16.新生活と夢の始まり
————自分が生まれてきたことには意味があるはずだと、幼い頃から思っていた。
幸い、俺が生まれた家にはおあつらえ向きに「聖騎士」という先祖から代々受け継がれてきた誇り高い役職があり、俺も嬉々としてその役目を継ごうと努力を重ねた。
それを続けていれば、人生の意味を見出すことができると思ったから。
邪神の眷属である魔物を倒し、人々の生活を守ることを使命とする神聖な職だ。
そのために必要なものはすべて揃えたつもりだった。
魔力による身体能力の強化は基本だ。やれることは多いほうがいいと、体外操作の鍛錬も怠らなかった。その辺にいる奴らじゃ魔術師にだって負けはしないという確信もあった。
だが運命はそんな俺の確信が単なる過信だったことをあっさりと暴いてしまった。
人の少ない集落。そこに現れた顕現型の魔物を一体討伐するだけの任務だった。
魔力が本体に集中する分、迷宮型よりも強力とされる顕現型だが……例外は存在する。それは顕現型は顕現型でも、迷宮を生み出すほどでもない——微量な魔力のみを宿した状態で遺物が覚醒したことで「結果的に顕現型として生まれるほかなかった弱小個体」だ。
生存した村人の目撃証言によると、現れたのは牛よりも一回り小さいくらいの犬型の魔物一体だけ。弱小個体だった場合、一般的な顕現型はもちろん迷宮型よりもずっと弱い魔物であると予想できた。
俺が所属していた騎士団もそう判断した……というよりは、そう信じて判断するしかなかった。
俺の住む地域では人手がそう多くない。他の聖騎士たちは別任務で出払っているため、最小限の戦力で済むのならそれに越したことはないのだ。
俺は下された指令に従い単騎で集落へと向かい、その魔物を討伐しようとした。
危険な賭けであることは誰の目にも明らかだったが、俺自身もその判断に納得している人間のひとりだったし、事実集落に到着してから遭遇した最初の一体は楽に片付けることができた。
問題はそれを倒した後、次々と同系統の魔物がわいて出てきたことだった。
二体目以降に現れた猟犬どもは様々な体躯をしていた。
普通の犬ほどの大きさの個体もあれば、家屋と同じくらいの巨躯を有したものも確認できた。
死角をつくように現れる飢えた犬の群れ。
左を向いた瞬間に右にいた魔物は増え、右からまた向き直った左でもまたその数を増殖させている。
斬っても、斬っても、キリがなかった。
やがて体力と魔力の両方が底をつき、おとなしく喰われるのを待つしかないという状況のなかで俺は、
「————あら、ナイスなタイミングね」
とても美しいものを見た。
直前まで俺に飛びかかっていたはずの魔物たちは一匹残らず肉体を叩き壊され、霧散。
本体の魔物が内包していたであろう遺物を指先でつまみ、魔力の霧のなかで佇んでいた銀髪の少女は尻餅をついて唖然としている俺を見下ろしては言った。
「ふふふ、今のわたしって、おとぎ話に出てくる英雄みたいだったわね。つい助けてしまったけれど、余計なお世話じゃなかったかしら?」
いや————と喉元で消えてしまった声とともに俺は首を横に振る。
歳は十四〜五といったところか。幼年学校を卒業してすぐに故郷の騎士団へ入団した俺とそう変わらないように見える。
透き通るような銀髪。神の子を思わせるような、神秘的な黄金色の瞳。浮世離れとはこのことを言うのだろう。
余計なお世話だなんて滅相もない、とか。助けてくれてありがとう、とか。言いたいことは山ほどあったはずなのに、俺はそれらの言葉を伝えるよりも彼女の姿を目に焼き付けるほうに集中してしまった。
言葉を忘れ息を呑むほどに、彼女は綺麗だった。
「ケガはないみたいね。あなた幸運だわ。だってわたしに出会えたんですもの!」
本当にその通りだな、と思った。
結局俺はなにも言葉を返せないまま、彼女が幻のように夜闇へと溶けていくのを見送ることしかできなかった。
自分が生まれてきたことには意味があるはずだと、俺は思っていた。
だが死ぬ瞬間には生きる意味なんて考えている暇はない。そんなものは贅沢品なのだと死を間近にして理解した。
自分の人生に意味を見出せるとしたらそれは、意志を通すための強い力を持っている人間だけなのだろう。
強い心の持ち主だけなのだろう。
そのへんの雑草に等しい俺の場合、考えるだけ無駄なのだ。だって俺はこの先も生きていたいと必死に願うことしかできなかったのだから。
答えを出せるまで待ってくれと。自分自身に意味を与えられるまで待ってくれと。そう言葉も通じない魔物どもに情けなく祈っていただけ。
ああ、なにも、できなかった。
●
キャビンテッド王国最大の商業都市ドリス。
大通りから外れた人気の少ない街道を、聖騎士の少年・サバトは地図と睨めっこしながら歩いていた。
目的地はとある建物の三階。
すこし前に一等星級になったばかりの魔術師が住んでいる事務所だ。
魔術師という生き物は基本的に利己的な生き物とされている。依頼を通して結果的に人を救う働きをしたとしても、その原動力になっているのは「邪神の遺物の回収」あるいは「金」など、実にわかりやすい欲望。
べつにそれが悪いと非難できるほど、サバトは自分が出来た人間とは思わないが、仮にも正義感に突き動かされて聖騎士という仕事をしている身としては、反りが合わないと分かりきっている相手に協力を求めようというのは、やはり足が重くなるものだ。
そう、サバトはいま魔術師の事務所を目指している。
他の誰でもない、その魔術師の協力を要請するために。
「……ここ、だよな」
なんとも寂れた雰囲気の裏道にその建物はあった。
なんでこんな所に————?と純粋な疑問がサバトの脳内を支配する。
一等星級ともなれば金には困らないと思っていたが、意外とそうでもないのだろうか。あるいは魔術師という職の性質上、必要以上に目立つことを嫌っているのか。
「あー……誰かいるか。騎士団カルロッソの者だ」
妙な緊張感を知らんぷりしながら階段を上がり、サバトは目的地であるフロアの扉をノックした。
耳を澄ませながらしばし待つと、扉の向こう側から物音が聞こえてくる。
近づいてくる軽い足音。
なんとなく魔術師は常日頃から研究に魂を注ぎ訪問客のノック音など意に介さないようなイメージがあったので、すぐに対応してくれそうな空気を前にして少し驚いていた。
「はあい」
——女の子の声?
まだ幼さの残るかわいらしい声音を耳にしてサバトの表情が疑念で曇る。
魔術師の助手……とかだろうか。
そんな些事を考えているうちに、事務所の扉が開いて取引先の人間が顔を出してきた。
「騎士団カルロッソ所属サバト=ネフシアスだ。一等星級魔術師キャロル=ベルスーズの事務所は————⁉︎」
決まり文句の名乗りと確認事項の途中で、サバトは思いがけず言葉を呑んだ。
「……聖騎士のヒト? ……キャロル=ベルスーズは、わたし」
そこにいたのは、あられもない下着姿をさらした女の子だった。
美しい銀色……だがよく見ると繊細な透明感があり、水晶の糸のようにも見える長髪……と黒いセットアップの下着。
念入りに磨かれた宝石のように神秘的な輝きを放つ黄金色の瞳……と白いガーターベルトとストッキング。
眠たそうに目元をこするその少女は動揺するサバトを見上げては自分の異常な様相を気にする素振りもなく、会話の続きを待つようにじっと彼のほうを見つめた。
気づかないうちに頭でも打ったのだろうか。そう思うと自然と足取りも怪しくなって、後方階段の柵に思い切り背中をぶつけてしまう。
「なっ……な、なんっ…………⁉︎」
「どうかした?」
「なんで服着てないんだ⁉︎」
もう、それしか言いようがない疑問がサバトの口から飛び出していた。
大きな目をぱちくりと開閉した後、きょとんとした様子で彼女は自分の体とサバトを交互に見る。
「……着てるでしょう?」
「着てねえでしょ⁉︎」
「キャロ助〜? 誰か来たの〜?」
サバトが押し寄せる不条理の波に混乱していると、事務所の奥から別の誰かがやって来てギョッと目を剥いた。
「ちょっ……! キャロル、バカこの! 応対する前に服着ろって先週あれほど言ったじゃん‼︎」
「だって起きたばっかだし……」
「やっぱり着てないよな⁉︎」
「そんで誰だよアンタは! 聖騎士⁉︎ 聖騎士は死ね!」
「なんで————⁉︎」
バァン‼︎と鼓膜が痺れるような音を鳴らしながら勢いよく閉められる扉。
改めて考えてみても何が起きたのかさっぱり理解できず、サバトはしばらくの間そのまま立ち尽くしていた。
「…………騎士団カルロッソ所属、サバト=ネフシアス」
「ご丁寧にどうも。一等星級魔術師のキャロル=ベルスーズです」
事務所のなかが静かになった頃合いを見計らって仕切り直すと、今度は普通に中へ通された。対応してくれたのはデビルーナという黒髪の女魔術師のほうだったが。
そして信じ難いが……目当ての「一等星」は先ほどの露出魔だったらしい。
だが驚くべきはそこではない。……いや、さっきの出来事も十分驚くことではあるが、頼むから一旦忘れてくれ——とサバトは自分の頭に忘却を願う。
テーブルを挟んで目の前のソファーに腰掛けている白い少女。いまはちゃんと服を着てる。
若い。おそらくはまだ十代前半。
幼年学校を出てすぐに聖騎士となったサバトともふたつほどしか変わらない年齢だろう。感覚としては妹でも相手にしているかのようだった。
——この子どもが一等星の魔術師……?
「ええと……君が、キャロル?」
「うん」
「新たに発見された……邪神ゾアの魔術を使うっていう、一等星級の」
「そう言っているけど」
やはり、呑み込めない。
窓際でこちらの様子をうかがっている黒い魔術師を一瞥しつつ、なんだかすでに疲労感で頭痛がしてきたサバトは気を取り直して本題へと入った。
「君に依頼したいのは魔術師の工房の調査だ。最近、各国で原因不明の失踪事件が相次いでいてな……怪しい魔術師を調べ回ってる。今回君は俺と一緒にある標的のもとへ向かって、業務を補助してほしい」
サバトが差し出した紙を手に取った白い少女————キャロルはそこに書かれている情報に目を通しながら細い声で返した。
「どうしてわたしに? この前ミルクちゃん探しの依頼を受けたばかりで、忙しいの。他の魔術師で済む用事なら、そっちを当たってほしい」
「なんだよミルクちゃんって」
「ネコの、名前」
「…………どう考えてもネコ探しが後回しでいいだろ」
「よくない。公園でよくお話しするララちゃんの大事なお友達なの。あの子が悲しくならないように、はやくミルクちゃんを探してあげたい」
「あー、もう、わかった、待ってくれ」
一旦天を仰いだあと、深呼吸をして次に伝える言葉を探すサバト。
想像以上に手強い取引先であることを認識し、頬を叩いて気合いを入れながら顔を前へ戻した。
「もちろん君でないといけない理由がある。極秘事項ゆえ、その資料には書かれていないがな。————標的の魔術師が、君と同じ『一等星級』だからだ」
ぴく、と微かにキャロルの細い眉が揺れるのを見た。
その反応を見てサバトも説明を続けた。
「今回俺に与えられた任務は一等星級魔術師・ラブーマンの巨大工房『幻夢街』へ赴き、その実態を調査することだ。当然、本人には知らせない。まあ抜き打ちテストだな」
一等星級魔術師・ラブーマン。
それはキャビンテッド王国に登録されている魔術師のなかで、唯一ライセンスが意味を成さない魔術師だ。
基本的に魔術師の性別、年齢、経歴などの詳細情報は管轄となる騎士団で確認でき、二等星以上に関しては各国の政府上層部にのみ共有され、それぞれがアクセスできる仕組みになっている。
だがラブーマンと呼ばれるこの魔術師にとって、それらの登録情報は完全に無意味とされていた。
「ラブーマンは発見例の少ない『邪神ケイオス』の魔術を司る魔術師だ。大昔に無貌の神とも呼ばれたケイオスの魔術のなかには……『変身』という極めて厄介な力が存在する」
「ウチのデビルーナと一緒ですね」
「え?」
「ちょっ、いらんこと言うな!」
「どうぞ、続けてください」
「あ、ああ……」
咳払いしつつ、サバトもまたテーブルに置いた資料へ視線を落とす。
「情報が足りない以上騎士団側も推測を重ねるしかなかったが、通常『変身』という魔術はそれほど万能じゃない。発動すれば常に魔力を食われて燃費が最悪なうえ、そのぶん持続時間も少ない。おまけに魔力の“質”までは変えることができないから、分析に長けた人間がよく観察すれば他人に化けた場合でも偽物か本物かを見分けることができる」
キャロルは話を聞きながらさりげなく傍に立っているデビルーナへ目線を送った。
サバトの言っていることを裏付けるように、彼女が二回ほど小さく頷く。
「だがラブーマンは……一等星であるコイツは違う。邪神に匹敵する魔力量と魔術に対する理解を持つコイツは、『変身』魔術に制限がない。他人に化ければその他人の魔力の質も模倣することができるし、他の魔術だって本物そっくりに再現することが可能……。要するに見破る手段がないんだ。だから政府は真っ先に白黒つけたいと考えている」
キャロルはふと、デビルーナの扱う「変身」のことを思い出した。
彼女がよく戦闘に用いる猟犬のような形態は邪神ミゼアと呼ばれる直接戦闘に長けた邪神の力を「変身」で模倣したものだが、彼女の場合はなんかこう…………そういうコスプレなの?って感じの、可愛らしいというか、際どいというか、戦場には似つかわしくない出で立ちとなっていた。
おそらく本来の「変身」であれば、まさしく邪神ミゼアそのものと言える姿に変わることができただろう。
「——話を戻すが、俺の目的は失踪事件の原因を探ること……というよりは、ラブーマンを調べ上げてヤツを容疑者リストから外すことだ。もしものことがあれば、君にはラブーマンの対処をお願いしたい」
「どういうこと?」
「一等星の魔術師なんて敵に回したくはないからな。できれば無罪であってほしい」
「臆病なんだね、あなた。わたしの知ってる聖騎士とちょっと違うみたい」
「揉め事なんて、ないならそれに越したことはないだろ?」
「それもそうだね」、とキャロルは薄く笑った。
外見にそぐわない落ち着きっぷりに、サバトはまた混乱した。
「でも、なんか腑に落ちない」
「?」
「他の一等星じゃなくて、わたしに頼んだのはどうして?」
すこし考えるように黙り込んだ後、サバトは口を開いた。
「……さっきは戸惑っちまったが、期待してた通りだったんだよ」
「え?」
「記録で見たんだ。一等星に上がってから、お前はこの短期間で数多くの依頼をこなしてきた。迷宮の攻略から周辺住民の雑用まで、幅広くだ。そりの合わない魔術師たちのなかでも、キャロル……仕事を選ばないお前なら多少は親しみやすいと思ったんだ」
それは誤魔化しが一切ない、サバトの本心だった。
善意で人を助ける聖騎士の仕事。一時的とはいえそのパートナーとするのなら、できるだけ近い性質の人間のほうが好ましい。
サバトの返答を聞いて、キャロルはやけに嬉しそうなにやけ面になりながら言った。
「わかった、いいよ」
「……引き受けてくれるのか?」
「だって、わたしにしか相手ができないヒトなんでしょう? だったら仕方ないかな。ミルクちゃんを探すのは、ひとまずデビルーナとクーちゃんに任せることにする」
「クーちゃん? ネコの仲間か?」
「ちがう」
「ぶあっはははは! 今の傑作! アイツ帰ってきたら教えてやろー!」
なぜか腹を抱えて笑い出したデビルーナに首を傾げるサバト。
ゆっくりと立ち上がったキャロルは、そんな彼に対して小さな手のひらを差し出した。
「短い付き合いだろうけど、よろしくね。……えっと、サバトくん」
「ああ、こちらこそだキャロル」
触れれば崩れてしまいそうな、繊細な手をサバトは慎重に握り返す。
「………………サバト、『くん』?」
一拍遅れて、サバトは違和感に眉をひそめた。




