ラブーマンは無邪気に笑う。


「なにってぇ……聞きたいことがあるのはキャロルちゃんのほうじゃないの〜?」

「わたしに聞きたいことはない。わたしがあなたに興味を持つことはない。ここに来たときからだいたいの察しはついているし、べつにそれが面白いとも思っていないから」

「え〜?」


 棘のあるキャロルの言い方を喜ぶようにニタついたラブーマンがカウンター席のあるほうまでやってくる。


「その口ぶり……いったいなにを知っちゃったのかなぁ。まあいいや、ボクが話したいだけだから、勝手に喋らせてもらうね。……この前話したとおりだけどさ、ボクは彼らを観察して遊んでたの」


 彼ら、というのは街で生活を営んでいる人間たちのことだろう。

 ラブーマンの目的はこの「幻夢街」を箱庭とした人間観察。それはついこの前キャロルたちが遊泳施設で話していた事柄だった。


「邪神ケイオスがどんな神性だったかは知ってるかな? 彼はかの大戦の際、邪神同士の戦いには積極的に参加することはなく、人間たちと触れ合うことを楽しんでいたんだって。つまり人間大好きな良~い邪神さんだったわけ。基本的に戦うことしかしなかった他の邪神たちと比べると、ちょっと変わってるよね」


 得意げに語り出したラブーマンの言葉を聞き流そうと思っても、キャロルのなかで記憶が勝手に掘り起こされる。

 邪神ケイオス……その名前は当然知っている。大戦時、ゾアは彼に何度か言葉をかけられたことがあった。

 だが別段気に留めるようなことはなにもなかった。彼は邪神のなかでも一際つまらなく、話していくうちに対峙しただけでその存在を消し飛ばしてしまいたくなるほど不快感を覚える相手だったから。

 もう顔も覚えていない。だがそのまとわりつくような声と魔力だけは忘れることはなかった。


「ボクってばさ、そのケイオスの遺物を取り込んだ一等星級魔術師なわけでしょ? やっぱり自我が影響してるせいかな、その性質がボクにも反映されてるみたいなんだよねぇ。昔からヒトのことがだ~いしゅきすぎて困っちゃう。だから知りたくなる、だから観たくなる」


 傍らにあったテーブルに触れつつ、ラブーマンはキャロルを見つめた。


「人間のことが好きで好きでたまらなくなって……とうとうその生態モデルを自分で作っちゃったんだぁ~。好きにいじれて好きに遊べる等身大の生きたジオラマ……それがこの夢の街、幻夢街(ドリームシティ)。ここにいるヒトたちはね、みんなボクがかき集めたリアリティ溢れる舞台役者なんだよぉ~」

「……わからない」

「んえぇ?」


 軽蔑交じりの眼差しを注ぎながら、うんざりした顔でキャロルがこぼした。


「前も話した気がするけど、生態モデルと言うには足りないものが多すぎると思う。ここは娯楽施設ばかりで過ごすヒトたちも異なる環境から適当に抜き取ってきたようないい加減さを感じるし、感情も一定。……人間の特徴である多種多様な矛盾性が、この街から生まれるとは考えられない」

「だから与えてるでしょ?わかりやすい刺激をさ」


 ラブーマンが顎で出口のほうを示した直後、人間の悲鳴と思しき騒音と巨体が動き回る雑音がキャロルの耳へ滑り込んできた。

 これが彼女の言う「刺激」。ここまではプールサイドで話した内容とも合致する。

 ラブーマンは一息つくように微笑むと、また軽い調子で続けた。


「でもまあ、適当であることは否定しないよ。これは単なる遊びであって、大真面目に人間を使ってなにか実験をしようなんて思ってはいないからね~。べつにボクは研究者じゃないし、むしろ遊び人。駅のホームとかでさ、『いま突然目の前の人間を殴ったらどうなるんだろう』とか『大勢ヒトがいるなかで突然叫び出したらどうなるんだろう』とか、気になっちゃうときがあるでしょ? ボク、いまそんな気分」


 やはり聞くに堪えない、時間の無駄としか思えない自分語りが次々と飛び出してくる。

 現代の文明レベルを超えた建造物やコミュニティも、ラブーマンにとっては等しく遊び。砂場で行う児戯となにも変わりはしない。


「この前わたしが言ったこと、忘れてないよね」

「んんー?」

「わたしはからかうのは好きだけど、からかわれるのは嫌いなの」


 その声にはなんの感情も乗っていなかった。

 伏し目で口にしたキャロルが、静謐な音色で意思を伝えようとする。

 害をなす存在をただ処理してきた邪神。その魂を内に秘めた彼女にとっては、それこそがこの上なく臨戦態勢であることを示す態度だった。


「この期に及んでまだ誤魔化そうとしてるみたいだけど、不毛なだけだからやめて」

「え〜? なんのことかわからな」

「この街の外にはなにもない」


 キャロルの一言でラブーマンは口を閉じた。

 同時に答え合わせを楽しむように一層憎たらしい笑顔を見せてくる。


「この街に入ってすぐ、わたしは魔力を広げて周囲の環境を探っていた。でもそれは街に入る手前の空間……二百メルーくらいの距離で途切れた。まるでなにか、魔力を通さない壁にでもぶつかったみたいに……わたしの魔力探知に限界が設けられていた」


 肉体的疲労を考慮して実際にやることはあまりないが、現状キャロルは意識すれば半径一キルーほどの距離までは魔力を伸ばして周囲の物体の魔力量を測定することができる。

 これによって索敵なども可能になることから、キャロルは念のためこの「幻夢街」に足を踏み入れたときに一度限界まで魔力探知を試みていた。


 だが不自然なことに、ある一定の領域から一切の魔力を感知することができずにいた。


 建物が確認できない街の周辺二百メルーほどの森に囲まれた範囲。そのさらに外側。

 人間はもちろん大地や植物、大気……自然環境に備わっている魔力すら拾うことができないという異常事態。

 それはつまり()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを意味していた。


「この街以外のすべてがこの世から消え去ったのか、それともこの街だけが現実世界から隔離されているのか…………普通に考えれば後者を疑う。実際それはアタリだった」


 最初にこの街の景観を見たとき、とても驚いた。そこには今を生きている人間には到底築くことのできない世界が広がっていたから。

 そして同時に、これはまやかしだとも思った。


 この街の主であるラブーマンにそもそも隠す気がなかったのだろうが、先ほどキャロルを街中からこの酒場へ転送した力は魔術ではない。

 この世界自体が動き、空間を継ぎ接ぎにして強引にキャロルをこの場へ呼び寄せた。


 街の中心に突然塔のようなものが現れたのも同じ理屈だ。

 あれは魔術で建造物を一から築き上げているというよりは、この街が形状を変えたことで生み出されたしわ寄せのようなもの。

 幻夢街という広げた布のかたちを変える際にできる折り目の浮き上がりに過ぎない。最初からそこにあったものが後から顔を出しただけ。それ自体に大きな意味はない。


 どちらにせよ人間の常識では実現不可能な神秘だ。この街をここまで自由自在に操る芸当は、たとえ一等星の魔術師とて容易にはいかない。

 なぜなら————


「最初から幻夢街なんて街は存在しない。はじめからここは、『迷宮』のなかだったから」


 ————なぜなら、ここは完全なる「迷宮」だから。


「それで?」

「二等星だろうが一等星だろうが、どれだけ卓越した魔術師でも人間である時点で完全な迷宮を顕現させることはできない。でもあなたが作り出したこの世界は紛れもなく本物————明らかにヒトの範疇を超えている」


 もはやわざわざ口に出すまでもない。両者の頭には同じ結論が導き出されている。


 政府の手が及ばない「迷宮」という自分だけの世界に箱庭を設け、人間を連れ去って擬似的な社会を作り上げようとした。単独でだ。

 おまけに神出鬼没の魔物の群れ————あれはおそらく「変身」魔術によって記録されていた魔物たちの情報に肉体を与えて再構築したもの。それも魔術で作られた使い魔の類ではなく、遺物から生まれる眷属に近い。


 これらの情報から行き着く答えはひとつしかない。


 本物の迷宮を操り、途方もない魔力を循環させて文字通り別世界を作り上げた。そんな芸当ができる彼女は……



「あなたはニャンタレスでもラブーマンでも、ましてや人間でもない…………邪神ケイオスそのものだ」



 凍りつくような沈黙。

 やがてその緊張を破るように、


「……ニャフッ! ニャハハッ! ニョハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼︎」


 ラブーマンの空気を裂くような、耳障りな笑い声が響いた。


「——大っ正っ解! いやぁ〜さすがにわかっちゃうかぁ〜! そうだよぉ、()()。ボクのほんっと〜の名前は『ケイオス』! そしてここはボクのワタシによるオレ様のためだけの街! 永遠に人間どもで遊べる夢みたいな世界! その名も幻夢街(ドリームシティ)〜! …………いいセンスでしょ?」


 ニャンタレス——ラブーマン——いや、邪神ケイオス。すでに死に絶え、遺物として世界中に散らばっていると思っていた。

 状況だけで語れば、ケイオスもまたゾアと同じ邪神大戦の生き残り。いや……かつての体をそのままに時代を越えた彼女は、ヒトとして生を受けたキャロルとは生物的に次元が違う存在だ。

 ケイオスが発した名前に反応し、キャロルはわずかに顔をしかめた。


「あの時代を生き残り、ヒトの社会に潜伏していたというわけね。わたしが他の邪神を滅ぼし尽くしたあのときから今に至るまで……あなたはずっと邪神としての肉体を維持しながら生きながらえてきた」

「そうともぉ」


 ケイオスの姿が歪み、泥人形をこねるように変形を始める。

 妖艶な雰囲気を漂わせる妙齢の女性、活発な印象の少年、いまにも倒れてしまいそうな枯れ枝のごとき老人————そしてまた、赤いくせ毛の女の子。


 ケイオスは己が何者であるかを証明するように、立て続けに肉体を「変身」させてみせた。


「これまでいろんな人間を演じたり、気まぐれに遺物をばら撒いてみたり、いろんな暇つぶししてきたけど……この街を運営してるときがいちばん楽しいよ〜。そんでねゾア、どういうわけかキミが人間に転生してると分かったときは、それはもう胸が震えた!」


 興奮した様子でその場から踏み出したケイオスが大股で距離を詰めてくる。


「突如現れた邪神ゾアの『石化』を持つ一等星級魔術師! 眷属を介してすぐに監視を始めたよ。間違えるはずもない! 異次元で息絶えたキミの体は現世で見つかるわけがないし、何よりその圧倒的な魔力量と自我! 昔のまんまだ! ——いや、まんまではなかったね」


 目の前まで来て、ケイオスは囁くように声のトーンを落とす。


「今のキミのお名前はゾアじゃなくて……キャ・ロ・ル、だったねぇ。ごめんごめぇん」


 愛玩動物にでも話しかけているようだった。

 ほとんど密着するような距離まで近づいたケイオスが、息遣いを荒くさせながら張りつくような声音で続ける。


「ねえ、キャロルちゃん、ね、ボクねぇオレ様ねぇ、キミにすごぉく興味あるのぉ。邪神同士なら殺し合うしかなかったけど、いまのキミはヒトなんだよねぇ。邪神の魂を丸ごと宿しているのに人間の価値観が培われたチグハグな体…………他に例のない貴重なサンプル……。人間の家族はいるんだよね? どんなヒトたちなのかな? 小さい頃はどんな生活を送っていたの? 甘いものが好きだったよねぇ、嫌いな食べ物はあるのかな? 友達はいる? きっといるよね、恋人は? まだかな? えへ、何ならボクと(つがい)になってみない? 顔も性別も性格も、キミの好みに変えられるよ? ……中身は邪神なのに人間の世界で生きようと頑張ってるなんて……キミはすごくすごぉ〜く健気で愚かしくて、美味しそうだよぉ。フフフ、楽しいねぇ、すごいねぇ……! かわいいねぇ! いじらしいねぇ‼︎ …………食べちゃいたい、なぁ」


 耳元で鼓膜を撫でてきたケイオスが、追い打ちをかけるようにキャロルの頬をべたりと舐めた。

 依然冷ややかな目を向けていたキャロルが不意にこぼす。


「街の……ヒトたちは」

「んん〜? それも最初からわかってんでしょ?」


 そう言ってキャロルから離れると、ケイオスは先ほど殺害した店主の遺体のもとまで跳ぶように移動した。

 彼女がしゃがむとうつ伏せで倒れていた店主の胸元から垂れ流される血で赤黒く染まった床がわずかに軋む。


 ケイオスは微動だにしない背中に触れると、徐々にそれを下へと押し込み始めた。

 木材で出来ている床へ、店主の遺体がずぶずぶと沈んでいく。沼に吞まれていくように。


 彼の体が完全に見えなくなったのと同じタイミングだった。

 キャロルはカウンター奥にある扉から出てきた人影を見て、危惧していた状況が現実に起こっているのだと認めさせられた。


「いらっしゃい。ご注文なんにします?」


 なに食わぬ顔で現れたのは、先ほどケイオスに殺されたはずの店主だった。

 ついさっき自分の身に降りかかった惨劇を覚えている様子もなく、穏やかに、そして機械的にその役割を果たそうとしている。


「何回か試してみて思ったんだけどさ、生きた人間をそのまま使うのって理にかなってないんだよねぇ」


 近くの席に腰掛け、ケイオスはぼやきながらテーブルへ足を放り出した。


「ボクの『変身』魔術は他人の情報を基にその能力を模倣、あるいは実体を再現する。だったら『魅惑』で生きた人間をちまちま集めるよりもさ、一度殺して取り込んだ死体から人間を複製しちゃえばいいじゃんって思ったの、我ながらナイスアイデアだよねぇ。生の人間とちがって既に死んでるコイツらは寿命という概念から解き放たれてるし、いちいち取り替えたりする手間もなくなる。ただ適当な人間たちを補充していくだけで、その人間が歩んできた歳の中から好きに選んで眷属として実体化させれば、それだけで幅広い年齢層の生態モデルが作れちゃうってわけ! ね、すごいでしょ!」


 それはこの街の正体を知ると同時に、キャロルの頭に浮上していた推測と同じだった。


 幻夢街はケイオスの魔術の源泉たる迷宮のなかに作られた異空間。ならばそこで暮らしを営んでいる人々は人間ではなく、ケイオスの手によって生み出された眷属に近い存在なのではないか……。


 大量の人間が失踪し、皆が同じ方向へと向かい同じ区域に集まっているのだとしたら、長年の間目撃情報ないし手がかりが一切なかったのは不自然すぎる。

 それぞれの犠牲者に第三者が関連性を見出すことのない、誰かに尻尾を掴ませずに「素材」を収集する方法……それはケイオス自身は直接手を下さずに何らかの要因ですでに死亡した人間の遺体を綺麗さっぱり取り込んでしまうというもの。

 いや……欲しいと思う「素材」があれば魔物をけしかけて意図的に殺害することも可能だろう。とにかく魔術師ラブーマンの仕業であることを隠すことができればそれでいい。


 生きた人間をひとりずつ誘導しかき集めるよりもずっと効率的なやり方だ。

 取り込んだ人間の情報を解析し、当人の死亡年齢から逆算して再構築する肉体年齢をケイオスが好きに選択できるとすれば、それが最も合理的な手段。

 老人の遺体を取り込み、若い頃の肉体と記憶を再生させることもできるというわけだ。


「ねぇキャロルちゃん、キミはずっと分かってたよね? わかってたのにずっと考えないようにしてたよねぇ。答えに踏み出すのを怖がってた。サバトとかいう小僧がそんなに気に入った? ちょっと妬けちゃうなぁ」


 腹の底で感情が沸騰する。


 わかっていた。ケイオスの目的はキャロルをこの迷宮へおびき寄せて取り込むこと。

 だがキャロルは今回の依頼がくるまでラブーマンという魔術師のことはよく知らなかったし、興味もなかった。仕事でもなければケイオスへと繋がるきっかけをキャロル自身の意思で手繰り寄せることはなかっただろう。


 だが今回に限ってはきっかけがあった。

 ひとりの少年がラブーマンの調査を依頼として持ち込んできたからだ。


「キミの考えている通り、この街にいる人間はぜんぶボクが生み出した眷属。……キミをここに誘い出したサバト=ネフシアスも、その内のひとつだよ」

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