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14.決着と本音

「待て待て待て待て待てバカバカバカバカ‼︎」


 ロイドとともに突然姿を消したキャロルを追い、廃墟街を駆け回っていたデビルーナが慌てて物陰へ身を隠した。

 空中で突如として拡散した莫大な衝撃は、遠く離れた場所にいたデビルーナとクラウディアのもとまで到達していた。


「なんなんですのー⁉︎」

「バカ! 早く隠れ——ああもうっ、こっち来い!」

「ぐぶっ」


 クラウディアの首根っこを掴み、引き寄せたデビルーナが自分の体で彼女を包む。

 壁に使った建物がみしみしと崩壊しかけている感触を背中に感じながら、デビルーナは津波のように押し寄せる衝撃が止むのを待った。





 ————ロイドとの戦いが終結する直前、キャロルはこれまで感じていた疑問の答えに辿り着いていた。


 この世界にキャロル=ベルスーズとして生まれ直してからというもの、キャロルは時折正体不明の高揚感を覚える瞬間が何度もあった。

 勝負の決め手となった迷宮を作り出したときもそうだ。


 魔術を使用した際に呼び起こされる純粋な快感。

 邪神ゾアだった頃にはなかった、踊り出したくなるような悦び。


 どうして魔術を使うことが楽しいのか。どうして力を振るうことが、心地いいと思うのか。

 どうしてここまで————「魔術師」にこだわりを持っていたのか。



 ————それはわたしに()()()()()()()()()()



 邪神であった頃、ゾアという生物にとって他者を蹂躙し戦いに勝利することは、生命活動を続けるうえで当然のことだった。

 魔術とは当たり前に備わっており、当たり前に行使することができる元来より持ち合わせた基本原理。


 だが「ヒト」は、キャロルはそうではない。

 ヒトには自らを制御するための、あるいは他人からの侵害を未然に防ぐための枷が数多く存在する。

 人間社会の基盤となっている倫理観はすべて、他者と繋がることを前提に生態を築いてきた生物特有のものだ。

 邪神にとっての当たり前は、ヒトにとっての当たり前ではない。


 だからこそキャロルは、その境界線を越えることに快感を覚えていたんだ。


 自分の思うがままに力を振るう愉悦。

 ヒトが築いた文明のなかで生きながら、ヒトからかけ離れた行いに手を染める楽しさ。

 これらは結局、ヒトの心の構造を自覚できていなければ成立しない。

 なにが禁忌とされるのか。その正体がわかっているからこそ、キャロルはそれを飛び越えたときに愉快だと感じた。


 自分自身も気づかないうちに、キャロル=ベルスーズの魂は少しずつヒトの心の機微を知覚していたのかもしれない。


 ひどい食い違いだ。

 たとえば見ず知らずの他者を気遣う心がありながら、自らの目的のために邪神という脅威を蘇らせようと考える矛盾。

 たとえば本当は戦うことが嫌いで、魔物と遭遇した瞬間に逃げ出したくなるほど臆病でも、憧れた背中を目指して剣を取ろうとした矛盾。

 そして……過度な力を振るうことは健全ではないと知りながら、どこまでもそれを超えたいと思う矛盾。


 真逆を向いているはずの想いが交錯し、捩れ、歪み、混ざり合うこの矛盾に満ちた不細工な心こそがヒトなのだ。


 キャロルは思う。自分はヒトだ。ヒトになった。

 邪神ゾアが決して手に入れることのできなかった本物の「自由」とは、どうしようもない不自由が同居するこの混沌としたヒトの世だからこそ掴み取れるものだった。

 不自由を破壊するその瞬間にこそ、本当の自由はあった。


 面白い。楽しい。興味深い。

 この醜い心に腕を突っ込んでまさぐり、もっとたくさんの「自由」を味わってみたい。


 そう気づいたときから、笑顔が止まらなかった。





「————五体満足とは、びっくり。頑丈なんですね」


 迷宮によって肥大化したキャロルの自我。それによって強化された衝撃波に巻き込まれ、向こう百メルー先までは瓦礫の山だけになった広場。

 倒壊した噴水らしき建造物に寄りかかった状態で俯いているロイドを見つけ、キャロルは彼に歩み寄った。


「……あり得ない。人間が……迷宮を作り出すなど」


 先ほど目の当たりにした不可解な現象に対する疑念を、ロイドはおぼろげな声音でつぶやいた。


 迷宮と魔術はちがう。そもそも迷宮は技術ですらない。

 内包する世界から一部の要素を切り取って現実へと引っ張ってくる行為が魔術だとしたら、迷宮とは邪神が生きている景色を体現した世界そのもの。

 肉体という殻に収まりきれないほどの強烈な自我が形を成したものだ。

 そこには技術など存在しない。現実とは違うどこか、元より見えない世界に在ったものがそのまま顕現しているだけ。

 邪神という災厄に付随する自然現象のひとつだ。


 最も邪神に近いとされる一等星級魔術師ですら、完全な迷宮の形成は成し得たことがない。魔物とともに作られる迷宮も邪神が生み出すそれよりはるかに劣る。

 迷宮の「再現」ではなく本物(オリジナル)をそのまま「顕現」させる行為は、もはや邪神そのものと同程度の自我・認識能力を備えてなければ不可能だからだ。


 キャロル=ベルスーズはそれをやってのけた。

 その事実にロイドは困惑するばかりだった。


「わたしのことなんて、どうでもよくないですか」


 ロイドの眼前でしゃがんだキャロルは、虚ろな瞳で項垂れている彼の顔を覗き込みながら言った。


「わたし……最初わからなかったんです。聖騎士の使命とか、この世から魔力を消したいとか、()()()()()()()()()()()()()()()()()……わたしには理解できなかった」

「…………つくづく末恐ろしいな、アーサーの妹」

「否定しないということは、自覚はあったんですね」


 諦めたようにため息をつくロイドを見て、キャロルはどこか嬉しそうに口元を緩めた。


 地下室でクラウディアやデビルーナに計画の話をしていたとき、ロイドには口にしていることとは別の思惑があると朧げながら察していた。

 半分は直感のようなものだが、キャロルには彼の心の本質を汲み取ることができたのだ。

 だってその感情は、すでに見たことがあるものだったから。


「本当は理想郷なんかどうでもよかったんでしょう? クーちゃんが平穏に暮らせる世界が作れたら、方法はなんでもよかった」


 しばしの沈黙の後、ロイドは虚空を見つめたままか細い声音でキャロルが求めた「答え合わせ」を回答した。


「邪神が……魔力が憎かったことは本当だ。母を奪われた恨みは確かに俺の胸を燃やし続けていた。だがそれだけじゃない。……幼馴染だと言うのなら、君にもわかるだろう」


 躊躇うように言い淀んだロイドだが、すぐに意を決して本心を吐露し始めた。


「クラウディアはいい子だ。一般教養を教わる歳を迎えるよりも前から……あの子は他人を気遣う優しさに満ちていた。俺が稽古で手首を痛めたときなんて、大袈裟なくらい心配されて一晩中付きまとわれたしな。その一方で……食事に嫌いな野菜が出されたときにはわかりやすく渋い顔をしたり、部屋に虫が出たときには泣いて縋りついてくるような、愛らしいところもある。生まれたときから聖騎士になることを決定づけられるクルトルフ家のなかで……あの子は母に似て、人並みの感性を育みながら成長した」

「そうですね。クーちゃんは可愛いし、贔屓目を差し引いてもいい子だと思います」


 懐かしむように笑ったロイドが一転して表情からその色を失くす。


「だがクラウディアが育つ環境は……あの子が宿す魔力を許しはしない。魔力を宿す限りクルトルフの人間はあの子を一族のひとりとしては数えないだろう。生まれた瞬間から、あの子には残酷な運命が定められていたも同然だ」

「あなたという理解者がいたのなら、そうはならなかったんじゃないの?」

「俺が理解者なんてものになれると思うか?」


 キャロルの問いかけに対してロイドは語気を強めながら返した。

 その眼差しにある怒りはキャロルに向けられたものではない。ロイドは妹に些細な幸せすらもたらすことのできない世界そのものを睨んでいた。


「理解とは寄り添う心を示して初めて成立するものだ。俺は自分の知る世界しか見せられない。聖騎士として生まれ、聖騎士として育てられ、家から与えられた役目をただ処理することしかしてこなかった俺は…………愛情というものを知らない。……俺はただクラウディアが懸命に生きている姿に尊さを見出しただけだ。決して、その逆ではない」


 ロイドの言葉にはある種諦めのような感情が含まれていた。

 クラウディアという少女はきっと、どのような生き方を歩んでもその本質を変えることはない。楽しいときに笑い、悲しいときに泣き、憤りがあれば怒る。

 そこにロイドが加わる余地はない。クラウディアは亡き母から譲り受けた豊かな感性のままに、その人間らしさを保ったままこれからも生きていくのだろう。


「だが……この冷たく残酷な世界で生きるには…………あの子は純粋すぎる。人並みに笑うことのできるあの子なら、苦しみも相応に背負うことになるだろう。そんなのは間違っている。クラウディアが幸せになれないというのなら、それは世界のほうがどうかしているんだ」


 奥歯を噛みしめたロイドが、唸るように言う。


「だから、俺は正そうとした。俺の知るやり方で……あの子が幸せに生きられる『魔力のない世界』を作り、そして何より————あの子の体から魔力を消し去ってやりたかった」


 ロイドが語ったことは、やはり大方キャロルが予想していたことと一致していた。

 クルトルフの思想に染められ、大きな装置の歯車として組み込まれてしまった彼にとって、人間らしい感性を持ったクラウディアは別の生き物に見えるほど異質な存在だったことだろう。

 だからこそ彼女の生き方が気高いものに思えた。

 自分が当たり前に生きられなかったから、同じ環境にいながら当たり前に笑うクラウディアを崇高に感じたのだ。


「これまでの行いはすべて……クーちゃんのためだったって、そう主張するつもりなんですか?」

「まさか。俺の行動をクラウディアが肯定することはない。事実、先ほどもあの子は俺を糾弾していただろう」

「そうですね」


 話したいことは語り尽くしたのか、ロイドがそれ以上自分から口を開くことはなかった。

 数秒の沈黙の後、代わるようにキャロルが言う。


「けどあなたはさっきのやり取りで自分の勘違いに気づいたんじゃないですか? クーちゃんはあなたを尊敬していたし、聖騎士を志すうえであなたの背中を追い続けていた。それまであなたが見せてきた真摯な振る舞いが、クーちゃんの憧れになったんです」

「それを言うならクラウディアの勘違いだろう。本当の俺は、さっき話した通りの人間だ」

「愛情を注ぐことに理解者である必要はないと思います。たとえ上辺だけだとしても、普段は見えることのない思考よりも目に見える行動のほうが、心に響きますから」

「…………それはなんとも、尚更やりづらいな」


 ロイド自身が語ったように、彼が愛情を知らない人間だとはキャロルは思わなかった。

 だって地下室でクラウディアたちと対峙したとき、彼は怒っていた。母を殺した理不尽に対して。

 ロイド自身は無自覚なのだろうが、妹のために行動を起こそうと思ったのは心の根底に母親から注がれた愛が残っていたからなのだと思う。

 キャロルはあまり親というものと親しくした覚えがないので、これは完全に推測でしかないが。


「あなたの気持ち、わかる気がする。わたしも不器用、って呼ばれる人種だと思うから」


 そう言ってキャロルは立ち上がった。


「もっとわかりやすく伝えられていれば、悲しい顔をさせずに済んだのかもしれませんね」


「拘束できるものを探してくるので、じっとしててください」と言って踵を返すキャロル。

 ロイドはその背中に向けて思い出したように顔を上げると、何気ない疑問を投げた。


「地下で俺の話を聞いたときにはすでに、君は俺の思惑がわかっていたような口振りだったな。……なぜ、俺の真意がわかった?」

「それは、まあ、だってそうでしょう」


 体を後ろへ向き直したキャロルは、変わらない無表情のまま抑揚のない声で返答した。


「兄という生き物は、妹を守るものなんでしょう?」


 ロイドの言葉の裏を読み取れたのは必然だった。

 それはキャロルにとって、生まれたときから近くにあった愛のかたちだったから。


 ロイドが続いて言葉を返すことはなかった。

 なにかを受け入れるような、それでいて安心したように目を瞑り、そのまま意識を沈めた。



「キャロル!」


 近くの廃屋から拘束具として使えそうな縄を拾い上げたそのとき、聞き覚えのある慌てた声が飛んできてキャロルは半壊した壁から顔を出した。


「ちょうど終わったところだよ、デビルーナ、クーちゃん」

「キャロル、アンタねぇ〜……!」

「へえぇ?」


 大股で歩いてきたデビルーナがキャロルの白い頬をつまみ上げる。というよりは引っ張り上げる。


「さっきの爆発アンタの仕業でしょ! 危うく巻き込まれるとこだったんだから!」

「ひゃんとほうならないようにひょうへいした……」

「ちょ、ちょっと! キャロルさんにひどいことしないでいただけます⁉︎」


 キャロルの頬を伸ばしていたデビルーナの手を振り払い、がるがると唸り声を上げるクラウディア。

 彼女は不意に腕のなかに包んだキャロルへ視線を落とすと、おそるおそる口を開いた。


「キャロルさん、ロイドお兄さまは……」

「気を失っているよ。これから縛り上げに行くところ」

「……そうですの」

「なにか伝えたいことがあるの?」

「いいえ」


 どこか含みのある沈んだ声でクラウディアが言う。


「いまは……会わないほうがいいと思いますわ。お兄さまもわたくしも、気持ちの整理をする時間が必要でしょうから」

「それもそうだね」


 キャロルはそう返すと、静かにクラウディアの腕を解いてロイドのいる広場の方へと歩いて行った。


 歩みを進めながらキャロルは思う。

 魔力を良しとしないクルトルフ家に魔力を持って生まれたクラウディアは、確かに苦労することも多かったかもしれない。

 だが彼女はそのなかでも生きる指針を自分で見つけた。

 ロイドが極端なことをしなくたって、クラウディアは自らの手で幸せを掴む選択ができたのだ。

 そもそも彼女の幸せを望むなら、最初から魔力を活かせる魔術師の道を勧めるなどして————。


 そう考えかけたところで、ふと立ち止まる。


(……離れ離れになるのが、そんなに嫌だったのかな)


 ベルスーズ家を出て行く直前に見た兄の顔を思い出す。

 あのときどうしてアーサーがあそこまで必死になって止めようとしたのか、キャロルは少しだけ理解できた気がした。

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