22.本音と建前
邪神という存在の起源について、判明していることは殆どない。
一説には空の向こう、遥か彼方にある星々の海から飛来してきたという話はあるが、その真偽を判断できる者はこの世に存在しない。
おそらくは邪神たちでさえも自分たちが何者であるかを把握している個体はいなかっただろう。
彼らはただ本能に従って破壊衝動にも似た生命活動を行うのみ。
邪神同士が地上の覇権を争った邪神大戦と呼ばれる戦いは、始まりから終結までに千年以上もの時間を要した。
これは彼らが戦う際に展開していた「迷宮」の特性が大きく関係している。
それぞれが保有する自我・世界という概念から一部を切り取って現実へと持ってくる技術が「魔術」だが、それはあくまで人間を基準とした考え方である。
順序を辿れば邪神たちが扱うのは「魔術」ではなく「迷宮」——つまり世界そのもの。
彼らは常に自らの「迷宮」を身にまとい、その範囲を拡大することで徐々に地上を支配しようとしていた。
迷宮の領域は広げていけばいずれ別の邪神同士で衝突が起こる。そうして勃発した邪神たちの戦いが幾度も繰り返されたことが邪神大戦の全貌であるが、それらの決着はどちらかの魔力が切れるまで決まることはなかった。
生ける魔術である邪神にとって肉体はあくまで端末でしかなく、行使する「魔術」「迷宮」、さらに細かく言えば「魔力」すべてが彼らの本体であり自我であったからだ。
肉体をいくら傷つけたとてすぐに魔力によって修復され、全快する。
邪神とは途方もなく巨大な魔力の塊。魔の権化。
なかには人間に討伐されるほど貧弱な魔力を有している個体も存在したが、歴史のなかで恐れられていたような名のある邪神たちは互いを滅ぼすのに十年、二十年かけることは珍しくなかった。
相手の「世界」が尽きるまで、相手の存在が消えるまで徹底的に潰し合い殺し合う。
地上すべてを巻き込んだ災害戦争のなかで人類が文明を築けてきたことは奇跡だと、歴史を研究する者たちは皆口を揃えて言う。
「あんなにご立派な事務所があるのに……所属している聖騎士は少ないのですわね」
デビルーナに同行してウェールス街を歩いていたクラウディアが、視界の奥にある建物を見てふとこぼした。
聖騎士の施設であることを示す紋章が掲げられていたので、あれがカルロッソの事務所であることは一目でわかった。
斜め前を歩いていたデビルーナが睨めっこしていた地図から目を離し、もう一方の手で道端の露店で買った腸詰めサンドにかぶりつく。
「むぐ……この辺はずっと昔、邪神の遺物がよく出てくる土地だったらしいわよ。今とは比べものにならないくらい偏見は強かったろうけど、魔術に一定の価値を見出す人間はいつの時代にもちゃんといたからね。遺物自体もけっこう高値で取引されてて、それを狙った商人たちで栄えてたときもあったみたい」
「時代が進むにつれて遺物が確認できなくなり、人も流出していったと……。ここもゴーストタウンになりかけているということですわね」
「そ。騎士団の建物が立派なのは、ちょうどそのときに作られたからじゃない? 遺物が多く出るってことは、その分魔物の発生率も高いわけだし」
そう言われて改めて建物のほうを見ると、確かにどこか古めかしい雰囲気があった。
「昔の人たちって、命知らずだったんですのね……」
「毎日死が隣にあるようなもんだったろうし、そのへんの感覚ゆるゆるなんじゃない? まあでもさすがに産出地域ど真ん中に街を作ったわけじゃないんだろうけど」
詳しく調べたわけではないが、おそらく最初は単に騎士団がこの地の魔物を集中的に討伐するための駐屯地のような場所だったのではないだろうか。
それが物資の搬入など、利便性を追求していくなかでいつの間にか街のようなものが出来上がり、魔物の脅威がほどほどに薄まるなかで本格的な開発がなされていった。
すこし思い切りが良すぎる気もするが、当時の価値観でいえばそれくらい必死にならざるを得なかったのだろう。
邪神の遺物は現在でも魔術師や研究者にとって垂涎もののアイテム。それが多く現れるとなれば一部の人間たちにとっては金山となろう。
大昔————それももしかしたら邪神大戦が完全に終結してからそう年月が経っていない頃の話なのかもしれない。ウェールスに限らず、当時の人間は邪神や魔物に生活圏を脅かされても生きることを諦めない意地があったのだろう。
いまは寂れている街のなかにも、歴史からそんなたくましさが読み取れることがある。
「てかクラのすけ、食べないの? おなか空くでしょ」
先ほど一緒に購入した昼食にクラウディアが手をつけている様子がないことに気づいたデビルーナが何気なく尋ねた。
対するクラウディアはそれとなく抗議の意を含んだ眼差しを返しながら答える。
「歩きながら食べるなんて……お行儀が悪いですわ」
「いつまでお嬢様やるつもり? あんたはもうお行儀の悪い魔術師の一味だってことを忘れずに」
「そのように粗暴な振る舞いをするから、日頃から聖騎士に呼び止められるのですわ」
「うっさいわ」
思い出した鬱憤を晴らすようにまた豪快にバンズに食らいつくデビルーナ。
「……ところでちゃんと持ってきた? 聖騎士の制服」
「え? ええ……言われたとおりに」
「あー、ここで出すな。誰かに見られたらめんどい」
クラウディアが背負っていた荷物から制服を取り出そうとすると、それを察知したデビルーナが前を向いたまま制止した。
その間にももしゃり、と腸詰めサンドをかじる音が聞こえてくる。
「こんなものを持ってきてどうすると言うんですの? わたくし、もう聖騎士ではないのですけれど……」
「なにってそりゃ、事務所に忍び込むときに着てもらうのよ」
「事務所に…………忍び込む?」
「これから騎士団の事務所に入って、所属してる聖騎士の名簿を確認すんの。あたしが外で適当に騒ぎを起こすから、その隙にクラ子が中入って資料漁っといで」
「あさ……」
首を傾けたままクラウディアが立ち止まる。
「————犯罪ですわーーーーっ⁉︎」
数秒遅れてデビルーナの言葉を飲み込んだクラウディアは、戸惑いに目をぱちくりさせながら声を張った。
「ちょっ……⁉︎」
「騎士団の保有する施設に許可なく入るのは侵入罪が適用される立派な犯罪ですわ! 黙って付いて来てみればそんな————!」
「おバカ! 声が大きい……!」
「ムー!」
デビルーナが慌ててクラウディアの口を手のひらで覆いながら付近の路地へと身を投げた。
壁際に押し付けられたクラウディアは周囲に人気がないか頭を右往左往させているデビルーナへ押し殺した声音を鳴らす。
「デビルーナさん、あなた……! キャロルさんのお名前に泥を塗る気ですの⁉︎ 同じ事務所に所属している以上、捕まったらわたくしたちだけでなくキャロルさんのライセンスまで剥奪されかねませんのよ⁉︎」
「わーってるわよそれくらい! 念には念を入れて偽名使ったダミーのライセンスも用意したっての!」
「不法侵入のうえにライセンスの偽造まで————⁉︎」
「まず聞け!」
慌てふためくクラウディアの口を再び手で押さえる。
じっと脅すような目を彼女に突きつけながら、ひっそりとした声量でデビルーナは続けた。
「クラ子もおかしいと思ったんでしょ、キャロルと一緒に任務に向かったサバトって聖騎士のこと。アイツが他人を装ってあたしたちに近づいた可能性がないか調べに行くのよ」
そう詰められながらクラウディアは汽車での会話を思い返した。
サバト=ネフシアスは一等星級魔術師ラブーマンの身辺調査依頼をこなすため、協力者を求めてキャロルたちの事務所を訪れた聖騎士の青年。
彼が所属する騎士団カルロッソはまさにこのウェールス街に事務所を構えているのだが……やはり政府直属騎士団「アコルド」を差し置いて一等星の対応を任せられる理由など見当もつかない。実際に現地へ足を運んでみてもその印象は変わらなかった。
辺境都市の、デビルーナが見る限り腕もそう立つわけではなさそうな聖騎士ひとりだけを派遣するなど、政府の対応としてはあまりにも不自然すぎる。
そもそも本当に政府の指令が出ていたのかも怪しい。
キャロルはふたつ返事で引き受けていたが、なにかと聖騎士に目をつけられることが多く警戒心の強いデビルーナがその違和感に気づいたとき、見逃す選択肢はなかった。
「べつに隠れなくても……直接その方のことを聞いたり、名簿を見せていただければそれでいいのでは……?」
「すんなり教えてくれるようなヤツらならね。でも聖騎士のなかには用心深いヤツもいる。魔術師のあたしたちが正面から突っ込むのはリスクがでかいのよ」
「でも……そんな騙すようなこと……したくありませんわ……。そんなに言うんなら、デビルーナさんが中に入られてはどうなんですの?」
「出発前に試したけどあたしじゃアンタの制服着れないのよ」
「あっ……! ところどころほつれてたのはあなたのせいですの⁉︎ ひどいですわ! 一応大切に保管してましたのに!」
「それは悪かったって。……いやンなことはどうでもよくて」
ごちゃつき始めた脳内を整理するように眉根を揉んだデビルーナが気を取り直して口をひらく。
「この際だから言うけどさ、こんなことでキャンキャン言ってたら、この先キャロルに付いていけなくなるよ?」
「え……?」
「そもそもあたしとキャロルが組んでるのは、お互いの目的のためなんだから」
事務所を設立したときのやり取りを思い出す。
この世で最も「自由」な存在になりたいキャロルと、邪神に相当する上位存在を生み出して均衡維持機構を作用させ人類の魔術レベルを底上げさせたいデビルーナ。
自分たちの最終目的が行き着く先は同じ。キャロルが邪神と同等かそれ以上の力を手に入れてくれれば、それでデビルーナの目的は達成される。
だからデビルーナはキャロルの誘いに乗って、彼女が作った事務所の一員として働いているのだ。
「均衡維持機構の天秤を正確に測ることはできないけど、あたしたちの理論を突き詰めればキャロルは最終的に人間社会の敵にならなきゃならない」
「て、敵……? キャロルさんが?」
「あー、ちょっと極端な言い方だったな。実際に干渉するかはさておき、敵対する可能性は残しておかなくちゃならない……ってところか。とにかく人類を脅かす存在でなくちゃならないの」
均衡維持機構とはこの星を構成する要素の「勢力図」の均衡を保つシステム。
デビルーナの夢である「人類の魔術レベル向上」————これを成就させるには人間社会の外に天秤の重しとなる存在を据えなければならない。
そもそもが敵対勢力の脅威度を高めることで相対的に人間の力をも引き上げようという考え方だからだ。
「あたしとキャロルはいずれあらゆる人間にとっての『敵』になる。そのときもキャロルのそばにいようってんなら、今のうちに規範を破る覚悟ってのを身につけたほうがいいんじゃない? そこんとこどう考えてるわけ? クラウディア=クリシス=クルトルフ」
「…………」
キャロルたちとの共同生活を送り始めてからぼんやりと感じていた不穏な先行きを、喉元に突きつけられているような気分だった。
兄・ロイドとの一件を経て聖騎士としての道を自ら絶ったクラウディアにとって、キャロルたちと過ごす日常は自分らしくいられるかけがえのない居場所。
だがそれ以上の意味や大義があるのかと問われれば、答えは否だ。
いまの自分ではキャロルやデビルーナの覚悟に肩を並べることはできない。その自覚はうっすらとクラウディアのなかにあった。
「わたくしはただ、キャロルさんにとって良き友人であろうとしているだけですわ。先の未来にいる、知らないキャロルさんよりも……わたくしの知ってる今のキャロルさんを支えたい。ただそれだけですの」
深く息を吸って心を落ち着かせた後、眼前のデビルーナに向けて身を乗り出す。
デビルーナからしてみればあまりに子どもじみた主張かもしれない。
だがそれが悪いことだとは思わなかった。
「デビルーナさんの理想をとやかく言うつもりはありませんが、あなたは自分の夢を悪事の言い訳に使っているように見えますわ」
「なんだって?」
「魔術師だから、夢があるからと……それを理由に手段を選ばずに振る舞うことが、いい結果に繋がるとは思えませんの。そんなことを続けていたら、デビルーナさんはいつまでも嫌われ者のままになってしまうでしょう?」
「……いまあたしの話はどうでもいいだろ」
「どうでもよくありませんわ。力が足りない分、友人をたしなめることもわたくしの役目だと思っておりますので」
「友人って……まさかあたしのことも言ってんの?」
「……? そうですけど」
怪訝な眼差しを注いできたクラウディアの迷いのない声音に思わずデビルーナは仰け反った。
キャロルはともかく、自分にまでクラウディアの口から発せられる言葉としては予想外すぎるものだった。
他の人間からはっきり友と言われた記憶がどれだけ遡っても出てこない。デビルーナにとって新鮮すぎる耳触りだった。
「——はんっ! これだからお嬢様は!」
処理の仕方のわからない、むずがゆい気持ちを胸の奥底へ押し込めながら、デビルーナは冷却を忘れたように熱を帯びていく顔を背ける。
「べつに……あたしだって好きで嫌われたくて開き直ってるんじゃない。ただ自分の立場から逆算して最適な手段をとってるだけ。どのみち今回のコレは、キャロルの安全のためにも確かめなくちゃならないことだから」
「ですが……」
「べつに危ないことはしないから。ちょこっと魔物の幻を見せて聖騎士を施設の外に誘導するだけ。クラ子は人の流れに紛れてちゃちゃっと団員名簿を確認してきてもらえばいいから。ほら、あたしも近くでちゃんと見張るし」
邪神ケイオスの魔術は他の魔術系統と比べて圧倒的な自由度を誇る。
基礎となる「変身」と「魅惑」を掛け合わせれば「幻惑」の魔術となり、練度を上げれば一度に複数人に対して巨大な幻影を見せることも可能になる。
騎士団事務所を中心とした広範囲にそれを使って何らかの魔物が出現したと誤認させることができれば、団員数の少ないカルロッソの施設は一気に手薄になるだろうとデビルーナは踏んでいた。
侵入者のひとりやふたり入ったとしても、隠密行動をとればバレることはそうないはず。
「いざとなったら全部あたしのせいにしていいから、ね? なんの心配もいらないわよ」
考え込むようにクラウディアが黙る。
数秒後、再び顔を上げたクラウディアはどこか勇ましい表情で言った。
「————いいえ、やっぱりいけませんわ」
「はっ?」
不意に、クラウディアがデビルーナの手を取って騎士団事務所のある方向へと歩き始める。
「ちょっ……ちょっと?」
「ふふ……デビルーナさんったら意外と臆病ですのね。堂々としていればいいのですわ。だってあなた、根はいい人ですもの」
「は……はぁ⁉︎」
先ほどまでこそこそと遠巻きから眺めていたカルロッソの事務所があっという間に目の前までくる。
戸惑うデビルーナに構わず、クラウディアはその手を引きながら先陣を切って施設内へと足を踏み入れた。
「ちょっとクラ子……!」
「デビルーナさんは気にしすぎなのですわ。すこしは他人を信用なさってください。聖騎士だって同じ人間なのですから。……わたくしたちはやましいことなど考えてはいません。ただ仕事に関係する情報を確認しに来ただけです」
「それを信じてもらえるかは————!」
「大丈夫ですわ」
クラウディアは入り口の前で立ち止まると、デビルーナへ振り返り優しく微笑みかけた。
「わたくしが一緒です。怖いことなど何ひとつありませんわ」
それを聞いて不思議とデビルーナのなかで反論する気は失せていた。
もどかしい感情が渦巻くなかで、どうということのない、些事であったはずの淡い過去の記憶がふつふつとデビルーナの頭のなかをよぎるのを感じた。
「……だって……しょうがないじゃん……。誰もあたしの言うことなんか……聞いてくれないんだし。魔術師のあたしのことなんか…………」
代わりにほとんど独り言かのような小言が彼女の口から漏れる。
どうしようもない不安を押し殺して、最終的にデビルーナはクラウディアの後ろをついて行く選択をした。
「すみません、確認したいことがあるのですけれど————」
デビルーナが一歩ひいたところでもじもじしている間、カウンターで待機がてら書類整理をしていた聖騎士にクラウディアが声をかけた。
結論から言うとデビルーナの不安は杞憂であった。
物珍しそうな目を向けられはしたが、別段騒ぎが起こることもなく「団員名簿を見せてほしい」という要望は通った。
もちろん正式な魔術師ライセンスを提示しつつ、仕事絡みで確認事項があると伝えたうえで、だが。
「ほらっ、なにも問題ありませんでしたわ」
「クラ子がいたからでしょ。あたしだけだったらどうせ逮捕よ逮捕」
「おかしな意地を張っていないで、サバトさんのお名前を探すのを手伝ってくださらない?」
渋い表情で横に歩み寄ってきたデビルーナを交え、クラウディアは眼下で広げていた騎士団カルロッソの団員名簿へと目を落とした。
そこには聖騎士たちの名前のほかに————魔術師のライセンスと同じく、階級と顔写真の焼印がまとめられていた。
「…………サバトさんという方の情報は載っていないようですわね」
渡された名簿にひと通り目を通した後、パタリと冊子を閉じながらクラウディアがこぼした。
デビルーナが記憶していたキャロルの事務所を訪ねてきた青年……「サバト=ネフシアス」の名前は書類のなかに記載がなかった。
ふたりで注意深く確認したので、少なくともいま手の中にあるこの名簿のなかに登録されていないことは間違いない。
「やっぱり偽物だったということでしょうか……?」
「とりあえずその線は濃厚だね。まあ予想通りだったけど」
「すぐにキャロルさんにお知らせしないと————!」
「待った」
先ほどから一転して取り乱し始めたクラウディアを制止し、デビルーナは虚空へ眼を凝らす。
やがて弾かれるように顔を上げた彼女は、すぐそばで書類整理に戻っていた聖騎士に向けて追加で注文をした。
「————あの、すみません。過去の年代の名簿も含めて、すべての記録を見せてもらうことはできますか?」
「……デビルーナさん?」
なにか確信を得たようなデビルーナの横顔に小首を傾げるクラウディア。
冷静な表情の裏側で、デビルーナは信じ難い真実の可能性に心を乱していた。




