18.好奇と甘さ
キャロルがまだ幼い頃、兄であるアーサーはキャロルを街へ連れ出すことが度々あった。
いま思い返すと、あれは魔術に関心を持ったキャロルの興味を他のものへ向けさせようとしていたのかもしれない。
街へ出ると屋敷では見たことのないスイーツに出会える機会もあったため、キャロル自身外に連れ出されること自体は嫌ではなかったが。
帰る時間になるとすっかり眠たくなってしまって、送迎の馬車に乗り込むまではうつらうつらとしているキャロルをアーサーが背負って運んでくれたことをよく覚えている。
大きな背中の温もりに包まれる感覚。
それを思い出したからなのだろう。同じぬくもりを感じている今、キャロルは無意識にこぼしていた。
「…………兄さま」
「やめろって言っただろ、それ……」
目が覚めたとき、キャロルはサバトに背負われて物音ひとつ聞こえない森のなかを移動していた。
「……どこ?」
「『幻夢街』の入り口だ。お前ぜんっぜん起きないから、列車から降りたあとの道も俺が背負って歩いたんだぞ。感謝しろよな」
「そう…………ありがとう」
猫のような遠慮のないあくびをしたキャロルが半目になっていたサバトの背中から軽やかに降りる。
外はもう薄暗い黄昏時になっている。
くしくしと目元を擦っていたキャロルが次に見たのは、十四年間ヒトとして生きてきた彼女のなかで指折りに衝撃的な光景だった。
「……え」
天を突くように背の高い建造物が確認できる。
いちばん高い建物の周りにも高層構造の建物がいくつも生えているその様子は、大地を揺るがす邪神が扱う剣山のようだった。
邪神が花を生けるかはさておき。
「ここが……『幻夢街』?」
「そう……みたいだな」
想像を超えた文明を目の当たりにして、キャロルとサバトは巨大な門の前で並んで立ち尽くしていた。
やがて無人の門がふたりを迎え入れるようにひとりでに動き出す。
その先に広がっていたのは、別世界と表現するほかない景色だった。
栄えている————なんてものではない。数世代先の文明を先取りしているとしか思えない、煌びやかな摩天楼がキャロルたちの心を奪った。
王都やドリスなど目ではない。もしここが世間に知られている公的な区域だったなら、ここがキャビンテッド王国の中心になっていたに違いないと思うほどの。
一分ほど経ってようやく景観から街行く人々へと視線をクローズアップすると、今度は打って変わって見慣れた風景があった。
特に変わった服装の人間などは見当たらない。街とちがってそこにいる人間たちはキャロルたちと近い時代を生きていた。
やがてどこかへ飛ばしていた意識をハッと戻したサバトが咳払いとともに言った。
「よ……よし、まずは協力者と合流する。そのあとで拠点にできそうな施設を探そう」
「あのヒトが持ってるの……おいしそう」
「あ? ちょっと、おい!」
ふらふらと甘い匂いのする店のほうへ歩き出したキャロルの肩をサバトが掴む。
「遊びに来たんじゃないんだぞ」
「……ラブーマンに怪しまれずに街で過ごす必要があるなら、純粋に楽しむことも大切だと思わない?」
「お前が言っても説得力ないんだよ。ほら、行くぞ」
「う〜……」
首根っこを掴まれ引きずられながら、キャロルは通行人が持つ薄い生地にこれでもかというほどのクリームやフルーツが乗った都会的なスイーツを名残惜しそうに見つめていた。
先ほどの場所から離れて大通りに出る頃、自分の足で歩き始めたキャロルはわずかに恨めしそうな目で「食べたかった……」とぼやく。
そんな彼女が漂わせる負のオーラを華麗にいなしながら、サバトは淡々とした調子で口にした。
「幻夢街に到着したら、門をくぐって大通りを進んだ先にある酒場へ行けと騎士団から指令が出ている。情報統制のためか詳しくは共有されなかったけど、協力者の魔術師とはそこで落ち合う予定なんだろうな」
「……ここのヒトたちは、どうやってこの街のことを知ったのかな」
「それもこのあと聞いてみればいい」
改めて周囲を見渡してみると、門をくぐる前に覚えた印象よりも街の規模がさらに広大に感じる。
体感で言うとひとつの国家とも呼べるだけの広さだ。
この巨大な土地がすべてラブーマンという魔術師ひとりが管理し、どの国の政府にも気づかれることなく勢力を拡大したものだというのか。
そう考えてみると、キャロルのなかで一気に現実感が失われた。
自分たちはなにか思い違いをしているのではないか。なにか大きな見落としをしているのではないかと、漠然とした不安がわいてくる。
同じ不安をサバトも感じているのか、目的地である酒場の扉を開けるまで彼はずっとなにかを疑うように眉間にしわを寄せたままだった。
「ここだな」
カラフルな蛍光色の光を放つ看板の前で立ち止まったサバトが先陣を切って店の中へと入っていく。
……先ほどは食べ物の香りのせいで意識していなかったが、わずかな違和感がキャロルによぎる。
デビルーナと出会ったばかりの頃、彼女から「魅惑」の魔術をかけられたときの感覚に似ているような。
キャロルはこの街に入ってからうっすらと感じていたはずの不快感に遅れて気づきつつ、念のため全身に魔力の防御膜を展開した。
が、しかし、店内はその緊張が馬鹿らしく思うほどのお気楽な雰囲気で満たされていた。
蓄音機から流れる軽快な音楽が楽しげな空気を演出している、賑やかな憩いの場といった印象だった。悪く言えば頭が悪そうとも。
縦長のテーブル席を囲んで仲間と酒を煽っている者や、奥のカウンター席でひっそりと楽しんでいる者。
ドリスにあるような店と趣はちがうが、客に変わったところは見られなかった。
だが、それが逆にキャロルたちを困惑させた。なぜなら「魔術師の街」という事前の想像とは異なり、どう見ても魔術師とは思えない、一般客や聖騎士と思しき人間まで紛れ込んでいたのだから。
「ご注文なんにします〜?」
やけに軽薄な口調のウェイター……いや店主か。年若そうな彼がカウンター席に座ったサバトとキャロルの前までやってきてニコニコと尋ねてくる。
彼もやはり魔術師には見えない。というより、魔力の質を観察するに邪神の遺物を摂取した人間でないことは確かである。
サバトは上にかかっていたノンアルコールのメニュー表へざっと視線を走らせると、そっけない調子で答えた。
「アイスコーヒー」
「お嬢ちゃんは?」
「甘いものはありますか?」
「んー、ハニーミルクくらいかなぁ。でも即席でよければ、ご希望に沿ったものをお出しできるよ」
「ううん、ミルクでいいわ。どうもありがとう」
笑顔で応じたあと、店主はふたりに背を向けてそれぞれの飲み物を作り始める。
キャロルは体を右に倒すと、苦悩するように口をへの字に曲げて頬杖を突いているサバトへこそこそと話し始めた。
「ねえ、なんかいろいろイメージとちがう」
「ああ……」
「サバトくん、どこかで道間違えたんじゃないの?」
「そんなはずはない!……と思いたい」
なにかを確かめるように背後を一瞥したのち、嫌気がさした顔でサバトは腕を組んだ。
「いや、状況から考えてだ。世間に知られることがないままこれほど発展してる都市なんて……もうここが『幻夢街』だと捉えるしかないだろ。というかそうでなきゃ困る。こんな異様な場所が任務と無関係であってたまるか」
サバトの頭には報告書で徹夜する自分の姿が思い浮かんでいた。
「もしそうじゃなかったら、お仕事増えちゃうね」
「……なんで楽しそうなんだ?」
「ヒトの感情が顔に出るときって、おもしろくて好きなの。むふ」
「ガキでも魔術師なんだなお前は……」
「ハニーミルクとアイスコーヒー、おまちどう」
よほど手際がいいのか、店主はわずかな時間でキャロルたちが注文したものをテーブルに用意してきた。
サバトは戸惑いながらおそるおそる、キャロルはどこか満足げな笑みを浮かべながら、それぞれ出されたグラスとカップを手に取った。
風味のしないアイスコーヒーを喉へ流し込みながらサバトは考える。
当初「幻夢街」は魔術師たちが秘密裏に徒党を組んでできた秘匿地域のようなものだと思っていた。だが魔術師以外の人間も多く滞在しているこの光景を見ると、実態はそれとは大きくかけ離れている。
他に考えられる可能性とすれば…………邪神教絡みだろうか。
「あの……すまない、ひとつ聞いてもいいか?」
「はいなんですかい?」
「ここは『幻夢街』……で間違いないんだよな?」
思い切って店主へ直接的な質問を投げてみる。
店主は特になにかを勘繰る様子もなく、「ああ、そうだよ」と和やかに返してきた。
「ここは幻夢街だ。魔術師ラブーマン様が統治する街だよ」
「……! あんたはここに来てどれくらい経つ?」
「んー……もう覚えてないなぁ。なんだいお客さんたち、ここは初めて来たのかい? なんの用事だい」
「ああ、その……ちょっと人探しにな」
「そのラブーマンってどこにいるんですか?」
「ぶっふぉ!」
サバトは一旦落ち着くために口に含んだアイスコーヒーをキャロルの一言で盛大に吹き出した。
「サバトくんきたない……」
「おまっ……! んな直球で聞くやつがゴホッ! ゲホッ!」
「ラブーマン様がどこにいるかって? 悪いけどそれは答えられないな〜。俺たちもあの人については詳しく知らないから」
「で、ですよね〜!」
そう困ったように笑った店主が洗い物へと戻っていく。
サバトはほっと胸を撫で下ろしつつ、横でふうふうとミルクを冷ましているキャロルへ細めた視線を刺した。
「お前なぁ……」
「サバトくんの詰め寄り方が、なんだか不毛に思えちゃって」
涼しい顔でカップへ口をつけたキャロルの双眸がかすかに光を帯びた気がした。
「ラブーマンって、わたしと同じで好奇心が強いヒトみたい」
「なんでそんなことがわかるんだ?」
「この街に来てからずっと……わたしたちを見てるから」
「…………え?」
「ずっと周囲から嫌な魔力を感じるの。どこにいても、どこからでも、ずう〜……っと」
一瞬で背筋が凍るのがわかった。
青ざめた顔で目を泳がせるサバトに微笑みながらキャロルが続ける。
「怖がらせたわけじゃないよ。なにかあったら、サバトくんはわたしが守ってあげる。もともとそのための依頼でしょう?」
「いや、でも……そうは言ったって……」
「それより思ったことがあるの」
空になったマグカップの底を名残惜しそうに見つめながらキャロルは言った。
「ここにいるヒトたちに家族はいるのかな。昔から住んでいるヒトがいたとして、そのヒトはどうやってここに辿り着いたのかな。どうしてここにいるのかな。ここがラブーマンって魔術師が作った違法な街で、政府から危険視されているってことは、みんな知っているのかな」
「それは……考えてみれば違和感はたくさんあるけど、でも、なんか……」
「うん。みんなあまりにも、気にしてなさすぎるよね」
背後からは依然他の客たちの笑い声が聞こえてくる。
『幻夢街』はラブーマンが築いた巨大な魔術工房。政府の管轄ではない以上、ここにいるのは皆外部から訪れた人間のはず。
ここの人々はなぜこの街に来た? なぜそのまま滞在することを選んだ?
そもそもラブーマンと幻夢街のことをどこで知った?
街にいる人間はみんな普通に過ごしているように見えて、暮らしているという生活感を想像させない。最初に見かけたストリートフードを持ったヒトも、この店で談笑している客も、全員がキャロルたち同様に今日この街を訪れた観光客のようだ。
キャロルがいちばん変に感じたのはそこだった。
ラブーマンが邪神ケイオスの魔術系統を極めた魔術師だというのなら、「変身」のほかに「魅惑」の魔術もかなり高度なレベルで行使できるはず。いわばデビルーナの上位互換。
……「魅惑」で洗脳した人間を外から誘い込んで、街の住人を増やしている?
しかし街の人々の目からは不純物を感じない。彼らはいたって正気であり、「魅惑」によって意思を塗りつぶされているようには思えなかった。
キャロルが感じている不快感の大元がはっきりすれば状況が見えてくるだろうが、やはり常に、三百六十度どこからでも「他者の自我」が刺さってくる感覚がある。
この違和感を形作っている原因を特定できない。
想定より手こずりそうな事態を前に、キャロルはめんどくさそうにため息をついた。
「————お〜いたいた。キミがキャロルでしょ〜」
直後、左から飛んできた声音に反応してキャロルとサバトが同時に振り返る。
いつの間にかキャロルの左横の席に腰を下ろしていたのは、毛玉の女の子だった。
キャロルよりも小さな背丈。赤い長髪はそこかしこが寝癖のようにうねっており、その顔もどこか眠たげ。おおらかな雰囲気と表現するべきか。
しばし戸惑った後、次に切り出したのはサバトだった。
「あんたが協力者の魔術師……?」
「え? ああうん、そうだよ〜」
緊張感がまるでない口調で語りかけてきたその少女は徐々に猫背の深さを増して、気怠げにカウンターに頬を乗せた体勢になる。
「はじめましてぇ、ボクは魔術師のニャンタレス=オブリガート。たぶんみんなよりお姉さんだから、なんでも相談してね。プライベートな話でもいいよ〜」
突っ伏した体勢のまま、彼女————ニャンタレスは穏やかな眼差しでキャロルたちを捉えた。




