10.クルトルフと魔力
「クラウディア=クリシス=クルトルフと申します。……以後お見知り置きを……ですわ」
まだ幼かった彼女と初めて会ったときのことはよく覚えている。
良家の娘だというのに付けられている使用人はひとりだけ。護衛らしき者も見当たらない。
ある日キャロルの前に現れた不用心な少女は、ベルスーズ家に剣の稽古をつけてもらいにやって来たのだという。
まだ人間社会に疎かった当時のキャロルは別段気にしてはいなかったが、後になって思い返してみると違和感はいくつもあった。
以前から付き合いのある……それも当主同士が親しく対等な関係だという家柄のご息女にしては妙によそよそしい。
「うーん……まだ得物を振るうことに抵抗があるみたいだね」
稽古の最中。
なかなか剣技の型が身につかないクラウディアに対して、アーサーは悩ましげに笑った。
「ごめんなさい……」
「ああっ、いや、大丈夫だよ。まだ初歩とも呼べない段階だからね。まずは手に剣が馴染むまで、好きに振ってみればいい。慣れることがいちばん大切だ」
「はい……」
キャロルは見よう見まねでそれなりに形にすることはできたので、稽古の際アーサーはもっぱらクラウディアに付いていた。
「ごめんなさい、ですわ……。あなたのお兄さまですのに……」
休憩中、申し訳なさそうにそうこぼしたクラウディアの横顔は、四歳の子どもとは思えないほどに心労がにじんでいるようだった。
「いやぁ、べつに……。実を言うとわたしは聖騎士を目指してるわけじゃないから、兄さまのことは好きなだけ独占していいよ」
「え?」
クラウディアの丸く大きな瞳が一層丸みを帯びてキャロルを捉える。
「父上や兄さまにはまだ言ってないけどね、わたし……魔術師になりたいの」
周囲の価値観をただ受け入れるだけだったクラウディアにとって、キャロルが口にした言葉の衝撃は凄まじいものだった。
聖騎士として由緒正しい家系の子どもが、魔術師に……?
あり得ない話……とまでは言えないだろう。だがしかし、少なくともそれが普通ではないということはクラウディアにも理解できた。
同時に目の前にいる彼女——キャロル=ベルスーズの胆力にも驚かされた。
この世界において「魔術師になる」という行為はある種烙印とも呼べるものである。
邪神の遺物を取り込み、邪神の力を宿す……一度踏み出せば引き返すことはできない。大なり小なり、それは普通の人間からは逸脱した人生を送ることを意味する。
魔術師にとって、まだこの世界は優しいとは言えない。
「あの、あなたは——キャロルさんは、どうして魔術師になりたいんですの?」
「そのほうがきっと自由になれるの」
簡潔に、キャロルは返答する。
「わたしはこの世界でいちばん自由な存在になりたい。煩わしいことなんて何ひとつない世界で、安らかに、楽しく生きていたい。ただ……それだけが望みなの」
外見からくる印象の通り、細く可愛らしい声。
しかし不思議とクラウディアにはそれが同年代の少女の言葉とは思えなかった。
「あなたはなんのために聖騎士を目指してるの?」
そう問いかけられて三分は経っただろうか。
クラウディアの喉元に上がってくるのは質問への答えではなく、消極的な妥協案だけだった。
「……わたくしの魔力は、汚れているから。だからわたくしは……せめてクルトルフの名に恥じない働きをしなくてはと……」
「汚れてる……?」
怪訝な顔を見せたキャロルが、続けて口を開く。
彼女が口にした言葉を噛み締めるように、幼き日のクラウディアはしばらくの間押し黙っていた。
●
クルトルフ————それはまだ「聖騎士」という言葉もなかった頃から邪神やその眷属である魔物と戦い続けてきた者たちの名前である。
邪神、魔物、迷宮、魔力、魔術、これらはすべて人の世界にはあってはならないもの。その信念の下、彼らは人間を守るためにその剣を振るってきた。
そして邪神が滅び、人々から魔術を扱う者が現れ、混血が進む時代の流れのなかでも、クルトルフの人間は自分たちの一族に魔力を宿すことを良しとしなかった。
「本来クルトルフ家は……魔力を宿していない人間だけで代を繋いできた者たちなのですわ」
キャビンテッド王国政府直属の騎士団“アコルド”。その団員寮にある大浴場。
普段クラウディアも使用している巨大な湯船に浸かりながら、キャロルは隣にいる彼女の話に耳を傾けていた。
「キャロルさんもご存知かと思いますが……いまの時代では本来、ほとんどの人間が魔力を持って生まれてきます。ですが例外を除いて、クルトルフ家の人間にはそれがありません」
「魔力を持たない人間同士で交配を行なってきたってことだね」
この現代社会では九割の人間が魔力を備えている。逆に言えば一割の人間には魔力がない。
それらはよほど閉鎖的な環境で代を紡いできたか、あるいは意図的に魔力を持たない人間だけを後継者としてきた家系かの二通りに分けられる。
聖騎士の家にはごく稀に見られる傾向だ。
「あれ……でもクーちゃん、あなたには魔力があるよね?」
「……ええ、おっしゃる通り。他でもないわたくしが『例外』なのですわ」
横で話していたクラウディアの表情が曇る。
幼い頃の一時期はキャロルと一緒に剣の稽古をしていたのでわかる。
クラウディアの体には魔力が備わっていたし、実際アーサーからもその操作技術を学んでいた。
しかし彼女の話を聞く限り、純粋なクルトルフの血筋の者であるのならそれは通常あり得ないことなのだが……。
「わたくしがまだ、お母さまのお腹の中にいた頃のお話ですわ。……わたくしとお母さまは、医療施設で突然発生した迷宮に巻き込まれてしまいましたの」
それはまさに今日の昼、キャロルとデビルーナが遭遇した出来事と同じ体験だった。
原因も同じ、邪神教徒によるテロ行為。
出産を控えたクラウディアの母が入院する施設で邪神の遺物が解放され、人為的に発生させられた迷宮のなかに彼女たちが囚われてしまったのだという。
迷宮とは邪神の魔力で構成された異空間。
耐性もなく、抵抗する手段である魔力も持たない人間がその場に留まることで受ける影響は計り知れない。
「幸い……巻き込まれた人のなかには聖騎士や魔術師の方もいて、そう長くはかからず迷宮は攻略されたと聞いていますわ。ですがお母さまは迷宮の魔力に当てられてしまい、救出後わたくしを産んでまもなく亡くなってしまいましたの」
自分が生まれる前の出来事だからだろうか、そう語るクラウディアは他人事を話しているかのように冷静に見えた。
「お母さまの中で迷宮の魔力を大量に浴びたわたくしは、本来宿るはずではなかった魔力を備えて生まれてきてしまった。……クルトルフの家に許されない、邪神の血を引いた人間として」
それを聞いて、キャロルのなかで腑に落ちることがあった。
クラウディアがまだ幼かったとはいえ、他所の家に後継者となる人間の教育を任せるものだろうかと昔から気になってはいたのだ。
なによりも純粋な「人間」であることを重要視するクルトルフの家系——その枠組みから外れてしまったクラウディアは、もはや家の人間から「いないもの」として扱われてきたのではないだろうか。
だから同じ聖騎士の家系でも、常人同様に魔力を宿しているベルスーズ家に彼女を放任していた。
「そんな事情があったんだね」
「あまり驚かないですのね」
「昔から違和感はあったから。いまの話で答え合わせができたな……って感じ」
「ふふふ、相変わらずおかしな方ですわね、キャロルさんは」
ふと視線を落としながら、懐かしむようにクラウディアは言った。
「『わたくしの魔力は汚れている。だからせめてクルトルフの家名に恥じない働きを……』幼い頃、わたくしは言いましたわね」
「うん」
「その言葉に対してキャロルさんが言ってくれたこと、覚えていらっしゃる?」
「うん、覚えてるよ」
『——あなたの魔力は、綺麗だと思う』
それは素朴な一言だった。
落ち込んでいる友だちに向けた、何気ない言葉。
それが今日に至るまで、クラウディアという少女を聖騎士として成り立たせていた。
「わたくし、キャロルさんにああ言っていただけて、すごく嬉しかったんですわ。これまで要らないものだった魔力が、あなたの言葉で初めてわたくしの一部として受け入れることができた。…………単純だって笑われるかもしれないけれど、わたくしにとってはやっぱり、世界が一変する出来事でしたの」
穏やかに笑いながらそう口にしたクラウディアの横顔を見つめながら、キャロルは当時のことを思い返してみた。
結論から言うと、あのときキャロルが言葉にしたことは嘘だったのだと思う。
魔力なんてものが綺麗であるはずがない。
多かれ少なかれ他の邪神の要素が練り込まれているそれは、キャロルにとって「不快」か「不快だが多少マシ」かの二択でしかない。
クラウディアの宿す魔力も例外ではない。
彼女のなかにある魔力は、どちらかというとキャロルから見ても汚らしいものだし、今こうして対面してみてもその印象は変わらなかった。
だがキャロルのなかに芽生えた感情は、それだけではない。
子どもの頃……キャロルがクラウディアに「綺麗」だと言った理由は、彼女に悲しい顔をして欲しくはないと思ったからなのだと思う。
それが気休めなのだとしても、クラウディアが「汚れている」と称し自分の汚点として抱えていたものを、「そんなことはない」と否定し、すこしでも楽になってくれたらと願ったのだと思う。
複雑な思考が絡む言葉や主張を除き、ヒトの純粋な喜怒哀楽はキャロルにも伝わる事柄だ。
ヒトに転生し、中途半端にヒトの仕組みを理解してしまったからこそ、キャロルは身近に悲しむヒトがいれば嫌な気持ちになるし、泣くのをやめてほしいとも思う。
「綺麗」という言葉は兄・アーサーが事あるごとにキャロルにかけていた言葉だった。母に似て綺麗な髪だと、綺麗な瞳だと。
その言葉を聞くと悪い気がしなかったから、クラウディアもその言葉を聞けば悲しい気持ちを紛らわせられるかと思い、キャロルは彼女にそう言ってみた。
ただそれだけの、単純な理屈である。
「そうなると……クーちゃんのお兄さんには魔力がないってことになるよね」
「ええ。お兄さまどころか……お父さま、クルトルフに連なる聖騎士の方々は、皆魔力を持っておりませんわ」
「それで聖騎士の仕事してるんだ。それはそれですごいね」
「わたくし、稽古ではロイドお兄さまに一度も勝てたことがありませんのよ。本当なら魔力で自分を強化できるわたくしのほうが有利なはずなのに」
聖騎士という職に就いている以上、魔物や魔術師との戦闘は避けられないはずだが……身体能力を強化できる魔力の恩恵を受けずにそれをこなしていると考えると、キャロルから見ても感嘆に値する。
まだ邪神が地上を支配していた太古の時代、人類が滅びなかったのはそのような人間たちが多く存在していたからなのだろう。
「すこし怖いと思うときもありますけど……これでもわたくし、お兄さまのことは尊敬していますわ」
そう笑ったクラウディアの言葉に嘘は感じなかった。
「……こうして今日キャロルさんにお話しできて、すこし心が軽くなりましたわ。ずっと騙してるみたいで、モヤモヤしてましたの」
「魔力の有無なんて、そう気にすることでもないと思うけどな」
「そうだ、次はキャロルさんのお話もお聞かせしてくださりませんこと?」
「わたしの話?」
どこか重たくなった空気を張り替えるようにクラウディアが言った。
「はいっ。王都にいらっしゃってから、観光とか……どこかに行ったりはしませんでしたの?」
「観光かぁ……そんな時間なかったかも。こっちに来てからはすぐに魔術連の役所に行って、デビルーナに宿で押し倒されて、それで迷宮に……」
「おっ、おっ、おっ、押し倒されたァ⁉︎」
クラウディアが勢いよく身を乗り出して湯船の波飛沫がキャロルの顔面を襲う。
「なっ、なっ……なにをおっしゃいますの⁉︎」
「なにって……起きたことを話しただけだよ」
「デビルーナって、あの嫌味な魔術師ですわよね⁉︎ やはり昼間のうちに詳しく取り調べしておくべきでしたわ……ッ!」
「ああ、いや、ちゃんとわたしから仕返し————」
なにがあったのか話そうと口を開きかけるキャロルだったが、目の前にいる彼女が仮にも聖騎士の卵であることを思い出し、黙る。
行きずりの人間を宿に連れ込んで「魅惑」の魔術をかけ、あろうことか洗脳して手駒にしようとするのは立派な犯罪である。キャロルがこの場で一言いえば、それこそデビルーナは即刻お縄になるだろう。
事実だけ見れば彼女が逮捕されるのは自業自得なのでそうなろうと心は動かないのだが、彼女は彼女で被害者であるキャロルからの私刑を受けているので追加で贖罪を背負うのはほんの少しだけ、わずかに、かすかに、ほのかに可哀想だ。
「あの魔術師……次に会ったら絶対にぶった斬って……っ!」
「憂さ晴らしならほどほどにしてあげてね。デビルーナは一応、空腹のわたしにパフェを食べさせてくれた恩人なんだし」
「それくらい! わたくしもして差し上げられますわ!」
「ほんと? じゃあ今度いっしょに食べに行こうね」
「ええっ! ぜったい、ぜったい行きましょう!」
目をギラつかせたクラウディアが肩を揺らしてくる。
立ち上がりながら動くものだからいろいろと見えてしまっているが、風呂というのはヒトから恥じらいを奪うものなのだろうか。
初対面の魔術師に襲われたり迷宮に巻き込まれたりと疲労がたまる一日だったが、タカる当てがひとり増えたので良しとするキャロルだった。
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(今のところめぼしいヤツはキャロルだけだったか……)
宿が隣接して並んでいる街道。
街灯に照らされた道のりを歩きながら、デビルーナ=ナイトゴーンはひとり肩をすくめた。
邪神教に新たな派閥を立ち上げ、やがては教団そのものを手中に収めるという壮大な計画。その仲間集めのためにひと月ほど前から王都に滞在しているが、首尾はあまりよくない。
これまで魔術連合を訪ねてくる世間知らずな新米魔術師を中心に声をかけてきたが、よく言われる「魔術師との付き合いは必ず連合を仲介しろ」という流説はしっかり警告として働いているらしく、ほいほいと付いてきてくれたのは空腹にやられていたキャロルだけだった。
わかってはいたが、魔術師という生き物は同じ魔術師からも信用を得るのに一苦労かかる。派閥を立ち上げるだけの人数を集めるのに一体何年かかることやら。
「——ん?」
不意に前方から感じたことのない気配が漂い、デビルーナは無意識に足を止めた。
決定的に気になる点がひとつ。
不自然なほど魔力の漏出が少ない——というか魔力を感じない。
顔を隠すようにフードを深く被ったその人影は、デビルーナが立ち止まったのを見て同じようにその場で停止した。
背格好からしておそらく男だ。
同時に全身に駆け巡るまとわりつくような悪寒。
狙われている。「変身」魔術の副作用である常人よりも優れたデビルーナの五感がそう警告していた。
「オイオイ、あたしのこと見過ぎでしょ。魔術師に気があるなんて物好きだね〜キミ」
ただならぬ空気を察知したデビルーナは軽口を叩きながら咄嗟に身構える。
動き出した男がフード付きのマントから引き抜いたのは、意外にも無機質な輝きを放つ長剣だった。
——聖騎士……?
初めて向き合う気配にデビルーナの心拍が早まり、警戒するように肌の感覚が鋭くなっていく。
なにが目的だ——とか、なぜ自分を狙う——とか、そんなのは後回しだ。
刃物を向けられては自衛に走るしかなかろう。
魔術師の人生にはこれくらいのことは日常茶飯事だ。いちいち驚いていられない。
全身に魔力を走らせ、狩りをする獣のごとく注意深く相手の様子をうかがっていたデビルーナは、
「あ?」
突如として発生した斬撃を脇腹に受け、手玉のように容易く跳ね飛ばされた。
反射で魔力による防御を行い体を切断されることは免れたが、稲妻のような衝撃と激痛がデビルーナに死を予感させる。
「——ゲホッ……!」
すぐそばの建物に背中から叩きつけられ、意識がにノイズが走るのがわかった。
攻撃の軌道が見えなかった。気配も。
「変身」の副作用で常に神経が研ぎ澄まされているデビルーナの認識を掻い潜る不意打ち。
なんらかの魔術を使用したとしか考えられないが、やはり魔力が使われた余韻も感じない。
(チッ……またかよ。一日に三回もやらかすとか、マジでどうなってん……)
刈り取られていくデビルーナの視界に最後に映ったのは、やけに嬉しそうな顔をした男の姿だった。




