23.前触れと狼煙
「ボクがラブーマン〜? どうしてそう思ったの?」
遊泳施設でキャロル、サバトと向かい合っていたニャンタレスが最初と変わらないにやけ面で問いかける。
キャロルもまたぴくりとも動かない蝋人形の顔で応じた。
「この街に入ってからわたしたちを何かが監視してた。そのときに向けられるものと同じ質の魔力をあなたから感じる、はじめからずっと」
「ほうほう、ずいぶん繊細な感覚を持ってるんだねぇ。かわいくて才覚も鋭いなんてステキだなぁ〜、ますます欲しくなっちゃった」
「……本当、なのか?」
両者のやりとりを横で眺めていたサバトが唖然とした顔で尋ねる。
当のニャンタレスは見つめていたキャロルから視線を外すとその場で落ち着きなくぐねぐねと体を曲げ始めた。
「う〜ん当てずっぽうというわけじゃなさそうだねぇ。視線だけで魔力を感知できる人間なんて初めて。いいねぇいいねぇ、異彩だねぇ」
亡霊のような足取りでキャロルと額が触れそうになるほどの距離まで肉薄する。
「…………すぐにでも食べちゃいたい」
肉食獣と形容するのとはまた異なる。
沼の中から無数の腕を伸ばして獲物を引きずり込むような——そんな異界の怪物を思わせるプレッシャーをキャロルへまとわりつかせながら、ニャンタレスはその舌で彼女の鼻先に触れた。
「おい!」
一向に調子を崩さないニャンタレスに底知れぬ不気味さを覚えつつも、サバトは彼女へ詰め寄ると勢いのままその肩を掴んでキャロルから剥がした。
「本当かと聞いてるんだ……! お前がラブーマンなのか? なにが目的だ? 俺たちを監視して弄んでいたのか⁉︎」
「————触んじゃねえよカス」
内臓を抉られるような激痛がサバトのなかを駆け巡る。
「ごぶっ……⁉︎」
咄嗟にニャンタレスから離れて口元を押さえたサバトの指の隙間から大量の血を吹き出た。
なにかが暴れている——というよりは肉体を構成する積み木の一本が抜き取られて内部から崩壊していくかのような、細胞単位の微細な綻びが全身で同時に起きている痛みだった。
「——————」
サバトがダメージを負わされたことを認知した直後、即座にキャロルが「石化」を発動させ遊泳施設内の時間を停止させる。
それは自分の「世界」を脅かされたことによる反射的な報復行為。
止まった時のなかで微動だにしていないニャンタレスの脳天へ、キャロルは脚技による渾身の打撃を振り下ろした。
びしゃり、と水風船のような音を立ててニャンタレスの肉体が崩れ落ちる。
泥人形に脚を突っ込んだかのような手応えのなさに眉をひそめつつ、キャロルは「石化」を解いてニャンタレスの気配が移動したプールのほうへ顔を捻った。
「いきなりはひどいなぁ。でもそういうところも魅力的だよ、キャロルちゃん」
そう言い残し、ニャンタレスの体は水中へと溶けていく。
瞬きの間に彼女はその気配ごと存在を消失していた。
「たしかにボクはラブーマンだよ。ニャンタレス=オブリガート=ニュートラル=グランテッド=ニョブレス=ピカレスク=ラブーマン。これがボクのいまの名前ね」
——と思った矢先、背後から聞こえる声。
先ほど水中にいたはずのニャンタレスと交代するように現れた彼女は出で立ちこそ水着のままだったが、水滴ひとつ確認できない。用意されていた「別のニャンタレス」がキャロルたちの前にやって来た。そんな印象を覚える状況だった。
「ほんとはもっと長いんだけど、全部言うと日が暮れちゃうからさ。とりまお気に入りのやつだけ」
飄々とした態度をとる彼女だが、こちらに向けている感情は間違いなく害意の類だった。
勝手に話し出したニャンタレス——もといラブーマンを静かに睨みつけながらキャロルは魔力を起こそうとする。
それを察知したのか、ラブーマンは両手を振り乱して慌て始めた。
「待った待った、ここじゃ締まらないでしょ? ……一般の方々もいらっしゃるしねぃ〜」
そう言って左右へ眼球をぎょろつかせた彼女の視線の先には、プールサイドで過ごす他の人間たち。
関わったこともない、見ず知らずの人間に対する配慮などキャロルの優先順位においては下位のほうだが、隣で膝をついている聖騎士殿はそうは思わないだろうと、キャロルはまとっていた魔力を鎮めさせた。
それを見たラブーマンが口角をつり上げる。
「日を改めてきちんとお話しよ。待ち合わせ場所は————後でお知らせするね〜」
その言葉を最後に、今度こそラブーマンの姿と気配が消えた。
蹲っているサバトへと向き直り、キャロルは彼の背中に触れてその体内に魔力を通す。
「大丈夫?」
「……なにをされたのか分からなかった。急に全身が痛み出して……クソッ」
サバトの肉体へ通わせた魔力を介してその状態を見る。
筋肉や内臓、神経、骨————体を構成する要素がことごとくズタズタに引き裂かれていた。まるで目視できないほど細く小さな刃物で体内を削がれたよう。
彼の肉体を魔力で修復しながら、キャロルは自分たちのことなど見えていないかのように変わらず日常を過ごしている人々のほうへ目を向けた。
やはりキャロルとラブーマンの小競り合いという異変に気づいた様子はない。
夢のなかにいるのだと気づくことはないまま、彼らは幻の世界を謳歌していた。
「ヤツにまんまと誘い込まれたってことか……なんてヘマだ」
傷の治療を終えプールを後にしたキャロルとサバトは、一旦ホテルの部屋に戻り状況を整理した。
「情報提供者のニャンタレスの正体は一等星級魔術師ラブーマンで……この『幻夢街』の支配者そのもの。でもなんのために俺たちを……?」
「狙いはたぶん、わたし」
ベッドに腰かけ、気を紛らわせるように肌色が透けた白のストッキングへ指先を這わせながら、キャロルは伏し目がちに言った。
「この街に来てから彼女の意識はずっとわたしに向けられている。わたしもこの街の住人に加えたい……とかじゃないかな」
「だけど……最初からそれが目的だったわけじゃないだろ? キャロルを協力者に選んだのは俺の独断だ。ラブーマンの狙いがお前だっていうなら、騎士団なんか通さずお前に直接コンタクトをとったはずだろ?」
「…………それは」
サバトを一瞥するも、キャロルはすぐ逃げるように視線を外す。
漠然とした違和感を覚えたサバトが「どうかしたのか」と尋ねようとするが、同時に発せられたキャロルの返答にかき消された。
「そうだね。でも少なくともいまは……わたしが狙われてる。最初はそのつもりじゃなかったとしても、サバトくんがわたしをここに連れてきた時点で、メインターゲットはわたしに変わったのかも」
「ちょっと待て、それじゃつまり……最初に狙われてたのは……俺ってことか⁉︎」
「正確には無差別に街に誘い込んでいただけだと思う。彼女の口ぶりからしてこの街は住人の数が増えるのと同時に規模を拡大しているみたいだから、いまも定期的に頭数が補充されていると見るべき。そしてわたしは偶然ここに迷い込んだ激レアの超絶美少女キャラ……」
「なんだ、さっきからしけた顔ばっかしてるから心配してたが、冗談を言うくらいの余裕はあるじゃないか」
「わたしは冗談抜きで美少女だけど」
薄く笑ったキャロルがベッドから飛び降り、ゆっくりと窓際まで歩く。
「……昔ね、わたしの世界はひとつだけだったの」
窓の外に見える景色よりもはるか彼方、果てを見つめるような遠い目でキャロルはつぶやいた。
突然なにを言い出すのかとサバトは片眉を上げる。
「でもいまは違う。自分の意思にかかわらず、ヒトの世界には必ず他人が入り込んでくるものだと知った」
「詩かなにかか? こんな状況でよくそこまでリラックスできるな」
「貴重な経験をありがとう、サバトくん」
踵を返すキャロル。
「いまはそれしか言えない」
彼女が見せた穏やかな微笑みのなかに、どこか寂しさが紛れているように思えた。
いったいなんの話だ————と尋ねようとした直後、爆発に近い騒音とともに建物全体が大きく揺れた。
「……下か!」
「すこし失礼するね」
「あ?」
音もなく接近してきたキャロルがサバトの胸元をきゅっ、とつまむ。
次の瞬間、目の前の景色はホテルの一室から玄関付近へと切り替わっていた。
サバトには認識できなかったが、「石化」で時間を止めたキャロルがサバトを抱えたまま窓から飛び降りて移動したのだろう。
「うぅおおっ……⁉︎」
キャロルの手から離れたサバトが尻餅をつきながら遅めの悲鳴を上げた。
「普通に降りられないのか⁉︎」
「もたもたしてられないでしょ。そのまま飛び降りてもよかったけど、サバトくん怖がるかと思って」
「それもそうだ!」
急いで立ち上がったサバトの視界に映ったのは、立ちのぼる煙で灰に塗りつぶされたフロント。
昨日夜の街で見た魔物が跋扈する光景。それを連想させる状況を見て、咄嗟に腰の剣を引き抜く。
くる。煙の先に感じた魔力の波動——おそらくは魔物がこちらに向かってきているのを察知しつつ、サバトは「風」の魔術を起動させて戦闘態勢をとった。
煙を突き抜けてきたのは十体はいるであろう蜘蛛型の魔物。
「——なんて芸のない」
しかしながら襲いかかってきたそれらはサバトが動き出すよりも先に、驚異的な速度で振るわれたキャロルの魔術攻撃によって屠られた。
跳躍し、宙を旋回したキャロルが四肢から伸ばしていたのは目視できないほど細い魔力の「糸」。それらを鞭のようにしなる斬撃として繰り出し、一瞬で魔物たちを微塵切りにした。
「いまの……邪神アトラの魔術? まさかお前、複数の遺物を取り込んで……」
「気を抜いたら死ぬよ」
不意にキャロルが視線を移した先を追う。
あちこちで上がる火の手。幻夢街全体でいまのような魔物による騒ぎが起きているようだった。
呆気にとられているサバトの横で、なにかに気がついたようにキャロルの目線が上を向いた。
「あの建物……前はなかったよね?」
そう言った彼女が指で示したのは、無数にそびえる摩天楼のなかで一際存在感を放つ巨大な塔だった。
最初にこの街に入ったときにはなかったはずの建造物。
ラブーマンがこれ見よがしに用意した目標。キャロルとサバトはそんな印象を抱いた。
「後で知らせる……って、ヤツは言ってたな。あんな巨大な建物……今までどうやって隠してたんだ?」
「行くしかないみたいだね」
この街に誘い込まれた時点で罠にはまっているようなものなのだ。いまさら指定された建物へ向かったくらいでは状況は大きく変わらないだろう。
目配せを交わしながら、キャロルとサバトは揃って塔を目指して駆け出した。




